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【 花の章 】―弐―

213 山崎さんの帰京

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 三条制札事件で土佐藩と和解してから数日。
 九月も下旬になると、広島に留まっていた山崎さんがそろそろ戻って来ると聞いた。
 ちなみに、一緒に残った吉村さんは一足先に帰京していて、つい先日の土佐藩からの祇園への招待にも同行していた。

 そういえば、事件の夜土佐藩士の持つ刀はみんな一様に長く見えた気がしたけれど、やっぱり気のせいではなかったようで、土佐では長めの刀が流行っていたらしい。
 とはいえ、あの一件で役に立たないとわかり、みんな長刀を持つのをやめたとも……。



 日中の巡察を終え次は稽古場へ向かうその途中、外廊下の端っこで、立ち話をする沖田さんと良順先生の後ろ姿を見つけた。
 挨拶をしようと二人のもとへ行けば、さっそく沖田さんが振り返るけれど、私に気がついたわけではなかったのか、すぐさま良順先生へと視線を戻した。
 それでも、私が近づく頃にはさすがに気がついたようで、二人が揃って振り返る。挨拶を交わしたあとで、沖田さんが再び良順先生に向き直った。

「よろしくお願いします」
「……わかった。だが――」
「承知してます」

 会話は一段落した様子だけれど、笑顔を浮かべる沖田さんとは反対に、良順先生の表情は少し険しい。

「もしかして……お話の邪魔しちゃいましたか?」

 私のせいで無理に中断させてしまったのかも……と申し訳なく思いながら訊ねれば、沖田さんが笑顔で否定する。

「いいえ~。良順先生おすすめのお店があるっていうんで、今度連れてってくださいとお願いをしていただけですよ~」

 そう言って沖田さんが良順先生に同意を求めれば、ああ、と頷いて私を見る。

「その時は春も一緒にどうだ?」
「はい! ぜひっ!」

 思いもよらないお誘いに乗ると、沖田さんは良順先生に別れを告げるなり私の手を取り歩き出す。

「良順先生がお土産をくれたんです。部屋で一緒に食べますよ~」
「わっ、お、沖田さん!? 私このあと稽古ですっ!」
「少しくらい大丈夫ですよ~」

 握る手の強さから、どうやら解放する気はないらしい。
 良順先生を見ても、苦笑を浮かべながら見送られてしまったから、半ば諦めモードで引きずられていくけれど……。
 今日の少し冷えた空気とは反対に、その手から伝わる熱に少し違和感を覚えた。

「沖田さん? 手、熱くないですか……?」

 もしかして熱がある?
 返事もないまま沖田さんは自分の部屋の前で立ち止まると、突然、ごほごほ……と咳をこぼした。

 まさ、か……?

 鼓動が嫌な音を刻み始めれば、悪戯っ子のような笑みを浮かべた顔が振り返る。

「なんてね」
「……え?」
「冗談ですよ~。手が熱いのは、単に風呂上がりだからだと思いますよ?」
「冗談って……」

 そういう冗談はやめて欲しい。全然笑えないから……。
 非番の沖田さんが早めにお風呂を済ませてしまうことが多いのは知っているし、今も、軽く結われた髪はまだ少し湿ってもいる。

 沖田さんの言葉を疑うわけではないけれど、それでもやっぱり確認したくて、繋がれていない方の手を沖田さんのおでこへ伸ばす。
 けれど、触れるより前に私の手の方が捕らわれてしまい、抵抗するまもなく一瞬のうちに両腕と背中が障子に押し当てられていた。

「お、沖田さん……?」

 いつかのように怒らせてしまったのかもしれない……。
 新たなそんな不安が生まれる中、恐る恐る見上げていた顔が近づいた。
 次の瞬間、コツンとおでことおでこがくっつき意地悪な声がする。

「お望み通り、熱があるか確認させてあげますよ」
「て……手で触ればわかりますからっ!」
「そうですか~? でもおかしいですね、僕より春くんの方が熱いですよ?」
「それは……」

 いきなりこんなことをするからでしょうがっ!
 沖田さんめっ!

 顔の近さに耐えきれず逃げるように俯けば、ケラケラとおかしそうに笑いながらおでこも腕も開放された。
 すぐさま文句を言おうと思うも、今度は私の頭を優しく撫でてくる。

「近頃は落ち着いたと思っていたのに、やっぱり春くんは心配性ですね~」
「それは……」

 だって、私が知っている沖田さんは……。
 思わず視線を逸らすより先に、沖田さんがにやりとしながら大げさに考える素振りをした。

「まぁ、心配し過ぎは困りものですけど、案外悪くはないかもしれませんね」
「……え?」
「だって、それだけ僕に興味があるってことでしょう?」
「お、沖田さんの調に、ですっ!」

 そこの違いを強調してみせるも、わかっているのかいないのか、沖田さんはにこにこと再び私の頭を撫でる。

「照れない照れない」
「照れてませんっ!」

 そう言ってそっぽを向けば、こちらへと向かって歩いてくる懐かしい人の姿が見えた。
 沖田さんも気がついたようで、一緒になって声をかける。

「山崎さん!」
すすむさん!」
「はい。只今戻りました」
『おかえりなさい!』

 どうやらたった今、広島から戻ってきたところらしい。

「お二人の顔を見たら、無事に戻って来れたのだと実感がわきました」
「ふふ。長い間、本当にお疲れ様でした」
「そんな丞さんには、頑張ったご褒美をあげます」

 そう言うと、沖田さんは良順先生からもらったというお土産を懐から取り出し開けてみせた。中身は金平糖らしい。
 どーぞ、といくつかつまんで山崎さんの掌に乗せた沖田さんが、今度は一つだけつまみ上げ、にこにこしながら私に向き直る。

「春くんも。はい、あーん」
「……普通にください……」

 掌を出して訴えるも、沖田さんは笑顔のまま微動だにしない。
 負けじと静かな攻防を続ければ、しばらく柔らかな眼差しで見守っていた山崎さんが、自分の分から私の掌におすそ分けしてくれた。

「すみません、そろそろ副長に帰還報告をしに行きます。部屋へ戻るなら春さんも一緒に行きますか?」
「あっ。すみません、私これから稽古です」

 すっかり忘れていたけれど!
 山崎さんにお礼を告げてこの場を立ち去ろうとするも、沖田さんに引き止められた。
 言われるがまま少し待てば、部屋の中で二つに分けた金平糖の一方を私にくれた。

「稽古のあとにでもどうぞ」
「ありがとうございます!」

 そうして二人に見送られながら、急いで稽古場へと向かうのだった。





 翌日。
 昨日は報告やら何やらで、あれからあまり話も出来ないほど忙しかった山崎さんが私を甘味屋へと誘ってくれた。

 案内してくれたのは、最近出来たばかりだというお店で、ずっと広島にいたはずなのにその情報収集能力の高さには驚かされる。
 かなりの人気店なのか店内は満席だけれど、丁度表の縁台が空いたのでそこに並んで腰掛けた。

 どうやらオススメのメニューまで把握しているらしく、もうさすがとしか言いようがない。
 一番人気だというぜんざいを二人分注文してくれると、待っている間に山崎さんは羽織を脱ぎ、私の肩に掛けてくれた。

「今日は風が冷たいので」
「でも、山崎さんが冷えちゃいます」
「私なら、これくらいどうってことないですよ。それより、春さんの身体が冷えては大変ですから」

 相変わらず、山崎さんの過保護は健在だった。
 とはいえ、さっきまでは平気だった風もただ座っているだけでは確かに少し冷える……。ここは、少しの間ありがたく借りることにした。

 運ばれてきたぜんざいは小豆の甘い汁に丸餅や栗が入っていて、ぱっと見はお汁粉だった。
 けれど、こっちの方では大きく分けて小豆の粒がないものを汁粉、粒があるものをぜんざいと呼ぶらしい。
 火傷しないようゆっくり食べながら、色々な話をした。

 あの土方さんが風邪で倒れたことや原田さんに息子が生まれたこと。
 山崎さんならすでに知っていることばかりかもしれないけれど、一つ一つ丁寧に頷きながら聞いてくれる。
 大樹公が亡くなった話にもなれば、自然と長州征討の話題となり、それまでとは打って変わって山崎さんは神妙な面持ちになった。

「幕府が負けるわけない。最初はそう思っていましたが……近くで見ているうちに、甘いと思い知らされました」

 出兵を拒む藩があったとはいえ、人数だけを見れば誰もが幕府の圧勝だと思っていた……。
 けれど、その人数差を埋めるだけでなく圧倒するほどの高性能な武器と、動きやすさを重視した洋式の軽装備。そして、少数ながらも統率の取れた部隊。
 対して幕府側は、性能の高い武器を所有しているのはごく一部にすぎず、多くが鎧に甲冑といったさながら戦国時代の戦をしているかのようで、士気の高さを含めその差は歴然だったと。

 大樹公が存命であれば、また違った結果を生んだかもしれない。
 けれど……休戦という形に持ち込んだ第二次長州征討は、誰が見ても幕府の大敗だった。
 権威も求心力も失墜した幕府に日本を任せてはおけないと、これまで声高に攘夷を叫んでいたいわゆる攘夷派の多くが、倒幕を目論見始めているという。

 詳しい歴史はわからないけれど、江戸幕府が終わるということは知っている。
 少しずつ、その歴史に近づいている気がして視線を落とせば、山崎さんが憎らしくも懐かしい名前を口にした。

「高杉晋作……今は谷潜蔵ですが、彼もこの戦で大活躍したようです」
「バカ杉さんが?」

 最初の戦場となった大島口の戦いでは幕府が占拠に成功したけれど、バカ杉晋作が軍艦で夜襲を仕掛け、戦況をひっくり返したのだという。
 初日に一度だけ会った火吹き達磨こと大村益次郎さんも、同じく大きな戦果を上げたのだとか。
 軍艦で夜襲……何ともバカ杉さんらしいと思わず笑ってしまえば、つられて少しだけ笑った山崎さんが、何かを思い出したように表情を曇らせた。

「彼の咳を覚えていますか?」
「咳? そういえば、風邪を拗らせて長引かせてましたね」
「おそらくですが……労咳なもかもしれません」
「……え」

 労咳……? バカ杉晋作が?
 確かに、時折激しく咳き込んだ姿は覚えている。単にむせただけだと言っていた気がするけれど……まさか、労咳だったの?

 手元のお椀に視線を落とせば、すでに冷めてしまったぜんざいが僅かに残っている。
 一気に掻き込み一息つくと、指先で軽く口元を拭って空を見上げた。

「もしかしたら、の話ですよね?」
「……ええ」
「だったらやっぱり、風邪を拗らせただけですよ」

 だって、バカ杉晋作が労咳だなんて、そんなの全然似合わないから。
 雑草みたいにしぶとく生きて、自分勝手に周りを振り回して、“面白い”ってバカみたいに笑ってこそバカ杉さんなんだから。
 だから……抜けるような高い空に、そう願った……。

「春さん……」

 申し訳なさそうな声に視線を移せば、どこか硬くて不安そうな顔と目が合った。
 まるで、鏡を見ているようなその表情に思わず苦笑をこぼせば、山崎さんの着物が私の視界いっぱいに広がっていく。
 どういうわけか、山崎さんに抱き寄せられていた。

「山崎さん……?」
「すみません、落ち込ませるつもりはなかったんです」
「だ、大丈夫です。落ち込んでいるわけじゃ……」

 そう訴えながら押し返そうとしてみるものの、山崎さんの腕は余計に強まった。

「すみません。私がこうしたいんです。こうして春さんに触れていると、本当に帰って来れたんだと実感出来るので」

 それは本音かもしれないし、私のためにとついた嘘かもしれない。だって山崎さんは過保護だから。
 そんな山崎さんらしさに、もう一度お帰りなさい、と返すのだった。
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