落花流水、掬うは散華―歴史に名を残さなかった新選組隊士は、未来から来た少女だった―

ゆーちゃ

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【 花の章 】―弐―

201 長州で温泉

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 とうとう三月になった。
 近藤さんとの約束の期限まで残り一ヶ月だというのに、これまで昼夜関係なく突撃訪問してきたバカ杉晋作が、二月下旬の花見を最後に全く顔を出さなくなっていた。
 代わりに、初日以来ほとんど来ることのなかった木戸さんがやって来た。

「ごめんね、なかなか来られなくて」
「忙しそうですね」
「うん。まぁね」

 第二次長州征討が迫る今、私たちに構っている暇なんてなくて当然だろう。
 だからこそ、早く開放してくれたらいいのに、とも思う。

「そういえば、バカ杉さんもここのところ全然来てないですよ」
「そうなの?」
「はい。ここ十日くらい見てません」

 しばし考え込んだ木戸さんは、何か思い当たることでもあるのか合点がいったように苦笑をこぼした。

「確かに今は忙しいけど、他にも理由があって余計に忙しいんだと思うよ」

 木戸さん曰く、バカ杉晋作は現在“個人的な面倒事”を抱えているらしい。
 内容までは教えてくれなかったけれど、“個人的”というあたりが、何ともバカ杉晋作らしいなんて思ってしまう。

「ところで、山崎はまだ戻らない?」
「日暮れまでには戻るって言ってましたけど……」

 庭先を見やれば、まだ西日とは呼べない明るい光が降り注いでいる。
 待ちますか? と問うも、木戸さんは首を左右に振った。

「二日くらいならいいって伝言頼める?」

 ……二日?
 思わず首を傾げれば、木戸さんが不思議そうな顔をした。

「もしかして、聞いてないの?」

 ……何を?
 さらに角度が増せば、今度は少しだけ不満げな顔になる。

「山崎と一緒ってのが気に食わないけど、春には長州のことをもっと知ってもらいたいから仕方がないね」
「あの、話が見えないのですが……」
「知りたい?」

 この流れ、どうせ教えてもらえない気がする。
 あえて返事もしないでいれば、つれないね、と大袈裟に肩を竦められた。

「こんなに忙しくなかったら、僕がしてあげたかったんだけどね。残念」

 だから、いったい何の話?
 教える気はないのか、楽しんできて、と言い残して去っていった。

 夕暮れ時。
 帰宅した山崎さんに木戸さんからの伝言を伝えれば、同時にその内容も訊いてみる。
 けれど、どうやら山崎さんも教える気がないらしく、明日は一緒に出かけるのでそのつもりで、と何やら企んでいそうな笑みが返ってくるだけだった。





 翌朝。
 鍼治療の仕事をお休みにした山崎さんは、昨日の宣言通り私を連れて一緒に屋敷を出た。
 手ぶらではないうえに遠出に適した格好なので、ちょっとそこまで買い物へ……というわけではなさそうだけれど、目的地を訊いてもやっぱり教えてはもらえなかった。

 何だか楽しそうな山崎さんの隣を、他愛もない話をしながら歩いた。
 歩いて歩いて、途中休憩を挟みながら歩いて、お昼前には川棚温泉というところに着いた。
 お殿様も訪れる温泉らしく、身分によって入れる湯船が制限されていたりはするものの、病気平癒に効果があるとして人気の温泉らしい。

 ……で。午前中いっぱいかけてここへ来たってことは、まさかの温泉旅行!?
 とはいえ、手放しで喜べる状況じゃない。

「一応は人質の身なのに、こんなところまで来ちゃって大丈夫なんですか?」
「もちろん、ちゃんと許可は得ましたよ」

 なるほど……。木戸さんの話していたのはこのことだったのだと理解するも、今はお互い任務継続中の身。
 ……いいのかな?

「少しくらいのんびりしたって、罰は当たりませんよ」
「罰は当たらなくても、土方さんの雷には当たるかもしれないですよ?」
「なるほど。それはあり得るかもしれませんね」

 山崎さんが言うと、本当にありそうなのだけれど!
 そんな不安を知ってか知らずか、それなら……と付け加えた次の瞬間、私の耳元に顔を寄せ囁いた。

「二人だけの秘密です」

 すぐに離れた顔は悪戯っ子のそれだった。
 とはいえ、真面目な山崎さんが怒られている姿なんて想像がつかないし、私がそそのかしたと思われて一人だけ怒られる……そんなオチしか見えないのだけれど!
 一人で葛藤していれば、不意に、山崎さんが私の手を取った。

「二人で怒られるのも悪くないですが、ここは、敵情視察ということにしておきましょうか」

 なるほど! それなら長州のどこにいようが任務遂行中ということになる!?
 見事な提案に乗っかれば、山崎さんは私の手を掴んだまま歩き出し、数歩先で振り返った。

「迷子になったら大変ですから」

 見知らぬ土地ではあるけれど、ここでも過保護っぷり発揮とは!
 何はともあれ、温泉なんて滅多に来られない。今日は思いっきり満喫……いや、敵情視察しよう!



 お腹を満たしてから近くを散策して、日も傾き始めた頃に宿へ入った。
 もうこんな時間なのに今日は宿泊客がほとんどいないらしく、案内されたのは一階にある広くて風通しの良い部屋で、併設された庭は手入れも行き届いていた。
 部屋の中を見たり縁側に出て庭を見たり、そわそわと落ち着かない私に向かって山崎さんが微笑んだ。

「温泉、入ってきていいですよ」
「山崎さんは入らないんですか?」
「私はもう少し休んでから行こうかと。春さんも今日は何も気にせず、ゆっくり浸かって来てください」
「はい! では、そうさせてもらいます!」

 夕餉の前に旅の疲れを癒やすべく、一足先に浴場へと向かえば、宿泊客が少ないと言っていただけあって貸切状態だった。
 はしゃぎそうになるのを抑えて髪や身体を洗い、さっそく湯船に浸かると、ふと、入り口とは反対の方にやや小さめの引き戸があることに気がついた。
 作り的に外へ繋がっている気がするけれど……と恐る恐る開けてみれば、そこには予想通り露天風呂があった。
 屯所にいても江戸へ下る時も、お風呂はいつもみんなが寝静まるような遅い時間が多い。夕暮れとはいえ、まだ明るいうちにお風呂に入れるのは嬉しくて、迷わず露天風呂へ入った。

 当然こっちも貸切状態で、夕焼けを映してきらきらと茜に光る水面を掬っては、時間も忘れて満喫していた。不意に、引き戸が開く音のした方を見れば、入ってきたのとはまた違う扉があったらしく、そこから人が入ってくるところだった。
 湯気越しと日没間近の暗さに目を凝らせば、ゆっくりとこちらへ向かってくるその人は手拭いを腰に巻いている……って!

「や、山崎さん!?」
「えっ……春さん?」
「な、なっ、何してるんですか!?」

 山崎さんがそんな人だとは思わなかった!
 慌てて弁解しようとする山崎さんを無視して湯船の端っこへ逃げれば、山崎さんが入ってきた扉の方から二、三人の男性の声が聞こえてきた。その会話は、ここの露天は混浴だとか何とか言っている。
 ただの露天風呂だと思ったけれど、まさかの混浴露天風呂!? しかも、入ってくるの!?

 突然、無言で走り出した山崎さんが慌てて引き戸を押さえれば、直後、向こうも開けようとしたのかガタガタと強引に開けようとする音が響いた。

「あれ、開かねえ。鍵でも掛かってるのか?」
「今日は客もほとんどいねえしな。諦めるか」

 下品な笑い声を交えながら、明らかに露天風呂が目的じゃない会話をする声が遠ざかっていく。
 山崎さんは、近くにあった鍵用のつっかえ棒を引き戸へ斜めに立てかけると、背を向けたまま申し訳なさそうに小声で言った。

「すみません……すぐに出ると怪しまれそうなので、もう少しだけここにいさせてください」
「は、はい……」

 少し前まで満開だった桜も葉桜になり、昼間は随分と暖かい日が多くなったけれど、日暮れともなればだいぶ涼しい。
 濡れた身体に手拭い一枚では風邪を引いてしまうかもしれない。何より、疑ってしまったことが凄く申し訳ない……。

 髪が落ちないよう頭に巻きつけていた手拭いを解き、色々とマナー違反は承知でお湯に沈めて身体の前で広げた。
 ……見えたら逆にごめんなさいしたくなるくらい、貧相だけれども!

「山崎さん、風邪引いちゃうといけないので中で温まってください」
「しかし……」

 案の定渋られるも、直後にくしゃみが聞こえ何とか説得すれば、離れたところに浸かった山崎さんが背中を向けて話し出した。 

「春さんが混浴にいるとは思いませんでした」
「た、ただの露天風呂だと思って入ったんですけど、ここってやっぱり……」
「はい、混浴ですね。その扉の裏側にも張り紙がしてありましたし」
「そうだったんですね……」

 そんなのあったっけ?
 見落としたのか最初からなかったのか……。まさか、さっきの客たちの仕業だったり!?
 ところで……。

「山崎さんは、混浴だと知ってて入ってきたってことですよね?」
「ええ。まぁ」

 そ、そうなんだ……。そりゃあ、山崎さんは私よりもずっと大人だし男の人だし?
 そういうのも仕方がないというか何というか……って、よくわからないけれどっ!
 ただでさえ少しのぼせかけているのに、ますます熱くなる!

「誤解しないで欲しいのですが、混浴が目的で入ってきたわけじゃないですからね? そもそもこの湯気と暗さでは、浸かっていたら見えません」
「え、あー、確かにそうですよね……。疑ってすみません」

 その後も会話を続けるけれど、山崎さんが来る前から入っていたのでかなり熱い。もう出たい。
 とはいえ扉までは一度湯船を出なければならず、バスタオルならまだしも、手拭い一枚では貧相だろうが隠しきれそうにない。
 そろそろ本格的にマズくなってきた頃、山崎さんが水面を揺らして立ち上がる音がした。

「もう、大丈夫そうですね。これ以上は流石にのぼせるので先に出ます」
「は、はい……」
「私が出たあと、春さんも女湯に戻ってください」
「そうします……」

 というより、早くそうしたい。
 山崎さんが扉の向こうに消えるのを待ってから、私も湯船を出た。若干ふらふらしながら何とか脱衣所まで戻り、着替えを済ませて外へ出る。
 そこには山崎さんがいて、私の顔を見るなり両手で頬を挟まれた。

「もしかして、のぼせましたか?」
「えっと、その一歩手前ってところですかね……」

 固定された視界に映る山崎さんの雰囲気が、何だかいつもと違う感じがする。
 髪が濡れて、寝癖が真っ直ぐになっているせいだと気がつけば、山崎さんの顔が近づきおでことおでこがくっついた。

「本当だ。凄く熱いですね」

 ち、近い、近すぎるからっ!

「すみません、私のせいですね。部屋へ戻って早く涼みましょう」
「山崎さんのせいじゃな――って、わっ!?」

 離れたと思ったら、今度は身体が宙に浮いていた。
 これって、いわゆるお姫様抱っこ!?

「お、降ろしてください! 一人で歩けます!」
「駄目ですよ。目眩でも起こして転んだら大変ですから」

 大丈夫です! と訴えるも、自分のせいだと言い張り降ろしてはもらえなかった。
 部屋へ着くと風が気持ちいい縁側に座らせてくれて、用意してくれたお水を受け取りからからの喉に流し込む。
 湯呑を置いてようやく一息つけば、ゆっくりと横転する視界が山崎さんの膝にぶつかり静止した。

 ……って、混浴からのお姫様抱っこの次は膝枕!?
 や、山崎さーん?
 慌てて起き上がろうとするも阻止されて、冷たい手拭いがおでこにあてがわれると団扇で優しく扇がれる、というおまけまでついた。

「春さんがのぼせたのは私のせいです。だから、こうさせてください」

 扉の外で時間を稼げば良かったとか、動転して逆上せていることに気がつけなかったとか、いつも以上に過保護を拗らせた山崎さんは自分のせいだと言って譲らない。
 普段はもの凄く優しいのに、こうなってしまっては意外と頑固なのも知っている。
 正直、外から吹き込む風も団扇の風も膝枕も……瞼を閉じたら意識を持っていかれそうなくらい気持ちが良くて、申し訳ないと思いつつも、このまま少しだけお世話されるのだった。
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