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【 花の章 】―弐―

171 土方さんの許嫁

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 日野を出立する前日、佐藤家からもそう遠くはない土方さんの実家に足を運び、土方さんのお兄さんである為次郎ためじろうさんらとのんびり語らい過ごした。
 夕刻になると、再び佐藤家へ戻る私たちを玄関先で見送る為次郎さんが、少しだけ言いにくそうに土方さんに問いかける。

「なぁ、歳。お琴さんには会ったのか?」

 突然飛び出したその名前に、思わず為次郎さんの顔をじっと見つめてしまった。

 ――俺は目が見えない。だが、他の奴らには見えないもんがよく見える――

 嘘か真か、以前私にそう話した為次郎さんは私が女であることを知っている。今度は、私の女装時の偽名まで見えてしまったのだろうか。
 ……って、私はここにいるのに“会ったのか?”はどう考えてもおかしい。どちらかと言えば、しばらく会っていない人に対する訊き方だ。
 つまり、“お琴さん”は私のことではなく別の人。
 無言の土方さんを為次郎さんと揃って見つめ続ければ、ため息とともにようやく口を開いた。

為兄ためにぃ。上洛前にも言ったが……俺は、志を遂げるまで身を固めるつもりはねぇ。それに……」

 ちょっと待って。
 身を固める? それってつまり、結婚するってこと?
 土方さんが? それってまさか、そのお琴さんと!?

 土方さんがモテるのは知っているけれど、さすがにそんな具体的な……ましてや結婚話を聞くのは初めてだった。
 なぜか無関係の私が妙にそわそわしてしまうけれど、当の本人はただ真っ直ぐに為次郎さんを見つめている。
 無表情な二人の顔を無意味に何度も行き来していれば、先に表情を崩したのは為次郎さんだった。

「いつまでもやんちゃな子供だと思っていたが、この二年で少しは成長したらしい」
「少しってな。俺だっていつまでも餓鬼じゃねぇさ」
「そうか。そうだよな。……勝手に決めて悪かった。今のお前は、伴侶くらい自分で探せるらしい。なぁ?」

 そう言って、為次郎さんが私を見た。
 いきなり話を振られて驚いたけれど、やはり見えてはいないらしく視線は合わない。

「春、歳をよろしく頼む」
「……へ?」
「いや、何でこいつに頼むんだよっ!」

 土方さんも突っ込んでいるけれど、それは結婚式の……祝言の仲人でも頼んでいるのだろうか。そんなもの私には務まらないし、やりたいとも思わない。
 話が見えないけれど、土方さんの側にいることが多いし、副長の補佐という意味なのだろうと勝手に納得することにした。



 佐藤家への帰り道。前方から差す夕日は、私たちの足元から大小の黒い影を背後に伸ばしていた。
 日没前の赤い太陽はまだ十分暖かいけれど、その眩しさから逃れようと俯きがちに歩いていれば、土方さんが訊いてくる。

「まさかお前、為次郎兄さんにバレてるのか?」

 バレているも何も、未来から来たことすらバレている。あっ、それは自分から話してしまったんだっけ?
 ……って、もはやそんなことはどうでもいいことに気がついた。
 為次郎さんにバレてしまったことを、土方さんに伝えていなかった!

 変に誤魔化しても怒りを助長させるだけだと思い、全て打ち明け大人しく謝った。
 けれども覚悟していた怒声もデコピンも飛んでこず、道理でな、となぜか納得顔で苦笑された。

「今だけは、お前が鈍感で良かったと思えるな」

 いきなり鈍感呼ばわりとか失礼な。
 怒られないのであればとっとと話題を変えてしまおうと、ずっと気になっていたお琴さんのことを訊いてみた。

「俺の許嫁だ」

 予想通りの答えが返ってきた。
 京でもたくさんの恋文をもらうような人だし、許嫁の一人や二人いてもおかしくはない。
 いや、二人いるのはちょっとマズイかもしれないけれど……。

「おい、聞いてるのか?」
「え? ……すみません、何ですか?」

 それからもずっと話しかけていたらしいけれど、なぜだか全く耳に入ってこなかったのだった。





 翌日、試衛館へ戻るなり、斎藤さんと藤堂さんにほぼ任せっきりだった新入隊士募集の仕事に私たちも加わった。
 道場の一角を借り、訪れる入隊希望者の名前や入隊意志の確認など、主に細かな聞き取りだけという簡単なものだけれど。

 ポツポツとまばらにやって来るので、しばし人が途切れたタイミングで気分転換がてら外へ出てみれば、入り口に一人の女性が立っていることに気がついた。
 控えめに中の様子を伺うような素振りをみせるものの、一向に入ってこようとはしない。女性だと入りづらいのかもしれない……と駆け寄りこちらから声をかけてみた。

「何か御用ですか?」

 けれど、華奢で小柄な女性はどこか気まずそうに困ったような表情をした。
 その顔は、同性の私から見ても身につけた綺麗な着物に負けないくらい美しい人だった。

「突然押し掛けて申し訳ありません。あの……歳三様……土方歳三様はいらっしゃいますでしょうか?」
「土方さんなら中にいるので、呼んできますね」

 知り合いなら遠慮せず入って来たらいいのに、と思いながら踵を返すも、大事なことを訊き忘れ振り返る。

「すみません、お名前をお訊きしてもよろしいですか?」
「申し遅れてすみません。私、琴と申します」
「こ、と……。お、お琴さんですね。少々お待ちください」

 お琴さんって……。もしかして、この美しい人が土方さんの許嫁?
 斎藤さんや藤堂さんと談笑している土方さんにお琴さんが来ていることを告げれば、その顔から笑みが消えた。
 わかった、と言って立ち上がると、少し気まずそうに私たちに向かって言い置く。

「しばらく出てくる。悪いがあとは任せた」

 道場を出て行く背中が見えなくなると、藤堂さんが訊いてくる。

「お琴さんって、土方さんの許嫁の?」
「たぶん……そうだと思います」

 訊けば、どうやら二人もお琴さんのことを知っているらしい。私だけ知らないのは何だか悔しくて、入隊希望者が途切れている間に詳しく訊いてみた。
 お琴さんは為次郎さん行きつけの三味線屋の看板娘で、為次郎さんが随分と気に入り土方さんのお嫁さんにしようとしたらしい。
 この話に親戚一同大いに盛り上がり、なんと挙式寸前までいったのだとか。
 けれど、“この天下の一大事に何か事をなして名を挙げたいから、しばらくは自由の身にしておいて欲しい”と土方さんが訴えたので、結局、許嫁ということになったらしい。

 私の女装時の偽名を咄嗟に“琴”と言ったのは、単に名字の琴月から安直に取ったのだと思っていたけれど……よりによって許嫁と同じ名前とか。
 よくわからないけれど……モヤモヤする! 私は私。他の誰でもないのだけれど!

 だいたい、副長のくせに仕事放り出してデートするってどうなの!?
 ……でも、二年ぶりの再会なうえに相手は許嫁。それくらいは許されてもいいはずで……。
 二人が並んで歩く姿は、きっとすれ違う誰もが振り返ってしまうくらい絵になると思う。そんな光景を想像してついため息をこぼせば、斎藤さんがニヤリと言い放つ。

「相変わらず、表情が忙しないな」
「……え?」
「竹刀でも振って来い」
「……はい?」

 何のことかと思えば、訪れる入隊希望者らと立ち会いをしろと言う。
 新選組への入隊は特に厳しい試験があるわけでもなく、尽忠報国の志と局中法度を遵守できれば可能だ。
 だから立ち合いをする必要なんてないけれど、何となく竹刀を振りたい気分には同意だったので、斎藤さんに促されるままさっそく訪れた入隊希望者らと順に立ち合うことにした。

 礼をしてお互いに構えれば、私よりも一回りも大きな相手はそれなりに経験を積んだ人なのだとわかる。
 とはいえ、剣を交える前から勝ち誇ったようにニヤついていて、完全に舐められているのだとわかれば余計にイライラも募る。
 感情で剣を振るうのは良くないと思いつつも、モヤモヤしたものを吐き出すかのごとく戦っていった。

 私が強くなったのか相手が弱すぎたのか、土方さんが留守中に訪れた数名の希望者のうち、なんと半数を倒してしまった。
 あげく、私みたいなのに負けたのが悔しかったのか、新選組への入隊希望を取り消す人までいる始末。
 今度も肩を落として道場を出ていく入隊希望者人を見送れば、入れ違いで戻って来た土方さんが、藤堂さんに進捗状況を訊くなり私を外へ連れ出した。
 この流れ、やっぱりお説教か? 辞退したのは本人の意志なのに!



 夕暮れの風は日中よりも少しだけ冷たくて、運動後の火照った身体を冷やしてくれる。
 同時に、昂っていた感情も落ちついていく……かと思いきや、隣を歩く土方さんを見た瞬間ぶり返した。
 許嫁とのデートの直後にこうして他の女と二人で出歩くとか、お琴さんが見たら悲しむとか考えないのだろうか。
 その無神経さにイライラするも、どうせ傍からみれば男同士にしか見えないのだと気がつけば、なおさらイライラが募る。

「仕事放り出して許嫁さんとのデー……逢引は楽しかったですか?」

 ついうっかり口をついた嫌味に我ながら嫌気がさすけれど、土方さんは怒るでもなく短く答えた。

「もう、許嫁じゃねぇよ」
「……へ?」

 まさか、もう夫婦になったとか?
 思わず土方さんを凝視すれば、こちらを向くことなく再び短い言葉のみが返ってくる。

「別れて来た」
「……はい?」

 許嫁から夫婦に進展どころか別れたって……どうしたらそうなるんだ?
 横顔に向かって首を傾げれば、土方さんがぽつりぽつりと語りだす。

 為次郎さんや周りが盛り上がったこととはいえ、当時、お琴さんとなら祝言を挙げてもいいと思ったこと。
 どこかで未練があったからこそ、為次郎さんが提案した“許嫁”という形にも納得したのだと。
 けれど、新選組を大きくするという大望の前では、いつしかそれらは遠い過去になってしまったのだと。

「お琴には悪いことをしちまった。時間を無駄にさせちまった分、幸せになってもらいてぇ……」

 そう締めくくった土方さんの横顔は、少し寂しげで儚くて、でもどこかすっきりと晴れやかにも見えた。
 人の恋路をとやかく言いたくはないし、ましてや別れたばかりの人に塩を塗り込むようなこともしたくはない。
 かと言って、どんな言葉をかければ良いのかもわからなくて、沈黙を振り払うべくとりあえず思ったことを口にしてみた。

「婚期が遠のいちゃいましたね……」
「その台詞、行き遅れのお前にだけは言われたくねぇんだが……」

 土方さんと違って、私はまだ二十歳になったばかりですが……という突っ込みは、呆れながらも私を見下ろす土方さんが笑顔だったので、黙っておくことにした。

「そういや、無駄に入隊希望者を減らしてどうすんだ」
「あ、あれは……でも、私に負けたくらいで辞めるだなんてそんな根性のない人、入ったところですぐに脱走しちゃいますよ」

 脱走して切腹になるくらいなら、最初から入らない方がその人のためにもなる。
 そもそも、私のような心眼があるならまだしも、ある程度の腕がなければ隊務中に命を落としかねない。
 不意に、土方さんが吹き出した。

「お前、総司に似てきたか?」
「えっ!?」

 沖田さんよりは遥かにマシだと思うのだけれど!
 正直、怒られデコピンまでを想定していたのに、珍しく声を上げて笑うもんだから、文句の一つも言いそびれてしまったのだった。
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