落花流水、掬うは散華―歴史に名を残さなかった新選組隊士は、未来から来た少女だった―

ゆーちゃ

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【 花の章 】―壱―

134 ばつげえむ

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 藤堂さんと先行して出立するのは、秘密を打ち明けた日から五日後だった。
 隊務の傍に急いで旅支度を調えれば、出立の前日は急遽非番を言い渡された。

 この時代の移動は基本的に徒歩。明日から約半月をかけて歩いて江戸まで行かなければならなので、今日はのんびりしようと縁側で寝転がっていたら、土方さんがとんでもないことを言い出した。

「今日、ばつげえむを消化する」

 いったいいつの話か……。今の今まですっかり忘れていたというのに、よりによって長旅の前日に時間をかけ練りに練ったであろう罰ゲームを消化するとか……。

「嫌がらせですか?」
「うるせぇ。負けたのはお前だ、反論は認めねぇ。行くぞ」

 私だって学習くらいはする。下手に反論して前回のように副長命令にされたら損をするだけなので、ここは大人しくついて行くことにした。



 ついた先は屯所からだいぶ離れた旅籠で、部屋へ入るなり持っていた風呂敷包みを手渡された。

「これに着替えて出て来い。外で待ってる」

 土方さんが部屋を出ていったのを確認してから風呂敷を開いてみれば、そこにあったのは女性物の着物や草履だった。

「わぁ……綺麗」

 正直、着物の価値はよくわからない。それでも、素人目に見ても思わず感嘆の声が漏れるほど綺麗な着物だった。
 こんな綺麗な着物に袖を通す理由なんてわからないけれど、言われた通り着替えてから外へ出れば、腕を組んで佇む背中がゆっくりと振り返る。
 女性物の着物を着るのは久しぶりで、袖口を掴み僅かに両腕を上げてみせた。

「どうですか?」
「…………」
「……おかしいですか?」
「…………」

 合わせが逆か? 帯が曲がっているのか?
 まさか、絶句するほど似合っていないのか!?
 全身を見下ろすように確認していれば、くるりと反転した背中がぶっきらぼうに言い捨てる。

「……行くぞ」

 行くぞって。返事もないうえに、こんな格好でどこへ行くつもりなのか。
 さっさと先へ行こうとする背中を慌てて追いかければ、案の定慣れない格好に足がもつれた。すぐさま振り返った土方さんが、腕を伸ばして支えてくれたおかげで転ばずに済んだけれど。

「馬鹿。もっと女らしく歩け」
「なっ……どうせ私の女らしさなんて、とうに消え失せましたよーだ」
「不貞腐れんな。危なっかしいからこのまま掴まっとけ」

 掴まれと言われても……。それじゃまるで、腕を組んで歩くみたいじゃないか。
 女の格好をしているというだけで、全然女らしくもない私に腕を掴まれるだなんて、土方さんにとっては迷惑でしかないと思う。
 無視して一人歩き出せば、やや強い口調で土方さんが言い放つ。

「転んだらあぶ……着物が汚れるだろうが!」
「え? あ、着物……」

 確かに、こんな上等な着物を汚して弁償なんてことになったらたまったもんじゃない。
 ここは大人しく、土方さんに掴まっておくことにした。



 着いた先は、首途かどで八幡宮というところだった。
 私の疑問を察したらしい土方さんが、お賽銭を取り出しながら言う。

「その昔、源義経みなもとのよしつね公が奥州平泉に行く時、ここで道中の安全祈願をしてから出立したらしい。お前も明日から江戸へ行くからな。その安全祈願だ」
「なるほど」

 新幹線のように、数時間座っているだけで着くわけじゃない。何日もかけて、自分の足で歩いて行かなければならない。
 旅の前にお参りをするなんて初めてだけれど、なんだか凄く大事なことのように思え、心から今回の旅の無事を祈った。

 参拝を終えると、土方さんがお守りを買ってくれた。旅の安全を祈願したお守りで、やっぱり小袋には入っていなくて小さなお札が手に握られている。

「守り袋かせ。入れてやる」

 言われた通り普段から首にかけているお守り袋を引き出せば、土方さんはそれを手に取り僅かに目を見張った。

「ほう、梅か。お前らしくていい柄だな」
「梅の花が好きだって言ったら、斎藤さんがくれたんです」
「……斎藤が?」
「はい。刺繍も細かくて丁寧で、凄く可愛いですよね」
「…………」
「土方さん?」

 急に黙り込んだ土方さんは、お守り袋の口を開けてお札を入れなり、きゅっと勢いよく紐を絞った。

「ちょ! 紐が切れちゃうじゃないですか!」
「うるせぇ。切れたら新しいの買ってやる」
「そういう問題じゃないです! 頂き物なうえにお守り袋ですよ!? バチが当たったらどうするんですか!」
「そんなもん知るか!」

 なっ……いったい何をしにここへ来たんだ? わざわざ私の旅の祈願をしに来てくれたんじゃなかったのか!?
 土方さんは手にしていたお守り袋を私に押しつけるなり、さっさと歩いて行こうとするのでその背中に向かって文句をぶつけた。

「無事江戸に着けなかったら、土方さんのせいですからね!」

 数歩先で突然ピタリと足を止めた不機嫌な背中が、その大きさに似合わないほど小さな声で呟いた。

「……悪かった」
「へ? あっ、いや……冗談ですよ?」

 そんな風に、いきなり本気で謝られたら困惑する。
 土方さんは前を向いたまま、再び真剣な声を発した。

「無事に着くだけじゃ駄目だろうが……」
「ダメって……」

 だからそのための祈願じゃなかったの? さっきからいったい何?
 意味が分からないでいると、ゆっくりと振り返り今度ははっきりと言った。

「ちゃんと京まで帰って来い」
「っ! ……はいっ!」

 そっか、そうだね。江戸へ行って終わりじゃない。ちゃんとここに帰って来るまでが今回の旅だ。
 思わず頬が緩むのを感じれば、土方さんもさっきまでの不機嫌さとは打って変わって柔らかな表情で片方の手を差し出してきた。

「行くぞ」

 いざなわれるままその手を取れば、そのままゆっくりと歩き出す。
 掌から伝わる熱に手を繋いでいるのだと気づき、慌ててほどこうとした……けれど、ぎゅっと力をこめられてしまい、離すことができなかった。

「お前、危なっかしいからな。こうしとけ」

 八月の中旬。よく晴れた今日も、残暑はまだ少し厳しい。
 暑いせいで、心臓の音もいつもより早い気がした。



 一緒に町を回り、食事をして甘味屋にも寄ってから旅籠へ戻っていつもの袴に着替えた。
 屯所への帰り道、ずっと気になっていた疑問を投げかけてみた。

「旅の安全祈願はわかるんですけど、どうしてわざわざあの格好だったんですか?」

 丁寧に畳んで包んだ着物は、再び土方さんの手に握られている。
 いつも通りの袴姿なら転ぶ心配もないし、土方さんだって、着物を汚される心配をしなくて済んだはずなのに。

「バレないためとはいえ、ずっと男の格好させちまってるからな。たまには女らしく、着飾ったりもしたいんじゃねぇかと思ってな」

 それってもしかして……。

「落ち込んでると思って、気を遣ってくれたんですか?」

 藤堂さんに女だとバラした時、全くと言っていいほど信じてはもらえなかった反応に、私が落ち込んでいると思ったのかもしれない。
 確かにちょっとへこんだのは事実だけれど……寝て起きれば案外忘れている。そもそも、本気で気にしていたらここではやっていけない。
 けれど、そういう気遣いは土方さんらしくて嬉しいしありがたいなと思う。

「別に、それだけじゃねぇよ」
「他にも理由があるんですか?」
「ばつげえむの消化だと言っただろう」

 ああ、罰ゲーム……。うん、すっかり忘れていた!

「そういえば、罰ゲーム何にするんですか? 早くしないともう屯所に着いちゃいますよ?」
「は? ばつげえむならもうしただろう」
「……へ?」

 綺麗な着物を着て旅の祈願をして、町を回ってご飯に甘味……いったいいつ罰ゲームをしたというのか。

「着物姿で一緒に歩いたじゃねぇか」
「はい。……って、まさかあれが罰ゲームなんですか!?」
「……駄目か?」
「いえ、ダメではないですけど……」

 あれのどこが罰ゲームなのだろう。楽しんだら罰ゲームにならないと思うのだけれど。
 強いてあげるとすれば……転ばないように土方さんの腕に掴まったり手を繋いだり……妙に落ちつかなかったこととか?

「ならお前は、ばつげえむじゃなくてもあの格好で俺と一緒に歩いたのか?」
「着ろと言われれば着ますし、もちろん一緒にだって歩きますよ?」

 慣れないとはいえ、綺麗な着物に身を包むのはやっぱり嬉しいし、テンションだって上がる。
 それに、着ているものが普段と変わったところで、“一緒に歩かない”とはならないと思うのだけれど。
 そんな当たり前の返事をしただけなのに、土方さんはどこか嬉しそうに微笑みながら私の頭をポンポンと撫でてくる。

「そうか。一応訊くが、他の奴らに同じ事を頼まれたらどうするんだ?」
「別にいいんじゃないですか? 断る理由はないですし」

 まぁ、そんなことを頼んでくる暇な人もいないと思う。

「……土方さん?」

 何か気に触るようなことでも言っただろうか。
 なんだか急に顔が険しくなり、頭の上に乗ったままの手は僅かに震えているのだけれど……。

「あっ、そっか! やっぱり頼まれても断ると思います」
「そ、そうか?」
「はい! だって、私が女だと知らない人だとバレちゃうかもしれないですし! ……って、イタッ!」

 頭上から滑り落ちてきた手に、突然おでこを弾かれた。

「もういい! だからお前は餓鬼なんだ! 馬鹿野郎!」

 優しかったと思ったらいきなり怒り出し、あげくバカ呼ばわりとか!
 今日の土方さんは、いったい何なんだー!
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