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【 花の章 】―壱―
111 動乱のあと①
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遠くで聞こえるのはたぶん蝉の声……。
眩しい光が徐々に私の意識を浮上させ、ゆっくりと瞼を開ければ見慣れた天井が見えた。
随分と遠くに感じたけれど、庭の木にとまった一匹の蝉が懸命に鳴いていたのだと、今ははっきりとわかる。
「気がついたか……」
声のした方へゆっくりと顔を向ければ、筆を置いた土方さんがこちらへ向かって来るところだった。
「……土方さん。……私、また……」
少し声が出し辛かったぐらいで、特に身体に異常は感じない。倒れた理由もはっきりと覚えている。
きっとまた、丸一日眠っていたんだ……。
申し訳なく思いながら身体を起こせば、急に起きたのがいけなかったのか、突然目眩に襲われた。
倒れ込む私を受け止めたのは、今の今まで眠っていた布団ではなく、土方さんの腕だった。
「馬鹿っ、無理すんじゃねぇ」
「大丈夫、です。また丸一日、眠ってたんですよね……すみません」
「……今日は八日だ。もうじき昼になる」
八日……? 八日のお昼?
池田屋に乗り込んだのは五日の夜。私が気を失ったのは、おそらく六日の未明。
それってつまり……。
「……二日も眠ってた……って、ことですか?」
「……ああ」
「そんなっ! 何で……前回は一日だったのに……」
眠る時間は一定ではないの? まさか、回数を重ねるごとに長くなったり?
「自分で言うなと言っときながら、お前に訊いた俺が悪かった。すまねぇな……。もう二度と訊かねぇから、お前も二度と口にするな」
「でもっ!」
「これは、副長命令だ」
土方さんお得意の副長命令は、いつものような威勢なんてどこにもなく、酷く悲しそうな声音でそう言うから、何も言えず、唇を噛んで俯くしかできなかった。
無言を肯定と受け取った土方さんは、私を支えていた腕をゆっくり離し、そのままポンと頭を撫でる。
「会津から応援も来てる。今は何も気にしねぇで、お前もしばらくは休め」
「私なら大丈夫です」
さっきの目眩は二日も寝ていたのに急に起きたせいであって、特に異常は感じない。だから、午後からでも隊務につけると言ったのだけれど、せめて今日一日だけは休め、と言われて仕方なく頷いた。
そういえば沖田さんは……? ちゃんと休んでいるのだろうか。
文机に戻って行く土方さんに問いかければ、その背中がピタリと足を止めた。
「総司はあのあと熱出してな。今は休ませてる」
「え……」
まさか……本当に発病しちゃったわけじゃ……。
「安心しろ、ただの風邪だそうだ。医者の見立てだ、間違いはねぇだろう」
勘の鋭い土方さんのこと。沖田さんが患う病名は伝えられなかったけれど、気がついてくれたのだと思う。
だからこそ今も、振り返り答えたその顔は、私の不安を察して苦笑を浮かべているのだと思う。
今度こそ文机の前に戻り腰を下ろした土方さんを見ていたら、ふとあることを思い出し、少し問い詰める口調で訊いていた。
「そういえば、土方さん。どうして沖田さんに話しちゃったんですか?」
「何をだ?」
再び振り返ったその顔は、全く覚えがないとでも言いたげに若干眉根を寄せている。
「私の秘密です。沖田さんが、土方さんから聞いたって言ってました」
「は? 俺が誰かに言うわけねぇだろうが。よりによって総司は一番ねぇだろうが」
「あれ……? 言ってないんですか?」
「当たり前だろうがっ! ……って、お前まさか、総司にバレたのか!?」
すでに身を乗り出す勢いの土方さんの眉間には、これでもかと深い皺が刻まれていて、鋭い視線に晒されながらふと思う。
そういえば……土方さんから聞いて知っているとは言っていたけれど、内容までは確認していない。そして、当の土方さんは話していないと言う。
それなら、沖田さんは何であんなことを言ったのか。いったいどこまで知っているのか。
そもそも……本当に知っているのか……?
不意に、土方さんがため息をついた。
「どうせ上手いこと丸め込まれたんじゃねぇのか? いいか、絶対にバレるんじゃねぇぞ。あいつにバレたら厄介なのは目に見えてるからな」
やっぱり丸め込まれた……?
何だかその通りな気がして、ただ黙って頷くのだった。
二日も眠っていたので、固まった身体を解すついでに屯所内の様子を見に行こうと廊下を歩いていれば、最初に見かけたのは沖田さんだった。
「沖田さん!?」
「あっ、春くん! 目が覚めたんですか!?」
驚いた様子で足を止めた沖田さんに駆け寄れば、すかさず問い詰めた。
「何でふらふら歩いてるんですか! 寝てなきゃダメです!」
「厠に行ってたんですよ」
「かわっ……。もう済んだのなら早く部屋に戻って寝てください!」
強制的に沖田さんを反転させ、その背中を押して部屋へ戻すけれど、寝間着越しに伝わるその温度はまだ随分と熱が籠っているように感じる。
沖田さんを布団に寝かしつけ、枕元の桶で手拭いを濡らしていれば、突然伸びてきた手が私の手首を掴んだ。
「春くん。僕の心配もいいですけど、少しは自分の心配もしてください。僕なんかより、春くんの方がよっぽど具合悪かったんじゃないですか? 突然倒れたっきり、ずっと目覚めませんでしたし」
私を見上げるその視線も声音も、いつもの冗談は一切見えなくて、本気で心配してくれているのだとわかる。
倒れた理由も真実も……何一つ伝えられないことを申し訳なく思いながら、ゆっくりと首を振り否定した。
「私は大丈夫ですよ? たくさん走って疲れたから、ちょっと寝過ぎちゃっただけです。それより、沖田さんこそもう二度と無理しないでくださいね? 体調悪い時はちゃんと休まないとダメですよ」
我ながら酷い誤魔化し方だと思う。案の定、沖田さんは呆れたように小さく微笑んだ。
「春くんは嘘が下手ですね。言えないのは、春くんの秘密と関係があるからですか?」
「え……」
沖田さんは微笑んだままなのに、掴むその手は逃がさないとばかりに若干力が増した。
やっぱり、沖田さんは知っているの?
このまま誤魔化し続けても、モヤモヤした状態が続くだけで心臓に悪過ぎる……。だったらいっそ、はっきりと確かめた方がいいのかもしれない。
いまだ離す気はないらしい沖田さんの手を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「……沖田さん。一つ、訊いてもいいですか?」
「何です?」
「沖田さんが知ってる私の秘密って……何ですか?」
女であること?
未来から来たこと?
結末を知っていること?
どんな答えが返ってくるか騒ぐ心臓を悟られないようじっと待っていれば、沖田さんは突然パッと私の手を解放し、そのまま両腕を枕のようにして天井を見上げた。
「さぁ~。人に知られたくないほどの秘密……僕も知りたいですね~」
「……は?」
ちょっと待って。知りたいってどういうこと?
知っているからこそ、大声で暴露しようとしていたんじゃないの?
「あんなハッタリにかかるなんて、よっぽど隠しておきたい秘密なんですか~?」
「っ! 沖田さんっ!?」
やられた! 完全に騙された!
好奇心の塊のような沖田さんの目が、ニヤニヤとこちらを見ているのが無性に腹立たしい!
「あー。もしかして、やっぱり土方さんと――」
「違いますっ!!」
ムカつくその顔に、絞ったばかりの手拭いをぺちっと投げつけて立ち上がれば、障子に手をかけながら振り向いた。
「沖田さんには、絶対に教えてあげませんよーだっ!」
思い切りあっかんべーをお見舞いして部屋を出れば、勢いよく障子を閉めて立ち去るのだった。
眩しい光が徐々に私の意識を浮上させ、ゆっくりと瞼を開ければ見慣れた天井が見えた。
随分と遠くに感じたけれど、庭の木にとまった一匹の蝉が懸命に鳴いていたのだと、今ははっきりとわかる。
「気がついたか……」
声のした方へゆっくりと顔を向ければ、筆を置いた土方さんがこちらへ向かって来るところだった。
「……土方さん。……私、また……」
少し声が出し辛かったぐらいで、特に身体に異常は感じない。倒れた理由もはっきりと覚えている。
きっとまた、丸一日眠っていたんだ……。
申し訳なく思いながら身体を起こせば、急に起きたのがいけなかったのか、突然目眩に襲われた。
倒れ込む私を受け止めたのは、今の今まで眠っていた布団ではなく、土方さんの腕だった。
「馬鹿っ、無理すんじゃねぇ」
「大丈夫、です。また丸一日、眠ってたんですよね……すみません」
「……今日は八日だ。もうじき昼になる」
八日……? 八日のお昼?
池田屋に乗り込んだのは五日の夜。私が気を失ったのは、おそらく六日の未明。
それってつまり……。
「……二日も眠ってた……って、ことですか?」
「……ああ」
「そんなっ! 何で……前回は一日だったのに……」
眠る時間は一定ではないの? まさか、回数を重ねるごとに長くなったり?
「自分で言うなと言っときながら、お前に訊いた俺が悪かった。すまねぇな……。もう二度と訊かねぇから、お前も二度と口にするな」
「でもっ!」
「これは、副長命令だ」
土方さんお得意の副長命令は、いつものような威勢なんてどこにもなく、酷く悲しそうな声音でそう言うから、何も言えず、唇を噛んで俯くしかできなかった。
無言を肯定と受け取った土方さんは、私を支えていた腕をゆっくり離し、そのままポンと頭を撫でる。
「会津から応援も来てる。今は何も気にしねぇで、お前もしばらくは休め」
「私なら大丈夫です」
さっきの目眩は二日も寝ていたのに急に起きたせいであって、特に異常は感じない。だから、午後からでも隊務につけると言ったのだけれど、せめて今日一日だけは休め、と言われて仕方なく頷いた。
そういえば沖田さんは……? ちゃんと休んでいるのだろうか。
文机に戻って行く土方さんに問いかければ、その背中がピタリと足を止めた。
「総司はあのあと熱出してな。今は休ませてる」
「え……」
まさか……本当に発病しちゃったわけじゃ……。
「安心しろ、ただの風邪だそうだ。医者の見立てだ、間違いはねぇだろう」
勘の鋭い土方さんのこと。沖田さんが患う病名は伝えられなかったけれど、気がついてくれたのだと思う。
だからこそ今も、振り返り答えたその顔は、私の不安を察して苦笑を浮かべているのだと思う。
今度こそ文机の前に戻り腰を下ろした土方さんを見ていたら、ふとあることを思い出し、少し問い詰める口調で訊いていた。
「そういえば、土方さん。どうして沖田さんに話しちゃったんですか?」
「何をだ?」
再び振り返ったその顔は、全く覚えがないとでも言いたげに若干眉根を寄せている。
「私の秘密です。沖田さんが、土方さんから聞いたって言ってました」
「は? 俺が誰かに言うわけねぇだろうが。よりによって総司は一番ねぇだろうが」
「あれ……? 言ってないんですか?」
「当たり前だろうがっ! ……って、お前まさか、総司にバレたのか!?」
すでに身を乗り出す勢いの土方さんの眉間には、これでもかと深い皺が刻まれていて、鋭い視線に晒されながらふと思う。
そういえば……土方さんから聞いて知っているとは言っていたけれど、内容までは確認していない。そして、当の土方さんは話していないと言う。
それなら、沖田さんは何であんなことを言ったのか。いったいどこまで知っているのか。
そもそも……本当に知っているのか……?
不意に、土方さんがため息をついた。
「どうせ上手いこと丸め込まれたんじゃねぇのか? いいか、絶対にバレるんじゃねぇぞ。あいつにバレたら厄介なのは目に見えてるからな」
やっぱり丸め込まれた……?
何だかその通りな気がして、ただ黙って頷くのだった。
二日も眠っていたので、固まった身体を解すついでに屯所内の様子を見に行こうと廊下を歩いていれば、最初に見かけたのは沖田さんだった。
「沖田さん!?」
「あっ、春くん! 目が覚めたんですか!?」
驚いた様子で足を止めた沖田さんに駆け寄れば、すかさず問い詰めた。
「何でふらふら歩いてるんですか! 寝てなきゃダメです!」
「厠に行ってたんですよ」
「かわっ……。もう済んだのなら早く部屋に戻って寝てください!」
強制的に沖田さんを反転させ、その背中を押して部屋へ戻すけれど、寝間着越しに伝わるその温度はまだ随分と熱が籠っているように感じる。
沖田さんを布団に寝かしつけ、枕元の桶で手拭いを濡らしていれば、突然伸びてきた手が私の手首を掴んだ。
「春くん。僕の心配もいいですけど、少しは自分の心配もしてください。僕なんかより、春くんの方がよっぽど具合悪かったんじゃないですか? 突然倒れたっきり、ずっと目覚めませんでしたし」
私を見上げるその視線も声音も、いつもの冗談は一切見えなくて、本気で心配してくれているのだとわかる。
倒れた理由も真実も……何一つ伝えられないことを申し訳なく思いながら、ゆっくりと首を振り否定した。
「私は大丈夫ですよ? たくさん走って疲れたから、ちょっと寝過ぎちゃっただけです。それより、沖田さんこそもう二度と無理しないでくださいね? 体調悪い時はちゃんと休まないとダメですよ」
我ながら酷い誤魔化し方だと思う。案の定、沖田さんは呆れたように小さく微笑んだ。
「春くんは嘘が下手ですね。言えないのは、春くんの秘密と関係があるからですか?」
「え……」
沖田さんは微笑んだままなのに、掴むその手は逃がさないとばかりに若干力が増した。
やっぱり、沖田さんは知っているの?
このまま誤魔化し続けても、モヤモヤした状態が続くだけで心臓に悪過ぎる……。だったらいっそ、はっきりと確かめた方がいいのかもしれない。
いまだ離す気はないらしい沖田さんの手を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「……沖田さん。一つ、訊いてもいいですか?」
「何です?」
「沖田さんが知ってる私の秘密って……何ですか?」
女であること?
未来から来たこと?
結末を知っていること?
どんな答えが返ってくるか騒ぐ心臓を悟られないようじっと待っていれば、沖田さんは突然パッと私の手を解放し、そのまま両腕を枕のようにして天井を見上げた。
「さぁ~。人に知られたくないほどの秘密……僕も知りたいですね~」
「……は?」
ちょっと待って。知りたいってどういうこと?
知っているからこそ、大声で暴露しようとしていたんじゃないの?
「あんなハッタリにかかるなんて、よっぽど隠しておきたい秘密なんですか~?」
「っ! 沖田さんっ!?」
やられた! 完全に騙された!
好奇心の塊のような沖田さんの目が、ニヤニヤとこちらを見ているのが無性に腹立たしい!
「あー。もしかして、やっぱり土方さんと――」
「違いますっ!!」
ムカつくその顔に、絞ったばかりの手拭いをぺちっと投げつけて立ち上がれば、障子に手をかけながら振り向いた。
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