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【 花の章 】―壱―

104 古高俊太郎の捕縛③

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 どれくらいの時間が経ったのか……。
 土蔵に入ることは叶わず、泥にまみれた着物のまま、雨に打たれただ扉が開くのを待っていた。
 途中、いくつかの書状を手にした山崎さんだけが中へ入るも、すぐに出て来て私に傘を差し出した。ふるふると無言で首を振れば、傘を開いて私に傾ける。

「風邪を引いてしまいますよ」
「大丈夫です。バカは風邪引きませんから」
「春さんは、馬鹿なんかじゃないです」
「バカですよ。バカだから、こんなことになったんです」

 それからしばらくして、ようやく開かれた扉から土方さんが出てきた。

「吐いたぞ……」

 酷く疲れきったその顔は、大粒の汗を浮かべているのにまるで色を失ったように白い。

「大丈夫、ですか……?」
「安心しろ、殺しちゃいねぇよ」

 ……違う。確かに古高のことは心配だけれど、今は、それ以上に土方さんのことが心配だ。
 だって、全然大丈夫そうじゃない。
 それなのに、何でもないような顔で古高の傷の手当てをするよう、山崎さんに指示を出す。

 山崎さんは傾けていた傘を私に預けると、黙って土蔵へ入って行った。だから、私も黙ってその背中を見送った。
 続けて何人かの隊士も入って行けば、すぐさま中から声がした。

「うわぁ……ひでぇな……」
「鬼かよ、あの人は」

 大して強い雨でもないくせに、傘を叩く雨音がやけにうるさい。
 土方さんが古高に何をしたのか、そんなの知りたくもないし見たくもない。
 けれど、私はもう無関係じゃない。嫌なものから目を逸らすのは簡単だけれど、自分だけ逃げるようなことはしたくない。
 するりと傘を解放すると、土方さんの制止も振り切り土蔵に足を踏み入れた。

 床に転がるのは、短くなった蝋燭や滴り落ちて固まった蝋。そして、赤い血の跡。
 逆さに釣られていたのか、隊士たちが古高を下ろしているところだった。

 騒ぐ心臓を押さえゆっくりと近づけば、うっすらと意識はあるものの、激しい痛みに耐えるような苦悶の表情を浮かべている。
 古高の足の甲には、五寸釘が打ちつけられていた。

「え……春さんっ!? ここは私がやりますから、春さんは外へ」
「私にも、何か手伝わせてください」

 勝手に踏み入ったのは私だ。想像以上の光景だったからと、引き返すようなことはしたくない。
 そんなことをするくらいなら、最初から目を瞑っている方がまだマシだ。
 私が折れそうにないことを早々に悟った山崎さんは、困ったような呆れたような顔でふっと小さく笑った。

「春さんは言い出したらきかないですからね」
「そんなことは……」
「さっそくですが、酒と薬箱を持ってきてもらっていいですか?」
「はい! すぐに!」

 土蔵の外に、土方さんの姿はもうなかった。
 消毒用のお酒と薬箱を持って戻れば、山崎さんと一緒に古高の手当てをした。
 釘が刺さる足の傷には蝋が付着していて、凄まじい拷問が行われたのだと思い知らされる。そして、それをしたのは土方さんなのだということも。

 鬼を演じるだけで、ここまでできるものなのだろうか。それとも本当に……。
 黙々と手を動かしながら、そんなことを考えていた。



 古高の手当てを終えると、部屋へ戻り着替えを済ませた。
 土方さんは文机に書状を広げたまま、ずっと何かを考えていて、話したいことはたくさんあるけれど、思うように言葉が出てこない。

 雨音だけが響く部屋は、まだ昼だというのに薄暗く、吹き込む風も生暖かくて不快だ。居心地の悪さに黙って立ち上がれば、同時に土方さんも立ち上がった。

「お前も来い」
「……はい」

 どこへ行くのかわからないけれど、“来るか?”ではなく“来い”だった。だから、黙ってあとをついて行った。

 ついた先は屯所の広間で、その片隅には近藤さんを始め、新選組の幹部が揃っていた。
 ただの平隊士である私は場違いだ。だから、文句があるなら土方さんへ。そう思いながら、空いた場所に腰を下ろした。

 近藤さんの隣に座る土方さんは、ぐるっとみんなの顔を見渡してから、古高の自白内容を語り始めた。
 それは、昨日捕縛した浪士たちが口にした市中放火計画の裏付けと、今夜、会合が行われるというものだった。
 さすがの古高も、あそこまでされては吐かざるを得なかったのだろう……。

「だが、悪い……会合の場所までは吐かせられなかった。それから、奴らの計画は祇園御霊会ぎおんごりょうえの前、風の強い日らしい」
「だとすると、あまり時間はないね」

 それまで黙って聞いていた山南さんが口を挟めば、沖田さんと藤堂さんも加わる。

「武器も奪取されちゃったみたいですしね~」
「古高の奪還も考えてるかもしれないよ」

 他のみんなも口々に意見を述べれば、それぞれうんうんと頷き合う。一通り意見が出揃ったところで、みんなが近藤さんを見た。

「古高を失い武器を手にした今、どんな暴挙に出るやもわからん。山南さんが言うように、もはや一刻の猶予もないだろう。だが、そんなこと絶対に許してはならん。今夜、会合が行われるというならば、そこを押さえる!」
『承知!』

 広間の一角は一気に色めき立った。さっそく今日これからの予定が練られ、夕暮れには祇園会所に集合ということになった。
 新選組が動き出したことを悟られないよう、隊服や防具は纏めて会所に運び込み、みんなバラバラに集まるという。
 古高奪還の襲撃にも備え、屯所の警備は山南さんを中心に、山崎さんを含む数名の隊士が残ることになった。

 会合が行われる場所がわからない以上、新選組だけでは人手も足りなくて、報告を兼ね、近藤さんが再び会津本陣へと足を運ぶ。
 今朝同様、そんな近藤さんの護衛につきたかったのに、今回は私でもなければ沖田さんでもなかった。

 会議を終えればみんな広間をあとにした。
 何となくあの部屋には戻りづらくて、一番最後にとぼとぼと出れば、廊下に立っていた沖田さんに呼び止められた。

「古高にあそこまでするなんて、土方さんも鬼ですよね~」
「鬼……なんですかね……」
「怖くなりました?」

 そうなのかな……正直わからない。
 拷問も珍しくない時代で、ただ忠実に職務を全うしただけ……そう考えることもできるけれど。
 それでもやっぱり認めたくない。仕事だからってあんなこと……。
 言葉が出ない私を見て、沖田さんが吹き出した。

「あんなつまらない仕事、僕や他の隊士にやらせればよかったんですよ。それなのに、一人で背負い込もうとするんですから……鬼は鬼でも天邪鬼なんですかね~」

 私が古高に語らせることができなかった時点で、きっと避けることはできなかった。土方さんがやらなくても、おそらく他の誰かがやっていた。
 だからこそ、土方さんが一人でやったとでも……?

「僕が言うのもおかしな話ですけど、土方さんて、ああ見えて実は鬼じゃなかったりするんです。だから、少しだけ気にかけてあげてください」

 それだけ言い残すと、私の返事も待たずに自分の部屋へと戻って行く。

「ホント、素直じゃない……」

 猫のような沖田さんの背中に呟けば、思わず笑みがこぼれた。
 気づけば雨は止んでいて、雲の隙間からは晴れ間も見えている。何となく、梅雨明けを感じるのだった。



 部屋へ戻ると、開けた襖をそのまま閉めそうになった。

「入れ」

 部屋の真ん中で腕を組んで立つ人物が、有無も言わさぬ声音でそういうもんだから、仕方なく部屋に足を踏み入れる。

「敵に素性バラしてどうすんだ! この馬鹿!」
「す、すみません……」

 さっきまでとは打って変わって、いつもの土方さんだ。
 結局、私は何もできなかった。秘密をバラしてもバラさなくても、おそらく結果は一緒だった。
 私はいったい、何をやっているんだろう。

「……バレたら切腹、でしたっけ」

 まるで他人事のような言い方につい苦笑をこぼせば、やたらと強くおでこを弾かれた。

「イタッ!」
「うるせぇ馬鹿! 今はそれどころじゃねぇんだよっ!」

 ……そうだ。京の町を火の海にしようとする輩が集まるところに踏み込もうというのに、私の切腹なんてしている場合じゃない。
 ならば日を改めるのかと考えていれば、土方さんが背中を向けた。

「古高のこと、知ってたのか?」
「え? あ、いえ、全く……。土蔵で言ったことは、全部ハッタリです……」

 知らなかったことの言い訳にはしたくないけれど、知っていたなら絶対にこんなことにはさせなかった。

「私がバカだったせいで……」

 俯きかけたその時、目の前の大きな背中がふっと吹き出した。

「そうか。なら、大馬鹿野郎は俺かもな。実はな、奴は何も吐かなかったんだ」
「……え」

 昨日の捕縛者の供述、桝屋で押収した書状、山崎さんが追加で見つけてきた書状。そして、私と古高のやり取りの様子。
 それらを古高の自白として、みんなに説明したらしい。

「俺は奴に、あれだけのことをしたのにな……」

 そう呟く背中が、突然ぐらついた。慌てて支えるように前へ回り込めば、土方さんの顔色は血の気が引いたように青白い。

「土方さん!?」
「何でもねぇよ……」

 何でもなくなんかない! 何でもないなら、思い出したくらいでそんな顔したりなんかしない。
 そんな顔するくらいなら、あんなことしなければよかったのに!

 けれど……土方さんがやらなければ他の誰かがやっていた。
 沖田さんが言っていたように、やっぱりこの人は鬼なんかじゃない。新選組のために、鬼を演じているだけなんだ。

 気づけば土方さんの頭に両腕を伸ばし、自分の肩に引き寄せていた。そのまま片方の手で背中をトントンとゆっくり叩けば、肩口から少しだけ驚いたような声がする。

「何してんだ?」

 うん、何してるんだろう。何だか放っておけなくて、気がつけばそうしていた。

「えーっと……子供の頃、不安になった時とか母がよくこうしてくれて。そうすると、凄く落ちついたなぁーって……」
「俺は餓鬼かよ」

 不貞腐れた子供のように文句を言いつつも、土方さんは、しばらく私の肩に頭を乗せたままだった。
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