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【 花の章 】―壱―

103 古高俊太郎の捕縛②

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 強く出たところで引く気がないと悟った土方さんは、小さな舌打ちとともに許可を出してくれて、二人のあとに続いて私も前川邸にある土蔵に足を踏み入れた。

 夏場は少し涼しいとさえ感じる土蔵の中は、血や汗のにおいが混じった熱気が立ち込めていて、数人の隊士に囲まれた桝屋喜右衛門こと古高俊太郎が手足を縛られた状態で座っていた。
 古高の頭上を見上げれば滑車がついていて、縛られた足の縄と繋がっている。身体にはできたばかりのみみず腫のような跡が生々しく残っていて、逆さ釣りにされ鞭で打たれていたのだろうと想像がつく。

 俯いたまま肩で息をする古高の前にゆっくりと歩み寄れば、隊士たちの視線が集まるのを感じた。
 だから、古高を真っ直ぐ見据えたまま、古高以外の人たちに向けて口を開く。

「二人きりにさせてもらえませんか?」

 私に向けられていた視線が訝しくなるなか、原田さんが驚いたような声音で私の名を呼んだ。

「春?」
「お願いします。危害を加えたりはしませんから」
「いや、そうじゃない。万が一、春に何かあったら――」
「大丈夫です。縛られて動けないんですから……。少しでいいので、二人だけで話をさせてください」

 原田さんはわかったと頷くと、土蔵の中にいる隊士たちを引き連れ外へ出た。
 けれど、土方さんだけは出て行ってはくれなかった。

 無理に追い出すことはしなかった。これからするのは、土方さんになら聞かれてもいい話だ。どのみちあとで報告をしなければいけないのだから、このままでいい。
 土蔵の扉が閉まったのを確認すると、古高に向き直り膝をつく。

「古高さん、初めまして。琴月と言います」
「…………」
「お願いです、知っていることを全部話してくれませんか?」
「…………」

 急かすことなくじっと返事を待つも、まるで私の声など聞こえていないかのように、ただ三人の息づかいだけが聞こえてくる。
 意を決するように深呼吸を一つして、こちらを見ることもない古高にゆっくりと問う。

「長州と繋がりがあるんですよね? なら、聞いたことありませんか? 未来から来た人間がいるっていう噂」
「おいっ!」

 土方さんが声を荒らげると同時に、古高の肩が微かに反応したのを見逃さなかった。
 内心ほっとしながら振り返り、今にも飛んできそうな鋭い視線を受け止める。
 けれど、土方さんが止めようとすることはわかっていたし、最初から説得するつもりもなかった。どんな言葉を発しても意味なんてないから、その目をただじっと見つめ返した。

 じっとりと汗ばむ肌に着物がまとわりつき、屋根に打ちつける雨音も少しだけ強くなった気がする。
 最初に沈黙を破ったのは、土方さんの方だった。舌打ちをして、そのまま顔を背けられる。

「すみません……」

 苛立った横顔に謝り、改めて古高に向き直る。長い瞬きとともに呼吸を整えてから、ゆっくりと、だけどはっきりとした口調で俯いたままの古高に告げる。

「その噂……私のことです」

 古高の瞳が、ようやく私を映した瞬間だった。
 やっと反応してくれたことが嬉しくて思わず微笑めば、しまったという顔でまたすぐに俯くけれど、それでもいい。噂を知っていて、それが私なのだと知ってもらえたのなら十分。

「私は、ここから百五十年以上も先の未来からここへ来ました。私たちの時代では、学校で過去の出来事を教わります。スマホやパソコンで調べれば、色んなことがすぐにわかったりもするんです。だから、私は知ってるんです。あなたのことも、あなた方がしようとしていることも。京の町に火を放ち、その混乱に乗じてしようとしていること……これから起こることを……」

 ……嘘だ。歴史に疎いせいで、本当は全然知らない。知っているのは、昨日の捕縛者の話とさっき聞いたばかりの書状の内容だけ。
 ハッタリをかけただけだ。
 スマホとかパソコンとか、この時代の人たちが知らない言葉をあえて使うことで、私が本当に未来から来たということを伝えてみたつもりだけれど……。

「そこまで知っているなら、俺が話す必要はないだろう」

 それなりに効果はあったのか、俯いたままとはいえやっとその声を聞くことができた。
 このまま全てを自白してくれることを願い、頭を下げ言葉を続ける。

「あなた自身の言葉じゃなきゃ意味がないんです。私の話なんて誰も信じてはくれませんから。だから、ちゃんと話してください、お願いします」
「断る」
「古高さんっ!」

 頭を上げ古高を見つめるも、俯いたまま微動だにしない。何度も何度も必死に呼びかけるも、再び口を閉ざした様子だった。

 どうして話してくれないのか。このままでは、再びキツイ拷問に晒されてしまうかもしれないのに。
 結局、何もできなかったのかと唇を噛めば、勢いよく土蔵の扉が開き、入ってきた隊士が土方さんに耳打ちした。

「何だと!?」

 土方さんの怒気を含んだ声が土蔵内に響けば、二人は揃って足早に出て行った。
 開け放たれたままの扉から入り込んだ風が、汗ばむ肌を一気に冷やし鳥肌を立てる。
 理由なんてわからないけれど、何となく嫌な予感が胸を埋め尽くす。



 しばらくして土方さんが戻って来た。
 けれどその手には、さっきまでは持っていなかったはずの五寸釘や蝋燭が握られている。

「土方さん……?」
「枡屋の土蔵から武器が奪取されたらしい。もう悠長にやってる余裕なんざねぇってことだ。お前は外へ出てろ」
「何する気ですか?」
「そいつ自身で洗いざらい吐かせるだけだ」

 どうやって? ……まさか、それを使って?
 そんなのこと許されるわけがない。土方さんにそんなことはして欲しくない!

「いいから、とっとと出ろっ!!」

 土蔵の中に一際大きな怒鳴り声が響き渡り、思わず全身がビクリと硬直する。
 土方さんは何をするつもりなのか知らないけれど、このただならぬ雰囲気は、よくないことをするとしか思えない。
 動かない私のもとへ大きな足音が迫り、咄嗟に古高を背中で庇うも、殺気立ったその気迫に押されて半歩後ずさった。

「外へ出ろ」

 見上げたその顔はあまりにも冷たくて、指を伸ばそうものなら触れた先から一瞬にして氷ってしまいそうだった。

「……嫌、です」
「なら、そこをどけ」
「……嫌です」

 言葉を発することが、こんなにも困難だと思ったのは初めてだ。
 目の前にいるこの人は、本当に土方さんなのかと思うほどに怖い。震えそうな身体を必死で堪えれば、立っていることすらやっとの状態だった。
 それでも、こんな方法で自白させるなんて間違っている。逸らすことすらできない視線を土方さんに向けたまま、背後の古高に訴えた。

「古高さん……お願いだから、話してください」

 あなたが全てを話してくれさえすれば、これ以上痛めつけられることも、土方さんが非道なことをすることもないはずだから。

「古高さんっ!!」

 すぐ後ろにいるはずのその人は、どんなに呼びかけても返事がない。土蔵内に響くのは、私の呼び声だけだった。
 とうとう痺れを切らせたのか、土方さんの低く掠れた声が耳に届く。

「無駄だ、琴月」
「っ! もう少しだけっ! もう少しだけお願いします!」
「外へ出てろ」
「嫌です!」
「……頼む。お前には見せたくねぇんだ」

 まるで懇願するかのようなその声は、酷く苦しそうに歪められた顔から発せられていた。

「土方さんっ!?」

 私に見せたくないって何!? 見せられないようなことをするの!?
 そんなに辛そうな顔をするくらいなら、何もしなければいいのに!
 私は絶対に出ていかないし、ここを退いたりもしない!
 怒りなのか悲しみなのかもわからないまま、ただ目の前の土方さんを睨みつけていれば、突然伸びてきた手が私の腕を掴み、無言のまま引きずるように歩き出した。

「っ!? 土方さんっ! 放してください!」

 指が食い込むほど強く握られた腕は、振りほどこうと抵抗すればするほど痛みが増していく。
 けれど、どれだけ痛みに耐えようとも力で敵うはずもなく、あっという間に扉の側に連れてこられた。
 次の瞬間、容赦なく濡れた土の上に放り出された。
 近くにいた井上さんが、何事かと驚いた顔で私に駆け寄りすぐさま上体を起こしてくれるけれど、土方さんは、そんな私たちを見下ろし言い放った。

「源さん頼む、そいつを押さえててくれ」
「おい、歳っ!?」
「頼むっ!」

 私に触れていた井上さんの指先に力が入り、慌ててその手から逃れ立ち上がろうとした。
 けれど、遅かった……。
 井上さんは自分の袴が汚れるのも気にせず膝をつけば、尻餅をついたままの私を両腕ごときつく抱き竦め押さえ込む。

「いやっ! 放してくださいっ!」
「春! 駄目だ!」
「放してっ!!」

 もがけばもがくほど腕の力は強まる一方で、全く敵いそうにない。ならばと、土方さんの名を呼ぶも視線を逸らされた。
 異様な光景に屯所に戻って来ていた隊士たちが集まり始めるけれど、そんなことはどうでもいいと形振り構わずもがき叫ぶ。
 けれど、土方さんは一度も私を見ることなく、側にいた原田さんに向かって静かに言い置いた。

「山崎が戻ったら入れてくれ。それ以外は、誰も中に入れるなよ」

 原田さんが黙ったまま頷くと、反転した背中が一人で土蔵の中へと戻って行く。そして、ゆっくりと扉が閉められた。

「土方さん!? 土方さんっ!」

 私の叫び声と、ざわつく隊士たちの声。騒然とする土蔵の周りが静かになったのは、それからしばらくして。
 突然、中から古高の悲痛な叫び声が聞こえてきた時だった。

 何が起こっているのか。土方さんは、古高に何をしているのか。
 そう思ったのは私だけではないようで、みんな口々に副長が……と再びざわめき出す。
 中から漏れる悲鳴も外のざわめきも、これ以上聞きたくなんかない。いっそ耳を塞いでしまいたいけれど、それをしてはいけないこともわかっている。
 だから、全ての音を消してしまいたくて、姿の見えないその名を何度も何度も叫んだ。

 私がもっと上手くやれたなら、きっとこんなことにはならなかった。
 悔しくて悔しくて悔しくて、ひたすら声を枯らせど聞きたくない音を消すことはできなくて、気づけば雨で濡れた頬に温かいものが伝った。

 それでも聞こえてくるのは、悲鳴とざわめきと雨音と、私を宥める井上さんの声だった。
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