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【 花の章 】―壱―
094 襲われる②
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驚いて目を開けると、肩を揺らしながら息を整える沖田さんが笑顔で立っていた。
「あれ~、お取り込み中、でしたか~?」
助かった……。
ほっとして脱力するも、武田さんに捕まれたままの両腕が痛いほど強く握られた。
「沖田君。見ればわかるだろう? 早く出て行ってくれないか」
「別に邪魔するつもりはないんで、すぐにでも退散しますよ」
「え……お、沖田さん!?」
まさか、この状況を見ておきながらそのまま帰るつもりなの!?
一瞬で絶望に突き落とされたような感覚に、咄嗟に助けを求めることさえできなかった。ただじっと見つめるしかできない沖田さんの顔は、ずっと笑顔のまま武田さんを見据えている。
「一つだけ確認したら、ですけど」
「不粋だ。早く出て行ってくれ」
「そんなに焦ってたら、嫌われちゃいますよ? あ~、でも巡察抜け出してこんなことしてるんだから、焦りたくもなりますよね」
「うるさいっ!」
声を荒らげる武田さんとは対照的に、沖田さんの笑顔は崩れることなく落ちついたままだ。
「じゃあ、確認です。僕、このまま本当に帰っちゃってもいいですか?」
「いいも何も、早く行けと言ってるだろうがっ!」
「あなたじゃないですよ。春くんに訊いてるんです」
それまで武田さんを見ていた沖田さんの視線が、ようやく私に向けられた瞬間だった。
「あ……」
嫌だ……。
押さえつけられている腕の痛みが一気に増すけれど、すがる思いで全力で首を左右に振った。
「なら、僕にどうして欲しいですか?」
「沖田!! いい加減にしろっ!」
「た、助けて……くださいっ!!」
沖田さんは、わかりました、ととびっきりの笑顔で頷いた。
「春くんのお願いなら仕方がないですね」
直後、その顔から表情を消し去った沖田さんは、一瞬で音もなく近づいたかと思うと、私に跨がったままの武田さんの肩を掴んで力任せに引き剥がした。
勢いよく尻餅をつき、後ろ手で身体を支える武田さんには目もくれず、横たわったままの私を起こしてくれる。
「あ、ありがとうございます……」
「お礼はいいですよ。その代わり、今度僕のお願いもきいてくださいね?」
「え? は、はい……」
思わず頷いてしまったけれど、沖田さんのこの笑顔は、何か企んでいる時の顔にしか見えない。いったい何をお願いするつもりなんだ?
そんな私たちのやり取りを見ていた武田さんが、鼻で笑いながら立ち上がった。袴の皺を伸ばすように整えてから、私たちを見下ろし涼しい顔で言い放つ。
「私じゃない。彼の方から誘ってきたのだよ」
「え……何言って――」
すかさず反論しようとした私を、沖田さんがすっと片手で制した。
「今回ばかりは、その言い訳も厳しいんじゃないですか~?」
「何だと?」
「ま、いいや。鬼の副長室でお待ちしてますよ。それと、走り回って疲れたんで、追加の団子もお願いしますね~」
追加……? 団子……?
何のことだろうとその顔を見つめるも、先に立ち上がるなり私の腕を引き上げ立たせてくれると、武田さんのことを見ることもなくすたすたと部屋を出て行った。
沖田さんのあとを追って私も武田さんの横を通り過ぎるも、鋭い視線とともに低い声が聞こえ、思わず足が止まる。
「副長助勤のこの私と、ただの隊士でしかない君。どちらの言葉が信用に足るか……それくらいはわかるだろう?」
だから、黙っていろとでも言うつもりか? こういう人間大嫌いだっ!
キッと武田さんを睨みつけると、僅かに怯んだのがわかった。反論する余地など与えずすかさず詰め寄ると、大きく息を吸って人差し指を下瞼にあてがう。
「あっかんべーっ!」
何をそんなに驚いたのか、武田さんがその場で尻餅をついた。
ざまぁみろ! ……と、内心ちょっとだけほくそ笑んでいたら、襖の向こうから沖田さんの吹き出す声が聞こえ、子供染みた反撃だったと急に恥ずかしくなって、慌てて部屋を出た。
そのまま一緒に宿の外へ出るも、太陽がやたら眩しく感じて、目元に手をかざして光を遮った。
同時に、身体の力が抜けていくような感覚がして、その場にトサッと座り込む。
「春くん?」
「あ、あれ? 急に力が……」
「もしかして、今頃腰抜かしちゃったんですか?」
「う……その、はい……すみません」
仕方がないですね~、とおかしそうに笑う沖田さんは、半ば強引に私を背中に乗せて近くの甘味屋へと向かった。
そして、つくなり私を縁台に下ろし、早速二人分のお団子を注文する。
「去り際にあんなことしてたのに、腰抜かしちゃうなんて面白いですね」
「……すみません。それより、助けに来てくれてありがとうございました」
「うん、間に合ってよかったです」
そういえば、沖田さんはどうして助けに来てくれたのだろう?
運ばれてきたお団子を二人で食べながら、なぜこんなことになったのかとお互いの話を擦り合わせた。
やっぱり私の勘違いではなく、今日の巡察は沖田さんだったらしい。
沖田さんが巡察の支度をしていると、武田さんがお団子を片手にやって来て雑用を頼んでいったという。その雑用を終わらせて、ついでにお団子も食べてから玄関へ行くと、すでに誰もいなかった、と。
巡察隊がすでに屯所を出たことも知ると、不審に思いすぐ探しに出たらしい。そして、武田さんと私が抜けた巡察隊を見つけ、詳しく話を訊いて今に至る……と。
さっき沖田さんが口にした、“追加の団子”の謎は解けたけれど……。
まさか、お団子のせいでこんなことになってしまった……わけじゃないよね?
「まぁ、のんびり団子を食べてなければ、組み敷かれる前には止めに入れたと思うんですけどね~」
「の、のんびり……?」
「うん。美味しい団子だったんでつい」
なっ! やっぱりお団子のせい!?
どこか引っかかるけれど、事の発端は何であれ助けてもらったのは事実。沖田さんが来てくれなかったら……なんて想像したくもない。
「えーっと、その……ありがとうございました」
「はい。僕のお願いをきいてくれるって約束、忘れないでくださいね?」
全く悪びれる様子のないその笑顔に、私までつられて笑いながら頷くのだった。
お団子をご馳走になってから二人で屯所へ戻ると、一緒に土方さんのところへ向かった。
報告を聞き終えた土方さんが、腕を組んだまま大きなため息をつけば、すかさず沖田さんがつけ加える。
「武田さんに感化されたのか知りませんけど、近頃、屯所内でも増えてますよ~? 僕には関係ないので正直どうでもいいんですけど、無理矢理っていうのはさすがにどうなんです?」
「確かに、今回ばかりは見過ごせねぇな」
どうやらここ最近、屯所内では男色が流行っているらしい。本人同士のことと見て見ぬふりをしていたけれど、度が過ぎれば人間関係、ひいては隊務にも影響する。近藤さんなんかは、頭を抱え悩んでいるらしい。
そんなことまで悩まなければいけないとか、局長って大変……。また胃が痛くなったりしなければいいけれど。
「この際、局中法度につけ足したらどうです~?」
胡座の上で頬杖をつく沖田さんが、随分と楽しそうに微笑んでいる。
男色すべからず……? 局中法度にそんな一文が書かれていたとしたら、後世の新選組に対するイメージはまた違ったものになっていたかもしれない。
土方さんも苦い笑いを浮かべている。
「さすがにそりゃ無理だな。武田なら、衆道は武士の嗜みとでも言い張るだろうよ」
衆道とは、武士同士の男色のことを言うらしい。
「とはいえ、これを機に調子に乗られても厄介だからな。さすがにこの辺で釘でも刺しとくか」
「あと少し遅かったら、春くんもどうなってたかわからなかったですしね~」
「そ、そうですよ! 土方さん、こんな時こそ副長命令でも何でも使って何とかしてくださいっ!」
突然、声を大にして割り込んだ私に、沖田さんが吹き出した。
「それだけ怒れるようになったなら、もう大丈夫そうですね」
「え? あ……はい!」
心配してくれていたんだ。助けに来てくれたおかげで未遂だったから、今はむしろ怒りの方が強い。
沖田さんは武田さんが戻って来たら連れて来ると言い残し、一度部屋を出て行った。
急に静まり返った部屋の中、土方さんがこちらを見ていることに気がついた。
「武田に関しては危惧していたんだ。もっと早めに手を打っとくべきだった……怖い思いさせちまって、すまなかったな」
「土方さんが謝ることじゃないですよ。その……色々と無事でしたし」
「相変わらず、大した奴だな、お前は」
そう言って、申し訳なさそうに笑いながら私の頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。
「そのうち武田も来る。お前は部屋を出てていいぞ」
去り際にあんなことを言うくらいだから、武田さんが真実を語るとは思えない。土方さんはその辺りもわかっているらしく、大丈夫だと言ってくれるけれど。自分の都合のいいように話す武田さんを想像すると、少々……いや、かなり腹も立つわけで。
同席を願い出ると、土方さんは再び苦笑しながら頷き、私の髪をぐちゃぐちゃにするのだった。
「あれ~、お取り込み中、でしたか~?」
助かった……。
ほっとして脱力するも、武田さんに捕まれたままの両腕が痛いほど強く握られた。
「沖田君。見ればわかるだろう? 早く出て行ってくれないか」
「別に邪魔するつもりはないんで、すぐにでも退散しますよ」
「え……お、沖田さん!?」
まさか、この状況を見ておきながらそのまま帰るつもりなの!?
一瞬で絶望に突き落とされたような感覚に、咄嗟に助けを求めることさえできなかった。ただじっと見つめるしかできない沖田さんの顔は、ずっと笑顔のまま武田さんを見据えている。
「一つだけ確認したら、ですけど」
「不粋だ。早く出て行ってくれ」
「そんなに焦ってたら、嫌われちゃいますよ? あ~、でも巡察抜け出してこんなことしてるんだから、焦りたくもなりますよね」
「うるさいっ!」
声を荒らげる武田さんとは対照的に、沖田さんの笑顔は崩れることなく落ちついたままだ。
「じゃあ、確認です。僕、このまま本当に帰っちゃってもいいですか?」
「いいも何も、早く行けと言ってるだろうがっ!」
「あなたじゃないですよ。春くんに訊いてるんです」
それまで武田さんを見ていた沖田さんの視線が、ようやく私に向けられた瞬間だった。
「あ……」
嫌だ……。
押さえつけられている腕の痛みが一気に増すけれど、すがる思いで全力で首を左右に振った。
「なら、僕にどうして欲しいですか?」
「沖田!! いい加減にしろっ!」
「た、助けて……くださいっ!!」
沖田さんは、わかりました、ととびっきりの笑顔で頷いた。
「春くんのお願いなら仕方がないですね」
直後、その顔から表情を消し去った沖田さんは、一瞬で音もなく近づいたかと思うと、私に跨がったままの武田さんの肩を掴んで力任せに引き剥がした。
勢いよく尻餅をつき、後ろ手で身体を支える武田さんには目もくれず、横たわったままの私を起こしてくれる。
「あ、ありがとうございます……」
「お礼はいいですよ。その代わり、今度僕のお願いもきいてくださいね?」
「え? は、はい……」
思わず頷いてしまったけれど、沖田さんのこの笑顔は、何か企んでいる時の顔にしか見えない。いったい何をお願いするつもりなんだ?
そんな私たちのやり取りを見ていた武田さんが、鼻で笑いながら立ち上がった。袴の皺を伸ばすように整えてから、私たちを見下ろし涼しい顔で言い放つ。
「私じゃない。彼の方から誘ってきたのだよ」
「え……何言って――」
すかさず反論しようとした私を、沖田さんがすっと片手で制した。
「今回ばかりは、その言い訳も厳しいんじゃないですか~?」
「何だと?」
「ま、いいや。鬼の副長室でお待ちしてますよ。それと、走り回って疲れたんで、追加の団子もお願いしますね~」
追加……? 団子……?
何のことだろうとその顔を見つめるも、先に立ち上がるなり私の腕を引き上げ立たせてくれると、武田さんのことを見ることもなくすたすたと部屋を出て行った。
沖田さんのあとを追って私も武田さんの横を通り過ぎるも、鋭い視線とともに低い声が聞こえ、思わず足が止まる。
「副長助勤のこの私と、ただの隊士でしかない君。どちらの言葉が信用に足るか……それくらいはわかるだろう?」
だから、黙っていろとでも言うつもりか? こういう人間大嫌いだっ!
キッと武田さんを睨みつけると、僅かに怯んだのがわかった。反論する余地など与えずすかさず詰め寄ると、大きく息を吸って人差し指を下瞼にあてがう。
「あっかんべーっ!」
何をそんなに驚いたのか、武田さんがその場で尻餅をついた。
ざまぁみろ! ……と、内心ちょっとだけほくそ笑んでいたら、襖の向こうから沖田さんの吹き出す声が聞こえ、子供染みた反撃だったと急に恥ずかしくなって、慌てて部屋を出た。
そのまま一緒に宿の外へ出るも、太陽がやたら眩しく感じて、目元に手をかざして光を遮った。
同時に、身体の力が抜けていくような感覚がして、その場にトサッと座り込む。
「春くん?」
「あ、あれ? 急に力が……」
「もしかして、今頃腰抜かしちゃったんですか?」
「う……その、はい……すみません」
仕方がないですね~、とおかしそうに笑う沖田さんは、半ば強引に私を背中に乗せて近くの甘味屋へと向かった。
そして、つくなり私を縁台に下ろし、早速二人分のお団子を注文する。
「去り際にあんなことしてたのに、腰抜かしちゃうなんて面白いですね」
「……すみません。それより、助けに来てくれてありがとうございました」
「うん、間に合ってよかったです」
そういえば、沖田さんはどうして助けに来てくれたのだろう?
運ばれてきたお団子を二人で食べながら、なぜこんなことになったのかとお互いの話を擦り合わせた。
やっぱり私の勘違いではなく、今日の巡察は沖田さんだったらしい。
沖田さんが巡察の支度をしていると、武田さんがお団子を片手にやって来て雑用を頼んでいったという。その雑用を終わらせて、ついでにお団子も食べてから玄関へ行くと、すでに誰もいなかった、と。
巡察隊がすでに屯所を出たことも知ると、不審に思いすぐ探しに出たらしい。そして、武田さんと私が抜けた巡察隊を見つけ、詳しく話を訊いて今に至る……と。
さっき沖田さんが口にした、“追加の団子”の謎は解けたけれど……。
まさか、お団子のせいでこんなことになってしまった……わけじゃないよね?
「まぁ、のんびり団子を食べてなければ、組み敷かれる前には止めに入れたと思うんですけどね~」
「の、のんびり……?」
「うん。美味しい団子だったんでつい」
なっ! やっぱりお団子のせい!?
どこか引っかかるけれど、事の発端は何であれ助けてもらったのは事実。沖田さんが来てくれなかったら……なんて想像したくもない。
「えーっと、その……ありがとうございました」
「はい。僕のお願いをきいてくれるって約束、忘れないでくださいね?」
全く悪びれる様子のないその笑顔に、私までつられて笑いながら頷くのだった。
お団子をご馳走になってから二人で屯所へ戻ると、一緒に土方さんのところへ向かった。
報告を聞き終えた土方さんが、腕を組んだまま大きなため息をつけば、すかさず沖田さんがつけ加える。
「武田さんに感化されたのか知りませんけど、近頃、屯所内でも増えてますよ~? 僕には関係ないので正直どうでもいいんですけど、無理矢理っていうのはさすがにどうなんです?」
「確かに、今回ばかりは見過ごせねぇな」
どうやらここ最近、屯所内では男色が流行っているらしい。本人同士のことと見て見ぬふりをしていたけれど、度が過ぎれば人間関係、ひいては隊務にも影響する。近藤さんなんかは、頭を抱え悩んでいるらしい。
そんなことまで悩まなければいけないとか、局長って大変……。また胃が痛くなったりしなければいいけれど。
「この際、局中法度につけ足したらどうです~?」
胡座の上で頬杖をつく沖田さんが、随分と楽しそうに微笑んでいる。
男色すべからず……? 局中法度にそんな一文が書かれていたとしたら、後世の新選組に対するイメージはまた違ったものになっていたかもしれない。
土方さんも苦い笑いを浮かべている。
「さすがにそりゃ無理だな。武田なら、衆道は武士の嗜みとでも言い張るだろうよ」
衆道とは、武士同士の男色のことを言うらしい。
「とはいえ、これを機に調子に乗られても厄介だからな。さすがにこの辺で釘でも刺しとくか」
「あと少し遅かったら、春くんもどうなってたかわからなかったですしね~」
「そ、そうですよ! 土方さん、こんな時こそ副長命令でも何でも使って何とかしてくださいっ!」
突然、声を大にして割り込んだ私に、沖田さんが吹き出した。
「それだけ怒れるようになったなら、もう大丈夫そうですね」
「え? あ……はい!」
心配してくれていたんだ。助けに来てくれたおかげで未遂だったから、今はむしろ怒りの方が強い。
沖田さんは武田さんが戻って来たら連れて来ると言い残し、一度部屋を出て行った。
急に静まり返った部屋の中、土方さんがこちらを見ていることに気がついた。
「武田に関しては危惧していたんだ。もっと早めに手を打っとくべきだった……怖い思いさせちまって、すまなかったな」
「土方さんが謝ることじゃないですよ。その……色々と無事でしたし」
「相変わらず、大した奴だな、お前は」
そう言って、申し訳なさそうに笑いながら私の頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。
「そのうち武田も来る。お前は部屋を出てていいぞ」
去り際にあんなことを言うくらいだから、武田さんが真実を語るとは思えない。土方さんはその辺りもわかっているらしく、大丈夫だと言ってくれるけれど。自分の都合のいいように話す武田さんを想像すると、少々……いや、かなり腹も立つわけで。
同席を願い出ると、土方さんは再び苦笑しながら頷き、私の髪をぐちゃぐちゃにするのだった。
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