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【 花の章 】―壱―

076 花見の宴

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 二月二十日。
 この日、元号が変わり文久から元治になった。孝明天皇が崩御したのかと驚いたけれど、そういうわけではないらしい。
 今年は甲子の年、この年は争乱が多いとされ改元するのだそう。

 そういえば、明治以前はコロコロと元号が変わっていたということを思い出した。同時に、着実に明治へ近づいているのだと思い知らされる。
 あとどれだけの時間があるのだろうか。いい方向へ変えることはできているのだろうか……。



 月が変わり三月になると、先日の幕府への嘆願が通ったのか、新選組は従来通り会津公支配との通知を受けた。
 この日、井上さんとともに富澤さんを訪ねた土方さんは、祇園で酒宴をしていたらしく、随分とご機嫌で帰って来た。珍しく酔っているのか、会津公の下で働けるぞ! と何度も口にしていたので、相当嬉しかったのかもしれない。

 “忠臣は二君に仕えず”
 本物の武士に強く憧れる土方さんらしいと思う。



 その二日後も、桃花の宴と称して酒宴を開いていた。
 富澤さんは私のことも誘ってくれたけれど、巡察があったのと、主だったメンバーが近藤さんや土方さんを始め、井上さん、沖田さん、藤堂さんという、富澤さんの昔からの馴染みだけみたいだったので、遠慮したというのが本音。
 変に気を使わせてしまっては申し訳ないからね。



 それからまたしばらくして、今日は花見の宴が開かれている。
 今回は新選組の紹介も兼ねているようで、巡察に出ていない副長助勤も参加するらしい。私はただの平隊士だけれど、ありがたいことにまた富澤さんが誘ってくれたので、今度ばかりはぜひにと参加させてもらうことにしたのだった。

 ところで……富澤さんとは飲んでばっかりじゃ!?

「やぁ、春君、やっと会えたね。いくら誘っても来てくれないから、嫌われてしまったのかと思ったよ」
「まさか! そんなわけないじゃないですか! 私も今日はお会いできて嬉しいです。誘ってくださりありがとうございます」

 軽くお辞儀をすると、富澤さんの隣に座る井上さんが微笑んだ。

「春はすぐ気を使おうとするからな。俺らや富澤さんに遠慮なんていらないぞ」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあさっそく、また色々話を聞かせてくれるかい?」
「はい!」

 富澤さんにお酌をしながら、改めて新選組の様子を話したりした。

 宴席の周りには桜が綺麗に咲いていて、時折吹く風が、ひらひらと花びらを私たちのところまで届けてくれる。
 私と富澤さん以外はみんな新選組の幹部たちで、一番下っ端でお酒も飲めない私が座ったままというのは気が引ける。
 時々、お酌をして回りながら永倉さん、原田さん、藤堂さんらのところへも行けば、すでに酔っている様子の永倉さんが、やけ酒でもするかのようにお酒をあおっていた。

「永倉さんどうかしたんですか?」
「あれだ」

 そう言って、原田さんが面白くなさそうに顎で指し示す先には、近藤さんにお酌をする武田さんがいた。

「我々隊士は局長の手足も同然……いや、家来と言っても過言ではない。近藤局長のような素晴らしい方の家来になれるなど、これ以上の幸せはありませんよ」
「そ、そうか? 参ったなぁ~」

 近藤さんもお酒が入り随分と気をよくしているのか、何だか満更でもなさそうな顔をしている。

「俺らは近藤さんと志を同じくする同志であって、家来なんかじゃねえっての」
「新八、ありゃ武田のいつものおべんちゃらだ。気にすんな。ほら、飲め」

 永倉さんは相当気にくわない様子で、原田さんに注がれたお酒を一気に飲み干した。

「あーもう。今日は酔うまで飲むからな!」
「新八さん、自覚ないかもしれないけど、すでにだいぶ酔ってるからね」

 隣にいた藤堂さんが、呆れたように突っ込んだ。
 武田さんのことはともかく、この三人は本当に仲がいい。



 午後になっても宴は続いていて、当然の如く酔っぱらいが量産されていた。
 そんな様子をお茶を啜りながら眺めていたら、誰かが隣に腰を下ろした。お酌でもしようと徳利を手に取り身体ごと向き直れば、そこに座っていたのは杯を差し出す武田さんだった。

「注いでくれるか?」
「……あ、はい」

 あの日の翌朝、怒鳴られることも嫌味を言われることも覚悟して謝罪に行くも、なぜか意味深に微笑まれただけだった。
 それからは、屯所ですれ違ってもこれまで通り……いや、むしろ挨拶だけだったのが、一言二言と今まで以上に絡んで来るようになった。
 やっぱり、最初の対応を間違ったのか? みんなみたいに、相手をせず距離を取っておくべきだったのかもしれない……。

「単刀直入に言う。私は君みたいに、何の策も巡らせられないような人間は好きではない」

 ズバリ頭が悪いと言われているよね……これ。
 けれど、常に策を巡らせているような武田さんには言われたくないし、好かれたいとも思わない。

「だが、琴月君。私は君に、非常に興味がある」
「……はい?」
「あの土方副長が可愛がるのは、どんな男なのか……とね」
「……は?」

 三日月のように弧を描く武田さんの唇が、不適な笑みを浮かべているけれど。
 とりあえず、一つ大きな勘違いをしている。男に思われているのはまぁ仕方がないとしても……。

「可愛がられてなんかいませんよ。悪く言えば厄介者、良くても手のかかるガキです」
「なるほど。自覚なしか」
「あのー、私の話聞いてますか?」

 何だかもの凄く面倒くさい人と化した武田さんが、空になった杯を差し出してきた。
 人の話を聞くきはないらしい。いっそこのまま潰してしまおうか……。

 武田さんの勘違い話を延々と聞き流しながら、差し出されるままになみなみと注いでいると、ひらひらと風に乗って舞い落ちた花びらが、武田さんの頭の横にピタリと張りついた。
 そのうち飛んでいくだろうと放置するも、風が吹けどもなかなか離れていかない。
 髪につくならまだしも、目の前の坊主頭に花びらが張りつくという光景は、想像以上に気になって仕方がないわけで……。チラチラと頭の横を見る私の視線が気になったのか、武田さんが怪訝な顔をした。

「琴月君。私の話を聞いているのか?」
「え? あー、えーっと……」

 話を聞かないのは、あなたの方でしょうが……。心の中でそう突っ込めば、武田さんの顔はさらに険しくなる。

「琴月君?」
「あのっ、頭に花びらがついてます」
「む……」

 慌てたように武田さんが手で払う仕草をするけれど、花びらは張りついたまま。仕方なく取ってあげようと、僅かに身を乗り出し手を伸ばした。

「こっちです、こっち。はい、取れましたよ」

 取った花びらを武田さんの目の前に差し出して見せるも、目を見開いたまま微動だにせず、花びらではなく私をじっと見ていた。
 かと思えば、私の手首をぎゅっと掴んでくる。あまりにも突然で、摘まんでいた花びらもどこかへ飛んで行った。

「あ……あの、武田さん?」

 何……? 頭に触れるのは、逆鱗に触れるのと同じだったとか!?
 ただ無言で私を見つめる武田さんの瞳は驚いたように揺れていて、手首を掴む力も少しだけ増した。
 痛くて、何だか怖い……。

「は、放してくださ――」

 言い終わる前に、私の手首は開放された。いつの間にか隣に来ていた斎藤さんが、武田さんの腕を掴んで私から剥がしてくれていた。

「武田、飲み過ぎだ」
「わ、私はいったい何をっ……」

 何って、たった今の自分の行動も覚えていないのか? 大丈夫か?
 なぜか、私よりも武田さんの方が驚いている。

「琴月、あっちで俺にも注いでくれ」
「は、はい」

 斎藤さんに半ば強引に立たされると、そのまま連れていかれた。
 後ろから、私を呼ぶ武田さんの声が聞こえるけれど、振り返る前に斎藤さんに遮られた。

「武田のことは放っておけ。気にするな」
「でも……あとでまた面倒になったり……」
「今戻る方が、余計面倒になるぞ」
「えっ、そうなんですか? それは嫌です」

 結局、斎藤さんに促されるまま、武田さんとは離れた場所に並んで座るのだった。
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