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【 花の章 】―壱―

071 夜の巡察①

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 その日の夜、藤堂さんらと一緒に屯所を出た。
 昼間は少しずつ暖かくなってきたとはいえ、夜風はまだ冷たく、吐く息もほんの少し白い。ふと見上げた西の空には、まだ半分になりきれていない月が沈みかけていて、提灯の灯りを頼りに進む町の風景は、昼間のそれとは違ってまるで別世界のようだった。

「春、もう少し離れて。歩きにくい」
「すっ、すみません」
「もしかして怖いの?」
「え? いえ、全然っ!」

 どうやら無意識のうちに藤堂さんの方へ寄っていたらしい。だって、見えてはいけないものが見えてしまいそうで、本当に怖いんだもの!
 リアルお化け屋敷だよっ!
 とはいえ、自分からやると言い出したので今さら怖いだなんて言えるわけもなく、慌てて一歩距離を開ければ道端に積まれた木箱からガタッと物音がした。

「ひぃっ!」

 何とも情けない声を上げながら、気づけば藤堂さんの腕にしがみついていた。

「猫だよ猫。へー、春は暗いのが苦手なんだね。それとも、お化けが怖いの?」
「お、お化けなんていませんよ!」
「そのわりには震えてるけど? 暗闇やお化けが怖いなんて、女みたいだね」
「ち、違いますからっ!」

 これで藤堂さんにまでバレたら洒落にならない!
 全力で否定すると、藤堂さんの呆れた声が返ってきた。

「冗談だよ。ところで、いつまでそうしてるつもり? 悪いけどオレにそんな趣味はないよ」
「へ? ……ああっ!」

 藤堂さんの腕にしがみついたままだった!
 慌てて離れたせいか、勢いあまって尻餅をついた。……って、動揺し過ぎだろう、私!

「あはは、アンタってホント面白いね」
「お、面白くないですからっ! あと、変な誤解しないでください!」

 私の抗議も無視して隣で笑い続ける藤堂さんが、突然、歩みを止めたかと思えば笑みを消し、自分の口元に人差し指を当てた。

「しっ。何か聞こえる」
「え……や、やめてください。そういう冗談は……」
「冗談じゃないよ。ほら」

 促されるまま恐る恐る耳を澄ませてみれば、確かに何か聞こえる……。
 人の……声? ま、まさかね?
 ……あれ? でもこれって……。

「たぶん酔っぱらいだね。一応、見に行くよ」

 そう言うなり、藤堂さんは返事も待たずに一人走り出す。
 って、こんなとこにおいて行かないでっ!
 みんなで慌てて藤堂さんのあとを追いながら、隊士の一人が呟いた。

「さすが、さきがけ先生だ」
「魁先生?」
「藤堂さんのことだ」

 どうやら近頃の藤堂さんは、何かあると真っ先に飛びついて、戦闘でも先陣を切るのでそう呼ばれているらしい。
 藤堂さんらしいとは思うけれど……そんなに一番じゃないと気が済まないのか!?

 隊士たちをおいて先に藤堂さんに追いつくと、五条大橋付近で酔っぱらいが二人、なぜか刀を振り回し暴れていた。
 それを見た藤堂さんが、素早く自分の刀を引き抜いた。

「藤堂さんっ!? まさか、斬るんですか!?」

 刀を振り回しているとはいえ、相手は相当酔っている。自分の手にしているものが、刀だとわかっていないんじゃないかと思うほど。
 そんな相手でも、刀を抜いているという理由だけで斬ってしまうの?

「まさか。だけど、あの状態で放っておくわけにもいかないでしょ。捕まえるよ」
「で、ですよね……」
「左から行くよ」

 言うが早いか再び飛び出した藤堂さんは、一瞬で間合いを詰めると相手の刀を払い、腕を捻り上げるようにして相手の刀を落とした。
 あまりに一瞬の出来事で、見とれてしまうほど無駄のない華麗な動きだった。

「春っ! 追って!」
「えっ?」

 男を地に転がした藤堂さんが、縄をかけながら叫ぶ視線の先を辿れば、もう一人がフラフラと逃げ出しているところだった。
 慌ててあとを追うけれど、男が逃げたのはちょうど隊士たちが向かって来る方向だ。案の定、すぐに取り囲まれた。
 けれど、男が抜き身の刀を手にしていることに気づいた隊士たちが、次々と自分の刀を引き抜いていく。
 この状況は、ちょっとマズイかもしれない。

「今すぐ刀を納めてください!」

 男のもとへ追いつき、その背中に向かって叫んでいた。
 反射的に振り返った男の顔は、酔っているせいなのか、突然、複数の刀を突きつけられたせいなのか、冷静さの欠片も見あたらない。
 嫌な汗が背中を伝い落ちる。刀で包囲されていた男は唯一抜刀していない私を突破口に選んだようで、奇声を発しながら片手で刀を凪ぎ払うようにして向かって来た……直後。



 ――――世界が、揺れた――――



 激しい揺れに顔を歪めたのは一瞬のことで、音も速度も失った世界のなか、意外にも冷静な頭で迫る刀の軌道を予測する。
 ひとまず初太刀を後退して避けようとするも、男の背中越しに刀を振り上げた隊士の姿が目に入り、心臓が跳ね上がった。
 だって……迫る刀の軌道から外れたその瞬間、目の前の男は背中を斬られてしまう。だからといって、このままじっとしていては私が斬られてしまう。

 峰打ちで男の刀を落とす?
 ……ダメだ。きっと落としたその瞬間、世界は何事もなかったように動き出し、男が斬られてしまう。
 隊士の方に体当たりする?
 ……それもダメだ。体当たりするには、やっぱり軌道の外へ出なければならない。

 そもそも、どんなに動きがゆっくりに見えていたって、力そのものは変わっていないのだから、助走でもつけてぶつからない限り簡単に動かせるとは思えない。
 もちろん、助走するための距離を取った時点で世界は普通に回り出す。
 なら、どうすればいい!?

 暑くもないのに、これ以上ないほど身体中から嫌な汗が噴き出した。焦りで揺れる視線を、男の背中に迫る隊士の刀に移す。
 せめて、この刀だけでも反らすことが出来れば……!?

 上手くいくかなんてわからない。ただ、何もしなければ最悪な結末が待っていることだけはわかる。
 迷っている時間なんてない。やるしかない。
 ううん、やる! やれるっ!!

 凪ぎ払うように振るわれた刀を見つめたまま、逃れるのことなく慎重に自分の刀を引き抜けば、決して軌道の外へ出ることなく、迫る刃と一定の距離を保ちつつ移動する。
 とはいえ、すでに男の身体の横の方まで移動していて、おそらく、そろそろ限界点。
 片手で持った刀を振り上げ、隊士の刀の切っ先目がけ横から弾くように勢いよく打ちつけた。

(お願い、逸れてっ!)

 激しい金属音とともに掌には衝撃が走り、隊士の刀は大きく向こう側へと逸れた。同時に、反対の腕に刀の当たる感触がして、慌てて飛び退いた。
 突然回りはじめた世界の中、男は酔っているうえに取り乱していて足取りは覚束ない。数歩先で勝手に転び、刀を弾かれた隊士はもちろん、みんな驚いたように私を見つめて動きを止めた。

「な……なぜ邪魔を!」
「なぜって……それは……。き、斬ってはダメです!!」
「しかし! こいつはお前を斬ろうとしていたのだぞっ!」

 それってつまり……私を助けるために、咄嗟に斬りかかったってこと?
 だとしたら、その気持ちは凄くありがたいと思う。
 けれど、やっぱり人を斬るなんて受け入れられない……。

 そうなる前に動くべきだったのだと後悔するも、俯いている時間なんてない。
 次も上手く防げるとは限らないのだから、転がった男が再び動き出す前に、今度こそ行動しないと!
 片手に収まったままの刀をぎゅっと握りしめ、隊士たちの顔をしっかりと見た。

「あ、あのっ! ここは私に任せてくださいっ!」

 呆然とする隊士たちに向かって、そう声を上げるのだった。
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