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【 落の章 】
051 原田さんと買い物
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今日の私は隊務も当番もなく、いわゆる非番と呼ばれる休みだった。
午後からは買い物へ出るつもりなので、休みと言えど、午前中だけでも稽古場へ行くつもりでいたのだけれど。
いたのだけれどもなぁ……。
「おい」
すぐ隣から土方さんの声がした。
「非番だろ? どっか行ってくりゃいいじゃねぇか」
「午後からは出るつもりです」
「それまでどうすんだ? まさかとは思うが、そのままじゃねぇだろうな?」
「稽古場へは行くつもりだったんです。でもですね、空を見てください。恐ろしいくらいの曇天なんですよ。曇天!」
曇り空なんて言い方は生ぬるいくらい厚い雲が空を覆っていて、まさしく曇天。同じ意味だとわかってはいるけれど、気分的に曇天の方がしっくりくるぐらいの曇天。
昨日と違って日射しも届かないから、空気は冷える一方でますます寒い。おかげで、部屋から出るにはそれ相応の覚悟と勇気がいる。
「お前の場合、天気は関係ねぇだろ。晴れてても寒い寒い言って、そうやって火鉢に張りつきっぱなしじゃねぇか」
「だって寒いんですっ!」
寒いのは苦手だ。夏の暑さは耐えられても、冬の寒さだけは無理。
「ったく。そこにいられると邪魔なんだよ」
火鉢が置いてあるのは文机の隣なので、必然的に、文机に向かって仕事をする土方さんとの距離は近い。
「じゃあ、壁際行くんで火鉢持っていっていいですか?」
「それじゃ、俺が寒いだろうが!」
「じゃあ、土方さんも我慢してください。私も寒いの我慢してるんです」
とんでもない屁理屈に反論もできないほど呆れたのか、邪魔だけはするなよ! と言われただけで済んだ。
これで心置きなく火鉢に張りついていられる!
……なんて喜んでみたものの、ただ火鉢に張りついているのは正直暇で、忙しそうな土方さんに声をかけてみる。
「墨でもすりましょうか?」
「ああ、じゃあ頼む」
墨をすり始めたところで、土方さんが思い出したようにこちらを見た。
「そういえば、お前が捕えた岩崎三郎だが、堀田摂津守家来の西条幸次郎という人物だったらしい」
「よくわかりませんけど、わざわざ新選組……あ、壬生浪士組の名前を騙らなくてもいいのに」
「大方、新選組は強請集団とでも思われてるんだろう」
さらっと言い放ったけれど、それってどうなのさ! 狼の次は強請集団か!?
側でみんなの頑張りを見ているだけに、本当に腹が立ってくる!
「そう怒るなよ」
「だって……土方さんは悔しくないんですか?」
みんな命がけで京の町を守っているのに、好き放題言われるだけじゃなく、その名を騙った強請まで起きたのに!
「前にも言ったが、俺らの仕事は人気取りじゃねぇ。それに、そうやってお前が代わりに怒ってくれるからな。それでいいさ」
「土方さん……」
副長という立場からしたら、こんなことでいちいち腹を立ててはいられないのかもしれない。
「じゃあ、怒らないでくださいね?」
訝しみながらも、ああ、と苦笑する土方さんにすかさず謝った。
「ごめんなさい……墨、跳ねちゃいました」
「……は? って、おい! 紙に跳ねてんじゃねぇか!」
「怒らないって言ったじゃないですか!」
「馬鹿野郎! それとこれとは話が別だろうが!」
何だかんだで、仕事の合間に私のくだらない世間話にもつき合ってくれて、火鉢に張りついたままお昼を迎えたのだった。
午後もこのまま……といきたいところだけれど、今日はそういうわけにもいかない。せっかくの非番なので、斎藤さんに返すための手拭いを買いに行くのだ。
ただ、昼まで待てば少しは気温も上がるかと期待していたのに、さすがは曇天……甘かった。
断腸の思いで火鉢に別れを告げ、部屋を出て暇そうな人を探した。もう、一人で外へ出ても怒られることはないけれど、正直まだ少し心細い。
廊下を歩いていると原田さんが横切るのが見え、咄嗟に声をかけながら駆け寄り、買い物につき合ってもらえないかと訊いてみた。
「夕暮れまでなら暇だからいいぞ」
「ありがとうございます! お願いします!」
原田さんとともに町へ出れば、手拭いが売っているおすすめの店を教えてもらい、さっそく店内へ入った。
想像以上に色々な柄があって、見ているだけでも楽しめる。あれもこれもと目移りしそうになるけれど、今は店先に原田さんを待たせているので、店主のアドバイスを聞きながら手短に選ぶことにした。
定番の豆絞りという水玉模様の柄と、青海波という波がいくつもつらなった柄に決めた。
大海原の波のように、未来永劫平穏が続き、幸せに暮らせるようにと願いの込められた文様らしい。新選組にいると難しいけれど、少しでも平穏な日々が過ごせることを願ってそれにした。
会計も無事に済ませ店を出ようとした時、ふと、出入口付近に陳列してある赤い小袋が目に留まった。
赤地に小さな梅がいくつか刺繍された可愛い小袋で、思わず手に取れば、突然、耳のすぐ横から声がした。
「守り袋か?」
「え?」
反射的に声のした方を振り向けば、すぐ目の前に原田さんの横顔がある。背後に立ち、背を丸めるようにして、肩口から私の手元を覗き込んでいる状態だった。
「うわぁ!」
あまりの顔の近さに驚き、変な声が出た。
「悪い、驚かせちまったか?」
「い、いえ? 大丈夫です」
半歩下がりつつ、跳ね上がった心臓を落ちつかせていると、原田さんの目が何やら楽しげに細められた。
「さては、女への贈り物か? そういうの興味なさそうなふりしてたが、お前もやっぱり男だったんだなー」
「へ? 誰にもあげませんよ? 強いていうなら自分用? 可愛いなぁって見てただけですし」
お財布代わりにするにはちょっと小さいけれど、とっても可愛い。
「自分用って。お前、見た目だけじゃなく、好みも女っぽいのな」
え……あっ! 男装しているんだった!!
慌てて小袋を元に戻すと、近くに陳列してあるさっきよりも少し大きめの、シンプルな黒い巾着を手に取った。
「これ、これ買ってきますっ! お金入れるのに丁度よさそうなんで!」
再び会計を済ませれば、残ったお金をさっそく巾着の中にしまった。
慌てていたとはいえ、もう少し洒落たものにすればよかったと若干後悔するも、誰に見せるわけでもないしいいか……といまだ冷やかすような視線を寄越す原田さんの背中を押して店を出た。
ついこの間、斎藤さんにもバレてしまったばかりなのに、ここで原田さんにまでバレたりしたら、土方さんの雷が計り知れないのでそれだけは避けたい。
もう少し、言動には気をつけないといけないな……。
屯所へ向かって歩きながら、ふと、先ほどの原田さんの言葉を思い出す。言動には気をつけようと思ったばかりだけれど、気になるものは気になるわけで。
話を蒸し返す覚悟で訊いてみた。
「そういえば、守り袋って何ですか?」
「えっ!? 守り袋も知らねえのか!?」
知りません。知らないから訊いているのですよ!
「……あ、悪い。そういやお前、記憶がねえんだったな」
あ、そうです。そういえば、そんな便利設定ありました!
そんな私をどこか哀れみながらも、原田さんは守り袋について教えてくれる。
守り袋とは、その名の通りお守りを入れる袋のことらしい。
一瞬、どういうこと? と思ったけれど、この時代はお守りを買っても袋には入っておらず、小さなお札をもらうだけなので袋は自分で用意するのだそう。
ちなみに、私が手にした梅柄の小さな守り袋は懸け守りといって、長い紐がついているので首や肩から斜めがけにして身につけるらしい。
袋に入った状態が当たり前だと思っていたけれど、自分で好きな袋を選べるって、お洒落でちょっといいなと思うのだった。
守り袋について理解できた頃、進行方向に甘味屋の看板が目に入り、いくらか食欲の戻った山南さんが、甘いものを食べたいと言っていたことを思い出した。
「すみません、原田さん。ちょっとだけ寄り道してもいいですか?」
「ん? どこ行くんだ?」
原田さんに説明し了承を得ると、一緒に甘味屋の暖簾をくぐる。片手でも食べやすい串団子をお土産用に数本注文すると、十四、五才の、笑顔の可愛い元気な女の子が、慣れた手つきで手早く包んでくれた。
「さっきの女の子、可愛かったですね」
店を出たあと、笑顔の印象的だった女の子について話を振ってみるけれど。
「そうだったか? 悪い、ちゃんと見てなかった」
「えー、元気もあって、凄く可愛かったのに」
「ほほう。惚れちまったか?」
「なっ! どうしてそういう方向に持って行くんですか。まぁ、原田さんはモテそうだから浮いた話も多そうですけど!」
土方さんや藤堂さんもそうだけれど、原田さんもいわゆるイケメンだ。おまけに背も高い。
普通に考えてモテないわけがない……と思うのだけれど、何だか少しイラッとしてつい嫌味を言ってしまった。
「残念ながら、俺はこう見えて意外と一途なんだよ」
反撃も空しく、笑ってさらりとかわされるのだった。
午後からは買い物へ出るつもりなので、休みと言えど、午前中だけでも稽古場へ行くつもりでいたのだけれど。
いたのだけれどもなぁ……。
「おい」
すぐ隣から土方さんの声がした。
「非番だろ? どっか行ってくりゃいいじゃねぇか」
「午後からは出るつもりです」
「それまでどうすんだ? まさかとは思うが、そのままじゃねぇだろうな?」
「稽古場へは行くつもりだったんです。でもですね、空を見てください。恐ろしいくらいの曇天なんですよ。曇天!」
曇り空なんて言い方は生ぬるいくらい厚い雲が空を覆っていて、まさしく曇天。同じ意味だとわかってはいるけれど、気分的に曇天の方がしっくりくるぐらいの曇天。
昨日と違って日射しも届かないから、空気は冷える一方でますます寒い。おかげで、部屋から出るにはそれ相応の覚悟と勇気がいる。
「お前の場合、天気は関係ねぇだろ。晴れてても寒い寒い言って、そうやって火鉢に張りつきっぱなしじゃねぇか」
「だって寒いんですっ!」
寒いのは苦手だ。夏の暑さは耐えられても、冬の寒さだけは無理。
「ったく。そこにいられると邪魔なんだよ」
火鉢が置いてあるのは文机の隣なので、必然的に、文机に向かって仕事をする土方さんとの距離は近い。
「じゃあ、壁際行くんで火鉢持っていっていいですか?」
「それじゃ、俺が寒いだろうが!」
「じゃあ、土方さんも我慢してください。私も寒いの我慢してるんです」
とんでもない屁理屈に反論もできないほど呆れたのか、邪魔だけはするなよ! と言われただけで済んだ。
これで心置きなく火鉢に張りついていられる!
……なんて喜んでみたものの、ただ火鉢に張りついているのは正直暇で、忙しそうな土方さんに声をかけてみる。
「墨でもすりましょうか?」
「ああ、じゃあ頼む」
墨をすり始めたところで、土方さんが思い出したようにこちらを見た。
「そういえば、お前が捕えた岩崎三郎だが、堀田摂津守家来の西条幸次郎という人物だったらしい」
「よくわかりませんけど、わざわざ新選組……あ、壬生浪士組の名前を騙らなくてもいいのに」
「大方、新選組は強請集団とでも思われてるんだろう」
さらっと言い放ったけれど、それってどうなのさ! 狼の次は強請集団か!?
側でみんなの頑張りを見ているだけに、本当に腹が立ってくる!
「そう怒るなよ」
「だって……土方さんは悔しくないんですか?」
みんな命がけで京の町を守っているのに、好き放題言われるだけじゃなく、その名を騙った強請まで起きたのに!
「前にも言ったが、俺らの仕事は人気取りじゃねぇ。それに、そうやってお前が代わりに怒ってくれるからな。それでいいさ」
「土方さん……」
副長という立場からしたら、こんなことでいちいち腹を立ててはいられないのかもしれない。
「じゃあ、怒らないでくださいね?」
訝しみながらも、ああ、と苦笑する土方さんにすかさず謝った。
「ごめんなさい……墨、跳ねちゃいました」
「……は? って、おい! 紙に跳ねてんじゃねぇか!」
「怒らないって言ったじゃないですか!」
「馬鹿野郎! それとこれとは話が別だろうが!」
何だかんだで、仕事の合間に私のくだらない世間話にもつき合ってくれて、火鉢に張りついたままお昼を迎えたのだった。
午後もこのまま……といきたいところだけれど、今日はそういうわけにもいかない。せっかくの非番なので、斎藤さんに返すための手拭いを買いに行くのだ。
ただ、昼まで待てば少しは気温も上がるかと期待していたのに、さすがは曇天……甘かった。
断腸の思いで火鉢に別れを告げ、部屋を出て暇そうな人を探した。もう、一人で外へ出ても怒られることはないけれど、正直まだ少し心細い。
廊下を歩いていると原田さんが横切るのが見え、咄嗟に声をかけながら駆け寄り、買い物につき合ってもらえないかと訊いてみた。
「夕暮れまでなら暇だからいいぞ」
「ありがとうございます! お願いします!」
原田さんとともに町へ出れば、手拭いが売っているおすすめの店を教えてもらい、さっそく店内へ入った。
想像以上に色々な柄があって、見ているだけでも楽しめる。あれもこれもと目移りしそうになるけれど、今は店先に原田さんを待たせているので、店主のアドバイスを聞きながら手短に選ぶことにした。
定番の豆絞りという水玉模様の柄と、青海波という波がいくつもつらなった柄に決めた。
大海原の波のように、未来永劫平穏が続き、幸せに暮らせるようにと願いの込められた文様らしい。新選組にいると難しいけれど、少しでも平穏な日々が過ごせることを願ってそれにした。
会計も無事に済ませ店を出ようとした時、ふと、出入口付近に陳列してある赤い小袋が目に留まった。
赤地に小さな梅がいくつか刺繍された可愛い小袋で、思わず手に取れば、突然、耳のすぐ横から声がした。
「守り袋か?」
「え?」
反射的に声のした方を振り向けば、すぐ目の前に原田さんの横顔がある。背後に立ち、背を丸めるようにして、肩口から私の手元を覗き込んでいる状態だった。
「うわぁ!」
あまりの顔の近さに驚き、変な声が出た。
「悪い、驚かせちまったか?」
「い、いえ? 大丈夫です」
半歩下がりつつ、跳ね上がった心臓を落ちつかせていると、原田さんの目が何やら楽しげに細められた。
「さては、女への贈り物か? そういうの興味なさそうなふりしてたが、お前もやっぱり男だったんだなー」
「へ? 誰にもあげませんよ? 強いていうなら自分用? 可愛いなぁって見てただけですし」
お財布代わりにするにはちょっと小さいけれど、とっても可愛い。
「自分用って。お前、見た目だけじゃなく、好みも女っぽいのな」
え……あっ! 男装しているんだった!!
慌てて小袋を元に戻すと、近くに陳列してあるさっきよりも少し大きめの、シンプルな黒い巾着を手に取った。
「これ、これ買ってきますっ! お金入れるのに丁度よさそうなんで!」
再び会計を済ませれば、残ったお金をさっそく巾着の中にしまった。
慌てていたとはいえ、もう少し洒落たものにすればよかったと若干後悔するも、誰に見せるわけでもないしいいか……といまだ冷やかすような視線を寄越す原田さんの背中を押して店を出た。
ついこの間、斎藤さんにもバレてしまったばかりなのに、ここで原田さんにまでバレたりしたら、土方さんの雷が計り知れないのでそれだけは避けたい。
もう少し、言動には気をつけないといけないな……。
屯所へ向かって歩きながら、ふと、先ほどの原田さんの言葉を思い出す。言動には気をつけようと思ったばかりだけれど、気になるものは気になるわけで。
話を蒸し返す覚悟で訊いてみた。
「そういえば、守り袋って何ですか?」
「えっ!? 守り袋も知らねえのか!?」
知りません。知らないから訊いているのですよ!
「……あ、悪い。そういやお前、記憶がねえんだったな」
あ、そうです。そういえば、そんな便利設定ありました!
そんな私をどこか哀れみながらも、原田さんは守り袋について教えてくれる。
守り袋とは、その名の通りお守りを入れる袋のことらしい。
一瞬、どういうこと? と思ったけれど、この時代はお守りを買っても袋には入っておらず、小さなお札をもらうだけなので袋は自分で用意するのだそう。
ちなみに、私が手にした梅柄の小さな守り袋は懸け守りといって、長い紐がついているので首や肩から斜めがけにして身につけるらしい。
袋に入った状態が当たり前だと思っていたけれど、自分で好きな袋を選べるって、お洒落でちょっといいなと思うのだった。
守り袋について理解できた頃、進行方向に甘味屋の看板が目に入り、いくらか食欲の戻った山南さんが、甘いものを食べたいと言っていたことを思い出した。
「すみません、原田さん。ちょっとだけ寄り道してもいいですか?」
「ん? どこ行くんだ?」
原田さんに説明し了承を得ると、一緒に甘味屋の暖簾をくぐる。片手でも食べやすい串団子をお土産用に数本注文すると、十四、五才の、笑顔の可愛い元気な女の子が、慣れた手つきで手早く包んでくれた。
「さっきの女の子、可愛かったですね」
店を出たあと、笑顔の印象的だった女の子について話を振ってみるけれど。
「そうだったか? 悪い、ちゃんと見てなかった」
「えー、元気もあって、凄く可愛かったのに」
「ほほう。惚れちまったか?」
「なっ! どうしてそういう方向に持って行くんですか。まぁ、原田さんはモテそうだから浮いた話も多そうですけど!」
土方さんや藤堂さんもそうだけれど、原田さんもいわゆるイケメンだ。おまけに背も高い。
普通に考えてモテないわけがない……と思うのだけれど、何だか少しイラッとしてつい嫌味を言ってしまった。
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