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【 落の章 】
026 逢魔が刻
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一日の稽古を終え部屋へ戻ると、土方さんがいた。
疲れた身体を壁に預けるようにして座り、両手を天井に向けて伸びをする。
「んーっ。あ、そういえば沖田さんから伝言です。巡察は特に異常なしだそうです」
巡察に出ない日は文机に向かって書き物をしていることが多いその背中に、ついさっき言付かったばかりの沖田さんからの伝言を伝えた。
「そうか」
それだけ?
総司の奴、自分で報告に来やがれ! お前も引き受けてんじゃねぇ!
……くらいは言われると思っていたのに、予想に反して短い返事があっただけだった。
まさか、私の髪を切ったことをまだ引きずっている?
けれど、それともまた雰囲気が違う気がして、聞くに聞けずしばらくの間考えていれば、突然、近くから声がした。
「さっきから何をそんなに考えてやがる?」
「――っ!?」
声の主は、目の前で胡座をかいて腕を組んでいた。
というか、さっきまでそっちの文机で書き物をしていなかったか? 全く気がつかなかったのだけれど、土方さんは忍者か何か?
「う~ん、う~んって、さっきからうるせぇんだよ」
「へ? そんなこと言ってませんよ、私」
確かに考え事はしていたけれど、声を出したつもりはないし、そもそも考え事をしながら唸るそんないかにもな人、わざとでないならそうそういないと思う。
「お前……気づいてねぇのか?」
「何がですか?」
僅かな沈黙のあと、土方さんは大きなため息をついてそのまま考え事を始めてしまった。
その姿は、右手の人差し指を軽く顎に当て、時折、首を傾けう~ん、う~んと唸っていて……って、あまりの忙しさに、とうとう壊れてしまったのか!?
慌てて土方さんの両腕を掴めば、前後に強く揺さぶりながら捲し立てる。
「大丈夫ですか!? 仕事が忙しいのはわかりますが、たまにはちゃんと休んだ方がいいです! あ、あと、余計なお世話かもしれませんが、これっぽっちも可愛くないですからね? むしろ、その笑ってない目が逆に怖――」
「ぉ……お前っ!」
突然、大声を出した土方さんは、私の両手を荒々しく振り払い肩をわなわなと震わせている。
もしかして、怒っている? それとも、可愛くないと言われたことがそんなにショックだった?
そうこうしているうちに、眉間には皺まで刻まれ始めるから、今度は震える肩を押さえつけるようにして掴んだ。
「怒らせてしまったならごめんなさい! そんなにショックを受けるとは思いませんでした。すみません。とりあえず落ちつきましょう!」
「しょっく? って、落ちつくのはお前だ!」
「どうどう」
「てめっ。俺はただ、お前の真似をしただけだっ! 馬鹿野郎!」
……真似?
「おい」
「……えーっと?」
「本当にわかってねぇのかよ……」
すでに怒りを通り越したらしい土方さんは、ぽかんとする私の両手をすっと外し、一つ深いため息をついてから説明し始める。
どうやら考え事をしている私の姿は、さっき土方さんがやってみせたように、いかにもなのだという。
言われてみれば……と指摘されて思ったものの、いくら何でもあからさますぎだろう!
しかも、無自覚だったなんて!
「初めて会った時から思ってはいたが、お前はわかりやすいんだよ。感情も考えてることも、全て顔や態度に出てる」
「そ、それを言うなら、土方さんだってわかりやすいですよ? さっきだって怒ったり、怒ったり……怒った……り? 」
「ああ? 怒ってばっかじゃねぇか!」
「ほらまた怒った! あっ! でもさっきは考え事もしてましたっけ?」
「おい。人の話聞いてたか? あれはお前の真似だって言っただろうが! お前と一緒にすんじゃねぇ。この耳は節穴か?」
そう言って、私の左耳を引っ張りこれ以上の反論は許さんとばかりに睨んでくる。
ほ、ほら! こういうところがわかりやすいんだってば!
そしてさらに睨まれるっ! なぜだー!
ようやく解放された耳を摩っていれば、開け放たれた障子の向こうへ顔を向けた土方さんが、視線を戻すことなく呟いた。
「俺は……お前と違って隠し事もするし、嘘だってつく。目的のためなら、他人を欺くことさえ平気でできるような人間だからな……」
突然、何?
さっきまでとはまるで違う雰囲気に、妙な胸騒ぎを覚えた。
「土方さん?」
表情の見えない横顔に呼びかければ、はっとしたように振り返る。
土方さんはふっと表情を和らげると、片手を伸ばし、まるで幼子をあやすようにポンポンと私の頭を撫でた。
「お前の正直で嘘がつけない、馬鹿みてぇに真っ直ぐなところは、いいところなんじゃねぇの」
そう言って土方さんは立ち上がると、障子の前へと移動し、空を見上げて一度だけ深呼吸をした。
「直に暗くなる。俺は今から出てくるが、お前はもう、今日は外に出るな」
「……はい。もともと、出るつもりはないですよ」
夜でも当たり前のように明るい現代の生活に慣れた私にとって、この時代の夜は暗く静かすぎる。
たとえ頼まれたとしても、一人だけで外を歩くのは絶対に嫌だ。
そもそも、ここへ来てからのおよそ一カ月、外へ出る時は土方さんの言いつけ通り試衛館出身の人と一緒なので、まだ一人で屯所の外へ出たことはない。
土方さんは、巡察や所用で昼夜問わず部屋を開けることも少なくないので、この部屋で一人過ごしたことがないわけじゃない。
とはいえ、昼ならまだしも、日が暮れてから一人で過ごすというのは正直寂しい。テレビもスマホも何にもない。話し相手さえいないこの部屋は、深い静寂に包まれてしまうから。
そんな寂しさを紛らわせるように、私も土方さんの隣に並んでみた。
そうしてしばらくの間、ただ一緒に空を見上げた。
旧暦の九月。
現代の新暦と旧暦では多少のズレがあるから、十月くらいだろうか。
時折、私たちの髪を揺らしていく風は、昼間とは違って冷たい。
徐々に失われていく茜と広がる藍。残照に染まる土方さんの横顔は、思わず息を飲んでしまうほどに儚げで美しい。
――――逢魔が刻。
昼と夜が入れ代わる刻。人ならざるものに出逢うかもしれない刻。
目の前の美しいこの人も、いつしか鬼と呼ばれてしまうんじゃなかったっけ……。
ふと、そんな記憶がよみがえった。
疲れた身体を壁に預けるようにして座り、両手を天井に向けて伸びをする。
「んーっ。あ、そういえば沖田さんから伝言です。巡察は特に異常なしだそうです」
巡察に出ない日は文机に向かって書き物をしていることが多いその背中に、ついさっき言付かったばかりの沖田さんからの伝言を伝えた。
「そうか」
それだけ?
総司の奴、自分で報告に来やがれ! お前も引き受けてんじゃねぇ!
……くらいは言われると思っていたのに、予想に反して短い返事があっただけだった。
まさか、私の髪を切ったことをまだ引きずっている?
けれど、それともまた雰囲気が違う気がして、聞くに聞けずしばらくの間考えていれば、突然、近くから声がした。
「さっきから何をそんなに考えてやがる?」
「――っ!?」
声の主は、目の前で胡座をかいて腕を組んでいた。
というか、さっきまでそっちの文机で書き物をしていなかったか? 全く気がつかなかったのだけれど、土方さんは忍者か何か?
「う~ん、う~んって、さっきからうるせぇんだよ」
「へ? そんなこと言ってませんよ、私」
確かに考え事はしていたけれど、声を出したつもりはないし、そもそも考え事をしながら唸るそんないかにもな人、わざとでないならそうそういないと思う。
「お前……気づいてねぇのか?」
「何がですか?」
僅かな沈黙のあと、土方さんは大きなため息をついてそのまま考え事を始めてしまった。
その姿は、右手の人差し指を軽く顎に当て、時折、首を傾けう~ん、う~んと唸っていて……って、あまりの忙しさに、とうとう壊れてしまったのか!?
慌てて土方さんの両腕を掴めば、前後に強く揺さぶりながら捲し立てる。
「大丈夫ですか!? 仕事が忙しいのはわかりますが、たまにはちゃんと休んだ方がいいです! あ、あと、余計なお世話かもしれませんが、これっぽっちも可愛くないですからね? むしろ、その笑ってない目が逆に怖――」
「ぉ……お前っ!」
突然、大声を出した土方さんは、私の両手を荒々しく振り払い肩をわなわなと震わせている。
もしかして、怒っている? それとも、可愛くないと言われたことがそんなにショックだった?
そうこうしているうちに、眉間には皺まで刻まれ始めるから、今度は震える肩を押さえつけるようにして掴んだ。
「怒らせてしまったならごめんなさい! そんなにショックを受けるとは思いませんでした。すみません。とりあえず落ちつきましょう!」
「しょっく? って、落ちつくのはお前だ!」
「どうどう」
「てめっ。俺はただ、お前の真似をしただけだっ! 馬鹿野郎!」
……真似?
「おい」
「……えーっと?」
「本当にわかってねぇのかよ……」
すでに怒りを通り越したらしい土方さんは、ぽかんとする私の両手をすっと外し、一つ深いため息をついてから説明し始める。
どうやら考え事をしている私の姿は、さっき土方さんがやってみせたように、いかにもなのだという。
言われてみれば……と指摘されて思ったものの、いくら何でもあからさますぎだろう!
しかも、無自覚だったなんて!
「初めて会った時から思ってはいたが、お前はわかりやすいんだよ。感情も考えてることも、全て顔や態度に出てる」
「そ、それを言うなら、土方さんだってわかりやすいですよ? さっきだって怒ったり、怒ったり……怒った……り? 」
「ああ? 怒ってばっかじゃねぇか!」
「ほらまた怒った! あっ! でもさっきは考え事もしてましたっけ?」
「おい。人の話聞いてたか? あれはお前の真似だって言っただろうが! お前と一緒にすんじゃねぇ。この耳は節穴か?」
そう言って、私の左耳を引っ張りこれ以上の反論は許さんとばかりに睨んでくる。
ほ、ほら! こういうところがわかりやすいんだってば!
そしてさらに睨まれるっ! なぜだー!
ようやく解放された耳を摩っていれば、開け放たれた障子の向こうへ顔を向けた土方さんが、視線を戻すことなく呟いた。
「俺は……お前と違って隠し事もするし、嘘だってつく。目的のためなら、他人を欺くことさえ平気でできるような人間だからな……」
突然、何?
さっきまでとはまるで違う雰囲気に、妙な胸騒ぎを覚えた。
「土方さん?」
表情の見えない横顔に呼びかければ、はっとしたように振り返る。
土方さんはふっと表情を和らげると、片手を伸ばし、まるで幼子をあやすようにポンポンと私の頭を撫でた。
「お前の正直で嘘がつけない、馬鹿みてぇに真っ直ぐなところは、いいところなんじゃねぇの」
そう言って土方さんは立ち上がると、障子の前へと移動し、空を見上げて一度だけ深呼吸をした。
「直に暗くなる。俺は今から出てくるが、お前はもう、今日は外に出るな」
「……はい。もともと、出るつもりはないですよ」
夜でも当たり前のように明るい現代の生活に慣れた私にとって、この時代の夜は暗く静かすぎる。
たとえ頼まれたとしても、一人だけで外を歩くのは絶対に嫌だ。
そもそも、ここへ来てからのおよそ一カ月、外へ出る時は土方さんの言いつけ通り試衛館出身の人と一緒なので、まだ一人で屯所の外へ出たことはない。
土方さんは、巡察や所用で昼夜問わず部屋を開けることも少なくないので、この部屋で一人過ごしたことがないわけじゃない。
とはいえ、昼ならまだしも、日が暮れてから一人で過ごすというのは正直寂しい。テレビもスマホも何にもない。話し相手さえいないこの部屋は、深い静寂に包まれてしまうから。
そんな寂しさを紛らわせるように、私も土方さんの隣に並んでみた。
そうしてしばらくの間、ただ一緒に空を見上げた。
旧暦の九月。
現代の新暦と旧暦では多少のズレがあるから、十月くらいだろうか。
時折、私たちの髪を揺らしていく風は、昼間とは違って冷たい。
徐々に失われていく茜と広がる藍。残照に染まる土方さんの横顔は、思わず息を飲んでしまうほどに儚げで美しい。
――――逢魔が刻。
昼と夜が入れ代わる刻。人ならざるものに出逢うかもしれない刻。
目の前の美しいこの人も、いつしか鬼と呼ばれてしまうんじゃなかったっけ……。
ふと、そんな記憶がよみがえった。
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