落花流水、掬うは散華―歴史に名を残さなかった新選組隊士は、未来から来た少女だった―

ゆーちゃ

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【 落の章 】

023 大坂の吉田屋にて

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 翌朝、切羽詰まった様子の永倉さんに起こされた。
 綺麗に整頓された部屋を見渡して、片づけの途中、少し休憩のつもりで壁に寄りかかり、そのまま寝てしまったのだと理解した。

「あっ……すみません。片づけの途中で寝ちゃったみた――」
「そんなことはどうでもいいんだ。春、落ちついて聞け。まずいことになった」

 そう言って、私の両肩に手を乗せる永倉さんの顔はかなり青い。

「芹沢さんが、小寅とお鹿の首をねると言い出した。それで、お前もただじゃ済まないかもしれない」
「……は? 二人の首を、刎ねる? 私も!?」

 どうやら昨夜、小寅さんが肌を許さなかったことやお鹿さんと示し合わせてまで拒んだことに、相当腹を立てているらしい。
 そして、そんな小寅さんを庇ったあげく、平手打ちまでかました私にもご立腹なようで、いつ私の首も刎ねると言い出してもおかしくない状況なのだと。

「とにかく、これ以上機嫌を損ねるのはまずい。今からお前も一緒に吉田屋へ行くぞ。少しだけ手を回しておいたから、そこまで悪いようにはならんと思うが、駄目だったらすまん」

 いやいやいや、すまんって何? 駄目だったらって何? 首が飛ぶの!?
 そもそも、フラれた腹いせに殺すだなんてありえないから!

 永倉さん曰く、芹沢さんの機嫌を直そうとすでに使いをやって、吉田屋というお店にたくさんの芸妓と酒宴を用意しているらしい。
 そして私たちがついた後、偶然を装い土方さんたちも合流するようにしてあるのだと。
 ……って、土方さんたちはまだ帰っていないのか!
 夜通し楽しんでいたのか? こっちは大変だったというのに!



 急いで支度を終えると、芹沢さんと永倉さんの後ろを黙って歩いた。
 言いたいことはたくさんあるけれど、火に油を注ぐようなものだから、と黙っているよう永倉さんに言われている。
 とはいえ、芹沢さんの背中は不機嫌そのもので、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。

 吉田屋へつくと、入り口には綺麗に着飾った芸妓や仲居がずらりと並んでいて、笑顔で芹沢さんを出迎えた。
 それでも芹沢さんの怒りは治まらなかったのか、そのうちの一人、仲居の肩をすれ違い様に鉄扇で打ちつけ気絶させてしまった。
 思わず咎めるように芹沢さんの名前を呼ぶも、こちらを一瞥することもなく、お店の中へと入っていった。

 何もできない悔しさに立ち尽くしていれば、後ろから肩を叩かれた。
 振り返れば、私を見下ろす土方さんと、斎藤さんと平山さんだった。

「悪かったな。あとは何とかする」

 土方さんはそう言い残し、芹沢さんのいる部屋へと向かうのだった。



 上座に座る芹沢さんは、脇息にもたれ、閉じた鉄扇で自分の肩を不機嫌そうに叩いている。
 土方さんと平山さん、そして、永倉さんと斎藤さんも座り、私も末座に座った。

 しばらくすると、京屋の主人に連れられた小寅さんとお鹿さんがやって来た。
 芹沢さんは初め、吉田屋の主人を呼びつけたのだけれど、所用で不在らしく、代理として京屋の主人が対応することになったのだった。

 正直、本当に所用で不在なのかはわからない。
 けれど、こんな横暴な芹沢さんを前に逃げ出したって、誰も文句は言わないと思う。二人を連れて来なければ、この店を粉々に壊すと脅したくらいだから。それくらい、今日の芹沢さんは機嫌が悪い。
 そもそも、二人を呼ぶ前に話し合いをしたかったのに、話を切り出そうとする土方さんを無視して芹沢さんが強引に呼んだのだった。

 芹沢さんの前でひれ伏し頭を下げ続ける二人を見下ろして、芹沢さんが容赦なく言い放った。

「小寅、お鹿、さっそくだが昨夜の無礼、その命をもって償ってもらおうか」

 どこかで質の悪い冗談だと思っていただけに、さも当たり前のような物言いに耳を疑った。
 衝撃的過ぎて、誰よりも先に言葉が口を衝いて出る。

「芹沢さん! それ、本気で言ってるんですか!? どうみても悪いのは芹沢さんじゃないですか! 逆恨みもいいところです!」
「逆恨み? 勘違いするなよ? 武士に対して無礼な態度をとった。だからこれは、無礼打ちだ」
「無礼打ちだろうと逆恨みだろうと、やろうとしてることは同じじゃないですか! フラれたから殺す……。その発想がおかしいって言ってるんです!」

 嫌がる女性を無理やり抱くなんて犯罪だ。それを拒まれたから殺そうだなんてありえない。どうすればそういう考えに至るのか!
 当たり前のように杯を傾ける芹沢さんを見て、今回ばかりは酔ったうえでの悪い冗談だと思いたい。
 逸らすことなく芹沢さんを見据えていると、土方さんが割って入った。

「なぁ、芹沢さん。新選組筆頭局長ともあろうあんたが色恋沙汰で女を斬ったなんて知れたら、新選組もあんたの名にも傷がつく。隊士たちにも示しがつかねぇ。酒の席でのことだ、手心を加えてやってもいいんじゃねぇか?」
「武士に無礼を働いた者を咎めず許せと言うか。ふん、所詮は百姓、いや、薬売りか? いずれにせよ、武士の出ですらないお前には到底わからんか」

 芹沢さんの口調は嘲笑するような、もの凄く馬鹿にした言い方だった。それを受けた土方さんのまとう空気も、一瞬で変わったのがわかった。

「……ああ、わからねぇな。生憎、俺はあんたみてぇな武士になりたいわけじゃねぇんだよ」

 一触即発、そんな雰囲気だった。

 だいたい武士が何なの。無礼打ちだか何だか知らないけれど、武士なら何をしても許されるのか?
 二人が言い合いをするのは勝手だ、好きにすればいい。
 けれど、芹沢さんの前で震えて泣き出した小寅さんとお鹿さんを、このまま放っておくわけにはいかない!

「小寅さんとお鹿さんは何も悪いことなんてしていないんです。嫌なことを嫌と言うのも許されないんですか、ここは! 何が無礼打ちですか……無礼なのはむしろ、芹沢さんの方じゃないですか!」

 芹沢さんに向けて言ったはずなのに、なぜか平山さんに思いきり睨まれた。

「琴月っ! 近頃の芹沢先生に対するお前の言動は目に余る。どこの馬の骨ともわからないお前を拾っていただいた恩を忘れたか!? 分をわきまえろ!」
「分をわきまえろって……。こんな理不尽な理由で人が殺されてもいいって言うんですか!? 本気で芹沢さんのことを思うなら、どうして止めないんですか! ご機嫌がとれればそれでいいんですか!?」
「黙れっ!」

 平山さんが自身の横に置いてあった刀を掴めば、すかさず土方さんと永倉さんが身を乗り出し止めに入る。
 今にも抜刀しそうな平山さんの片目はこの上なく鋭いけれど、怯んでいる暇なんてない。

 ここは幕末。私が思うよりずっと、人の死は身近なものなのかもしれない。
 それでも、こんなふざけた理由で二人が殺されていいはずがない。
 それに、こんなことさせたら、芹沢さんの暗殺を近づけるだけだ!

 両手を強く握りしめ、再び口を開こうとしたところで斎藤さんの視線に気がついた。

「琴月、それくらいにしておけ」
「っ! 何でですか!? 私、間違ったことは言ってません!」

 睨みつけるように反論するけれど、斎藤さんだけでなく、土方さん永倉さんまでもが黙ってろとでも言うように私の名前を呼ぶ。
 どうして私を止めるのか。今止めるべきは私じゃなくて、芹沢さんなのに!
 悔しくて思わず唇を噛めば、芹沢さんが私に向かって口の端を釣り上げた。

「なぁ、春。そこまでこの俺に楯突くからには、それなりの覚悟はできてるんだろうな?」
「覚悟って……。私を殺すんですか?」
「それでも構わんが、ここはお前のいた場所とは違うようだからな。今回は命までは取らん」

 私から視線を外した芹沢さんは、いまだこうべを垂れ泣き続ける小寅さんとお鹿さんを見下ろした。

「小寅、お鹿。本来なら無礼打ちにしてくれるところだが、気が変わった。断髪を申しつける。その代わり……」

 そう言って、再び私へ視線を戻す。

「春、お前もだ。それでこの場は収めてやろう」

 とことん理不尽だと思う。
 それでも、内心ほっと胸を撫で下ろせば、小虎さんとお鹿さんがさらに泣いて訴えた。

「髪は命と同じくらい大事なもんなんや!」

 “髪は女の命”、そんな言葉を思い出す。
 彼女たちは、商売柄見た目も重要なことは理解できるけれど、死んでしまっては元も子もない。

「春、どうする? 二人の首とお前の髪、好きな方を選べ」
「切ります」

 迷うことなんて何もない。





 断髪の準備はすぐに整い、土方さんが小寅さんの、平山さんがお鹿さんの横に立った。
 やれ、とただ一言、芹沢さんが言い放てば、二人がそれぞれ脇差しを抜く。

 そこからはあっというまだった。
 綺麗に結い上げられた二人の長い髪は、刀を動かすたびに頬へ落ちていき、耳を塞ぎたくなるような悲痛な嗚咽が部屋に響いた。

 私の番になれば、平山さんがやると申し出るも芹沢さんが了承しなかった。
 芹沢さんがやるのかと思ったら、まるでさっきの当てつけのように土方さんを指名した。

「ちょっと待ってくれ! 何で俺が……」
「ならば平山にやらせるか? 今の平山は、手元が狂ったと言って首までねかねんぞ?」

 そう冗談めかすけれど、ちらりと見た平山さんは、さっきのやり取りをまだ根に持っているようで、私を映す隠されていない片目がギラギラと光っている。とてもじゃないけれど、冗談では済まされない気がする。
 申し訳ないと思いつつも土方さんを見れば、舌打ちとともに承諾してくれた。

 小寅さんとお鹿さんをいつまでも引き留めておくのは可哀想で、土方さんの側へいき、座ると同時に切りやすいよう少しだけ俯いた。

「お願いします」

 再び脇差しが引き抜かれる音がすると、土方さんは私の髪を結い紐ごと強く引っ張る。
 そして、パサリ、パサリと短くなった髪が頬へと落ちてくる。同時に、馬鹿野郎……という小さな呟きも落ちてきた。

「芹沢さん、これでいいだろう?」

 そう言って、土方さんは役目を終えた脇差しを納刀した。
 けれど、視界の横に入る短くなった髪は、小寅さんたちのそれより若干長い気がした。

「ふん、まぁよい。だが良く聞け、土方。時に非情に成りきることも必要だぞ? でなければ、その甘さに漬け込まれ足元を掬われることになるからな」

 土方さんは返事をしなかったけれど、やっぱり、私のは少し手加減したのかもしれない。

 京屋の主人とともに小虎さんとお鹿さんが部屋を出て行くと、私もすぐにあとを追った。

「小寅さん、お鹿さん、ごめんなさい!」

 二人の前に回り込み、床におでこをつけて謝った。
 命は助かったけれど、失った髪も、命と同じくらい大切だと言っていたから。そんな大切なものを、私の独断で失わせてしまったから。

「急にどないしたん!? 顔上げて?」

 慌てた様子で私を起こす二人の髪は、綺麗な着物には不釣り合いなほど短く乱れている。

「私の力が及ばず、お二人の大切な髪を……」
「何言うてんの! 謝らなあかんのはこっちや。うちらのせいで、琴月さんまで巻き込んでしもうた。せやけどな、嬉しかったんよ。うちらの代わりに色々言うてくれたさかい、少しすっきりしたんや。ほんまおおきに」

 その瞬間、堰を切ったように溢れ出す感情は、雫となって私たちの頬を伝い落ちるのだった。
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