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【 落の章 】

005 文久三年、八月十五日②

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 嘘みたいな出来事も、ハッキリと言葉にしてしまえば一気に現実味を帯びる。
 血液が身体中を巡る音を聞きながら、やけに冴えた頭で計算していった。

「平成三十一年、昭和六十四年、大正十五年、明治四十五年……その前は、文久? いや……慶応? 自信ないや。でも、それだけで百五十年以上……」

 私に向けられる視線が痛いけれど、そんなものは全部無視して持っている知識を総動員する。
 土方さんは知らないと言うけれど、土方歳三といえばやっぱり新選組で、新選組といえば幕末だ。
 そして幕末といえば……。

「黒船は来ましたか?」
「お前、本当に大丈夫か? 十年前にあれが来て以来、日本中大騒ぎじゃねぇか」

 もの凄くバカにされた気がするけれど、今はイチイチ反論している場合じゃない。すでに黒船が来たということは、やっぱり幕末の京都で間違いないだろう。
 小さく息を吐き出して、大雑把に頭と心の整理をつけた。

「えっとですね、自分でも信じられないんですけど……どうやら私、百五十年以上も先の未来から来ちゃったみたいです」

 当然のごとく全員がぽかんとした。
 井上さんなんて、ついに手から徳利を滑らせた。
 そして、いい加減にしろ! と怒鳴る新見さんを宥めるのはやっぱり芹沢さんで、どこか楽しげに口の端をつり上げる。

「なぁ、春。本当に未来から来たというなら、今ここでそれを証明してみせろ」

 淡い笑みを浮かべながらも、私を捉える視線は相変わらず鋭い。
 スマホでもあれば、きっと信じてもらえただろう。あんなに探したのに、バッグすら見つからなかったけれど。

 他に証明できる物はないかと、パンツのポケットや服の上から身体中を探ってみるけれど。何も出てこない。何も持っていない。
 服を着ていただけマシだったのかも……。

 ……って、別に物じゃなくたっていいんじゃ?
 だって、未来から来た私は今後起こり得る出来事を知っている。それは、私にとってここが過去であるがゆえに成り立つ証明だ。

 文久三年、幕末って何があったっけ。
 明治維新……は、まだ明治ではないし。せめて西暦がわかればと思うものの、よく考えたら大した歴史知識は持っていないうえに、幕末限定……。
 しばらく考えたけれど、やっぱりない知識は引っ張り出せなかった。

 それに、芹沢さんは今ここでと言っていたっけ。
 明治維新の話をしたところで、芹沢さんが求めている答えとは違う。

「ごめんなさい。今すぐには証明出来そうにないです……」

 やはりな、と鼻で笑うのは新見さんで、井上さんは、それは残念、と優しく微笑んだ。
 芹沢さんと土方さんは、私の顔をじっと見ているだけで何だかいたたまれない。
 こんなことなら、兄の話だけでも真面目に聞いておけばよかった……と心底後悔すれば、突然、芹沢さんが笑い出した。

「そうか。なぁ、春。これからどうするんだ? 何処か行く当てはあるのか?」
「……いえ」
「だそうだ。土方、此奴をお前の小姓にでもしてやれ」
「はぁ!? あんた何言ってんだ? こんな素性もわからねぇ奴を側に置けるか! そもそもこいつは女だぞ!」

 私が驚きの声をあげるより早く、土方さんが全力で拒否したけれど、その主張はもっともだと思う。
 芹沢さんはここへ来てからずっと飲んでいるし、おそらく相当酔っている。

 とはいえ、当てがなく困っているのは事実。
 街頭もない真っ暗闇で野宿なんてしたくはないし、どこか泊まれる場所を紹介してもらいたいのだけれど……。
 声を出すのをためらうほど、問題の当事者を差し置いて二人はなおも激しいやり取りをしている。

「男の格好でもさせとけばいいだろう」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
「ほう? 小娘に寝首を掻かれるのが恐ろしいか」
「そんなんじゃねぇ! そもそもこいつに興味があんのはあんただろう。なら、あんたの小姓にすりゃいいじゃねぇか」
「……ほう。ならば俺の側に置いておくか。じゃじゃ馬を手懐けるのも一興だな」

 芹沢さんのその一言に、部屋の空気が変わるのがわかった。それまで成り行きを見守っていた井上さんも、ちらりと土方さんを見て呟く。

「おい、歳……」
「……チッ。わかったよ! こっちで面倒見りゃいいんだろっ!」

 どうやら私に選択肢は与えられないのか、いくつかの条件を提示する土方さんを中心に、どんどん話が進んでいった。
 反対しようものならすぐにでも放り出されそうな勢いに、ひとまず寝床の確保を優先するべく黙って聞いていた。

 土方さんの出した条件はいくつかあった。
 土方さんの小姓となり、男のふりをして生活すること。
 女であることはもちろん、未来から来たことも隠すこと。
 そして、この事は今ここにいる人の胸の内に秘め、絶対に口外してはいけないというものだった。

「近藤さんにもか?」

 井上さんがそう訊ねた。
 つい首を傾げてしまえば、優しく微笑まれる。

近藤勇こんどう いさみさんと言って、壬生浪士組のもう一人の局長だ」
「近藤勇……さん」

 ……って、新選組局長と同じ名前じゃないか。
 それなのに壬生浪士組? と視線を横へずらせば土方さんに睨まれた。
 思わず首を竦めるも、そんな私を無視して井上さんに向き直る。

「あの人のことだ、身寄りもねぇ女が困ってると知ったら、自分が世話するなんて言い出すだろう? こいつの目は嘘を言ってるようには見えねぇが、俺はまだ信用したわけじゃねぇんだ。そんな奴を近藤さんの側に近づかせるわけにはいかねぇだろ」

 正直、驚いた。信用されていないのは当然として、タイムスリップだなんて、嘘みたいな話は信じてくれたみたいな言い方だ。
 けれど、ちらりと土方さんを見やればじろりと睨み返される。
 だから怖いってば!

 ……力んだせいか、お腹が鳴った。
 途端に襲いくる空腹感と、優しい井上さんの勧めには抗えず、お膳の上の食事に手をつけた。

 しばらくすると仲居がやって来て、手にした着物一式を土方さんに手渡した。受け取るなり、今度は私に差し出し顎で隣の部屋を指し示す。

「今なら隣の部屋が空いてるらしい。着替えてこい」

 つまり、男性用の着物ということだろう。
 仕事の早さに驚くけれど、重大な問題が一つ。

「着方がわからないのですが……」

 その瞬間、水を打ったようにしんとした。
 ……うん。この時代の人にとっては日常着だし、一人で着られて当然だろう。
 でもね、百五十年も経てば、一人で着られる人はそう多くないんだからね!

「はぁ……源さん、頼めるか?」

 俺が!? と井上さんも一瞬驚いていたけれど 、すぐに苦笑まじりで了承してくれた。

 凄く申し訳ないけれど、いくら井上さんが優しくて良い人そうとはいえ、素っ裸で着付けてもらうのはさすがに抵抗がある。
 けれど、準備よくサラシも用意されていたので、それを胸に巻いてからお願いした。それでも、出来る限り視線を外してくれていたので、やっぱり良い人だと思う。





 
 夜も更けてきて、壬生浪士組が寝泊まりする屯所へ向かうべく角屋をあとにした。
 かなり飲んでいるように見えた芹沢さんだけれど、井上さん曰く、今日はあれでも抑えている方だという。
 普段はどれだけ飲むのかとその背中を見つめていたら、突然、振り返った。

「うわぁ!」
「何を驚いてる? 別に捕って喰ったりはせんぞ。まぁ、お前がこれから行くのは狼の巣だがな。喰われちまわないよう、せいぜい気をつけろよ」
「えっ!?」

 豪快に笑っているけれど、そもそもその狼の巣に連れていくことにしたのは芹沢さんなのだけれど。
 これだから酔っぱらいは!
 呆れて視線を外せば、夜空にはまぁるいお月様が鎮座していた。

「あっ、満月」
「中秋の名月だな」

 隣を歩いていた土方さんも、空を見上げていた。
 中秋の名月……旧暦八月十五日のことだっけ。
 まさか、幕末で十五夜を迎えることになるとは思わなかった……。

 兄と京都旅行へ来ただけなのに、車に轢かれ目覚めたらそこは幕末で、新選組によく似た壬生浪士組に拾われて、なぜか土方歳三の小姓として一緒に生活することになった。
 このままのたれ死ぬのは嫌なので、元の時代に帰れるまでの辛抱だと諦め腹をくくるけれど。
 ちゃんと帰れるよね? 大丈夫だよね……?

 前向きなのか後ろ向きなのか、自分でもよくわからないけれど。
 ふと隣を見れば、月明かりに照らされた横顔も、いまだまぁるい月を見上げたままだった。
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