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3.王妃と筆頭魔法使い
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王太子夫妻の住まいである西の離れと王宮本館は、二階の渡り廊下でつながっている。
眼下には美しい庭園が広がっているが、今のセラにはそれを見る余裕が――心の余裕がない。ただ、先導するテオドールの広い背中と、揺れるマントを眺めていた。
二人きりになっても、テオドールは決して気安く話しかけてこない。お互いに休憩は終わり、今は職務中なのだから、時と場合を弁えた振る舞いをするのはとうぜんだ。もしここで彼が浮かれたような態度を見せていたら、セラは軽蔑の眼差しを向けていた。
だからセラも、宮廷魔法使いとして彼へ声をかける。
「騎士殿、貴方も休憩中のところ、お手を煩わせて申し訳ありません」
「お気になさらず」
少しだけ振り返った彼の横顔には、余所行きの笑みが浮かんでいた。すぐに正面を向いた彼の背中に向けて、セラは少し本音を漏らす。
「王太子殿下のお気遣い、とてもありがたく存じます。殿下のご指摘のとおり、本館は不慣れですので……」
セラはそこで言葉を切った。これ以上の『事実』を、彼の耳に入れる必要はない。
(王太子付きの騎士と共にいれば、聞こえよがしに悪口を言われることもそうそうないだろう)
魔女と呼ばれるだけならばまだマシな方だ。
最近では、わざわざ学生時代のセラの成績や素行を調べあげて、それを悪口の種にする者もいる。
宮廷魔法使いになるため魔法協会の幹部に色目を使ったのだろう、という類のことを、もっとあけすけな言葉で嘲笑されたときは、恥辱のあまり死ぬかと思った。
相手が格下の人間だったら百倍にして言い返していたが、宮廷ではセラがいちばんの下っ端。身分、実力、経験、なにもかもが足りず、後ろ盾さえない。ゆえに、誰に対しても逆らうことはできず、ただ身を縮めてやり過ごすしかない。
渡り廊下を抜けて本館へ足を踏み入れると、にわかに空気が変わる。内装は離れよりも質素だが、ピリピリとした緊張感のようなものが漂い始めるのだ。
初めてここを訪れた際、これが『宮廷の空気なのか』とセラは息を呑んだ。みな、笑顔の仮面をかぶりながら、後ろ手に刃物を隠している。一挙手一投足を観察され、少しでも間違えば陰でなにを言われるかわからない。
貴族社会というものをある程度理解はしていたが、宮廷となれば一味も二味も違っていた。それに加えて、同僚である魔法使いたちからの蔑み。
もし王太子夫妻の住まいが離れではなくここだったら……と想像するだけで吐き気がこみ上げる。
だが、テオドールがいてくれるだけで、その息苦しさがだいぶ緩和されるような気がした。数人の魔法使いと行き違ったが、案の定、煩わしそうな視線を向けられるだけで、不快な囁きは聞こえてこない。
セラは安堵の息をこらえながら、表向きは凛とした表情を保ち、姿勢よく歩く。テオドールはこちらの歩幅に合わせてくれているようで、無理に足を速める必要はなかった。
何度か角を曲がったあと、目的地である王妃の執務室へ到着した。
重厚な扉の前で、セラは息を整える。
「ご案内ありがとうございます。とても助かりました」
礼を述べながらテオドールの表情をうかがうと、セラを案じるように眉尻を下げていた。なんと声をかけていいかわからないでいるようだ。
まあ、気遣ってくれるのは単純に嬉しい。だが、ここで弱音を吐いてもなにも変わらない。セラの苦悩は、テオドールには決して解決できるものではないのだ。
「では、行って参ります」
セラは口元だけで笑って、扉をノックする。
***
「今月もだめでしたか……」
峻険な顔立ちの王妃は、セラを見て大きく嘆息する。きつく結い上げた黒髪は、彼女の厳しい性格を表すかのように、ただ一筋のほつれさえない。
その背後に控える年齢不詳の赤毛の男は、宮廷魔法使い筆頭のオーブリー。細い目の奥に宿る光は粘着質かつ冷ややかで、セラをじっと見つめている。
二人からの強烈な視線にさらされるセラは、まさしく蛇に睨まれた蛙だった。
「ロズリーヌの身体にはなんの問題もないのでしょう? なぜちっとも子ができないのですか?」
王妃は心底あきれたように言った。セラが宮廷勤めを始めて三か月、ロズリーヌに月の物がくるたび、こうして呼び出しがかかる。今回に至ってはまだ月経が始まってさえいないのに。
王妃の焦りも理解できる。王太子シルヴァンは一人っ子で、彼に万が一のことがあれば、世継ぎ問題で王国が揺れる。
「ご期待に沿えず、まことに申し訳ございません……」
セラは粛然とこうべを垂れつつ、内心で毒づいた。
(なぜ子ができぬ、とわたしに問われても困る。あんたの息子にも言ってくれ)
ロズリーヌの妊娠に関して、セラにできることなど限られており、その範囲で力を尽くしている。それよりも王太子に『もっと妻を抱け』と命じた方がずっと有意義ではないか。
「……ロズリーヌは食事を残しがちのようですね」
再度大きく嘆息したあと、王妃は話題を変える。セラは慎重に言葉を選んだ。
「はい、それは……ロズリーヌ様は香辛料の強い料理や、味の濃い料理を苦手としておられます。厨房にも伝えたのですが……」
「わたくしが取り下げました」
ぴしゃりとした王妃の声に、セラは目を丸くする。
「この国の味に慣れてもらわねば困ります。それに、健康な子を産むには、あの娘は細すぎる。もっと食事量を増やし、身をふっくらさせるべきでしょう」
「は、はい、ロズリーヌ様の体重に関してはわたしも同意いたします。故国では、輿入れ前に体型が変わらないよう食事を制限されていたと聞きました。しかしそれゆえに、急激に食事量を増やし、味を変えては逆効果です。幸い、ロズリーヌ様の性周期は安定しておりますし、月経痛の類もございません。今は事を急がず、ストレスをかけないよう伸び伸びと過ごさせて差し上げることが吉報への近道かと存じます」
王妃は厳しい人間だが、決して『わたくしに逆らうな・意見するな』という傲慢極まりない性格ではない。正論で諭せば理解してもらえる。
「しかしながら、一日でも早い懐妊を望まれるのでしたら、帝国から生殖分野に特化した魔法使いを呼び寄せることもご検討されてはいかがでしょうか」
「……生殖分野、ですか」
王妃が興味深そうに『ふむ』と唸ったのをセラは聞き洩らさなかった。
(食いついた!)
セラは決してその場しのぎでこういった提案をしたのではない。早急な結果を求めるのであれば、専門家に任せるのが最善だからだ。
「はい、卵巣や子宮にフォーカスした検査を行うのです。同時に、王太子殿下も――」
ゴホン、と大きな咳払いが聞こえ、セラは思わず言葉を止めて音の発生源へと視線をやった。
わざとらしく話を遮ったのは、筆頭魔法使いのオーブリー。長年王室に仕え、国王夫妻の信頼篤い男。王妃と執務室で二人きりになることを許されているくらいなのだから、相当なものだろう。
「我が国の王室に、帝国の魔法使いの介入を許すのは浅慮に過ぎる。そもそも、生殖分野の魔法は未だ発展途上。ロズリーヌ様のお身体を被検体にするようなもの。ましてや、シルヴァン様に不妊の原因があるかのような物言いは無礼千万。口を慎め」
「不妊の原因が女性側だけにあると断じるのは、時代遅れです」
王妃がセラの話に食いついてくれたことに気を大きくして、ついオーブリーに対して口答えしてしまった。年齢不詳の男の顔に、ありありと不快感が浮かぶ。
しまった、と口ごもるセラに冷ややかな一瞥をくれたあと、オーブリーは王妃に向かって早口でまくし立てる。
「帝国人が守秘義務を順守する保証はありません。もしロズリーヌ様のお身体になんらかの問題が見つかれば離婚も止む無しとなりますが、そういった王室の恥部を帝国あるいは周辺諸国に吹聴されかねません。口止め料を要求される可能性さえございます」
「……そうですね」
王妃が険しい顔でうなずく。たしかに、外国人に王家の内情を知られるのは問題がある。
セラは歯噛みしながら、次なる意見を提案する。
「ならばせめて、専門家を招いて技術指導を――」
「王妃殿下」
セラの言葉をまたもやオーブリーが遮った。王妃に対して忠臣の口調で呼び掛けながら、凍てつくような視線でセラを射抜いた。
「今月もまたロズリーヌ様ご懐妊とはなりませんでしたが、いずれ必ず吉報がもたらされましょう。我ら宮廷魔法使い一同、全力を尽くす所存です」
(強引に話を打ち切りやがった!)
セラ以外の魔法使いはロズリーヌに関わっていないというのに、どうやって一同が全力を尽くすというのか。
いや、これは口実だ。適当に話を切り上げて、王妃とセラを分断させる気だ。
オーブリーは王妃の御前まで進み出ると、深々とこうべを垂れた。
「殿下、少しおそばを離れることをお許しください。わたしはこの不束者を送り届ける道すがら、筆頭として『指導』を行いますゆえ。たいへんお聞き苦しい内容になりますので、この場では到底口には出せません」
男の物言いに、セラはぞわぞわと背中を這うような嫌悪を感じた。
王妃は「ええ」と短く返答したあと、顎をしゃくってセラへ退室を促す。
一目散に逃げだしたい衝動を抑えながら、セラは己よりも背の低いオーブリーのあとに続いた。
***
執務室の扉を極力静かに閉めると、オーブリーが心底あきれ果てたような嘆息を漏らした。そのまま無言で歩き出したため、セラは渋々その背を追う。
セラはもちろんこの男が好きではない。宮廷魔法使いとしてお揃いのローブを着ていることさえおぞましいほどだ。
居丈高な物言いや冷ややかな目つきは誰に対しても変わらず、セラだけではなく宮廷内の多くの者に嫌われていると聞く。
それでも国王夫妻に長く仕え、彼らの危機を何度も救ってきたというのだから、宮廷魔法使い筆頭として王妃のそばに侍り、多くの者に畏敬の念を向けられるに相応しい男なのだと思うが……。
「王家には王家のやり方がある。能力も経験も足りぬ若輩者はしゃしゃり出ず、与えられた仕事だけをこなしていろ」
足早に歩きながら、オーブリーは冷たくそう吐き捨てた。彼の台詞の一言一句が、セラの心にぐさぐさと刺さる。
「しかしそれでは……」
反論しようと、セラは弱々しく口を開く。
このままでは、ロズリーヌが妊娠するまでセラが延々と責め立てられ続ける。できることを精一杯やっているにもかかわらず、王妃の焦燥と苛立ちをぶつけられるのは不毛に過ぎる。なにか手段を講じたいと考えてはいけないのだろうか。筆頭として、共に良案を考えてはくれないのだろうか。
儚い期待は、氷のように冷たい男の言葉で打ち砕かれた。
「二度は言わない。お前の代わりはいくらでもいる。お前が王宮を放逐された場合、お前の『推薦人』である学長の立場がどうなるか考えろ」
「……は」
まさかここで恩師の名を出されるとは思ってもおらず、セラはあんぐりと口を開けたまま固まる。
やや遅れて、カッと怒りが沸き上がり、すぐに悲しみが押し寄せ、やがて強い無力感がセラの心を黒く染めていった。
気力をなくし、緩慢に手足を動かすセラに、オーブリーは釘を刺すよう最後の一言を付け加えた。
「賢明な判断を期待する」
その後オーブリーは、無言でセラを渡り廊下の前まで送り届け、視線もくれずに去っていった。
眼下には美しい庭園が広がっているが、今のセラにはそれを見る余裕が――心の余裕がない。ただ、先導するテオドールの広い背中と、揺れるマントを眺めていた。
二人きりになっても、テオドールは決して気安く話しかけてこない。お互いに休憩は終わり、今は職務中なのだから、時と場合を弁えた振る舞いをするのはとうぜんだ。もしここで彼が浮かれたような態度を見せていたら、セラは軽蔑の眼差しを向けていた。
だからセラも、宮廷魔法使いとして彼へ声をかける。
「騎士殿、貴方も休憩中のところ、お手を煩わせて申し訳ありません」
「お気になさらず」
少しだけ振り返った彼の横顔には、余所行きの笑みが浮かんでいた。すぐに正面を向いた彼の背中に向けて、セラは少し本音を漏らす。
「王太子殿下のお気遣い、とてもありがたく存じます。殿下のご指摘のとおり、本館は不慣れですので……」
セラはそこで言葉を切った。これ以上の『事実』を、彼の耳に入れる必要はない。
(王太子付きの騎士と共にいれば、聞こえよがしに悪口を言われることもそうそうないだろう)
魔女と呼ばれるだけならばまだマシな方だ。
最近では、わざわざ学生時代のセラの成績や素行を調べあげて、それを悪口の種にする者もいる。
宮廷魔法使いになるため魔法協会の幹部に色目を使ったのだろう、という類のことを、もっとあけすけな言葉で嘲笑されたときは、恥辱のあまり死ぬかと思った。
相手が格下の人間だったら百倍にして言い返していたが、宮廷ではセラがいちばんの下っ端。身分、実力、経験、なにもかもが足りず、後ろ盾さえない。ゆえに、誰に対しても逆らうことはできず、ただ身を縮めてやり過ごすしかない。
渡り廊下を抜けて本館へ足を踏み入れると、にわかに空気が変わる。内装は離れよりも質素だが、ピリピリとした緊張感のようなものが漂い始めるのだ。
初めてここを訪れた際、これが『宮廷の空気なのか』とセラは息を呑んだ。みな、笑顔の仮面をかぶりながら、後ろ手に刃物を隠している。一挙手一投足を観察され、少しでも間違えば陰でなにを言われるかわからない。
貴族社会というものをある程度理解はしていたが、宮廷となれば一味も二味も違っていた。それに加えて、同僚である魔法使いたちからの蔑み。
もし王太子夫妻の住まいが離れではなくここだったら……と想像するだけで吐き気がこみ上げる。
だが、テオドールがいてくれるだけで、その息苦しさがだいぶ緩和されるような気がした。数人の魔法使いと行き違ったが、案の定、煩わしそうな視線を向けられるだけで、不快な囁きは聞こえてこない。
セラは安堵の息をこらえながら、表向きは凛とした表情を保ち、姿勢よく歩く。テオドールはこちらの歩幅に合わせてくれているようで、無理に足を速める必要はなかった。
何度か角を曲がったあと、目的地である王妃の執務室へ到着した。
重厚な扉の前で、セラは息を整える。
「ご案内ありがとうございます。とても助かりました」
礼を述べながらテオドールの表情をうかがうと、セラを案じるように眉尻を下げていた。なんと声をかけていいかわからないでいるようだ。
まあ、気遣ってくれるのは単純に嬉しい。だが、ここで弱音を吐いてもなにも変わらない。セラの苦悩は、テオドールには決して解決できるものではないのだ。
「では、行って参ります」
セラは口元だけで笑って、扉をノックする。
***
「今月もだめでしたか……」
峻険な顔立ちの王妃は、セラを見て大きく嘆息する。きつく結い上げた黒髪は、彼女の厳しい性格を表すかのように、ただ一筋のほつれさえない。
その背後に控える年齢不詳の赤毛の男は、宮廷魔法使い筆頭のオーブリー。細い目の奥に宿る光は粘着質かつ冷ややかで、セラをじっと見つめている。
二人からの強烈な視線にさらされるセラは、まさしく蛇に睨まれた蛙だった。
「ロズリーヌの身体にはなんの問題もないのでしょう? なぜちっとも子ができないのですか?」
王妃は心底あきれたように言った。セラが宮廷勤めを始めて三か月、ロズリーヌに月の物がくるたび、こうして呼び出しがかかる。今回に至ってはまだ月経が始まってさえいないのに。
王妃の焦りも理解できる。王太子シルヴァンは一人っ子で、彼に万が一のことがあれば、世継ぎ問題で王国が揺れる。
「ご期待に沿えず、まことに申し訳ございません……」
セラは粛然とこうべを垂れつつ、内心で毒づいた。
(なぜ子ができぬ、とわたしに問われても困る。あんたの息子にも言ってくれ)
ロズリーヌの妊娠に関して、セラにできることなど限られており、その範囲で力を尽くしている。それよりも王太子に『もっと妻を抱け』と命じた方がずっと有意義ではないか。
「……ロズリーヌは食事を残しがちのようですね」
再度大きく嘆息したあと、王妃は話題を変える。セラは慎重に言葉を選んだ。
「はい、それは……ロズリーヌ様は香辛料の強い料理や、味の濃い料理を苦手としておられます。厨房にも伝えたのですが……」
「わたくしが取り下げました」
ぴしゃりとした王妃の声に、セラは目を丸くする。
「この国の味に慣れてもらわねば困ります。それに、健康な子を産むには、あの娘は細すぎる。もっと食事量を増やし、身をふっくらさせるべきでしょう」
「は、はい、ロズリーヌ様の体重に関してはわたしも同意いたします。故国では、輿入れ前に体型が変わらないよう食事を制限されていたと聞きました。しかしそれゆえに、急激に食事量を増やし、味を変えては逆効果です。幸い、ロズリーヌ様の性周期は安定しておりますし、月経痛の類もございません。今は事を急がず、ストレスをかけないよう伸び伸びと過ごさせて差し上げることが吉報への近道かと存じます」
王妃は厳しい人間だが、決して『わたくしに逆らうな・意見するな』という傲慢極まりない性格ではない。正論で諭せば理解してもらえる。
「しかしながら、一日でも早い懐妊を望まれるのでしたら、帝国から生殖分野に特化した魔法使いを呼び寄せることもご検討されてはいかがでしょうか」
「……生殖分野、ですか」
王妃が興味深そうに『ふむ』と唸ったのをセラは聞き洩らさなかった。
(食いついた!)
セラは決してその場しのぎでこういった提案をしたのではない。早急な結果を求めるのであれば、専門家に任せるのが最善だからだ。
「はい、卵巣や子宮にフォーカスした検査を行うのです。同時に、王太子殿下も――」
ゴホン、と大きな咳払いが聞こえ、セラは思わず言葉を止めて音の発生源へと視線をやった。
わざとらしく話を遮ったのは、筆頭魔法使いのオーブリー。長年王室に仕え、国王夫妻の信頼篤い男。王妃と執務室で二人きりになることを許されているくらいなのだから、相当なものだろう。
「我が国の王室に、帝国の魔法使いの介入を許すのは浅慮に過ぎる。そもそも、生殖分野の魔法は未だ発展途上。ロズリーヌ様のお身体を被検体にするようなもの。ましてや、シルヴァン様に不妊の原因があるかのような物言いは無礼千万。口を慎め」
「不妊の原因が女性側だけにあると断じるのは、時代遅れです」
王妃がセラの話に食いついてくれたことに気を大きくして、ついオーブリーに対して口答えしてしまった。年齢不詳の男の顔に、ありありと不快感が浮かぶ。
しまった、と口ごもるセラに冷ややかな一瞥をくれたあと、オーブリーは王妃に向かって早口でまくし立てる。
「帝国人が守秘義務を順守する保証はありません。もしロズリーヌ様のお身体になんらかの問題が見つかれば離婚も止む無しとなりますが、そういった王室の恥部を帝国あるいは周辺諸国に吹聴されかねません。口止め料を要求される可能性さえございます」
「……そうですね」
王妃が険しい顔でうなずく。たしかに、外国人に王家の内情を知られるのは問題がある。
セラは歯噛みしながら、次なる意見を提案する。
「ならばせめて、専門家を招いて技術指導を――」
「王妃殿下」
セラの言葉をまたもやオーブリーが遮った。王妃に対して忠臣の口調で呼び掛けながら、凍てつくような視線でセラを射抜いた。
「今月もまたロズリーヌ様ご懐妊とはなりませんでしたが、いずれ必ず吉報がもたらされましょう。我ら宮廷魔法使い一同、全力を尽くす所存です」
(強引に話を打ち切りやがった!)
セラ以外の魔法使いはロズリーヌに関わっていないというのに、どうやって一同が全力を尽くすというのか。
いや、これは口実だ。適当に話を切り上げて、王妃とセラを分断させる気だ。
オーブリーは王妃の御前まで進み出ると、深々とこうべを垂れた。
「殿下、少しおそばを離れることをお許しください。わたしはこの不束者を送り届ける道すがら、筆頭として『指導』を行いますゆえ。たいへんお聞き苦しい内容になりますので、この場では到底口には出せません」
男の物言いに、セラはぞわぞわと背中を這うような嫌悪を感じた。
王妃は「ええ」と短く返答したあと、顎をしゃくってセラへ退室を促す。
一目散に逃げだしたい衝動を抑えながら、セラは己よりも背の低いオーブリーのあとに続いた。
***
執務室の扉を極力静かに閉めると、オーブリーが心底あきれ果てたような嘆息を漏らした。そのまま無言で歩き出したため、セラは渋々その背を追う。
セラはもちろんこの男が好きではない。宮廷魔法使いとしてお揃いのローブを着ていることさえおぞましいほどだ。
居丈高な物言いや冷ややかな目つきは誰に対しても変わらず、セラだけではなく宮廷内の多くの者に嫌われていると聞く。
それでも国王夫妻に長く仕え、彼らの危機を何度も救ってきたというのだから、宮廷魔法使い筆頭として王妃のそばに侍り、多くの者に畏敬の念を向けられるに相応しい男なのだと思うが……。
「王家には王家のやり方がある。能力も経験も足りぬ若輩者はしゃしゃり出ず、与えられた仕事だけをこなしていろ」
足早に歩きながら、オーブリーは冷たくそう吐き捨てた。彼の台詞の一言一句が、セラの心にぐさぐさと刺さる。
「しかしそれでは……」
反論しようと、セラは弱々しく口を開く。
このままでは、ロズリーヌが妊娠するまでセラが延々と責め立てられ続ける。できることを精一杯やっているにもかかわらず、王妃の焦燥と苛立ちをぶつけられるのは不毛に過ぎる。なにか手段を講じたいと考えてはいけないのだろうか。筆頭として、共に良案を考えてはくれないのだろうか。
儚い期待は、氷のように冷たい男の言葉で打ち砕かれた。
「二度は言わない。お前の代わりはいくらでもいる。お前が王宮を放逐された場合、お前の『推薦人』である学長の立場がどうなるか考えろ」
「……は」
まさかここで恩師の名を出されるとは思ってもおらず、セラはあんぐりと口を開けたまま固まる。
やや遅れて、カッと怒りが沸き上がり、すぐに悲しみが押し寄せ、やがて強い無力感がセラの心を黒く染めていった。
気力をなくし、緩慢に手足を動かすセラに、オーブリーは釘を刺すよう最後の一言を付け加えた。
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