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一章 ソフィアと魔王

不遇な対応

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 ガチャン。

「あ」

 大きな音をたてて割れたのはさっきまで私が持っていたフラスコ。寝不足で手元が狂ったとか、何もないところですっ転んだりしたわけじゃない。
 わざと私にぶつかってきた者のせい。

「あら? ごめんなさぁい、ドレスが当たっちゃったみたい」

 クスクスと笑う声はとても聞いたことのある。この国の姫、ユリリア。
 頭の高いところで結ばれているツインテールの髪色と同じ、柔らかなピンク色の瞳は黙っていれば可愛いと思う。
 そう、こうやって人にわざとぶつかって嫌な笑いを浮かべる人でなければ。

 普通だったら、わざとぶつかって更には人の物を壊しておいてクスクス言ってんじゃないよ、まずは謝罪だろマナーを学び直したら? くらいのことをやんわりと伝えていただろうけど、言葉が出てこなかった。
 私はその数週間の徹夜を走馬灯のように思い出していた。
 やっと進んだ、化学反応。出来た結晶の成分を分析するために、なんとか方法を考えて私の弟子であるチエリに相談しようと思っていた。
 進まない研究に何度、フラスコというワードがゲシュタルト崩壊して、夢ではフラスコと初デートをしていた。
 チエリにそれを話したら「気つけ薬でも飲みますか?」なんて言われてしまった。
 でもやっと成果が出せそうだったんだ。

 それがたった今、ダメにされた。

 自分の持っていたタオルで溢れた液体を吸わせて、割れたフラスコを包む。
 視界の端では姫であるユリリアが、自分に対して何も反応しない事につまらないと思っているのか顔をしかめていた。

「魔法が使えないくせに、道の真ん中歩かないでちょうだい」

 目尻が僅かに吊り上がっているユリリア。不機嫌になっているせいで目つきが更に鋭くなり、綺麗なドレスには似合わない大股で去っていく。
 やっぱり彼女はもう一度マナーを学び直した方がいいと思う。あれでは社交界デビューはとんでもなく赤っ恥をかく。むしろかけ。

 こんな“出来事”はつい最近始まったのではない。
 そもそもなんで私が姫なんかが居る場所に存在しているかというと、私もここに住んでいるからだ。えぇ、クレモデア王国の王城に。

 私の弟は二百年という長きに渡り、悪行を続けてきた魔王を倒した。それは今まで誰も成し遂げなかったこと。
 お祭り騒ぎになってそりゃもう、連日連夜騒がしいったらありゃしない。
 そして勇者となった弟、エルリックはクレモデア王国の国王に問われた。

 褒美として願いを聞こう、と。

 そこでエルリックが願ったのは二つ。
 一つ目はこれからもまだ旅を続けさせてほしい。その上で今までのように干渉はしないでほしい。
 二つ目は姉であるソフィアをクレモデア王国の王城に食客として招いてほしい。

 そう、つまりは私を食客として扱えということだ。
 聞いた時の感想。そんな事して、って頼んだっけ?
 聞こうにもエルリック一行だったチエリが土下座をしに来た時には、もうエルリック達は旅立って行った後だった。それにすぐに王城のから迎えが来ちゃったし。
 まあいっか、とここに住み始めたのは一ヶ月前。

 じゃあなんで食客なのに、お伽話に出てくるヒロインみたいに私が可哀想な立ち位置になっているか。
 こんなしょうもない嫌がらせが始まったのは明確である。

「ユリリア」

「ローレンお兄様!」

 うわ来た。
 ユリリアの名前を呼んだ声を耳が拾って、なんとか飲み込んだのはため息を褒めてほしい。
 豪華なドレスをはためかせてユリリアが履く低いヒールがコツコツと響く。向かう先は兄であるローレン王子。

 そして本日も開かれる講演会よろしくのように喋る喋る。ある事ない事の私の愚痴を堂々と目の前で言っていく。
 ある意味すごい。その図太さはこれから王室での覇権争いが起こった際には是非とも発揮してほしい。

「そうか、ユリリア。可哀想に」

 いやどこが? 地べたで壊れたフラスコ拾っている私、見えてる? 視野狭窄なんじゃないの?

 ユリリアと同じ髪色と瞳の色の持つローレン。
 僅かにつり目なことから鋭い雰囲気を持たれがちだけど、目尻のホクロがそれを和らげている。黙っていれば好青年だろう。そう、黙っていれば。
 だがあの妹あっての兄。悲しいかな、性格の捻くれようは同類である。
 兄に妹が虚言を言いつけるのも慣れてしまった光景だった。それを咎めることもなく、可哀想にとよしよしする光景も見慣れた。フラスコの中で変わらない反応以上に見ている気がする。
 そして最後の締めくくりはこれ。
 
「あーあ。ほーんと、ローレンお兄様は可哀想。こんな人を側室にしなきゃいけないなんて」

 これだ。ローレン次期国王の側室。
 え? 随分と素敵なご身分になったじゃない。素敵だわ羨ましいわ!
 ……と城下町では賑わっている。
 だが否定させてほしい。
 まっっったく嬉しくも本意でもなんでもない。
 私が薬草を取りにチエリと森に行っていた間に決まったことだ。帰ってきたら「側室になるんですね! おめでとうございます!」なんて近衛兵に言われたのだ。
 その時の私。え??? なに??? とエルリックが勝手に決めた食客よりも衝撃的なことだった。

 ことの発端は宰相の考えだった。
 誰よりも私という存在を大切にするには、この国で地位を築けば問題ないのでは? つまりは次期国王のローレンの側室になれば万事解決なのでは?
 それを酒の席でつい言ってしまった宰相に、同じく酒の席の将軍は確かにと大きく頷いたらしい。
 最初はただのたらればの話だった。それがいつのまにかたらればの話は予定の話になって、誰もがそれを祝福した。

 勇者の姉が次期国王の側室になる、と。

 王城は盛り上がり、城下町にも話が広がりたちまち再度訪れるお祝いムードにもう後には引けなかったらしい。
 そういうのは国のトップが諫めるべき事だけど、国王は当時、隣国へと会談をしに留守にしていた。

 更には次期国王であるローレンはその話を耳にして、側室ならばしてやらなくもない、宣った。
 その発言に意見出来る者など居るわけがない。そもそもローレンはユリリアの次に怒ったら面倒くさいタイプ。ネチネチネチネチと、永遠に言い続ける。
 それにそのまま側室に転べばメリットに勇者がこの国を守ってくれるかも、なんてよこしまな考えが広まり、誰もが待ったをかけるわけがなかったのだ。

 じゃあ何も問題なく側室になればいい、と問題が丸く収まるかのように見えたが、そうも上手くはいかない。そもそも私は側室なんかになりたくない。
 
 私はは一般国民。更には魔法も使えないし、功績という功績を残していない。

 するとどうなるか。
 今まで面白く思っていなかった人たちは、陰で悪口を言い始めるのは当たり前の摂理。
 側室を庇って好感度向上イベントか? と思われがちだけど、あのローレンである。
 それをローレンは自分の地位を危ぶめると思い、庇うのではなく同調するように叩き始めたのだった。

 そうすれば王城での味方なんて居ない。みんなして臭いものに蓋をするか、つり目兄妹と一緒になって嫌がらせをしてくるか。

 私の話を聞いてくれるのはチエリだけ。
 寂しい

 ――なんて思うわけがない。
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