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23話 守りたいだなんて笑っちゃう1

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 ブラッドリーは私の両手を掴みながら、しゃがみ込んで私に話し始めた。

「マリーが幸せになるなら、俺は満足なんだ」

 そう言って、少し眩しそうに愛おしそうに目を細める。
 大きな手。その手が私を包み込む。
 ブラッドリーさんの手のひらは少しだけ固い。手の甲も体術にも長けているからか豆が出来ている。
 これがブラッドリーさんの手。こんなに大きくて、逞しい手。だというのに、なぜこんなにも頼りなさそうに見えるのだろうか。

 婚約者さんとの指輪はダミーだった。
 前から婚約者さんはブラッドリーさんがはめている指輪のお揃いが欲しい、と強請ったのだ。だからブラッドリーさんは婚約者さんに渡した。そっくりだけど全く異なる指輪を。
 そこにGPS機能も盗聴用の魔法も施されていなかったのは、彼なりの謝罪なのだろうか。
 きっと婚約者――いや、彼女はブラッドリーさんから指輪を貰った時にすごく喜んだはず。あんなに好きだったんだ。
 幸せそうに笑って「大切にします」なんて言って、彼女のお守りみたいになっていただろう。大丈夫、まだ私は彼に愛されていると。
 ただその愛は片想いだ。なぜならブラッドリーさんは全く違うところを見ているのだから。

「だけど、まだ君は子供だ。そして俺が親権を持っている」

 まるで自分に言い聞かせるように、ブラッドリーさんは一つ一つの言葉をハッキリと発していく。見つめながら言葉を聞いていると、眉尻を下げてわずかに笑みを携えた眼差しと目が合う。
 困ったような泣きそうな表情で私に笑いかけてきた。
 時折見せるブラッドリーさんの表情。フィオナではなく、マリーにしか見せたことのない表情。
 私はこれに弱い。
 まるで迷子になった子供のようにも見える。少し不安そうに苦しそうに見えるその表情は、下手くそな笑顔で隠しきれていない。
 レオ・ブラッドリー、という人間はこういうところが不器用だ。
 冷徹になりきれなく、自分の気持ちを素直に伝えられず。
 それを知ったのは随分前だけど、確信出来たのは私が子供になってから。

「すまない。君を縛り付けて」

 その言葉を聞いて、私は彼に抱きついた。ぎゅっ、と首に腕を回して彼の肩口に顔を埋める。
 そんな私の背中をブラッドリーさんは、優しく手を添えた。

「ううん。私はブラッドリーさんがいいよ」

 その言葉に嘘は一つもない。
 だけど、心のどこかでくすぶるものがあった。
 なんで私じゃなくてあなたなの。フィオナじゃなくてマリーなの、と。
 私は彼の手を握ったことなんてない。ましてや抱きついたこともない。謝られたことだって、必要とされたことだって、何一つ言葉になかった。
 別にそれを私は欲してなかったし、そもそも私と彼はそんな関係じゃなかった。
 だって、イチャイチャするくらいなら仮眠室で睡眠を貪るか、テロ犯の行方が優先だったからね。
 別にそれでいい、と思ったのに。
 なんで今になって、こんな感情が出てくるんだろう。
 どうしてブラッドリーさんは、私じゃない私を必要とするんだろう。
 そんなの分かってる。私がマリーだからだ。ザントピアのギドに飼われていたから。
 私の存在価値はそれだけ。
 擦り寄るふりをして、少しだけブラッドリーさんの肩口を濡らしてしまったのは秘密だ。

「お茶会ってやつやるからお前も来い」
「……え?」

 翌日、クラスに着いて席に座った途端、私の隣に立って見下ろしながら高圧的な態度をするのはナルシアくん。
 なんて? と聞き返すように彼を見つめれば、眉間に皺を寄せて「だから」と語尾を強くする。

「この間、サーシャが開いただろう。あれは僕の地位を上げるためにやってくれたと言ってもいい」
「ああ。新商品のお披露目だったもんね。ナルシアくんが提案したやつ」
「そうだ。……その後色々あって、お茶会は途中でお開きになった。別に僕はそのままで全く構わないのだが、サーシャがそれを気にしている」

 緑色の瞳が僅かに動く。視線の先には自分の席に座っているサーシャ。
 前のアクセル全開のサーシャならば、私やナルシアくんに積極的に話しかけていただろう。だが今はその影すらない。背中は哀愁が漂っている。
 フォローしそうなホーエンさんは今日も休みらしい。本格的にあちらは職務に腰を入れたようだ。

「僕はお茶会の作法とかは知識でしか知らない。だからお前らが想像するものとは異なるし、まず資金がない」
「子供なんだから、ジュースにお菓子屋さんで買ったお菓子食べてれば問題ないと思う」
「複雑だが、そこはお前と同じ価値観で安心した」

 腕を後ろに隠していたナルシアくんは、右手を前に出す。その手には二通の手紙。招待状というやつだろう。
 一通は私宛だとして、もう一通はサーシャだろうか。それなら自分で渡した方がサーシャは喜ぶんじゃないかな。

「え」

 そんな事を考えながら宛名を見れば、つい声が出てしまう。
 レオ・ブラッドリー
 見間違えることなく、ナルシアくんの字体で書かれたもの。
 数秒間、宛名を見つめた後にナルシアくんを見上げる。彼は私の反応が分かっていたかのように、キッチリと閉めていた唇を僅かに開けて「お礼だ」と呟く。

「貴族というのは礼儀やお礼をしないとうるさいと言うからな。仕方なくだ」
「そっか」
「おままごとの延長線のようなものだが、それでいいならばと伝えてほしい。それに防衛機関長は多忙だし――」
「ブラッドリーさんは絶対に来るよ」

 絶対に。
 もう一度繰り返すと、ナルシアくんは僅かに強張っていた表情が緩んで「そっか」と言った。
 日時は二週間後。
 断言しておいてアレなんだけど、正直ブラッドリーさん本当に多忙だから時間あるのか怪しい。
 でもきっと彼なら来るだろう。
 遅刻してでも「申し訳ない」と子供に謝るには真面目過ぎるほどに、腰を折って謝るのだ。
 じゃあ誘わないでナルシアくんには「参加出来ないみたいだよ」と言えば、ブラッドリーさんを悩ませることはないのだろうけど、それではダメだ。
 彼は一人にしない。
 それは私が決めた事なのだから。

「なんのお菓子出すの? 手伝うよ」
「……あの人はなにが好きなんだよ」
「そうだなぁ。嫌いなものは知ってるけど、これ! っていう好きなものはないかも」
「嫌いなものは?」
「辛いもの」

 ナルシアくんは一度瞬きをして「辛いもの」と私の言葉を繰り返す。そして噴き出すように笑い始めた。

「分かった。沢山用意する」
「やめてあげて。絶対に食べるからあの人」
「律儀な性格だな」
「うん。彼ってそうなんだよ」

 真面目で頑固。ちょっと近寄りがたいイメージ。
 だけどとても優しくて律儀な人。
 私が昔居残りをさせられた時からずっと彼は知っている。
 だから少しでも彼の良さを理解してほしい。それが子供であれ。
 ナルシアくんから貰った手紙をカバンに入れて、僅かに口元が緩む。
 きっと渡したら驚くのだろう。そしてあまり変わらない表情が優しい眼差しになることは間違いない。
 その日のナルシアくんと私の話題はグレイスくんを誘うかどうするかだった。
 私は別にいいんじゃない? と言うに反して、ナルシアくんはずっと難しい表情。別に悪いやつではないしあの時仲直りしたし、というのが彼の言い分だ。
 ナルシアくんも随分と優しいよね。少しツンデレのツンが強いけど、そういう人ほどデレがご褒美だって聞いたことあるし。

「でもサーシャは顔真っ青にしそう」
「彼とサーシャは幼馴染だぞ」
「そうなの? ……あー」
「なんだよ。その、あー、は」

 なるほど。グレイスくんは幼馴染のサーシャに恋をしたのか。なんか分かる。堅物そうだし。
 幼馴染が片想い相手とはベタだけど、とても美味しい。それは叶うかは別として。

 下駄箱から外靴を出しながら「いーや別に?」と返せば、ナルシアくんは深入りすることなく「そうか」と言って終わった。
 今日の下校は一人でしていいのだろうか。連絡は来ていない。

「今日の迎えは?」
「なんか連絡来てないから一人で帰――」

「アラン!!」

 ろうかな、と続けようとした言葉は第三者によって遮られた。それも聞いたことのない女性の声。
 アラン。
 一瞬誰かな、と考えるけど、すぐに隣のナルシアくんの名前だと思い出す。ずっとファミリーネームで呼んでいたから忘れていた。
 ナルシアくんを見つめると、緑色の目をまん丸にして口は開いたまま何かを凝視している。
 信じられない、と驚愕した表情だ。
 視線の先が今しがたナルシアくんの名前を呼んだ人。
 誰だろう、とぼんやりと思いながら振り返る。

 緑色の髪。
 緑の瞳。

 まさか。

「――かあ、さん?」

 マキ・ナルシアがなんでここに居る。
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