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18話 譲れないもの2

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「ちゃんと戦え!! 男なら!!」

 グレイスくんがついに苛立ちが最高点に達したのか、未だに逃げて攻撃をしないナルシアくんに声を荒げた。
 グレイスくんの剣の切っ先からは、先ほどとは比べものにならない大きな火球。
 ああ、まずい。あれはいけない。
 近くに転がってきたナルシアくんの目線に合わせるようにしゃがんで、口早く危険を伝える。サーシャも駆け寄ってきて何度も首を横に振った。青い瞳はゆらゆらと揺れていて、今にも涙がこぼれそう。

「ナルシアくん。あれはダメだ。降参か攻撃した方がいいよ」
「いい。僕には考えがある」
「でもアランくん――」
「この決闘には正直何も生産性を感じない」

 ゆっくり立ち上がり、ホウキから杖へと形状変化魔法をかける。その間もこちらを少しも見てはくれない。
 サーシャはナルシアくんの言葉に少なからずショックを受けたんだろう。我慢していた大きな涙がポロリとこぼれ落ちた。
 当たり前だ。この決闘はサーシャとナルシアくんのこと。それに生産性もない、なんて好きな人に言われたら傷付くに決まっている。

 巻き込まれたとはいえ、これではサーシャがあまりにも可哀想だ。ナルシアくんの名前を呼ぼうと口を開いたと同時に、ナルシアくんが「でも」と言葉を続けた。

「僕はサーシャと話すことには価値があるし、何より僕が楽しい。僕の大切なものを第三者に奪われるなんて……もう嫌なんだ」

 最後の言葉は絞り出すように切望するような声。きっとナルシアくんはお母さんのことを言っているんだろう。
 つい私は口を閉じた。悪いのは私でもサンテールでもない。国の決めたことに不満はない。
 ただどんな悪人であろうと、一人の親である。親を求める気持ちは痛いほど理解しているつもりだ。

 火球がグレイスくんの剣の切っ先から離れる。ナルシアくんは同時のタイミングで、大きく一歩前進した。今まで逃げ回っていたのに、初めて、立ち向かう。
 そして高らかに叫んだ。

「アルゲオウェントス!!」

 ナルシアくんの杖から吹雪のような風が勢いよく火球を包む。だがそれだけじゃ勢いが少し弱まっただけ。二人の空間には蒸気が溜まっていき、なかなか視界が悪くなっていく。
 これでは何か事故が起きてもおかしくない。

「ブラッドリーさん!」
「まだだ」

 換気をするように言うためにブラッドリーさんを見上げる。あちらは言いたいことが分かっていたようで、二人の空間をただ見つめるだけ。魔法を使う仕草はしていない。
 周りも「止めたほうがいいのでは」と言い始めるが、ブラッドリーさんは指摘の言葉が聞こえないように表情は二人を見つめているだけ。

 火球の威力が弱まった。小さくなった火球を頃合いと見たように、ナルシアくんはまた杖を振るう。
 もうどちらも魔力はそこまでないだろう。むしろ子供なのにここまで使えるのがすごい。

 ナルシアくんの杖の先には大きな氷。それを火球目掛けて落とし、ナルシアくん本人はグレイスくんへと飛びかかった。まさかそんな行動には出るとは思っていなかったのか、グレイスくんの表情が驚き一色へと変化する。
 大きな蒸発音が響き渡る。
 直後、大量の蒸気と熱風。

「アランくんっ!!」

 サーシャの悲痛な声が響く。ホーエンさんの取り巻きが悲鳴を上げた。
 結界の中は大量の蒸気で見えない。大人の誰かが結界を解けと大きな声を上げるがブラッドリーさんは動くことはない。
 まだ、決闘の審判は下されてないのだ。

「……換気してあげたらいいんじゃないんですか」
「ああ」

 やっとブラッドリーの指先が魔法を使う。風の魔法を使えば、結界の中の蒸気は段々と無くなり、視界は良好なものへと変わる。
 クリアになった結界の中には二人の姿はない。あるのは、溶けかけの氷のドーム。
 パキパキ、と音を立てて崩れていく。

「あ――」

 氷のドームの中にはグレイスくんに馬乗りになったナルシアくん。グレイスくんは目を丸くしてナルシアくんを見つめて固まっている。
 氷のドームの壁面には杖と剣。

「どうなったの……?」

 サーシャの戸惑いの声が静かな空間に響く。

「あの杖と剣で氷の結界をナルシアくんが作ったんだよ。ブラッドリーさんの結界を真似して氷で作ったんだ」

 杖と剣に氷魔法と結界魔法をかけて媒介にしたんだろう。まだナルシアくんの魔力では媒介無しでは使えない。
 それを瞬時にあの時見定めた。
 恐ろしいほどに冷静で、学習能力の高い子供だ。

 グレイスくんが驚いて動けば、ナルシアくんの上体がグラリと地面へ倒れる。それを見て、グレイスくんは驚愕から怒りの表情へと変わった。

「なんで俺を助けた!? お前、なんで戦わないんだ! 決闘を分かってるのか!?」
「……分かってるよ」

 ゆっくり目を開けるナルシアくんは「あー最悪」と呟いた後に、大きく大きく溜め息を吐く。

「血が流れるよりも汗が流れたほうがいい」
「――それは」
「サーシャがよく言ってる言葉だろ? 僕もそれに賛成だ」

 サーシャの瞳が大きく大きく見開かれる。
 リリアム商会が大きくなった理由は二つある。
 新鮮で品質のいい商品を安く、お金があれば誰が買ってもいいこと。
 もう一つは戦争で働き場所を失った人たちに働き口を提供したこと。
 彼女の家は、戦争での被害をよく理解しているのだろう。失うものが多い戦争で傷付いた者がどれだけ居るか。それをサーシャは間近で見てきたのだ。
 だからこそ彼女は決闘と聞いて、頬を赤らめて喜ぶどころか顔色を悪くした。

 ああ、ナルシアくんは思った以上にサーシャのことが大切なんだろう。
 今は無意識でもその気持ちはきっと良いものへ変化するはず。

 グレイスくんはナルシアくんの言葉を聞いて、口を開いたり閉じたりして言葉を探す。だが何も言い返せないと思ったんだろう。
 寝転がるナルシアくんにグレイスくんは手を差し伸べた。ナルシアくんはその手を見ては不思議そうな表情をする。

「完敗だ」
「え?」
「お前、いや、アラン・ナルシアという人間を俺は見誤っていた。俺の負けだ。……審判」
「勝者、アラン・ナルシア。これで決闘は終了する」

 子供たちは驚いた表情で拍手して、グレイスくんも険しい表情から変わって和らいだ笑みで拍手をする。ただ一人、ナルシアくんだけは訳が分からない、といった表情だ。
 ナルシアくん、あまり人の気持ちとか察するの得意ではないからだろう。なんでいきなり敵意剥き出しの奴が友好的なのか理解出来ない、といった表情だ。

「ブラッドリーくん!」

 周りが祝福モードのなか、鋭い声がブラッドリーさんの名前を呼ぶ。それは今日のお茶会に招かれたホーエンくんの取り巻きのなかの親。
 目尻を吊り上げて、いかにも怒っています、と分かる表情。ブラッドリーさんは「はい」といつもと変わらない無表情のままだ。

「怪我があったらどうするんだ!?」
「それは起こらないよう私にあなた方は任せたのでは」
「そ、そうだ。そうだとも。だが、こんな軍人のような苛烈な争いなんて、子供にさせなくていいだろう! 怪我をしたらどう説明してくれるんだ」

 子供たちは大人の言い合いに不安そうな表情へと変わる。グレイスくんは他の親たちに「怪我はありませんか?」「何か不調は?」と取り囲まれている。グレイスくんはそれを面白くなさそうにうんざりとした表情だ。
 サーシャは大人の言い分に悲しそうに俯くけど、すぐにナルシアくんの元へと駆け寄った。ナルシアくんはどこか居心地悪そうにブラッドリーさんを見つめては、サーシャの治療に「そんな大げさな」と言葉をこぼす。たしかに包帯は大げさかもしれない。

 ダルトナ家の機嫌を損ねたらどうしてくれる。

 きっと大人たちはそう言いたいのだろう。それほどにまでダルトナ家とは権力を持っているのだから。
 グレイスくんが怪我をするのもダルトナ家はあまりいい表情をしないのに、更には決闘にまで負ける。でもこれは覆しようのない事実だ。
 だから大人はブラッドリーさんを責める。自分たちはこの決闘は反対だったんだ、と思ってもらうために。
 さっきまで面白がっていたくせ、今ではブラッドリーさん一人が悪者のような扱い。だけどブラッドリーさんは表情を変えずに、真っ直ぐと大人たちを見つめた。

「ダルトナ家とは由緒正しき騎士の家柄。王を守り、王に敵対するものを排除する。だが民を無差別に傷付ける事は禁忌だと、幼い頃から教わっているいます」
「相手が……」

 侮蔑。嘲笑。畏怖。
 全てナルシアくんへと視線が集まる。
 それを遮るように私が立てば、大人は気まずげに視線を彷徨わせた。

「アラン・ナルシアは才気と頭脳があります。今の決闘を見てご理解していただいたでしょう」
「だがあのナルシアだ」
「何をするか分からない」

 口々に言われる言葉。ナルシアくんが小さく息を呑む音が背中越しに聞こえた。
 服の裾を掴む手は強く握られている。その小さな手をそっと握ってやると、目を見開いて私を見つめてきた。迷子になった子供のような瞳に安心するように笑いかける。
 ブラッドリーさんの瞳がこちらを見つめ、すぐに大人へと視線を戻す。

「マキ・ナルシアは学術界で平和賞受賞を三連覇した女性」

 ナルシアくんがブラッドリーさんを驚いた表情で見つめる。私も少しばかり驚いた。まさかブラッドリーさんの口からマキ・ナルシアの名前を聞くとは思ってもいなかったから。
 大人たちも堂々とその名前を言われると思っていなかったようで、反応が遅れる。ブラッドリーさんはそれを良いことに言葉を続けた。

「歴史上、そのような快挙を達成した人物は居ません。彼女は誰よりも戦争を憂いて、戦後の未来を見据えていた者。教育にも熱心であった彼女が誰かを傷付けることを教えると思いますか」

 ナルシアくんの瞳が僅かに潤む。泣かないと我慢した唇が強く噛まれた。

「……そんなのどうなるか分からないじゃないか」
「それは子供だけでなく大人にも言えることです。危険行為があれば即刻私は対応出来ます。決闘というのは譲れないものを懸けて戦った者へかける言葉は批判ではなく、賞賛であるのが習わしだと知らないとでも」

 真っ直ぐと大人たちを見つめるブラッドリーさんは表情を変えることなく、淡々と言葉を連ねていく。エメラルドのような輝きの失わない瞳は、強い意志さえ感じられる。

「この国に住む民は全て防衛機関の管轄。これ以上、特定の人物について言うのであれば攻撃と捉えますが」

 腰にある剣の柄にブラッドリーさんが手を置けば、大人たちは口々に「冗談だ」と言い始める。ぎごちない笑みを浮かべる大人たちにブラッドリーさんは「そうですか」と言い、柄から手を下ろした。

 レオ・ブラッドリーという人間は、真面目で、人付き合いもお世辞でも上手いとは言えないし、誤解もされやすい。
 でも彼は偏見でも噂でも人を評価しない。
 だからこそ防衛機関長が務まるんだ。

 私はブラッドリーさんへ駆け寄って、服を掴む。

「ブラッドリーさん、もう帰ろ?」

 申し訳ないけど、この後も楽しくお茶会なんてやってられない。ナルシアくんも帰りたそうにしているし、一緒に帰っても問題ないだろう。
 ブラッドリーさんは冷たい眼差しから、優しく微笑んで「ああ」と言った後に私の頭を撫でてくれる。

「申し訳ありません。今回はこちらで帰らせていただきます。リリアム夫妻はどちらに――」

 ふと、視界の端で眩い光が見えた。それは先ほど決闘で使った剣と杖が落ちている辺り。
 同時に感じる、膨れ上がった魔力の気配。
 そちらに視線を向けて、瞬時に理解する。

 まさか。

 ブラッドリーさんとホーエンさんと私が動いたのは同時だった。

 ドンッ

 地面に響くような大きな音。眩い光が爆炎となって迫ってくる。
 近くにあった石を六個掴んで、なるべく遠くへと投げて大きく叫んだ。

「トレード!!」

 石は地面着く前に無くなり、代わりにグレイスくんと大人五人が現れる。その六人に結界を張ったところで背中に僅かな熱を感じた。
 もう熱風が側まで来ている。

 これは死んだな。

 漠然とした死に僅かな笑いが溢れる。こんなにも死を感じたのは二度目。
 だけど今回は上手くはいかなさそう。
 もう魔力切れだ。

「フィオナ!!」
「――え」

 声と同時に強引に引っ張られた腕。身体は腕を引っ張った相手に抱きしめられる。
 暖かくて、よく私を撫でてくれる人の香り。

「うっ」

 くぐもった声が僅かに頭上から聞こえた。見上げようとしたと同時だろう。
 瞬間、爆炎が襲ってくる。
 氷の壁は全て溶ける気配もなく、炎を遮断して熱を全く感じさせない。
 炎も爆風も周りの木を倒し、辺りは酷い有様。
 少しして氷の壁は崩れることなく、霧のように霧散した。それはナルシアくんとサーシャを囲っていた壁も。これは彼の、私を抱きしめている人の魔法。
 ブラッドリーさんが得意とする氷魔法。

「どうした――いったいこれは!?」

 サーシャの親たちが今の音で駆けつけて、周りの惨状に言葉をなくす。
 ホーエンさんは取り巻きの女の子たちを守ってくれたらしく、すぐに魔法を解いて私の方へと駆け寄ってきた。その表情は険しいものだ。

「……ブラッドリー、さん?」

 氷魔法は彼の得意な魔法。
 普通の人ならこんなに大きな魔法は使えない。だけど彼なら造作もない事の一つ。
 真面目な彼だ。すぐにでもこの状況の説明をするために立ち上がり、いつもと変わらず無愛想な表情で端的に話すだろう。

 なのに今、私を抱きしめて立ち上がらない。
 僅かに焦げた臭いがする。

 戦争の時に嗅いだ、人の肌が焼ける臭いと血の臭い。

 身体が震える。現実が段々と鮮明になる。頭が現状を理解しようとしている。
 ホーエンさんがブラッドリーさんの背中越しに目を丸くしたと思ったら険しい表情をした。慌てて使うのは癒しの魔法。

「ブラッドリー、さん? ブラッドリー――」
「……すまない」

 私にもたれ掛かるような身体が僅かに動く。私はそれを必死に抱きしめた。
 そこで気付く。
 彼の背中の服が無い、と。
 息が止まりそうになる。

 震える私をブラッドリーさんはゆっくりと腕を上げて、私の頬に触れた。

「きみは、マリー、だったな」

 あまりにも優しい声。その声の主の服からは赤いものが地面へと滴っていく。
 誰かが悲鳴を上げた。誰かが救護を呼ぼうとするのが聞こえた。
 誰が。
 誰が、怪我を。
 誰が怪我をして。

 鮮明になる現実に絶望が襲いかかる。

「あ、や、ブラッドリーさん! 止血! やだ!」
「あまりにも、同じで、すまない」
「ホーエンさん! ブラッドリーさんが!」
「落ち着け。大丈夫だ」

 止めどなく溢れる涙を何度もブラッドリーさんが拭ってくれる。優しい眼差しで私を見つめて、どこか嬉しそうで誇らしそうで。

「フィオナ、おれは、まもれてるだろうか」
「え……?」

 なんのことだ。
 私が彼となんの約束をした。
 そんなものはない。ないのに。
 なんでそんなに安心したような表情をしているんだ。
 プツンと糸が切れたように、ブラッドリーの上体が私にもたれ掛かる。

「ブラッドリーさん? ブラッドリーさん!!」
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