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岡倉弘毅

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第十五章

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 男は強いと、家庭でも学校でも教えられてきた。しかし、それは嘘なのだと、芳明は思う。
 久仁子は涙の理由も聞かず、以前と同じ愛情を注いでくれる。あの日の情交は実を結び、久仁子は大きなお腹を優しく撫でながら、暇さえあれば、花の美しさ、季節の移り変わり、そして、生まれて来る日をどれほど心待ちにしているかを、芳明の時と同じように語りかける。まだ小さな芳和も、すっかりお兄様然として、兄弟の誕生を心待ちにしている。
 あの日を境に、俊紀は社交界に姿を見せなくなった。表向きは、事業拡大の為、時間が取れないからだと、人を介して聞いたが、それだけが理由ではないと、芳明だけが知っていた。
 芳明自身、社交界から遠ざかっていた。さすがに二人一緒に姿を見せなくなってしまえば、噂を冗長させるだけだと、時々は顔を出してはいるが。
 月満ちて、初夏の頃。有間家には美しい女児が誕生し、芳子かおること名付けられた。祝い客の誰もがため息を吐き、将来を約束したがった。
 「子爵がご誕生の折にも、同じような騒動がございましたわね」
 当時を知るらしい長月侯爵夫人が、芳子を抱きながら懐かしむ。
「これからが大変ですわね。皆様決して、冗談で仰っておられるわけではございませんからね。婚約の申込みが殺到することでしょうね。
 尤も、子爵の時には全てお断りをして、先代様は久仁子さんをと、望まれたそうですけど」
「大杉男爵ご夫妻のお人柄に、旦那様も私も魅せられておりましたから。
 婚姻で最も大切なのは、幸せな家庭を築けるかどうかですわ。
 私達も、良い娘を得て、可愛らしい孫を得て、本当に幸せでございますもの」
 芳和は長月侯爵夫人の隣に座り、時々妹の様子を見、静かに眠っているのを確認すると、満足そうにまた、座り直して大人しくしている。
 仲の良い嫁姑、可愛い子供達、愛し合う夫婦。傍から見れば、何一つ欠けていない幸せな家庭だろう。幸せだと、芳明も思うことしきりであるが。時折襲い来る虚無感は一体何なのか。
 長月侯爵夫人は、帰り際、他の者には聞こえぬよう、芳明の傍で声を忍ばせた。
「お気をつけあそばせ。美し過ぎますと、時には災いをも魅入らせてしまいますわ。子爵ならば、ご理解頂けると思いますけれど」
「お言葉、肝に命じておきます」
 長月侯爵夫人の皮肉は、芳明の心に鋭い棘を突き刺した。
 愛おしい我が子に、自分のような苦しみを与えたくなどない。
「お父さま」
 足元で、心配そうな顔をした芳和が、芳明を見上げていた。
「どこか痛いの?」
 芳明は芳和を、抱き上げると、強く抱きしめた。
「お父さまはどこも、痛くなどないよ」
「本当?」
「本当だとも。芳和は優しいね。ありがとう」
 久仁子に似て、優しい面立ちの芳和。性格も似ているらしく、年齢に比して、人を思いやる気持ちが強い。
 芳明の言葉に安心したらしく、見せた笑顔の優しさに、芳明は胸を突かれる思いがした。
 いつまでもしつこく、愚かな罪を思い煩っていても仕方のないことだと考えながらも、片時も忘れずにいる自分が情けない。
(もしも私が、独り身であったなら)
(華族でなかったなら)
(嫡男でなかったなら)
 色々考え倦ねてみるが、男同士の情事を許す理由など見つけようがない。
 それでも芳明は、俊紀に責任を押し付ける気持ちはなかった。誘ったのは俊紀だったが、選んだのは芳明だった。あの夜、俊紀の自室に足を踏み入れる意味を、芳明は知っていたのだ。もう、引き返せないと。
(なぜ忘れられないのだ。もう終わった。それなのに、なぜ! 自らの愚かさを忘れてはならぬと思っているのか? それとも、家族を裏切ったことへの罪悪感故なのか?)
 芳子も、孝芳の音匣を見ては、楽しそうに体を精一杯動かしている。まだ孝芳はこの屋敷にいるのだろうか。それならなぜ、自分に罰を与えてくれないのか。自虐的な考えのようで実は、孝芳に縋っているのだと、芳明は自覚していた。
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