48 / 49
第四十八章
しおりを挟む
どう説明すべきか。悩んでいるうちに、起き出したらしい圭は、シャワーを浴びに行った。昨夜は着替えもせず眠ってしまったのだから、我慢できなかったのだろう。
なにか、大事なことを忘れている気がした。
考えることが多すぎて、頭の中はぐちゃぐちゃで、しばらく思考を停止する。
圭の足音。
「包帯!」
やっと、今一番大事なことを思い出した。シャワーの際にはラップを巻く予定が、すっかり忘れこんでいたのだ。
リビングに出ると、包帯を水浸しにした圭が、途方に暮れていた。頑張って着たらしいTシャツは、袖が変色している。
頭は良いし、不要な蘊蓄を蓄えているくせに、圭は時々、とんでもなくとぼけたことをする。そんなところがまた、可愛らしいと思った。
「おいで」
ソファに座らせ、包帯の取り換えと傷の消毒をする。
「さっきの声は、何だったのですか?」
話すタイミングを探していた隼人に、チャンスが巡ってはきたが、気持ちは重かった。
「山上君からの電話だったのだけど、落ち着いて聞いてくれ。
西島君が殺されたらしい」
「水野君に?」
どうして知っているのか、問おうとしてやめた。圭自身、発言に驚いている様子が窺われた。
ふと、脳裏に武を看取ったあの日の記憶が浮かんだ。明の死からの連想ではない。もう一つ、記憶が浮かんでくる。
涼介だった。真っ赤な口紅を塗った、いや、違う。赤い血で染まった、放心状態の涼介だ。
「水野君に会いたい」
うわごとのように言った。
「行こう」
「会えるの?」
「お前と俺に会いたいと言っているらしい。
さ、これでいい。着替えておいで」
圭は頷き、自室に向かった。
嵐の前の静けさ。圭の落ち着きは、逆に恐ろしく感じられる。
隼人は、黙っているのが苦痛だった。昨日から緊張が解ける暇も無く、事件が起こり続けていた。
「もう、気付いているのでしょう?」
助手席にもたれたままで、圭の穏やか過ぎる声。
「三年前、西島武を殺したのが、水野君だと」
圭も苦痛だったのだろうか、隼人の心を盗み見たかのように、静かに言った。
「いつから、知っていたんだ?」
「文化祭の前に、帰宅が遅かった日があったでしょう? あの日、互いの過去を告白し合いました。
その時はまだ、殺した相手が西島武だとは知りませんでしたが」
病院に到着して、二人はまた黙り込んだ。
涼介が病院に収容されているのは、手の平の傷が理由らしかったが、案内されたのは、精神科病棟だった。
ベッドとサイドテーブルしか無い、清潔な病室。朝日を浴びた真っ白な部屋は、清潔過ぎて逆に気が滅入りそうに思えた。
涼介はベッドに腰掛け、包帯を巻いた手に手錠を掛けた状態で、二人を迎え入れた。
「傷、痛いでしょう?」
圭は頭を横に振ると、用意されていたパイプ椅子に腰掛けた。
「何日か前から、圭を刺そうとする夢を見ていたんだ。今までは、刺す前に必死に目を覚ましていたけど、次に見れば多分、抗えないってわかってた。
まさか、現実の方が早いなんて思っちゃなかったけど」
二人の背後、つまり、涼介の正面には刑事がいる。にも関わらず涼介は饒舌だった。
「僕が殺したいのは、圭ただ一人。気付いたでしょう? 気付いていたでしょう?
この欲望が消えてくれれば良いのだけど、自信がないんだ。
気をつけて。僕には二度と、気を許しちゃいけない」
「ごめんなさい。ごめんなさい! 私は、貴方の力になれませんでした」
膝に揃えられた手の上に、涙の粒が零れる。
「もうとっくに、僕は諦めていたんだよ。圭は何も悪くなんて無い」
涼介は隼人に視線を向けると、笑顔を見せた。
「長瀬さん、圭を守って。決して僕に、殺させないで」
「わかった。約束するよ」
まるで映画を観ているようだった。緊張しているのに、他人事のよう。現実からの逃避を始めたのだろうか?
もう会えない。会ってはいけない。それが一番辛いと感じた。
「一つ聞いて良いですか?」
「なに?」
「どうして西島さんを?」
涼介は穏やかに笑んだ。
「何もかも奪おうとするんだ。僕の人生も、圭も、武も、あいつは奪おうとする。だから、許せなかった。
もう帰って。二度と会わない」
隼人は立ち上がり、圭にも立つよう促した。のろのろと、駄々をこねる子供のように、圭の動きは緩慢だった。
涙に濡れた目で、涼介を見つめる。
「さようなら」
涼介が、優しく突き放す。
「さようなら」
圭は何も言えず、ただ、涙を流すだけ。
「行こう」
しかし、抵抗なく、素直に歩き出した。
扉を潜ろうとしたその時、圭が隼人の手を振りほどき、振り向いた。
「水野君!」
「圭は大丈夫だよね。長瀬さんがいるもの」
バイバイ。と、手を振ると、手錠の音が鈍く部屋中に響いた。
なにか、大事なことを忘れている気がした。
考えることが多すぎて、頭の中はぐちゃぐちゃで、しばらく思考を停止する。
圭の足音。
「包帯!」
やっと、今一番大事なことを思い出した。シャワーの際にはラップを巻く予定が、すっかり忘れこんでいたのだ。
リビングに出ると、包帯を水浸しにした圭が、途方に暮れていた。頑張って着たらしいTシャツは、袖が変色している。
頭は良いし、不要な蘊蓄を蓄えているくせに、圭は時々、とんでもなくとぼけたことをする。そんなところがまた、可愛らしいと思った。
「おいで」
ソファに座らせ、包帯の取り換えと傷の消毒をする。
「さっきの声は、何だったのですか?」
話すタイミングを探していた隼人に、チャンスが巡ってはきたが、気持ちは重かった。
「山上君からの電話だったのだけど、落ち着いて聞いてくれ。
西島君が殺されたらしい」
「水野君に?」
どうして知っているのか、問おうとしてやめた。圭自身、発言に驚いている様子が窺われた。
ふと、脳裏に武を看取ったあの日の記憶が浮かんだ。明の死からの連想ではない。もう一つ、記憶が浮かんでくる。
涼介だった。真っ赤な口紅を塗った、いや、違う。赤い血で染まった、放心状態の涼介だ。
「水野君に会いたい」
うわごとのように言った。
「行こう」
「会えるの?」
「お前と俺に会いたいと言っているらしい。
さ、これでいい。着替えておいで」
圭は頷き、自室に向かった。
嵐の前の静けさ。圭の落ち着きは、逆に恐ろしく感じられる。
隼人は、黙っているのが苦痛だった。昨日から緊張が解ける暇も無く、事件が起こり続けていた。
「もう、気付いているのでしょう?」
助手席にもたれたままで、圭の穏やか過ぎる声。
「三年前、西島武を殺したのが、水野君だと」
圭も苦痛だったのだろうか、隼人の心を盗み見たかのように、静かに言った。
「いつから、知っていたんだ?」
「文化祭の前に、帰宅が遅かった日があったでしょう? あの日、互いの過去を告白し合いました。
その時はまだ、殺した相手が西島武だとは知りませんでしたが」
病院に到着して、二人はまた黙り込んだ。
涼介が病院に収容されているのは、手の平の傷が理由らしかったが、案内されたのは、精神科病棟だった。
ベッドとサイドテーブルしか無い、清潔な病室。朝日を浴びた真っ白な部屋は、清潔過ぎて逆に気が滅入りそうに思えた。
涼介はベッドに腰掛け、包帯を巻いた手に手錠を掛けた状態で、二人を迎え入れた。
「傷、痛いでしょう?」
圭は頭を横に振ると、用意されていたパイプ椅子に腰掛けた。
「何日か前から、圭を刺そうとする夢を見ていたんだ。今までは、刺す前に必死に目を覚ましていたけど、次に見れば多分、抗えないってわかってた。
まさか、現実の方が早いなんて思っちゃなかったけど」
二人の背後、つまり、涼介の正面には刑事がいる。にも関わらず涼介は饒舌だった。
「僕が殺したいのは、圭ただ一人。気付いたでしょう? 気付いていたでしょう?
この欲望が消えてくれれば良いのだけど、自信がないんだ。
気をつけて。僕には二度と、気を許しちゃいけない」
「ごめんなさい。ごめんなさい! 私は、貴方の力になれませんでした」
膝に揃えられた手の上に、涙の粒が零れる。
「もうとっくに、僕は諦めていたんだよ。圭は何も悪くなんて無い」
涼介は隼人に視線を向けると、笑顔を見せた。
「長瀬さん、圭を守って。決して僕に、殺させないで」
「わかった。約束するよ」
まるで映画を観ているようだった。緊張しているのに、他人事のよう。現実からの逃避を始めたのだろうか?
もう会えない。会ってはいけない。それが一番辛いと感じた。
「一つ聞いて良いですか?」
「なに?」
「どうして西島さんを?」
涼介は穏やかに笑んだ。
「何もかも奪おうとするんだ。僕の人生も、圭も、武も、あいつは奪おうとする。だから、許せなかった。
もう帰って。二度と会わない」
隼人は立ち上がり、圭にも立つよう促した。のろのろと、駄々をこねる子供のように、圭の動きは緩慢だった。
涙に濡れた目で、涼介を見つめる。
「さようなら」
涼介が、優しく突き放す。
「さようなら」
圭は何も言えず、ただ、涙を流すだけ。
「行こう」
しかし、抵抗なく、素直に歩き出した。
扉を潜ろうとしたその時、圭が隼人の手を振りほどき、振り向いた。
「水野君!」
「圭は大丈夫だよね。長瀬さんがいるもの」
バイバイ。と、手を振ると、手錠の音が鈍く部屋中に響いた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
壁穴奴隷No.19 麻袋の男
猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。
麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は?
シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。
前編・後編+後日談の全3話
SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。
※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。
※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。
【完結】会社後輩と変態催眠
にのまえ
BL
成績の良い後輩に劣等感を覚えている元教育係の林藤。しかしある日、妙に緊張した十和田にスマホの画面を突き付けられ彼と残業することになり……。X→@nino_mae_bl
男の子たちの変態的な日常
M
BL
主人公の男の子が変態的な目に遭ったり、凌辱されたり、攻められたりするお話です。とにかくHな話が読みたい方向け。
※この作品はムーンライトノベルズにも掲載しています。
首輪 〜性奴隷 律の調教〜
M
BL
※エロ、グロ、スカトロ、ショタ、モロ語、暴力的なセックス、たまに嘔吐など、かなりフェティッシュな内容です。
R18です。
ほとんどの話に男性同士の過激な性表現・暴力表現が含まれますのでご注意下さい。
孤児だった律は飯塚という資産家に拾われた。
幼い子供にしか興味を示さない飯塚は、律が美しい青年に成長するにつれて愛情を失い、性奴隷として調教し客に奉仕させて金儲けの道具として使い続ける。
それでも飯塚への一途な想いを捨てられずにいた律だったが、とうとう新しい飼い主に売り渡す日を告げられてしまう。
新しい飼い主として律の前に現れたのは、桐山という男だった。
受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店
ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる