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日常5

誰でもいいと君だから(4)

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* * *

 翌日。
 僕は大学の授業を終えると、バイト先の塾の近くにあるカフェに向かった。

 いつもならマンションに戻るのだが、今日は何となく足が向かなかった。
 ……類さんが帰ってきている、から。
 ふたりきりになると考えると、きまずかった。

 類さんは今朝、わざわざ僕に電話をくれて、昨晩のことは気にしなくていいからと笑っていた。帰ったら俺も混ざるわ、とか軽口を叩いていた。

 でも。

 違うんです、類さん。そういう話ではなく……

「お待たせしました」

 注文していたアイスカフェオレがきて、僕は思考を切り上げた。

 バイトの時間まであと3時間ほど。
 お客さんが少なければ一時間くらいここでゆっくりして、残りは授業が始まるまで教え子たちの親御さんに進捗を報告をして……バイトが終わったら、次の授業の準備をして、それから帰ろう。

 今は、出来るだけひとりでいたい。

 読みかけていた文庫を開き、文字を追う。
 もちろん集中なんて出来るわけがなく文字が滑る。
 昨晩のことが頭から離れない。

 ソウさんに触れられた時、ダメだと思いながらも気持ち良くなってしまった。
 彼がもう少し強引だったら、あのまま一線を越えてしまっていただろう。

 それでは、まるで……まるで、僕は――

「ヤれれば誰でもいーんじゃん」

 ふいに隣から聞こえてきた言葉に、息が止まったかと思った。
 ちらりと見やれば、3人組の女子高生が、真剣な様子で話している。

「ね。本当に最低」

「アンタには酷かもしれないけど、アイツが好きなのってアンタじゃなくてエッチだよ」

 カップを持つ手が震えた。
 自分に向けられた言葉じゃないのに、見知らぬ彼女らのそれは鋭いナイフのように胸に突き刺さる。

 ソウさんのことを好きだと思っていたなら、ああいったことを期待していたなら、こんな風には悩まなかった。
 僕は、自分の気持ちがわからない。わからないから、自分を信用できない。

 類さんが好きなのに……
 誰に触れられても、淫らなスイッチが入ってしまうのだとしたら?

 なし崩し的に、誰とでも関係を持ってしまうような人間だとしたら?
 そんな僕は、類さんに愛される価値なんてないじゃないか。

* * *

 深夜を回る頃。
 マンションに帰ると、ニャン太さんが駆け足で玄関まで出迎えてくれた。

「デンデン、おかえりー!」

「ニャン太さんこそ、お帰りなさい。トルコどうでした?」

 腕の中に飛び込んで来た彼を抱き留める。

 つい数時間前に帰国したにも関わらず、彼の表情に疲労の色は見えない。少し日焼けをしていて、鼻の頭が赤くなっているのが、逆に健康的にすら見えた。

「めっちゃ寂しかった! 今度はデンデンも一緒に行こーね! そしたら、いろいろ回れて楽しいしっ!」

「トルコにですか……」

「そうそう。あとはドバイとか」

 ドバイ……どんな国かさっぱりわからない。
 なんとなくゴージャスな感じはするけれど。
 一緒に行くならバイトを増やさないとな……などと考えていると、

「はぁ、癒される。デンデンの香り……」

 さわさわと背中に触れていた手が、ふいにガシッと尻たぶを掴んだ。

「ぅわっ、ちょ、ニャン太さ……」

「デンデン、明日って休みだよね? ってことは、昼までイチャイチャできるよね?」

「えっ!? いや、それはっ……」

「もう今夜は寝かさないんだからっっ!」

 いつもの調子で唇が重なりそうになって、

「あれ? デンデン?」

 僕は知れず、飛び退っていた。

 キョトンとするニャン太さん。
 僕は自身の行動に戸惑い、目を泳がせる。
 不自然な沈黙が落ちた。

「デンデ――」

「す、すみません! レポートが月曜日に締切なので!!」

 彼が何か言うのを遮ると、僕はお風呂場に駆け込んだ。
 バッグを脱衣所に放り、後手で曇りガラスの扉を閉める。
 ついで片手で口元を覆うと、その場に座り込んだ。

 唐突に突き放してしまった罪悪感で、胸が痛くて、苦しい。
 けれど、今は類さんの顔すらまともに見れる気がしないのだ。
 それなのに、彼とキスなんて……できなかった。

* * *

 ひとり、とぼとぼとリビングに現れた寧太に、ソファでくつろいでいた類は器用に片眉を持ち上げた。

「あれ? 伝は?」

「……お風呂」

「風呂? 直行したのか」

「うん……なんか、避けられちゃった……」

 言って、寧太は崩れ落ちるみたいにして類の隣に腰を下ろす。

「避けられたって?」

「明日はお昼までエッチしよって言ったら、月曜日にレポートの締めがあるからって。ボク、何かやらかしちゃったのかな……」

「はあ? 言葉通りの意味だろ」

「違うよ! あれは絶対に避けられてたよ!!」

 勢いよく、寧太が身体を起こす。
 それに類は呆れたように嘆息した。

「疲れてるとネガティブ思考になるって言うぞ」

「それって、ボクが疲れてるってこと?」

「帰国直後は誰だって疲れるもんだ」

 目を瞬かせる寧太。
 それから彼は、腕組みすると「うーん……」と唸り、ややあってから、彼はソファを立った。

「……寝るよ。疑っても良いことないし」

「おう。おやすみ」

「おやすみ」

 寧太の姿が自室に消えると、類は上げていた片手を下ろした。

「避けられてる、ねぇ」

 ちらりと、浴室の方へ視線を向ける。
 それからマグカップを手にすると、深くソファに身体を沈めた。

「ソウとのことだろうな……」

 ズズと音を立ててココアを飲む。

 その日、伝は挨拶もそこそこに自室に引きこもってしまった。
 レポートが忙しいから、と本人は言っていたけれど、別に理由があることは誰の目にも明らかだった。
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