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リクエスト01
声と虚構の果実(3)
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* * *
伝とその連れ合いが席を立ったのは、0時に差し掛かる頃だった。
「……ちょっと行ってくるわ」
しばらく悩んでから、俺はコートを手にふたりを追って店の外へ出た。
話しかけるつもりは毛頭無くて……じゃあ何のために?と考えると、ハッキリした理由はわからない。
冬の風が、酒で火照った頬を気持ち良く撫でる。
コートのポケットに手を突っ込み、俺はキョロキョロと目的の姿を探した。
大通りには酔った学生の姿がポツリポツリと見える。
肩を組んで陽気に歌うやつ、会話に夢中で通りを塞いでいるやつ、駅ビルの前ではダンスの練習をするやつなどなど。
と、
「伝! んな酔っ払い放っとけ! またゲロぶっかけられっぞ!」
少し前の方で、伝が通りに面した駐輪スペースで寝転がるサラリーマンの腕を引っ張っていた。
俺は何食わぬ顔で近づくと、横断歩道の前に立ち信号待ちを装う。
「先に戻ってて! すぐに追いかけるから!」
そう連れに声を張り上げてから、伝はサラリーマンに向き直った。
「オジサン、大丈夫ですか? 立てます?」
上機嫌なサラリーマンは、大丈夫、大丈夫と笑いながら伝の押しやる。
かと思えば、突然、近くにあった自転車を両手で頭上に持ち上げた。
「おーい、タクシー!」
「わぁあ!? そんなことしたら、タクシー停まってもしばらく家に帰れませんよ!?」
慌ててサラリーマンを羽交い締めした伝が、なんとかして自転車を下ろさせる。
「ま、待ってて下さい! 僕がやりますから……!」
伝はあたふたとサラリーマンを宥めつつ、大通りを走るタクシーに向かって大きく手を振った。
「タクシー停まりましたよ。ほら、掴まって……」
千鳥足のサラリーマンは、伝に抱えられる腕とは逆の手でドミノみたいに自転車を倒しながら、やがてタクシーに乗り込んだ。
「ちゃんと目的地言えます?……運転手さんすみません、よろしくお願いします」
運転手にペコリと頭を下げて、伝が車道から離れる。
タクシーは東京の夜を滑るように走り出す。
ついで彼はふぅ、と嘆息して、倒れた自転車を黙々と起こしていく。
俺は帽子を目深にかぶり直すと足早に歩み寄った。
「……手伝いますよ」
言って、同じように倒れた自転車を引っ張り起こす。
すると、伝は申し訳なさそうに肩を竦めた。
「すみません」
それからふたりで無言で自転車を元に戻した。
「助かりました」
伝がペコリと頭を下げる。
「いえ……」
「伝!」と苛立たしげな声が前方から飛んできた。
待っていたらしい連れの男はコートの襟を立てて、足踏みして俺たちを見ていた。
伝はそそくさと踵を返すと、そいつの下に走っていく。
文句を言われているのが聞こえてくる。
俺は遠ざかるふたりの背中を少しの間、見送ってから店に戻った。
「おかえり~! 話せた?」
「いや……もういなかったわ」
「ありゃ。残念」
手を擦り合わせてカウンターに歩み寄ると、イサミがアイリッシュコーヒーを作ってくれた。
ウィスキーをベースにしたホットカクテルだ。上にたっぷりと生クリームが乗っている。
コートを脱ぎ、席に腰を下ろした俺は、暖かなグラスを手で包み込んで暖を取った。
ニャン太とイサミの他愛もない話に耳を傾けながら、俺は伝のことを思い出す。
高校生が着るような、野暮ったいダッフルコート。擦り切れたスニーカー。
自信がないのか、酷い猫背で、せっかくのスタイルの良さを台無しにしている。
終始オドオドしていて……
でも、彼は俺を真っ直ぐ見て「助かりました」と頭を下げた。
その眼差しを、とてもキレイだと思った。
自己評価がとてつもなく低い、良い人。
彼に抱いた印象だ。
良い人という以外、なんの印象も残らない……とまではいかないが。
なんて純朴で、扱いやすそうな男だろう。とは、思った。
……そんな考えを抱いた自分に顔が歪む。けれど。
彼なら、もしかしたら……助けてくれるかもしれない。
『類……類……』
背中を這う声が頭の中に侵入してくる。
俺はその煩わしさに、頬の内の肉を血が出るほど噛んだ。
伝とその連れ合いが席を立ったのは、0時に差し掛かる頃だった。
「……ちょっと行ってくるわ」
しばらく悩んでから、俺はコートを手にふたりを追って店の外へ出た。
話しかけるつもりは毛頭無くて……じゃあ何のために?と考えると、ハッキリした理由はわからない。
冬の風が、酒で火照った頬を気持ち良く撫でる。
コートのポケットに手を突っ込み、俺はキョロキョロと目的の姿を探した。
大通りには酔った学生の姿がポツリポツリと見える。
肩を組んで陽気に歌うやつ、会話に夢中で通りを塞いでいるやつ、駅ビルの前ではダンスの練習をするやつなどなど。
と、
「伝! んな酔っ払い放っとけ! またゲロぶっかけられっぞ!」
少し前の方で、伝が通りに面した駐輪スペースで寝転がるサラリーマンの腕を引っ張っていた。
俺は何食わぬ顔で近づくと、横断歩道の前に立ち信号待ちを装う。
「先に戻ってて! すぐに追いかけるから!」
そう連れに声を張り上げてから、伝はサラリーマンに向き直った。
「オジサン、大丈夫ですか? 立てます?」
上機嫌なサラリーマンは、大丈夫、大丈夫と笑いながら伝の押しやる。
かと思えば、突然、近くにあった自転車を両手で頭上に持ち上げた。
「おーい、タクシー!」
「わぁあ!? そんなことしたら、タクシー停まってもしばらく家に帰れませんよ!?」
慌ててサラリーマンを羽交い締めした伝が、なんとかして自転車を下ろさせる。
「ま、待ってて下さい! 僕がやりますから……!」
伝はあたふたとサラリーマンを宥めつつ、大通りを走るタクシーに向かって大きく手を振った。
「タクシー停まりましたよ。ほら、掴まって……」
千鳥足のサラリーマンは、伝に抱えられる腕とは逆の手でドミノみたいに自転車を倒しながら、やがてタクシーに乗り込んだ。
「ちゃんと目的地言えます?……運転手さんすみません、よろしくお願いします」
運転手にペコリと頭を下げて、伝が車道から離れる。
タクシーは東京の夜を滑るように走り出す。
ついで彼はふぅ、と嘆息して、倒れた自転車を黙々と起こしていく。
俺は帽子を目深にかぶり直すと足早に歩み寄った。
「……手伝いますよ」
言って、同じように倒れた自転車を引っ張り起こす。
すると、伝は申し訳なさそうに肩を竦めた。
「すみません」
それからふたりで無言で自転車を元に戻した。
「助かりました」
伝がペコリと頭を下げる。
「いえ……」
「伝!」と苛立たしげな声が前方から飛んできた。
待っていたらしい連れの男はコートの襟を立てて、足踏みして俺たちを見ていた。
伝はそそくさと踵を返すと、そいつの下に走っていく。
文句を言われているのが聞こえてくる。
俺は遠ざかるふたりの背中を少しの間、見送ってから店に戻った。
「おかえり~! 話せた?」
「いや……もういなかったわ」
「ありゃ。残念」
手を擦り合わせてカウンターに歩み寄ると、イサミがアイリッシュコーヒーを作ってくれた。
ウィスキーをベースにしたホットカクテルだ。上にたっぷりと生クリームが乗っている。
コートを脱ぎ、席に腰を下ろした俺は、暖かなグラスを手で包み込んで暖を取った。
ニャン太とイサミの他愛もない話に耳を傾けながら、俺は伝のことを思い出す。
高校生が着るような、野暮ったいダッフルコート。擦り切れたスニーカー。
自信がないのか、酷い猫背で、せっかくのスタイルの良さを台無しにしている。
終始オドオドしていて……
でも、彼は俺を真っ直ぐ見て「助かりました」と頭を下げた。
その眼差しを、とてもキレイだと思った。
自己評価がとてつもなく低い、良い人。
彼に抱いた印象だ。
良い人という以外、なんの印象も残らない……とまではいかないが。
なんて純朴で、扱いやすそうな男だろう。とは、思った。
……そんな考えを抱いた自分に顔が歪む。けれど。
彼なら、もしかしたら……助けてくれるかもしれない。
『類……類……』
背中を這う声が頭の中に侵入してくる。
俺はその煩わしさに、頬の内の肉を血が出るほど噛んだ。
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