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エピソード24
命の雫(5)
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* * *
それから数日は最悪だった。
血が足りないのか、酷い悪寒と吐き気でまともにしゃべることも出来ない。
そんなオレを、回復したのだろう人狼は抱きかかえて、移動していた。
瞼を閉じば、先ほど朝だった空には星が瞬き、
あっという間に、今がいつで、あの日からどれほど経ったのか分からなくなる。
幸い、追っ手の姿を見かけることはなかった。
お陰でオレは、夢の中に片足を突っ込んでいられる程度には、安堵していた。
「おい。起きろ、使用人」
声に薄らと目を開ければ、ぼんやりとした視界に人狼――シロの顔があった。
地面に寝転がされていたのだろうオレの身体を、
ヤツは抱き起こした。
「飲め」
口元に固いものが押し当てられたかと思うと、
冷たい水が口の中に流れ込んでくる。
「……ゴホッ、ゴホッ」
カラカラの喉に、その清涼な感触は余りに鋭くて、
思わず咳き込んだ。
「こぼすな」
咳が止まると、また水を流し込まれた。
コイツはオレを殺す気なんだろうか。
何度も咳き込みながら、そんなことを思う。
次に唇に押しつけられたのは、ぬめった何かだった。
「食え」
ムリヤリ唇をこじ開けられたかと思うと、
弾力のある、それでいて生臭いものが放られる。
血の味が口の中に広がった。
たぶん、肉……しかも、生肉で、
飲み込むにしては、かなり大きい。
「噛め」
無茶言うんじゃねぇよ。
血抜きもされてない肉なんて飲み込めるか。
そう言いたいのに、身体がだるくて声すら出ない。
オレは込み上げてきた生理的な吐き気のまま、嘔吐した。
「なっ……飲め。食わねば死ぬぞ」
また新しい肉が押し込まれる。
拷問だ。
拷問だぞ、これ。
「ゴホッ、ゴホッ……し、しぬ……からっ……」
「だから食えと言っている!」
食えるか!
オレは必死に唇を引き結んだ。
ああ、クソ。
せっかく飲み込んだ水も全部吐いちまったじゃねえか……
「……面倒なヤツだ」
唸り声が落ちる。
それから暫くして、唇の押し当てられた肉片は、
さっきよりもずっと柔らかく噛み潰されていて、小さくなっていた。
「これでどうだ」
かなりキツかったが、オレはゴクリとそれを飲み込んだ。
これくらいならば、なんとかなる。
本当に、なんとか、だが。
「……そうだ。それでいい」
それから、肉と水が交互に運ばれた。
食事を終えると、オレはまた深く眠った。
……そんな日が、何度か続き、
自力で歩けるまで回復したのは、
メティスから脱出して半月経った――新月の夜だった。
「道がある。たぶん、この先に山小屋があるんだ」
人狼に抱えられ移動しながら、オレは真っ直ぐ前方を指さした。
「……人が住んでいたら、どうする?」
「たぶん、いない。
この道……ほとんど草に飲まれてるだろ。
ひと月くらいは使われてないはずだ」
「そうか」
予想通り、山小屋が見えてきた。
「……ここでまた、しばらく身を隠そう」
もう随分と追っ手は引き離したはずだ。
里にも下りず、ひたすら山道を進んだお陰で、
姿を見られたということもない。
どれほど訓練された者でも、
オレたちの後を正確に追うのは、不可能に近いだろう。
「……シロ?」
山小屋の前までやってくると、シロはオレを地面に下ろし膝をついた。
「どうした? どっか痛むのか?」
「……さすがに限界だ」
そう言うやいなや、地面に突っ伏せるようにシロが倒れ込む。
「お、おいっ……!?」
抱き支えると、白銀の毛に覆われた身体が
みるみるうちに小さくなっていった。
「ん……」
金髪が揺れる。
懐かしいぬくもりに、オレは胸が締め付けられるのを感じた。
けれど、それも一瞬のことだ。
「バンさん……?」
オレは抱きしめた手を握りしめた。
ハッとユリアが身体を起こす。
「え……こ、ここ何処ですか!?
僕たち、教会の人に追われていたんじゃ……」
風が吹いて、森の梢が音を立てた。
ユリアはオレを見下ろした。
続いて、血で黒く汚れた自身に気付いた。
その顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
「メティスから出たんですね。
――アイツの、力を使って」
それから数日は最悪だった。
血が足りないのか、酷い悪寒と吐き気でまともにしゃべることも出来ない。
そんなオレを、回復したのだろう人狼は抱きかかえて、移動していた。
瞼を閉じば、先ほど朝だった空には星が瞬き、
あっという間に、今がいつで、あの日からどれほど経ったのか分からなくなる。
幸い、追っ手の姿を見かけることはなかった。
お陰でオレは、夢の中に片足を突っ込んでいられる程度には、安堵していた。
「おい。起きろ、使用人」
声に薄らと目を開ければ、ぼんやりとした視界に人狼――シロの顔があった。
地面に寝転がされていたのだろうオレの身体を、
ヤツは抱き起こした。
「飲め」
口元に固いものが押し当てられたかと思うと、
冷たい水が口の中に流れ込んでくる。
「……ゴホッ、ゴホッ」
カラカラの喉に、その清涼な感触は余りに鋭くて、
思わず咳き込んだ。
「こぼすな」
咳が止まると、また水を流し込まれた。
コイツはオレを殺す気なんだろうか。
何度も咳き込みながら、そんなことを思う。
次に唇に押しつけられたのは、ぬめった何かだった。
「食え」
ムリヤリ唇をこじ開けられたかと思うと、
弾力のある、それでいて生臭いものが放られる。
血の味が口の中に広がった。
たぶん、肉……しかも、生肉で、
飲み込むにしては、かなり大きい。
「噛め」
無茶言うんじゃねぇよ。
血抜きもされてない肉なんて飲み込めるか。
そう言いたいのに、身体がだるくて声すら出ない。
オレは込み上げてきた生理的な吐き気のまま、嘔吐した。
「なっ……飲め。食わねば死ぬぞ」
また新しい肉が押し込まれる。
拷問だ。
拷問だぞ、これ。
「ゴホッ、ゴホッ……し、しぬ……からっ……」
「だから食えと言っている!」
食えるか!
オレは必死に唇を引き結んだ。
ああ、クソ。
せっかく飲み込んだ水も全部吐いちまったじゃねえか……
「……面倒なヤツだ」
唸り声が落ちる。
それから暫くして、唇の押し当てられた肉片は、
さっきよりもずっと柔らかく噛み潰されていて、小さくなっていた。
「これでどうだ」
かなりキツかったが、オレはゴクリとそれを飲み込んだ。
これくらいならば、なんとかなる。
本当に、なんとか、だが。
「……そうだ。それでいい」
それから、肉と水が交互に運ばれた。
食事を終えると、オレはまた深く眠った。
……そんな日が、何度か続き、
自力で歩けるまで回復したのは、
メティスから脱出して半月経った――新月の夜だった。
「道がある。たぶん、この先に山小屋があるんだ」
人狼に抱えられ移動しながら、オレは真っ直ぐ前方を指さした。
「……人が住んでいたら、どうする?」
「たぶん、いない。
この道……ほとんど草に飲まれてるだろ。
ひと月くらいは使われてないはずだ」
「そうか」
予想通り、山小屋が見えてきた。
「……ここでまた、しばらく身を隠そう」
もう随分と追っ手は引き離したはずだ。
里にも下りず、ひたすら山道を進んだお陰で、
姿を見られたということもない。
どれほど訓練された者でも、
オレたちの後を正確に追うのは、不可能に近いだろう。
「……シロ?」
山小屋の前までやってくると、シロはオレを地面に下ろし膝をついた。
「どうした? どっか痛むのか?」
「……さすがに限界だ」
そう言うやいなや、地面に突っ伏せるようにシロが倒れ込む。
「お、おいっ……!?」
抱き支えると、白銀の毛に覆われた身体が
みるみるうちに小さくなっていった。
「ん……」
金髪が揺れる。
懐かしいぬくもりに、オレは胸が締め付けられるのを感じた。
けれど、それも一瞬のことだ。
「バンさん……?」
オレは抱きしめた手を握りしめた。
ハッとユリアが身体を起こす。
「え……こ、ここ何処ですか!?
僕たち、教会の人に追われていたんじゃ……」
風が吹いて、森の梢が音を立てた。
ユリアはオレを見下ろした。
続いて、血で黒く汚れた自身に気付いた。
その顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
「メティスから出たんですね。
――アイツの、力を使って」
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