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エピソード20
陽だまりと地図(7)
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憎たらしいことに、ユリアは有言実行の男だった。
枕にすがりつく余裕も失せるほど乱された俺は、
気が付けば意識を失い、朝を迎えていた。
小鳥の囀りが耳に届き、
甘やかな泥の底をたゆたっていた意識が浮上していく……
なんだろう。陽だまりの香りがする。
寝返りをうったオレは、手に当たった柔らかな感触に
顔を押しつけるようにした。
絹のように滑らかな毛が鼻先をくすぐる。
オレはふいに、まだ子供だった頃の記憶――
――母親の店で飼っていた子犬のことを思い出した。
ソイツは大人になる前に死んでしまったけれど、
いい飯を食わせて、毎日洗ってやって、櫛ですいてやったら、
こんな立派な毛並みになっていただろうなぁ、なんてと思う。
……犬?
オレはうっすらと瞼を持ち上げた。
視界に、目映いほどの白が飛び込んでくる。
「なんで……」
「相変わらず、随分と楽しんだようじゃないか」
「…………っ!?」
腰に響く低音のうなり声に、一気に目が覚める。
オレは勢いよく飛び退り、
「いっ……!」
そのままベッドから落下した。
「……ったた、ケツ打ったぁ」
「飛び上がるほど、この俺に抱かれて眠るのは心地良かったか?」
「んなわけ、ねぇだろ!」
オレはベッドの上の人狼に声を張り上げる。
またユリアと入れ替わり、外に出ていたらしい。
ヤツは大きいクッションに体を預け、
優雅に、見覚えのある革張りの本に目を落としていた。
しゃれたことに、鼻の上には小柄な丸メガネが乗っている。
「メガネ……」
狼のくせに目が悪いのか?
それとも、オシャレのつもりか?
ってーか、オシャレって概念がコイツにあるのか?
疑問が口を突いて出る前に、
切れ長の目が、オレをチラリと見た。
「……それで俺を誘っているつもりか?
やはり下品な男だな」
「は?」
きょとんとしたオレは、
自分が素っ裸だったことに気がついた。
「み、見るなよ!」
慌てて人狼に背を向け、オレは
目だけで服を探す。
「汚いものを見せてきたのは貴様だ」
「見せてねえ! ってーか、汚いって言うな!」
「……はぁ。
ユリアは目が悪いのか、頭が悪いのか。
趣味の悪さに、こちらが吐きそうだ。悪夢だ」
「そこまで言うか……」
オレはテーブルの上に綺麗に畳まれた衣類を発見し、
急いでズボンを穿き、袖に腕を通す。
「……獣はいいよな。
裸でも構わねえんだから」
「何か言ったか?」
「いや、何も」
人狼はしばらくオレを睨めつけていたが、
つまらなそうに鼻を鳴らすと、
目線を本に戻す。
着替えを終えたオレは、身の振り方を決めあぐねて、
とりあえず、ネクタイをポケットに突っ込んだ。
それから、中途半端に陽光の差し込む窓へと歩み寄ると、
カーテンを開け放った。
まだ、日は低い。
いつもより早く起きたようだ。
人狼の方が出ているということは、
ユリアはしばらく起きないだろう。
頭の中で1日の動きを組み上げていると、
パタリと本を閉じる音がした。
「……いつまで、俺の部屋に居座るつもりだ。
さっさと出ていけ。貴様は臭くて敵わん」
「さっきからお前な……
さすがに傷付くぞ」
「事実を言ったまでだ。
貴様の匂いは強すぎて読書に集中できん」
「あーあー悪かったよ。すぐ出てくっての」
オレは投げやりに言って、踵を返した。
そのメガネ、度が入ってんのか? とか、
臭いって、オレの体臭そんな強いか? とか、
ユリアもそう思ってたりするのかとか、
いろいろと気になることはあったが、グッと我慢する。
オレがコイツを構う理由はないのだ。
顔を合わせないで済むなら、それに越したことはない。
気を取り直して、オレは部屋を出ようとする。
ドアノブを握りしめ、扉を開け――
それと同時に、「あっ」と声が出た。
どうしても訊いておきたいことを思い出したからだ。
「なあ」
オレは人狼を振り返った。
「お前、その本の5巻知らねえ?」
ヤツが今手にしている本は、
この間、シリーズ物だと教えてくれたものの6巻だと気付いて、
オレは問いを口にした。
先日まで確かに棚に収まっていたのに、
5巻だけが何処を探しても見つからなかったのだ。
ユリアも知らない様子だったし、
それなら、もうコイツしかいない。
この屋敷に本を読む者は、オレを含めたら3人……いや、2人と1頭しかいない。
「5巻?」
人狼が大仰に小首を傾げる。
それから、手の中の本のページを弄ぶようにパラパラと繰ると、
フッと嫌みったらしく鼻で笑った。
「5巻なら昨日焼いた」
「…………は?」
「そろそろ貴様が読む頃合だと思ってな」
そう言って、ニヤニヤと笑う。
「久々に読んだが、面白かったぞ。
ちょうど6巻も読み終えたところだ。
ヒロインが最後どうなるか、教えてやろうか?」
「おまっ、お前っ……陰湿過ぎるだろ!?」
くだらないって言ってたくせに!
「5巻では、戦争に行ったマイクロトフが――」
「わぁぁぁぁああああッッッ!」
オレは逃げるように、ユリアの寝室を飛び出した。
あの作品は、6巻が最終巻だ。
5巻を読み飛ばすなんて出来るわけがない。
オレは足早に仕事に向かいながら、
ポケットの中から、くしゃくしゃになったネクタイを取り出して、
首に巻き付けた。
「……アイツ、マジで嫌い」
廊下をとぼとぼと歩きながら、オレはポツリと呟いた。
枕にすがりつく余裕も失せるほど乱された俺は、
気が付けば意識を失い、朝を迎えていた。
小鳥の囀りが耳に届き、
甘やかな泥の底をたゆたっていた意識が浮上していく……
なんだろう。陽だまりの香りがする。
寝返りをうったオレは、手に当たった柔らかな感触に
顔を押しつけるようにした。
絹のように滑らかな毛が鼻先をくすぐる。
オレはふいに、まだ子供だった頃の記憶――
――母親の店で飼っていた子犬のことを思い出した。
ソイツは大人になる前に死んでしまったけれど、
いい飯を食わせて、毎日洗ってやって、櫛ですいてやったら、
こんな立派な毛並みになっていただろうなぁ、なんてと思う。
……犬?
オレはうっすらと瞼を持ち上げた。
視界に、目映いほどの白が飛び込んでくる。
「なんで……」
「相変わらず、随分と楽しんだようじゃないか」
「…………っ!?」
腰に響く低音のうなり声に、一気に目が覚める。
オレは勢いよく飛び退り、
「いっ……!」
そのままベッドから落下した。
「……ったた、ケツ打ったぁ」
「飛び上がるほど、この俺に抱かれて眠るのは心地良かったか?」
「んなわけ、ねぇだろ!」
オレはベッドの上の人狼に声を張り上げる。
またユリアと入れ替わり、外に出ていたらしい。
ヤツは大きいクッションに体を預け、
優雅に、見覚えのある革張りの本に目を落としていた。
しゃれたことに、鼻の上には小柄な丸メガネが乗っている。
「メガネ……」
狼のくせに目が悪いのか?
それとも、オシャレのつもりか?
ってーか、オシャレって概念がコイツにあるのか?
疑問が口を突いて出る前に、
切れ長の目が、オレをチラリと見た。
「……それで俺を誘っているつもりか?
やはり下品な男だな」
「は?」
きょとんとしたオレは、
自分が素っ裸だったことに気がついた。
「み、見るなよ!」
慌てて人狼に背を向け、オレは
目だけで服を探す。
「汚いものを見せてきたのは貴様だ」
「見せてねえ! ってーか、汚いって言うな!」
「……はぁ。
ユリアは目が悪いのか、頭が悪いのか。
趣味の悪さに、こちらが吐きそうだ。悪夢だ」
「そこまで言うか……」
オレはテーブルの上に綺麗に畳まれた衣類を発見し、
急いでズボンを穿き、袖に腕を通す。
「……獣はいいよな。
裸でも構わねえんだから」
「何か言ったか?」
「いや、何も」
人狼はしばらくオレを睨めつけていたが、
つまらなそうに鼻を鳴らすと、
目線を本に戻す。
着替えを終えたオレは、身の振り方を決めあぐねて、
とりあえず、ネクタイをポケットに突っ込んだ。
それから、中途半端に陽光の差し込む窓へと歩み寄ると、
カーテンを開け放った。
まだ、日は低い。
いつもより早く起きたようだ。
人狼の方が出ているということは、
ユリアはしばらく起きないだろう。
頭の中で1日の動きを組み上げていると、
パタリと本を閉じる音がした。
「……いつまで、俺の部屋に居座るつもりだ。
さっさと出ていけ。貴様は臭くて敵わん」
「さっきからお前な……
さすがに傷付くぞ」
「事実を言ったまでだ。
貴様の匂いは強すぎて読書に集中できん」
「あーあー悪かったよ。すぐ出てくっての」
オレは投げやりに言って、踵を返した。
そのメガネ、度が入ってんのか? とか、
臭いって、オレの体臭そんな強いか? とか、
ユリアもそう思ってたりするのかとか、
いろいろと気になることはあったが、グッと我慢する。
オレがコイツを構う理由はないのだ。
顔を合わせないで済むなら、それに越したことはない。
気を取り直して、オレは部屋を出ようとする。
ドアノブを握りしめ、扉を開け――
それと同時に、「あっ」と声が出た。
どうしても訊いておきたいことを思い出したからだ。
「なあ」
オレは人狼を振り返った。
「お前、その本の5巻知らねえ?」
ヤツが今手にしている本は、
この間、シリーズ物だと教えてくれたものの6巻だと気付いて、
オレは問いを口にした。
先日まで確かに棚に収まっていたのに、
5巻だけが何処を探しても見つからなかったのだ。
ユリアも知らない様子だったし、
それなら、もうコイツしかいない。
この屋敷に本を読む者は、オレを含めたら3人……いや、2人と1頭しかいない。
「5巻?」
人狼が大仰に小首を傾げる。
それから、手の中の本のページを弄ぶようにパラパラと繰ると、
フッと嫌みったらしく鼻で笑った。
「5巻なら昨日焼いた」
「…………は?」
「そろそろ貴様が読む頃合だと思ってな」
そう言って、ニヤニヤと笑う。
「久々に読んだが、面白かったぞ。
ちょうど6巻も読み終えたところだ。
ヒロインが最後どうなるか、教えてやろうか?」
「おまっ、お前っ……陰湿過ぎるだろ!?」
くだらないって言ってたくせに!
「5巻では、戦争に行ったマイクロトフが――」
「わぁぁぁぁああああッッッ!」
オレは逃げるように、ユリアの寝室を飛び出した。
あの作品は、6巻が最終巻だ。
5巻を読み飛ばすなんて出来るわけがない。
オレは足早に仕事に向かいながら、
ポケットの中から、くしゃくしゃになったネクタイを取り出して、
首に巻き付けた。
「……アイツ、マジで嫌い」
廊下をとぼとぼと歩きながら、オレはポツリと呟いた。
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