人狼坊ちゃんの世話係

Tsubaki aquo

文字の大きさ
上 下
22 / 224
番外編1

この美しく閉ざされた世界で、あなたと

しおりを挟む


 僕の叔父さんは吸血鬼です。
 長生きなので、ちょっと変わっています。


* * *


「生誕おめでとう、ユリア」

 ハル叔父さんが僕の出生祝いに来てくれたのは、
 6歳の時だった。

「僕はハル。7月のハル。君の叔父だ。
 プレゼントを持って来たよ」

 叔父さんが、ニコリともせずに僕に差し出したプレゼントは、
 何かの動物の大腿骨だった。

「あの、これは一体……」

「歯が痒い時に噛んだりするでしょ?」

「叔父さんは噛むんですか?」

「噛まないけど」

「え……」

 僕も噛みません。
 そう言おうとした僕は、彼の視線が僕の尻尾と頭上の耳に向けられているのに気付いた。

 あっ、もしかして。
 僕のこと、犬か何かと思っているのかも。
(この耳と尻尾は、数年後、自分で消したり出したり出来るようになった)

「ありがとうございます。大切にします」

「そう」


 次の日、叔父さんは上腕骨を持ってきた。


「どうぞ」

「……叔父さん、この骨は」

「遠慮しなくていいよ。まだたくさんあるから」

「ほっ、骨はっ! その、もう、十分です……ッ!」

 このままだと、一式揃いそうで怖い。
 慌てる僕に、叔父さんは不思議そうに首を傾げる。

「それなら、他に何が欲しい?」

 僕は困った。
 だって、生活に必要なものは全て揃っているのだ。

「あの……叔父さんは、お忙しいんですか?」

「忙しかったことなんてないよ」

「それなら、僕の側にいてください」

 その頃の僕は、母も父も失ったばかりで、寂しかったんだ。
 僕の言葉に、叔父さんは神妙な顔をした。

「肉付きがいいの?」

「骨の話はしてませんってば!」

* * *

 翌日から、叔父さんは僕の遊びに付き合ってくれた。
 虫取りに、バラの世話、いい感じの枝で杖を作ったり、泥団子を磨いたり。


 そして、ある日のこと。

「叔父さん、叔父さん。見てよ。凄く綺麗だよ」

 僕は凄く苦労して捕まえた髭の長い瑠璃色の昆虫――たぶんカミキリムシの一種だろう――を、叔父さんに得意げに見せた。

「コイツ、なんて名前なのかな」

「虫だよ」

 叔父さんが答える。

「虫」

 うん。虫だね。僕は頷いた。

 叔父さんは変わってる。
 長く生きているのに、何にも知らないんだ。
 ううん、彼の目には世界は凄くシンプルに見えてるみたいだった。

「いっ……!」

 その時、虫が鋭い顎で僕の手に噛み付いた。
 隙を付いて、逃げ出す。
 
 その瞬間、パシッと叔父さんが虫を握りしめた。

「こうしておけば、逃げないよ」

 叔父さんが差し出した手のひらの上で、虫はバラバラになっていた。

「ちょっと形は崩れちゃうけど」

「……ありがとう」

 僕はぎこちなく笑って、死骸を受け取った。
 それから、屋敷の端に小さなお墓を作って埋めた。

 その日から、僕は虫を取るのをやめた。

* * *

 それからしばらく経った、雨の日のこと。

 みーみー

 何処からともなく、子猫の声が聞こえてきた。

 声を頼りに庭を巡れば、一匹の黒い子猫を見つけた。
 何処から来たのか、その子はノミだらけで、げっそりと痩せていて、
 雨に濡れて、嫌な臭いがした。

「ねえ、叔父さん。
 今夜だけ、この子を屋敷に入れてもいい?」

 玄関先で、僕はすがるように叔父さんに言った。

「何のために?」

「この子、震えてるよ。
 温めてあげないと、死んじゃうかも」

「それの何がいけないの?」

「死んだら、僕は悲しいよ」

「ユリアは面白い考えをするんだね。
 好きにしたらいいんじゃないかな」

 メイドたちが、お湯を用意してくれて、
 僕は子猫を洗って、ノミを潰した。
 タオルで包み込んで、お湯で薄めたミルクを飲ませる。

「元気になったら、この子は僕の友達になってくれるかな」

「君は友達が欲しいの?」

「うん」

 夜通し、僕は子猫を温めた。

 でも子猫はクタリとしたままで、
 結局、元気になることはなかった。

「もっと早くに見つけてあげられてたら、
 死ぬことはなかったのかもしれない」

 手の中で、命の灯火が揺らいでいる。
 悔しくて、悲しくて、僕は泣いた。

「ユリア、泣かないで」

 叔父さんが、冷たい手で僕の背を撫でる。
 僕は首を振った。

「雨の中、一人ぼっちで助けを待ってたんだ。こんなに弱るまで。
 酷いよ。あんまりだ。僕が……僕がもっと早くに見つけられてたら……」

 か細い声が、耳に蘇る。
 こんなに幼い子が、どれほど怖かっただろう。

「可哀想だよ……」

 鼻をすすった、その時だった。
 叔父さんは何を思ったのか僕の手から子猫を取り上げると、噛み付いた。

「叔父さっ……」

 呆気に取られる。
 行き場をなくした涙が、頬を流れた。

「……ユリア、もう大丈夫」

 叔父さんはゆっくり猫から口を話した。
 猫はフラフラと立ち上がると、

 にー

 と、鳴いた。

「………………」

「ほらね、元気になった」

 そう言って、叔父さんは僕の頭を撫でた。

* * *

 僕はその日、泣き続けた。
 叔父さんはとても困った様子で、どうしたの、と繰り返し尋ねた。
 でも、僕はその時の感情を表す言葉を持っていなくて、
 ひたすら、泣きじゃくった。

「少し出かけてくるよ。明日、また来るから」

 日が暮れると、叔父さんは屋敷を出て行った。
 翌日、彼は戻って来なかった。

 僕はまた、一人ぼっちになった。

* * *

 叔父さんは時間の感覚が人よりもだいぶズレている。
 だから、きっと、数年したら戻って来るかもしれない。
 でも、戻ってこないかもしれない。
 それより何より、泣き止まない僕に愛想をつかしたのかも。

 それからしばらくして、僕は部屋のカーテンを閉め切った。
 そうすれば、メイドたちは昼間にも関わらず僕の部屋を訪れることができるからだ。
 彼女たちは僕が呼び鈴を鳴らすと、すぐに来てくれた。

「おはようございます」

 と、僕が言えば、

「おはようございます」

 と、彼女たちは返してくれる。

「今日はいい天気ですね」

「はい」

「あの、朝ご飯とても美味しかったです」

「はい」

「ええと、その……」

 沈黙が落ちる。

 彼女たちは、僕が話しかけない限り答えてくれない。
 だんだんと口を開く気力もなくなって、僕は肩を竦めた。

「……なんでもないです。引き止めてしまって、すみません」

「失礼いたします」

 彼女たちは、祖父の命令の範囲内ならば、何でも僕のお願いを聞いてくれた。
 でも、それだけだ。

 僕はカーテンを開けた。
 微かな太陽の光は、なおさら僕の孤独を浮き上がらせた。

* * *

 それから10年とちょっと、僕はひたすら本を読み、
 時折、母の残したピアノを弾いた。

「……こほっ、こほっ」

 ある日、書斎で椅子に腰掛けて本を読んでいると、
 乾いた咳がこぼれた。

「『あー』。『あ』、『あ』、『あ』。
 ……はは、声の出し方、忘れちゃいそうだ」

 屋敷は、飾り立てられた墓だ。
 ゆっくりと僕は死に向かっていた。

 窓の外に目を向ける。

 階下に広がる、緑豊かな庭。
 色とりどりの花が咲き乱れ、爽やかな風が、甘い香りを運んでくる。

 この窓から見える世界が、僕の全てだった。
 なんて美しくて、寂しい景色だろう。

* * *

「わぁ、本当だ。本当にハル叔父さんだ!
 突然来るっていうんだもん、驚きましたよ。10年ぶりくらいですか?」

「そうだったかな。よく覚えていないや」

「また明日って言ってから全然音沙汰がなくて、心配してたんですよ」

 唐突に、叔父さんが戻ってきた。
 珍しく、誰かを連れていた。

「……? そちらの方はどなたですか?」

「君の世話係だよ」

「世話係?」

「ほら、前に友達が欲しいって言ってただろう? 
 友達は父さんがダメだって言うから、世話係にしたんだよ」

「覚えていてくれたんですね。嬉しいなあ」

 僕は叔父さんに隠れるように立つ人物に目を向けた。

 あれ?

 初めに感じたのは、違和感だ。
 彼は『緊張』していた。僕を見ると、一瞬、目を見開いて、
 それから小さく頭を下げる。

「……どうも」

 もしかして。
 もしかして、この人は。

「彼はバンさん」

 叔父さんが抑揚のない声で告げる。

「バンさん」

 僕は名前を繰り返すと、彼に一歩近付いた。

「よろしくお願いします。僕はユリアです」

 差し出された手を、彼は戸惑いつつ握り返してくれる。
 その手はとても……とても、温かかった。

「ユリア……坊ちゃん」

「はは、坊ちゃんなんて止めてください。僕のことは、ユリアと」

 バンさんは不思議な香りがした。
 いろんな香りが混ざっている。
 でも、一言で言えば、甘い。凄く甘い香りだ。

 近くによると、ドキリとした。
 首筋に思わず噛み付きたくなった。

* * *

 それから彼と過ごした半年は、夢のような毎日だった。
 彼は僕の欲しい物をたくさん与えてくれた。
 たくさん笑って、驚いて、喜んでくれた。
 秘密基地のガラクタも、僕の拙いピアノの演奏も。

 初めは、彼が僕に優しくするのはお金のためだと思った。
 僕はそれでも十分幸せだった。
 けれど……その考えは誤っていた。

 バンさんは今の僕だけじゃなくて、
 一人で過ごしていた過去の僕すら、救い出すかのように可愛がってくれた。

 僕にとって、彼のぬくもりは……なにものにも代えがたい、宝物になった。

* * *

「ねえ、バンさん。抱きしめてもいい?」

 バラの世話から屋敷へと帰る道すがら、僕は口を開いた。

「なんで、庭仕事終わった後に言うんだよ。
 汗臭いぞ、オレ」

 バンさんが困ったように眉根を寄せる。

「ダメ?」

「ダメだ。シャワー浴びるまで待ってろ」

 歩く速度が上がる。
 そんな彼を、僕は後ろから抱きしめた。

「やだ。待てない」

「……っ!」

 鼻腔を爽やかな汗の香りがする
 首筋に顔を埋めて、僕は吐息をこぼした。
 確認する。彼は生きている。……僕も、生きている。

「お前なあ」

 バンさんは一瞬、僕を押しのけようとしてから力を抜いた。

「……ったく、甘ったれめ」

 ああ、キスしたいな。

 ふいに、そんな思いが胸に去来した。

 彼の唇にキスをしたい。
 物語の中の恋人のように。

 でも、そんなことをしたら、彼はどうするだろう?
 二度と話してくれなくなるかも。
 だって、彼は僕の世話係なのだ。

「そろそろ離せって」

「もう少しだけ、このまま」

 耳朶に唇を寄せて、僕は呟く。

 ねえ、バンさん。僕は寂しい子だから、優しくしてよ。

「……参ったな、ホント」

 バンさんは困ったように笑った。
 僕は抱きしめる腕に力を込めた。


 僕の世界は、窓から見えるだけで全部だ。
 美しいけど、ちっぽけで、閉じられている。
 でも、それで良かったと今なら思う。

 ……だって、ずっとあなたを見つめていられるから。


Fin
しおりを挟む
感想 32

あなたにおすすめの小説

異世界召喚チート騎士は竜姫に一生の愛を誓う

はやしかわともえ
BL
11月BL大賞用小説です。 主人公がチート。 閲覧、栞、お気に入りありがとうございます。 励みになります。 ※完結次第一挙公開。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】伯爵家当主になりますので、お飾りの婚約者の僕は早く捨てて下さいね?

MEIKO
BL
【完結】そのうち番外編更新予定。伯爵家次男のマリンは、公爵家嫡男のミシェルの婚約者として一緒に過ごしているが実際はお飾りの存在だ。そんなマリンは池に落ちたショックで前世は日本人の男子で今この世界が小説の中なんだと気付いた。マズい!このままだとミシェルから婚約破棄されて路頭に迷うだけだ┉。僕はそこから前世の特技を活かしてお金を貯め、ミシェルに愛する人が現れるその日に備えだす。2年後、万全の備えと新たな朗報を得た僕は、もう婚約破棄してもらっていいんですけど?ってミシェルに告げた。なのに対象外のはずの僕に未練たらたらなの何で!? ※R対象話には『*』マーク付けますが、後半付近まで出て来ない予定です。

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

ファミリア・ラプソディア エバーアフター

Tsubaki aquo
BL
「5人で恋人同士」なカップルの日常話+リクエスト頂いたお話をこちらでまとめています。 ●ファミリア・ラプソディア本編完結済み● 本編→https://www.alphapolis.co.jp/novel/807616543/930403429 本編では悲喜交々ありましたが、こちらの日常回では大きな事件は起こらない(たぶん)です。 前書きに、お話の雰囲気のタグを記載しています。 イチャイチャ、まったり、コメディ、アダルトシーン多めの予定。 不定期更新です。 もしもリクエストなどございましたら、 マシュマロ(https://marshmallow-qa.com/aumizakuro) または、 twitter(https://twitter.com/aumizakuro) にて、お気軽にドウゾ!

悩ましき騎士団長のひとりごと

きりか
BL
アシュリー王国、最強と云われる騎士団長イザーク・ケリーが、文官リュカを伴侶として得て、幸せな日々を過ごしていた。ある日、仕事の為に、騎士団に詰めることとなったリュカ。最愛の傍に居たいがため、団長の仮眠室で、副団長アルマン・マルーンを相手に飲み比べを始め…。 ヤマもタニもない、単に、イザークがやたらとアルマンに絡んで、最後は、リュカに怒られるだけの話しです。 『悩める文官のひとりごと』の攻視点です。 ムーンライト様にも掲載しております。 よろしくお願いします。

落ちこぼれが王子様の運命のガイドになりました~おとぎの国のセンチネルバース~

志麻友紀
BL
学園のプリンス(19)×落ちこぼれガイドのメガネ君(18) 卵から男しか産まれず、センチネルという魔法の力がある世界。 ここはそのセンチネルとガイドの才能ある若者達が世界中から集められるフリューゲル学園。 新入生ガイドのフェリックスははっきり言って落ちこぼれだ。ガイドの力を現すアニマルのペンギンのチィオはいつまでたっての灰色の雛のまま。 そのチィオがペアを組むセンチネルを全部拒絶するせいで、マッチングがうまく行かず学園の演習ではいつも失敗ばかり。クラスメイト達からも“落ちこぼれ”と笑われていた。 落ちこぼれのフェリックスの対極にあるような存在が、プリンスの称号を持つセンチネルのウォーダンだ。幻想獣サラマンダーのアニマル、ロンユンを有する彼は、最強の氷と炎の魔法を操る。だが、その強すぎる力ゆえに、ウォーダンはいまだ生涯のパートナーとなるガイドを得られないでいた。 学園のすべてのセンチネルとガイドが集まっての大演習で想定外のSS級魔獣が現れる。追い詰められるウォーダン。フェリックスが彼を助けたいと願ったとき、チィオの身体が黄金に輝く。2人はパーフェクトマッチングの奇跡を起こし、その力でSS級の魔獣を共に倒す。 その後、精神だけでなく魂も重なり合った二人は、我を忘れて抱き合う。フェリックスはウォーダンの運命のボンドとなり、同時にプリンセスの称号もあたえられる。 ところが初めてペアを組んで挑んだ演習でウォーダンは何者かの策略にはまって魔力暴走を起こしてしまう。フェリックスはウォーダンを救うために彼の精神にダイブする。そこで強いと思っていた彼の心の弱さ知り、それでも自分が一緒にいるよ……と彼を救い出す。 2人の絆はますます強くなるが、演習で最下位をとってしまったことで、2人のプリンスとプリンセスの地位を狙う生徒達の挑戦を受けることになり。 運命の絆(ボンド)が試される、ファンタジー・センチネルバース!

侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます

muku
BL
魔術師フィアリスは、地底の迷宮から湧き続ける魔物を倒す使命を担っているリトスロード侯爵家に雇われている。 仕事は魔物の駆除と、侯爵家三男エヴァンの家庭教師。 成人したエヴァンから突然恋心を告げられたフィアリスは、大いに戸惑うことになる。 何故ならフィアリスは、エヴァンの父とただならぬ関係にあったのだった。 汚れた自分には愛される価値がないと思いこむ美しい魔術師の青年と、そんな師を一心に愛し続ける弟子の物語。

処理中です...