上 下
1 / 65
一品目 塩おむすび

一話 空腹は敵

しおりを挟む


 夢を見た。


「お腹空いた……」


 床にゴロリと倒れている小さな女の子が一人、真っ暗な部屋の天井を虚ろに見つめている夢。


 女の子のその瞳は何も映しておらず、ただか細い声で何度も何度も同じことを呟いている。


「お腹空いた……」


 ――そう、何度も。


「……お父さん、お母さん、お腹空いた」


 ◇◆◇◆◇


 空腹は生きる上での最大の敵だとわたしは思う。
 だって空腹は時に正常な思考を奪い、時に死に至る恐ろしいものだから。


「あーーっっ! 小娘! それは閻魔様えんまさまにご用意した握り飯だアカーー!!」

「小娘貴様! 厳粛な裁判中になんという大それたことをするのだアオーー!!」

「!!」



 咎めるような声に、わたしはごくん! と頬張っていたものを全部飲み込む。
 慌ててたからちょっとむせた。


「ごほっ、あれ、ここ……?」

 
 涙目になりながら辺りを見回す。
 気づけば立っていたのは、朱色の柱が幾重にも建つ広い空間。なんだか和風なような中華風なような……不思議な場所。


「どこだっけ? ……ああ、でも」


 そういえばなんだか居心地が悪くてウロウロと視線を彷徨さまよわせていたところで、目の前を美味しそうな艶々のおむすびがゆらゆらと通り過ぎたのだ。
 それを見た瞬間、一気に空腹感が湧いてきて無我夢中でおむすびを引っ掴んで平らげたところまでは覚えている。


「小娘ー! 何ぼーっと物思いにふけっているアカーー!!」

「このオイラたちの怒りが見えていないのかアオーー!!」


 またさっきと同じ、わたしを咎める声が響く。


「え、あ」


 その少々甲高い声がどこから聞こえてくるのかと思ったら、わたしの足下に何やら赤色と青色の小さな生き物がいることに気づいた。
 膝丈くらいしかないその小さな生き物たちは頭に一本角を生やしていて、その見た目はまるで物語に出てくる小鬼のようだ。
 そんな二匹がおむすびの乗った大きなお皿を両手に抱えてプンプンと怒っているのだが、いかんせんマスコットのようにまるっとしたフォルムにつぶらな瞳のせいで全然怖くない。むしろ可愛い。


「ご、ごめんなさい! わたしなんだかとってもお腹が空いてて、そしたらあなた達があんまりにも美味しそうなおむすびを運んできたから、つい……」


 とっさに口から謝罪の言葉が出てくるが、しかしまたも目の前にゆらゆらと揺れる美味しそうなおむすびを目にすると、どうにも空腹感が止まらない。
 わたしはまたひとつ、小鬼が持つお皿からおむすびを拝借して頬張った。


「ああっ!? またお前ってやつはアカ!!」

「どんだけ食い意地張ってんだアオ!!」

「むぐ、む……」


 小鬼たちの静止も無視して、わたしはおむすびを次から次へと皿から取っては口に詰め込む。


〝お腹空いた。お腹空いた〟


 頭の中にか細い小さな女の子の声が響く。
 それに突き動かされるように、わたしはおむすびを頬張った。
 すると口いっぱいに広がる優しい塩味にお腹も心も満たされていく心地がする。

 なにせこのおむすび、ふっくらしたお米の一粒一粒にしっかり塩味が効いていて、ものすごく美味しいのだ!!
 これは作った人と握手したいくらいである!


「ああーっ、美味しかった! ごちそうさま、美味しいおむすびをありがとう!!」


 すっかり空になったお皿を持って呆気にとられている小鬼たちに向かって、わたしはにっこり笑って手を合わせる。


「それはそれはお粗末様でした……って、違うアカ!」

「これは別にお前のために作ったんじゃないアオ!」

「わっ! ごめんなさい!」


 いきなりノリツッコミをしたかと思うと、我に返った小鬼たちがまたプンプンと怒り出した。
 さすがに怒られて当然なのでわたしは何度も下げるが、小鬼たちの怒りは収まらない。
 けれどマスコット的な見た目とヘンテコな語尾も相まって、やはりその姿はどこか愛嬌があって可愛らしい。怒られているのに、なんだか和んでしまう。

 ――しかし、


「別によい。あかねあおい。私よりも腹を空かせた者に食べさせてあげなさい。……人間は飢えにとても弱いのだから」

「!!」


 そんなゆるい空気は、凛とした威厳を感じる美声によってピリッと緊張感のあるものへと一転する。
 ハッと正面を見上げれば、朱色の柱が幾重にも建つ広い空間の奥に、先ほどまでは人物が現れる。
 それに小鬼たちは慌てて居住まいを正し、とりあえずわたしも二匹に倣う。


「神聖な冥土めいどの裁判の場で誠に申し訳ございませんアカ!」

「閻魔様の前で大変お見苦しいところをお見せしてしまいましたアオ……!」


 そう言って低頭する二匹の小鬼の前には豪奢なまるで玉座のような椅子があり、そこに一人の男性が悠然と腰掛けていた。
 金の冠を頭にかぶったその男性にしては細っそりした手にはしゃくを持ち、更に高貴な藤色の道服どうふくを優美に着こなしている。髪は絹のようにサラサラと長い銀髪で、瞳は血のように紅い。
 人というにはあまりにも端正過ぎる顔立ちのこの人は、やはり人ではない証に左右の額に鋭い角が生えていた。


「――……」


 そうだ、ここは冥土。天国と地獄のはざま


 死者たちが生前の行いを裁かれる最後の場所。
 そしてこの目の前の男性こそが小鬼たちが先ほどから言っていた〝閻魔様その人〟


「そっか、じゃあわたしって……」


 ――そう、つまりはわたしは〝閻魔様の死後裁判を受けている真っただ中〟だったのである。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

猫に転生したらご主人様に溺愛されるようになりました

あべ鈴峰
恋愛
気がつけば 異世界転生。 どんな風に生まれ変わったのかと期待したのに なぜか猫に転生。 人間でなかったのは残念だが、それでも構わないと気持ちを切り替えて猫ライフを満喫しようとした。しかし、転生先は森の中、食べ物も満足に食べてず、寂しさと飢えでなげやりに なって居るところに 物音が。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

愛されたくて悪役令嬢になりました ~前世も今もあなただけです~

miyoko
恋愛
前世で大地震に巻き込まれて、本当はおじいちゃんと一緒に天国へ行くはずだった真理。そこに天国でお仕事中?という色々と規格外の真理のおばあちゃんが現れて、真理は、おばあちゃんから素敵な恋をしてねとチャンスをもらうことに。その場所がなんと、両親が作った乙女ゲームの世界!そこには真理の大好きなアーサー様がいるのだけど、モブキャラのアーサー様の情報は少なくて、いつも悪役令嬢のそばにいるってことしか分からない。そこであえて悪役令嬢に転生することにした真理ことマリーは、十五年間そのことをすっかり忘れて悪役令嬢まっしぐら?前世では体が不自由だったせいか……健康な体を手に入れたマリー(真理)はカエルを捕まえたり、令嬢らしからぬ一面もあって……。明日はデビュタントなのに……。いい加減、思い出しなさい!しびれを切らしたおばあちゃんが・思い出させてくれたけど、間に合うのかしら……。 ※初めての作品です。設定ゆるく、誤字脱字もあると思います。気にいっていただけたらポチッと投票頂けると嬉しいですm(_ _)m

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

鬼と私の約束~あやかしバーでバーメイド、はじめました~

さっぱろこ
キャラ文芸
本文の修正が終わりましたので、執筆を再開します。 第6回キャラ文芸大賞 奨励賞頂きました。 * * * 家族に疎まれ、友達もいない甘祢(あまね)は、明日から無職になる。 そんな夜に足を踏み入れた京都の路地で謎の男に襲われかけたところを不思議な少年、伊吹(いぶき)に助けられた。 人間とは少し違う不思議な匂いがすると言われ連れて行かれた先は、あやかしなどが住まう時空の京都租界を統べるアジトとなるバー「OROCHI」。伊吹は京都租界のボスだった。 OROCHIで女性バーテン、つまりバーメイドとして働くことになった甘祢は、人間界でモデルとしても働くバーテンの夜都賀(やつが)に仕事を教わることになる。 そうするうちになぜか徐々に敵対勢力との抗争に巻き込まれていき―― 初めての投稿です。色々と手探りですが楽しく書いていこうと思います。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

処理中です...