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俺が名前を呼んだ夜
滑稽な勘違い
しおりを挟む譲と、まったりとした時間を過ごしたかった。
恋人らしい時間を。
だから、仲直りしたはずの譲を飲み会へ迎えに行こうと思った。
教授に言いつけられた用事を全速力で終わらせて、終わりがけの飲み会の席に駆け込んだ。
きっと譲は、嬉しそうに笑ってくれると信じて。
けれど、譲は。
俺ではない男に抱きついて、幸せそうな寝息を立てていた。
凍りついた俺に、慌てて後輩達はフォローするように……俺から見れば、言い訳をするように、早口で告げた。
「えっと、なんか、たぶん、譲先輩、あいつを涼哉先輩と、間違えてるみたいで」
困り顔の彼らが指す先には、譲が逃がさないとばかりに一人の後輩の腰に手を回し、膝枕で寝入っている。
無言で近づいていくと、譲を腰にぶら下げて途方に暮れた顔をしていた後輩が、ぎょっとした顔で俺を見上げた。
「涼哉先輩っ」
「……随分と、大変そうだな?」
「あははははは……なんか、涼哉先輩と、間違えられてる?みたいで……?」
薄い笑みを浮かべて肩をすくめる俺に、後輩は乾いた笑いを浮かべ、ごにょごにょと喋りながら視線を彷徨わせる。
「えっと、申し訳ないんですが、譲先輩、連れ帰って頂けますか?俺、家で彼女が待ってるので」
強張った顔でわざとらしい苦笑をしてみせる後輩を、俺は大人気なく絶対零度の視線で睨みつける。
「……どうも、譲が世話になったな」
自分でない、他の男の腰にへばりつく譲を引き剥がし、ポケットから数枚の紙幣を取り出し、押し付ける。
「じゃ、お先に」
俺は言葉少なにその場を去った。
意識のない重い体を抱きかかえながら、思考は冷たく冴えわたっていた。
どうやら、知りたくなかった答えを導くための、ピースを目の前に差し出されてしまったようだった。
どれほど愛を囁いても、譲は正面から俺を見なかった。
夜を徹して愛を囁いても、信じていないかのように、聞き流し、言葉だけの愛を返す。
空しくて悲しくて、頼むから俺を見てくれと懇願しても、苦しそうに煽情的な嬌声を上げるばかりで、俺を見てはくれなかった。
プライドを捨てて、名前を呼んでくれと懇願しても、誤魔化されてしまった。
もしかして、俺の名前を呼びたくなかったのだろうか。
俺に抱かれていると、感じたくなかったのだろうか。
『 身 代 わ り 』
唐突にその四文字が、脳裏に浮かび、俺を恐怖で支配した。
初めて思い至った可能性が、さぁっと、背筋が凍らせる。
これまで自分が、周りの人間にしてきた仕打ちを思い出した。
俺と、あいつを、間違えた?
それは、もしかして、逆なんじゃないのか?
なぁ、譲、もしかして。
俺が、身代わりだった、のでは。
恐ろしい予感にえづきそうになりながら、譲を助手席に乗せる。
今日は飲む気がなかったから、車で来ていたのだけれど、正解だった。
「ははっ。かわいー顔して寝てる」
ころんと転がる譲はひどく小さくて、まるで幼い頃のようだった。
酔い潰れた譲を抱えて、どこへ向かおうか迷った。
俺のマンションへ連れて行けばいいかと思ったが、それではいつもと同じになってしまう。
いっそ、譲の酔いが醒めるまでドライブして、そして、聞いてしまおうか。
譲が考えていること、を。
そう決意した頃、譲がふわりと起き上がった。
蕩けた瞳で、赤信号を確認すると、唇に緩い笑みを掃いた。
横目に見つけたその笑みの妖艶さに、ぞくりと下半身が熱く痺れた。
「ゆぅ、ず、ぅあッ」
名前を呼ぼうとすれば、譲は運転席の俺に遠慮なく抱き着いてきた。
右手で首に抱き着き、左手で俺の下肢をなぶる。
首筋にほのかに甘い匂いのする額を擦り付け、ざらりと熱い舌で首を舐め上げてくる。
「っ、はぁ……んの、馬鹿ヤロッ」
譲の誘惑に耐えかねた俺は、早々に近場のホテルへ入ることを決めた。
部屋に入った途端に恥じらいもなく腰を擦り寄せてきた譲に、とうとう理性は焼き切れ、そのまま抱き上げてベッドへ押し倒した。
何度も絶頂を極め、意識が途切れかけた譲を後ろから抱きしめ、俺は耳元へ唇を寄せた。
そして、わずかの躊躇いの後に、そっと唇を動かした。
「ゆずる」
寝言のような振りをして、必死の覚悟で腕の中の体を抱きしめる。
けれど、その瞬間。
「っひぃ」
腕の中の体は強張り、怯えた声を漏らした。
「ゃ」
震える唇から零れ落ちた掠れた拒絶は、俺の心を引き裂いた。
あぁ、やはり、ダメなのだ。
俺が『俺』として、ゆずるを、抱きしめることを。
譲は、望んでいないのだ。
関係をはっきりさせようとすれば、きっと譲はもう俺の腕の中には戻らない。
それならば。
「ん、ふぁあ」
欠伸をしながら目を開く。
トロリとアルコールで蕩けたままの自分の視線を、あえてふらふらと彷徨わせてから、腕の中の体を抱えなおした。
そして。
「もっかい、しよ?」
意識的に欲に塗れた表情を纏うと、ぼんやりしたままの瞳を覗き込む。
譲の丸い目が焦点を結ぶ前に、日に焼けていない真っ白な胸に唇を寄せた。
そして、同意を待たずに、溶けたままの肢体に、意図をもって指先を這わせた。
「ふぁ、ああん」
酒に蕩けた眼球で、蕩けた声帯で、譲はただ闇に誰かの姿を浮かべて、悦びの声をあげていた。
譲の歪んだ視界には、きっと望まぬ者は映っていない。
俺は、映っていないのだ。
どれほど酔っても、譲は俺の名を呼んではくれない。
それが、きっと答えだろう。
俺に名を呼ばれることすらも、譲は望まないのだから。
叩きつけられた現実に、堪えきれぬ絶望が俺の視界を惨めに滲ませた。
汚い涙ごと洗い流そうと、シャワールームへ向かう。
そして俺がシャワーから戻るとベッドは既にもぬけの殻で、愛しい人の体温は消え失せたシーツは既に冷たくなっていた。
「……はは」
なんとなく、そんな予感はしていたのに、実際目の当たりにすると苦しくて、思わずその場に座り込んだ。
何故か乱れた呼吸を必死に整えて立ち上がり、のろのろとジャケットを拾いに行けば、テーブルの上に、小さな置き手紙。
『ごめんなさい。忘れてください。』
「くっ、ふはっ、あっははははは!」
笑いながら、視界が歪んだ。
あぁ、そうか。
忘れて欲しいのか。
忘れるなんて、そんなこと、出来やしないのに。
あの男は、俺と間違えている、と言っていたけれど。
けれど、本当は、逆だったのではないだろう。
俺はこれまで、ずっとあの男の代わりだったのではないだろうか。
それは、座敷で酔い潰れた譲があの男の膝に倒れ込み、縋るように彼のジャケットを掴んでいるのを見た時から抱いていた恐怖めいた確信だった。
俺は、あの男の、身代わりだったのだ。
あの男と俺は、少し似ているから。
あの男は、俺よりも少し背が低くて、俺よりもずっと優しそうだけれども。
これがまさしく因果応報ということだろうか。
笑い出してしまいそうだ。
手に入ることのない譲の面影を求めて、他の人間を欲望のままに抱いていた。
自分の行いが、こうも自分へ跳ね返ってくるとは。
あぁ、滑稽だ。
泣き出したくなるほどに。
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