上 下
14 / 26
俺が名前を捨てた夜

背筋が粟立つような期待

しおりを挟む



隠れ家のようなカフェの奥の席で大西はすでに待っていた。

「大西」
「譲先輩」

見るからに女子が好みそうなお洒落な店の中、所在なく椅子に腰掛けていた大西は俺の顔を見てホッとしたように笑った。

「待たせてごめんな。ちょっと教授につかまっちゃって」

申し訳なさそうに顔の前で手を合わせると、大西は困ったように首を振った。

「いえ、お忙しいこと、分かってますから」
「大西は人間ができてるなぁ」

そう告げれば、年に似合わぬ疲れた顔に弱々しい笑みを浮かべる。

「ははっ、僕なんかに、気を遣わないでください」

どこか居た堪れないような様子の大西は、最後に会った時よりも、更に小さくなったようだった。
実際に少し痩せたのか、それとも、彼の中の光を追うことを諦めて、彼を取り巻く空気がしぼんだのか。
瑞々しく太陽に向かっていたはずの彼の花は、蕾のうちに萎れてしまったようだ。

それもきっと、彼の運命なのだろうけど。



適当に頼んだ皿が次々と運ばれ、ノンアルコールカクテル同士で乾杯する。

「お疲れ様でした。お時間を取ってくださって、ありがとうございます」
「いや、全然。俺も話したかったし」

優しい先輩の顔で言えば、大西は嬉しいというよりも困ったような顔をする。

「……なんだか、不思議です。譲さんと、こうしているの。すごく、ふしぎ」

吐息のように呟いて、大西は目を閉じる。

「すみません……僕の懺悔を、聞いていただけますか」
「ん。いいよ」

そっと目を伏せて、俺は聞く姿勢を取った。
そして、静かに尋ねた。

「なぁ、何があったの。……なんで、終わったの」
「終わったのは、僕が、バカだったからです。身の丈に合わない夢を、見たから」

悲しげに呟いて、大西はグラスの水を一口含んだ。
こくりと小さく嚥下して、躊躇うように視線を机の上で彷徨わせる。
そして何一つ縋るものを見つけられなかった少年は、両手で顔を覆うと、呻くように囁いた。

「ただ快感を享受できていれば……それで満足出来ていたら……まだ、僕にあの手は伸ばされていたのかもしれない、のに」

指の隙間から溢れる雫に気づかないふりをして、俺はじっと言葉を待った。

「声は、許されたけれど、言葉は許されなかった。特に名前は嫌がられていたんだと思います。最初の晩、恐怖もあって、名前を呼びかけようとしたら、『呼ぶな』って、口を押えられたから」

名前を呼ぶことを、禁じられた?
いぶかしく眉を寄せる俺のことなど気にもせず、大西は言葉をぽろぽろと零し続ける。
誰にも言えない恋の顛末を、誰かに覚えておいてほしいのだろう。
俺が利用しようとしていることも知らず、かわいそうなことだ、と少しだけ思った。

「それは理解できたし、まだ我慢できました。涼哉先輩は、きっと『その人』と、僕たちの相違を、なるべく感じたくなかったんだろうって。でも、だんだん、どうしても辛くなって」
「……なんで?」

止まってしまった言葉に、そっと続きを促せば、大西はズルッと洟を啜り、おしぼりを目に当てた。

「何も、言ってくれない、から」
「……へ?」

 言葉を理解できずに瞬く俺に気づくことなく、大西は痛む胸を押さえて、悲痛な声を絞り出す。

「抱かれている間は、ずっと、無言で。まるで自分が存在しない幻のような、魂のない人形になったような気がして、苦しくて、痛くて、どうしようもなくて……!」
「……え?」

なにも、いわない?
あいつが?
まるで、愛されているのだと勘違いするほどに、馬鹿みたいに愛を囁くのに。

誰か知らない人間に向けて捧げられる、蕩けそうなほど甘い睦言に、俺の胸は闇すらも燃え滅ぼしそうなほどに焼け焦げているというのに。

「僕は、人形では、居られなくなってしまったんです」

これは、一体、どういうことなんだ。



***



大西にただ優しい言葉を与え、穏やかに別れの挨拶を終えた後。
一人になった帰路で、俺は、必死に深呼吸を繰り返していた。

完全に、混乱していた。
涼哉との夜は、大西が語るものとは、真逆だった。
いや、名前を呼ばないということは、同じだ。
俺は、敢えて危険を冒したくなんてないから、決してあいつの名を呼ばない。
涼哉も、俺の名は呼ばない。
当然だ、あいつは、相手が俺であることを知らないのだから。

けれど、何も言わない、なんてことはない。
嬌声でない言葉を発したら轡を噛まされるなんて、されたこともない。
どういうことだろう。

あぁ、それは、どういう。

「っ、ダメだ」

過ぎた興奮に、意味の分からない言葉を叫び出してしまいそうな口を押さえる。
ぞっとするような、けれどとてつもなく甘美な期待が、俺の脳を侵し、蝕み、支配する。

「落ち、つけ……ダメだ……」

恐怖に似た昂揚感の中で、しかし明らかに恐怖とは異なる甘い鼓動で胸が弾む。
勝手に高鳴る心臓を押さえ、俺は自分に言い聞かせた。

いけない。
自分に都合のいい解釈なんて、いらない。
天上の夢を見てしまったら、地に堕ちたときに、苦しいだけだ。

そう思いながらも、俺の心臓は背筋の粟立つような期待に、アップテンポでリズムを奏で続けた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

バイバイ、セフレ。

月岡夜宵
BL
『さよなら、君との関係性。今日でお別れセックスフレンド』 尚紀は、好きな人である紫に散々な嘘までついて抱かれ、お金を払ってでもセフレ関係を繋ぎ止めていた。だが彼に本命がいると知ってしまい、円満に別れようとする。ところが、決意を新たにした矢先、とんでもない事態に発展してしまい――なんと自分から突き放すことに!? 素直になれない尚紀を置きざりに事態はどんどん劇化し、最高潮に達する時、やがて一つの結実となる。 前知らせ) ・舞台は現代日本っぽい架空の国。 ・人気者攻め(非童貞)×日陰者受け(処女)。

この愛のすべて

高嗣水清太
BL
 「妊娠しています」  そう言われた瞬間、冗談だろう?と思った。  俺はどこからどう見ても男だ。そりゃ恋人も男で、俺が受け身で、ヤることやってたけど。いきなり両性具有でした、なんて言われても困る。どうすればいいんだ――。 ※この話は2014年にpixivで連載、2015年に再録発行した二次小説をオリジナルとして少し改稿してリメイクしたものになります。  両性具有や生理、妊娠、中絶等、描写はないもののそういった表現がある地雷が多い話になってます。少し生々しいと感じるかもしれません。加えて私は医学を学んだわけではありませんので、独学で調べはしましたが、両性具有者についての正しい知識は無いに等しいと思います。完全フィクションと捉えて下さいますよう、お願いします。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

いつか愛してると言える日まで

なの
BL
幼馴染が大好きだった。 いつか愛してると言えると告白できると思ってた… でも彼には大好きな人がいた。 だから僕は君たち2人の幸せを祈ってる。いつまでも… 親に捨てられ施設で育った純平、大好きな彼には思い人がいた。 そんな中、問題が起こり… 2人の両片想い…純平は愛してるとちゃんと言葉で言える日は来るのか? オメガバースの世界観に独自の設定を加えています。 予告なしに暴力表現等があります。R18には※をつけます。ご自身の判断でお読み頂きたいと思います。 お読みいただきありがとうございました。 本編は完結いたしましたが、番外編に突入いたします。

ヤンデレだらけの短編集

BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。 全8話。1日1話更新(20時)。 □ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡 □ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生 □アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫 □ラベンダー:希死念慮不良とおバカ □デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。 かなり昔に書いたもので、最近の作品と書き方やテーマが違うと思いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

処理中です...