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俺が名前を捨てた夜

思いついた仮説

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「はぁ……」

夜明けから逃げるように、重たい体を引きずって一人の家に戻る。
甘く気怠い疲れに身を任せ、清潔なシーツの上に体を投げ出した。

「あいつ、げんきだなぁ」

指一本動かせそうにない自分の疲労を鑑みて、呆れ半分に感嘆の声が漏れた。
涼哉は今日は一日テニス三昧のはずだ。
近くの大学との親睦会を兼ねた試合で、俺は不参加にしているけれど、涼哉は今の部長に泣きつかれて嫌々参加に丸を打っていた。

「あーよかった!これであの部長の鼻を明かしてやれる!」

丸の打たれた出欠表を見て、嬉しそうに笑っていた現部長は、ギュッと涼哉の両手を握って、切々と言っていた。

「涼哉先輩っ、期待していますので!前日に夜更かししたり飲み過ぎたりしないで下さいね!」

あの様子では、目一杯涼哉を使う気に違いない。
きっと、それなりにハードな日程で試合が組まれているのだろう。

「酒も飲みまくってるし、夜更かしもしまくってるけどな。起きれたのかな、あいつ」

はぁ、と小さくため息をついて、天井を眺める。

最近、思い悩む時間が増えた。
これでいいのか、と。
手に入るのならばそれでいいと、そう願っていたはずなのに、手に入ってしまえば怖くなる。

いつまでも、こんな関係が続くはずはないのだから。

いつの日か、真実は白日の下にさらされて、涼哉が俺を見る目は必ず色を変えるだろう。
その時が来る前に、しれっと『親友』に戻らなければ。
体温を分け合うことができない距離まで離れなければ、と思うのに。

一度得た温かさを、燃える身体を、至福の夜を、自ら手放すことはとても困難だった。
回を重ねるごとに、より強く、より熱く求められる。
その度に感じるのは、僅かの虚しさや切なさ、そしてそれらを凌駕し覆いつくすだけの、大きな喜びと陶酔だ。
まるで中毒のように、涼哉との夜に溺れている自覚はあった。

「ははっ、よくない傾向だな」

ここ一、二年少しずつ距離を置いていたはずなのに、最近は昔と同じくらい近くにいる。
だから、朝も夜も涼哉の匂いと気配がすることに慣れてしまった。
他の誰かが涼哉に触れることを許せなくて、自分がいない隙に誰かに奪われるのではと不安で、側を離れられないのだ。
これじゃあほとんど病気だ、と自嘲してため息をついた。

「……りょうや」

徹底的に俺が妨害をしているからか、おそらく最近の涼哉は、他の人間とこういった行為をしていないのだろう。
しかし、それにしても頻度が多い、と思った。
月に、いや週に何度夜を重ねているのか、と思い首を傾げる。

そして、「そんなにお前の毎日は、腹立たしいことばかりなのか?」と疑問になるほど、最近の涼哉は浴びるように酒を飲む。
周りの人間が心配するほどだ。

「……はらが、たつこと?」

ふと、何かが引っかかった。

「さいきん……?」

……まさか。
俺が一緒にいる、のが嫌なわけでは、ないだろう、が。

思いついた仮説に、俺は凍り付いた。

涼哉は、俺が、嫌なのだろうか。
アルコールに溺れて、誰彼問わず抱きたくなるほど。

まさか。



***



思い悩みながら、大学構内をふらりと歩いていると、見知った人影を見つけた。

「あれ、大西……?」

以前見た時よりも痩せた顔は精彩を欠き、まだ十代のはずが可哀想なほど暗い目をしている。

「大西」

声をかければ、小柄な体をびくりと震わせて大西は立ち止まった。
両手に大きな袋を持ち、肩にはラケットを背負っている。
部室の私物を片付けてきたのだろうと察して、俺は小さく息を吐いた。

「あ、……譲、先輩」

俺の姿を認めた途端、ぶわりと瞳に涙の膜を浮かべた大西に、俺は悲しそうに眉をひそめた。

「今日が、最後か」
「はい」

震える声で頷く大西に、俺は穏やかに微笑みかけた。

「ここで会ったのもなんかの縁だろ。ちょっと話そうぜ」
「譲先輩……、すみません、ありがとうごございます」
「あーもー、泣くなって。後輩が細かいこと気にするな」

本当に、気にしなくてもいいよ。
大西には、教えて欲しいことも、あるのだから。

ランチタイム終了間際の学生食堂に入り、一瞬嫌そうな顔をしたおばちゃんスタッフへ、顔を軽く傾けてにっこりと笑顔でココアを二つ頼む。
閑散とした食堂の隅の席について、こくり、こくりと互いに喉を潤した。
俺と二人きりの静かな空間で、甘いココアを片手に、大西はただ静かに泣いていた。
何も言わない少年を急かすことはせず、俺は言葉なく自分のココアを飲んでいた。
自分の喉が、ココアを嚥下する音だけが、空間に響く。

「僕が、馬鹿だったんです」

俺の手の中のコップが空になった頃、大西がポツリと呟いた。

「身の程を弁えて振舞っていたならば、きっと僕は、もっと」

それ以上は言葉にならず、大西はしゃくり上げながら泣き出した。大西の心はまだ、涼哉で全てが占められているのだろう。
それが痛いほどに伝わってくる。
この後輩の全てを、涼哉が支配しているのだ。
純粋な思慕を弄んだ涼哉は、きっと残酷で非道なオトコなのだろう。
許しがたい、酷い男だ。

だが残念ながら、俺は大西に同情する気にはならないのだけれど。

「……なぁ、大西」

大西の呼吸が落ち着くのを待って、俺はごく自然な調子で、ふわりと問いを落とした。

「なんで、終わったの?」

ずっと知りたかったのだ。

涼哉との関係は、どうやって終わったのか。
その経緯を、詳細に知りたい。
それが今の俺の願いだった。

「そ、れは……」

苦しげに顔を歪めた大西が、血が滲むほどに唇を噛み締める。
葛藤しているらしい後輩の苦悶に満ちた顔を静かに見守り、俺は答えを待った。

「ぼく、が、名前を、……呼ばれたいと、願ってしまったから」
「……うん」

それで?
俺は、その先が知りたいんだよ。



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