身代わりの恋〜お前を手に入れるため、俺が名前を捨てた夜〜

トウ子

文字の大きさ
上 下
7 / 35
俺が名前を捨てた夜

呼べない名前

しおりを挟む


名前を呼べないことが、こんなにつらいとは、思いもしなかった。



最初の夜から、肌を重ねる機会は何度もあった。
探せばいくらだって転がっていて、果たして俺は今までどれだけの人間をみすみす涼哉の家へと見送っていたのだろうと、歯軋りしてしまったほどだった。

「んっ、んあ、あぁあああっ」

真っ暗な寝室のベッドの上で、俺は甘い悲鳴を上げる。
一度、あまりにも甘美な責め苦に耐えきれず声を出してしまってからは、なし崩しだった。
最初こそ涼哉に気づかれるのではないか、と焦ったが、ちっとも変化がないから、声を押し殺すのはやめた。
もっとも、堪えようとしたところで、無理な話ではあったのだが。

涼哉は、手練れだった。

最初の夜に声を堪えきれたのは、俺がまだこの情交に不慣れだったからに過ぎなかったのだ。
いうなれば、快感を知らなかったから、だ。
回を重ねるたびにより深い悦びを教えられる。
もはや自分がなんのためにこの身体と抱き合っているのか、この暗闇の情事の目的を見失いそうになるほどだ。

涼哉も、言葉を発しなかったのは最初の夜だけで、それからは、相手を俺だと認識してはいないものの、睦言じみた言葉を零すようになった。


「お前、マジ最高」

繋がった時に呻かれる声に、背筋を快感が奔る。

「肌がすべすべで、気持ちいいな」

甘く脇腹をたどる指に腹筋が震える。

「嫌がるのもかわいい」

戯れに触れる指から首を捩って逃げようとすれば、楽し気な声が耳を捕らえる。

「俺ら、相性いいんじゃね?」

冗談交じりに熱い吐息に乗せて囁かれる言葉に、愚かしい勘違いしそうになる。

果ては、残酷にも「あいしてる」と、口走ることすら、あるのだ。

これでは、これまでの相手の人間たちが、勘違いしてしまうのも分かる。
まるで、自分が愛されているかのような、優しい指、熱い体、切ない声。
大切に大切に歓びの火を灯されて、泣き声のような嬌声を引き出される。
体の芯を一息に燃え上がらせるような手管に翻弄されて縋りつけば、力強く抱きしめられる。

「愛してるよ、なぁ、……」

愛の言葉の後に、涼哉の口の中ではの名前が呟かれているのだろう。
かすかに漏れる空気の音が、俺の胸をいつもギリギリと締め付ける。
けれど張り裂けそうな痛みに呻けば、優しい腕がそっと縮こまった体を抱きしめてくれるのだ。

「ごめん、苦しかったら言って」

すまなそうな囁きは、けれど欲望の限界を感じさせる温度で。
腹の中で膨張を続け、ドクドクと脈打つ硬い熱は、今にも破裂しそうだ。
けれど、それでもアルコールで意識を混濁させているはずの涼哉は、腕の中のを想って、自分を抑えるのだ。

「んっ、ちょっと、待つ?」
「っ、大丈、夫」
「ううん、馴染むの、待と?ぁ……っ、こら、締めるな」

腰をぶるりと震わせながらも、涼哉は己を宥めるようにふわりと微笑む。
そして腕の中の人間を宥めるように、額にキスを落とし、優しく背を撫でるのだ。

俺ではない誰かを思って為される行為の一つ一つが、あまりにも優しくて、甘くて、悲しい。

あぁ、なんて愛情深く、情熱的なのだろう。
お前は、こんな風に誰かを愛すのか。

「っ、ふぅ、ッ」

快楽に喘ぐフリをして、震える喉からみじめな吐息を絞り出す。
俺はいつも、闇に紛れて泣いていた。

「いいからっ、……シて」
「……はっ、ごめ」
「んっ、あっ、ふぁッ、……ぁああっ」

結局現実を直視したくない俺は、腰を揺らめかせた。
目の前のアルコールに濁り、熱に蕩けた瞳から、すっと視線をそらす。
愛欲に燃える瞳に浮かぶ甘い熱に囚われて、つい愛されているのではと錯覚してしまうのが恐ろしい。
愛されているのが自分じゃないことなど、痛いほど分かっているはずなのに。

「あいしてるよ」
「っ、ぁあっ」

けれど、この声が、この腕が、この熱が。
自分に向けられたものではないのだということを、この忘我の快楽の中で忘れてしまったとしても、誰が責められるというのだろう。
そう思いながらも、俺は必死に理性を繋ぎとめた。

「なぁ、お前は?」
「っ、ん、あい、してる」
「ふふっ」

酔った涼哉が、嬉しそうに笑う。
愛の言葉を欲してくるのに、求められる言葉を返しながらも、絶対に。
どれだけ強請られても、名前だけは呼ばなかった。

「なぁ、……俺のこと、ちゃんと呼んでよ」

自分だって抱いている相手の名前など口にしないくせに、自分は呼んでほしいとせがむのだ。
そんな時は、身勝手な話だと腹立たしいが、けれど同時に安心もする。
俺のに、気が付いていないという証拠でもあったから。

「なぁ、って、ば!」
「ぅ、ひぃっ」

愚図る子供のような口調で詰られ、意趣返しのように深くまで突きあげられる。

「っあ、やぁっ、す、きぃ」

それでも俺は、ただ名前のない愛を零した。
頭の中がぐちゃぐちゃになって、恐怖すら感じるような快感に、名を呼んで縋りつきたい時も。
俺は、どれだけ焦らされ、苛め抜かれても、『リョウヤ』の三音だけは発しなかった。
ただひたすらに、偽りのない愛だけを零したのだ。

だって。
名前を呼んだ、その瞬間。
夢が醒めるのだと、分かっていたから。






あの日の大西の悲鳴が、いつだって耳の奥で木霊している。

『名前を呼びたいだなんて、思うんじゃなかった』
『出来れば、僕の名前を呼んで欲しいなんて、願うべきじゃなかった』
『それは、分不相応な望みだったのに』

焦がれて焦がれて、やっと手に入った熱を失わないために、大西と同じ轍は踏むまいと決めていたのもある。
けれど、大西以上に、俺には名を呼べない理由があったのだ。

だって。
涼哉は、俺が呼んだら、気が付くはずだ。
そう思っていたし、信じてもいた。

気づかれたら、この関係は終わってしまう。
そしておそらくは親友としての場所も失ってしまうだろう。
それだけは、避けたかったのだ。

けれど、本当は。
もっと恐ろしいことがあった。

考えたくもないことだったが、もし。
もしも、俺が名を呼んでも気づかなかった、としたら。

それは、きっと。
俺にとって、この関係の終わりとは、別の終焉を意味していたから。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

青少年病棟

BL
性に関する診察・治療を行う病院。 小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。 ※性的描写あり。 ※患者・医師ともに全員男性です。 ※主人公の患者は中学一年生設定。 ※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

【完結】俺はずっと、おまえのお嫁さんになりたかったんだ。

ペガサスサクラ
BL
※あらすじ、後半の内容にやや二章のネタバレを含みます。 幼なじみの悠也に、恋心を抱くことに罪悪感を持ち続ける楓。 逃げるように東京の大学に行き、田舎故郷に二度と帰るつもりもなかったが、大学三年の夏休みに母親からの電話をきっかけに帰省することになる。 見慣れた駅のホームには、悠也が待っていた。あの頃と変わらない無邪気な笑顔のままー。 何年もずっと連絡をとらずにいた自分を笑って許す悠也に、楓は戸惑いながらも、そばにいたい、という気持ちを抑えられず一緒に過ごすようになる。もう少し今だけ、この夏が終わったら今度こそ悠也のもとを去るのだと言い聞かせながら。 しかしある夜、悠也が、「ずっと親友だ」と自分に無邪気に伝えてくることに耐えきれなくなった楓は…。 お互いを大切に思いながらも、「すき」の色が違うこととうまく向き合えない、不器用な少年二人の物語。 主人公楓目線の、片思いBL。 プラトニックラブ。 いいね、感想大変励みになっています!読んでくださって本当にありがとうございます。 2024.11.27 無事本編完結しました。感謝。 最終章投稿後、第四章 3.5話を追記しています。 (この回は箸休めのようなものなので、読まなくても次の章に差し支えはないです。) 番外編は、2人の高校時代のお話。

もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない

バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《 根暗の根本君 》である地味男である< 根本 源 >には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染< 空野 翔 >がいる。 ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない?? イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。

言い逃げしたら5年後捕まった件について。

なるせ
BL
 「ずっと、好きだよ。」 …長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。 もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。 ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。  そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…  なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!? ーーーーー 美形×平凡っていいですよね、、、、

泣き虫な俺と泣かせたいお前

ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。 アパートも隣同士で同じ大学に通っている。 直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。 そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

処理中です...