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俺が名前を捨てた夜
憎悪に近い嫉妬
しおりを挟む「あ、の、……っ」
ガタガタと震える大西に、俺はにっこりと笑いかける。
「大丈夫、誰にも言わねぇよ」
そっと抱きしめ、そして耳元にとろりと囁いた。
「だから、教えて?……どうして、こうなったのか」
それは、もしかしたら。
俺が最も知りたいことなのかも、しれないから。
「さ、いしょ、は……偶然、でした」
喉に張り付いた言葉を無理やり引き剥がすように、大西は言葉を落とした。
「涼哉先輩が、酔っぱらって、俺がタクシーで家まで送ったんです」
それは、よくある話だった。
最近の涼哉はよく酒を飲み、正体をなくす。
機嫌の悪いときほど、特に。
「玄関の前まで来て、涼哉先輩のポケットから勝手に鍵を出して、ほとんど背負うみたいにして部屋に入って」
虚ろな目で、大西がその夜のことを思い出す。
まるで、世界が終わる日のように。
「リビングまで連れて行って、涼哉先輩をソファに寝転がらせた、ら」
ひゅっと空気が大西の喉を切り裂いた。
「涼哉先輩が、腕を伸ばして。気づいたら、ソファに、押し倒されていたんです」
「ぁ、っ」
あまりの妬ましさに、漏れそうになった声を唇を噛んで押しとどめる。
まだ、聞かなくてならないことが、あるのだ。
「涼哉先輩は、俺が誰だか、分かっていないみたいでした」
悲しそうに笑う大西が、何故か自分と重なって見えた。
俺の顔など気にも留めず、大西はポツリポツリと話し続ける。
「無理やりみたいにキスされて、無言のままでシャツを破くみたいに脱がされて、……それ、で」
その後のことは、聞かなくても分かった。
きっと、許諾もないままに、乱暴に体を暴かれたのだろう。
そっと、大西を抱きしめる。
醜く歪んでいるであろう、俺の顔を隠すために。
「僕、全然嫌じゃなくて。無理矢理だし、辛かったけど、でも、なんだか涼哉先輩の近くに行けたような気がして、嬉しくて」
胸を苛む痛みとともに絞り出される言葉に、俺の胸もギリギリと音を立てる。
「それから、何度も、抱かれました。だいたい、涼哉先輩が酔っている夜で、たまたま、僕が傍にいる時で。わざわざ呼ばれることはなかったから、きっと、他にも相手がいるんだろうな、って。そう思いながらも、なにか言ったら崩れてしまいそうだったから、何も言わずに」
愚かな自分を嘲笑うような、年に似合わない諦めきった口調に、俺の胸は騒めく。
まるで、自分を見ているようだ、と思った。
「……なぁ、なんで、終わったんだ?」
思わず訊いてしまった。
きっと、大西がこの場所を去ろうと、涼哉の前から消えようとしたのは、きっと涼哉が、いや、涼哉との関係の終焉が原因なのだろう、と思ったから。
「それ、は」
顔を歪めた大西は口籠った後、ぶるり、と小さな背中を震わせた。
「ぼく、が、呼んだ、から」
「え?」
「呼んだ、からです。……りょうやせんぱいの、名前、を」
理解できずに、馬鹿みたいに首を傾げる俺の気配を感じて、小さく笑いながら、大西は続けた。
「最初から、なんとなく知っていました」
さらさらと語る大西の声は静かで、涙も乾ききってしまったようだった。
「ぼくは、……いや、ぼくらは、誰かの身代わりなんだ、って。だから、自分の分を弁えて、『自分』を消していなければ、いけなかったのに」
悔やんでも悔やみきれぬように絞り出す呻きは、俺の胸まで強くかき乱し、目の前を真っ暗にした。
「あの、熱情を向けられているのは、自分ではないと、知っていたのに」
***
大西の懺悔を聞き終え、哀れな背中を撫でさすって宥め、席を立った時、ちょうど佐々木が俺たちを探しに来ていた。
近くで心配げに立っていた佐々木に大西を託し、そして俺は白々しいほどいつも通りの顔で、片手を上げて「またな」と笑い、大学を去った。
なぜ涼哉の女遊びが収まったのか、やっと納得した。
簡単な話だ。
男を、相手にしていたからだ。
では、なぜ噂にならなかったのか。
これも、ひどく単純な話だったのだ。
涼哉を心底敬愛し心酔しているような、口の堅い人間を、選んでいたから。
大学の部活では頭一つ飛び出たテニスの腕前と、一般人にしておくには惜しいほどの美貌。
どこかカリスマ性を感じさせる佇まいに、女子だけではなく、男子にも惹かれる者は多かった。
いや、むしろ、女子よりも男子の方が、涼哉へ崇拝に近い感情を抱いているように思われた。
涼哉は表面上は優しく親切だけれど、根本的に他人に興味がなく、そしていつも冷めていた。
そんな涼哉の内側に入り込めたと、彼らは喜んだのだろう。
彼らは、涼哉のためならば、ひょっとすると己の輝かしい未来を捨てることさえも厭わないかもしれない。
それで、涼哉の心に残ることができるのであれば。
現に、大西は、この場所を捨てたのだ。
共に過ごした仲間たちを、築いてきた地位を、輝かしい青春を。
「っ、ふふっ」
堪えきれない笑いが漏れる。
いきなり笑いだした俺を、すれ違ったカップルがギョッとしたように見て、さりげなく距離を取った。
彼女を守るように歩く制服姿の少年に微笑ましさを覚えながら、俺は深く息を吐く。
「……なるほど、ねぇ」
涼哉には、好きな奴がいる。
それは、別に驚くことではなかった。
けれど、好きな人間の代わりに他の人間を抱ける奴だとは、思ってもいなかった。
それも、男、を。
事実を知った時、胸を渦巻いたのは、後悔だった。
そうと知っていれば、打つ手もあったのに。
他の人間ばかりが、やすやすとあいつの手に触れていたのだと、あいつの体に触れていたのだと、知った瞬間、憎悪に近い嫉妬が体の中を吹き荒れた。
ずっと近くにいたのだ。
酒を飲む機会も、数え切れぬほどあった。
指を折る気にもならないほど幾度も、隣でともにアルコールに溺れた。
正体をなくしたあいつの頭を、戯れに撫でて満足していた自分を殴ってやりたい。
泥酔したあいつを家に送ったのが、もし俺だったら。
そう考えると、気が狂いそうだった。
いくらでもあったであろう好機を逃していたであろう自分が、悔しくて仕方がない。
俺が、知らない手を、唇を、指を、熱を。
他の人間が知っているだなんて。
「許せねぇ、なぁ?」
恍惚に近い陶酔の中で、ドロリとした暗い感情を掬い上げる。
唇を笑みの形に歪めて、ごくりと唾を呑んだ。
まだチャンスはいくらでもある。
なにせ、俺たちは、親友なのだから。
「酔ってりゃあ、誰でも構わねぇんだろ?」
じゃあ、俺だって、いいはずだ。
だって、所詮は身代わりなのだから。
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