宦官は永遠の愛を王に捧ぐ

トウ子

文字の大きさ
上 下
4 / 6

治世のはじまり

しおりを挟む


 ***



 長い戦が終わった。
 鳳寿は愚王を討ち、新王を名乗って即位した。
 不穏分子はそこかしこに燻っているものの、形ばかりの平穏が訪れたのだ。



「後宮など、諸悪の根源だ」

 焼け焦げた前王の執務室に代わり、新たに王の執務室となった部屋で、鳳寿は忌々しげに吐き捨てた。

「……まぁ、以前の有様を知る者としては、おおむね同意しますが」

 そう言いながらも、華英は渋い顔で首を傾げて意見する。
 華英は、戦乱の最中、片時も鳳寿の隣を離れず、血の中で馬を駆り、夜を徹して戦略を練り、共に勝利への道を走り抜けた。

 そして、鳳寿が新王として即位すると同時に勅命を受け、宰相となっている。
 個の圧倒的な武力で戦力の差を握り潰し、凄まじい速さで国土を制したとして恐れられている王に、まっすぐ物を申せる数少ない人間だった。

「けれど、正しい血筋の王の子が居なければ国が荒れます。後宮は必要悪でしょう」
「うまく使えれば、な。だが、後宮が正しく機能する可能性はほとんどない」

 人間の欲深さと堕落の容易さを嘲り、鳳寿は淡々と暗い未来を予想する。

「後宮は私欲に溺れた化け物の巣窟となり、腐敗は表に波及して、やがては宮廷までも再び血と毒に塗れることになるだろう」
「鳳寿……」

 華英は痛ましげに眉を寄せた。

 かつての透き通る理想を胸に抱き、信じる道を駆け抜けていた溌剌とした青年は、もうどこにも居ない。
 この世の醜さを直視した瞳は暗く翳り、己の手で流した血を吸って心は重く沈んでしまったのだ。
 けれど。

「だが、……そんなことは、させん」

 ポツリと呟かれた鳳寿の言葉に、華英は目を見張り、そしてゆるりと頬を緩めた。

「この国を、俺は、一から作り直すのだ」

 鳳寿の黒い瞳にはぎらつく夏の太陽のような光が宿り、生気が蘇っていた。
 まるで、希望に燃えていた若き日のように。





「決めたよ、華英」

 ある夜。
 城下を視察に出かけ、夜遅くに執務室へ戻ってきた鳳寿は、覚悟を決めた声で言った。

「後宮は、残す。人質の住まいとしてな」

 うっそりと笑った鳳寿に、華英は片眉を上げて詳しい説明を求めた。
 その話題を、鳳寿はずっと避けていたはずだった。
 ある程度宮廷を整え、もう目を逸らせないところまで来ていたので、近々話さなければ、と華英も思っていたのだが。

「後宮は王の『妻』を入れるところでしょう。人質とは、また物騒な。……どういう意味です?」
「有力な家の娘をまとめて入れられる、素晴らしい制度だと気づいたのだ」

 素晴らしい気づきだった、と大袈裟に両腕を広げて見せる鳳寿に、華英は柳眉を顰める。

「……人質としては、弱いでしょう。どの家も、後継にもならない娘の命など、大して重いと思っていませんよ」

 あっさりと問題点を指摘すれば、鳳寿も「そうだな」と同意しながら、狡猾に笑みを深めた。

「娘だけでは弱い。だから、各家の正妻も、娘の世話係の名目で人質として入れようと思う」

 人妻を後宮に入れるという、鳳寿の突拍子もない思いつきに、華英はぽかんと口を開けた。

「正妻は、家と家の結びつきとして嫁いでいる女達だ。何かあれば実家が黙ってはいまい。……女達は、武力を持たず、か弱い。扱いやすい人質だしな」

 ははは、とどこか自虐的に声を上げて笑いながら、鳳寿は椅子に座る。
 酷く疲れた様子で深いため息をつき、鳳寿は両手で顔を覆った。
 憔悴した鳳寿の様子に、小さく首を傾げながらも、そっと華英は盃を差し出す。
 注がれた酒気のない水を一息に飲み干し、鳳寿は血を吐くような声で告げた。

「だが、名目は後宮だ。俺は、そこに入る女達を抱くだろう。王の後宮とは、そういう場所だからな。そして俺は、子を作らねばならない。次代を任せる、優れた子を」

 それが王の務めだ、と呻く鳳寿は、愛の伴わない交合も、愛していない女に子を産ませることも、苦痛なのだろう。
 根が潔癖な少年のままの、この王は。

 どこか冷静に状況を俯瞰しながら、華英は言葉を発することなく静かに立っていた。
 鳳寿が何を伝えたいのか、正確に理解するために。

「だから……お前だけを見ていられない俺には、もうお前を愛する資格すらないのだ」
「……っ」

 何年かぶりの言葉に、華英は思わず息を飲む。
 月と星だけが騒めく夜空の下で告げられて以来、一度として口にされたことのない、愛の言葉だった。

「長い間縛り付けて悪かった。もう、国はあらかた治ったのだ。お前も己の幸せを見つけるがいい。……何処へなりと行け」

 言い捨てて、耐えきれないとでも言うように視線を落とす鳳寿に、華英はくしゃり、と顔を歪める。

「…………あなたは、本当に」

 常に沈着冷静で容赦ない裁断を下し、鉄面皮の宰相と呼ばれる男の顔ではない。
 まるで泣き出す直前の幼子のような顔で、噛み締められて赤みを増した唇は、震える笑みを形作っている。

「見栄っ張りの、大馬鹿者ですね」

 鳳寿から愛されていることなんて、華英はずっと昔から知っている。
 心臓が痛いほどに理解している。

 命を預けあい、生死の境を駆け抜ける中で、幾度となく愛情を叩きつけられた。
 言葉は宣言通りに、一度きり。
 けれど、ふとした時に向けられる熱い視線で、駆けつけた男の冷え切った体温で、死を覚悟した瞬間の命を懸けた態度で。
 その愛は、あからさますぎるほどに。

「なんでそんなに、天邪鬼なんですか、あなた。単純人間のくせに」

 本当は、きっと。
 どこにも行くなと言いたいのだろうに。
 この男は、涙を堪えて華英の手を離すのだ。

 自分では、華英を幸せに出来ないと。
 華英の幸せだけを願って。

 華英の幸せは、鳳寿の側にしかない、なんて、思いつきもしないで。
 泣きそうな顔で、どこにでも行け、と残酷な命令をするのだ。

「はぁ……ほんとうに、愚かなひと」
「え?」

 ぽつりと落とされた呟きが、あまりに落ち着いたものだったから、奥歯を噛み締めて俯いていた鳳寿は、訝しげに顔を上げた。
 どこか諦観したような、もしくは運命を受け入れたような穏やかな目で、華英はふわりと微笑んだ。

「ねぇ、鳳寿」

 ゆるりと細められた眦には扇情的な色香が匂い立ち、長い睫毛の隙間から見え隠れする潤んだ瞳に、戸惑う鳳寿の顔が映った。
 まるで魅入られたかのごとく、黒眸を見つめ返す鳳寿に、華英は暗示をかけるように囁いた。

「最後の夜だと仰るのなら、最後の夜らしく」

 密やかな声は、夜の空気を震わせて、鳳寿の鼓膜を細かく揺さぶる。

「せめて、この肌に触れようとは思わないのですか?」
「な、にを……そんな、不道徳な」

 耳から流し込まれた甘美な誘惑が、脳を侵し切る前に、必死に拒もうとする鳳寿の潔癖な理性を嘲笑して、華英は目の前の興奮で赤らんだ頬にそっと触れた。
 戦が終わってから剣を持つこともなくなり、すっかり柔らかさを取り戻した、白魚のごとき手で。

「鳳寿……相変わらず、綺麗事好きで臆病者な我が友。そして、誰よりも勇猛果敢で心正しき我が君。あなたの信念も道徳も、私にはどうでも良いのです」

 鳳寿を鳳寿たらしめる、水晶のような透明さをどろりと溶かして、奥に潜む獣の欲望を呼び起こす。

「欲しいのならば、どうかその武骨な手で掴んでくださいな、っ」

 呪詛に似た懇願が終わった刹那、華英は逞しい腕に捕らえられていた。

「なぜ、誘う。なぜ、堕落に手を引く。なぜ、……一度でもお前の肌に触れたら、離せなくなると分かっているのに!」

 慟哭のような告白に、華英は満ち足りた笑みを浮かべて、広い背中に両腕を回した。
 宥めるように背を撫でて、耳許で囁く。

「離さなくてもよろしいのですよ。ねぇ、私の鳳寿。あなたは私の王なのですから。あなたが為すことが、王道なのです」




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

俺は触手の巣でママをしている!〜卵をいっぱい産んじゃうよ!〜

ミクリ21
BL
触手の巣で、触手達の卵を産卵する青年の話。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

お客様と商品

あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)

BL短編まとめ(現) ②

よしゆき
BL
BL短編まとめ。 冒頭にあらすじがあります。

処理中です...