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治世のはじまり
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長い戦が終わった。
鳳寿は愚王を討ち、新王を名乗って即位した。
不穏分子はそこかしこに燻っているものの、形ばかりの平穏が訪れたのだ。
「後宮など、諸悪の根源だ」
焼け焦げた前王の執務室に代わり、新たに王の執務室となった部屋で、鳳寿は忌々しげに吐き捨てた。
「……まぁ、以前の有様を知る者としては、おおむね同意しますが」
そう言いながらも、華英は渋い顔で首を傾げて意見する。
華英は、戦乱の最中、片時も鳳寿の隣を離れず、血の中で馬を駆り、夜を徹して戦略を練り、共に勝利への道を走り抜けた。
そして、鳳寿が新王として即位すると同時に勅命を受け、宰相となっている。
個の圧倒的な武力で戦力の差を握り潰し、凄まじい速さで国土を制したとして恐れられている王に、まっすぐ物を申せる数少ない人間だった。
「けれど、正しい血筋の王の子が居なければ国が荒れます。後宮は必要悪でしょう」
「うまく使えれば、な。だが、後宮が正しく機能する可能性はほとんどない」
人間の欲深さと堕落の容易さを嘲り、鳳寿は淡々と暗い未来を予想する。
「後宮は私欲に溺れた化け物の巣窟となり、腐敗は表に波及して、やがては宮廷までも再び血と毒に塗れることになるだろう」
「鳳寿……」
華英は痛ましげに眉を寄せた。
かつての透き通る理想を胸に抱き、信じる道を駆け抜けていた溌剌とした青年は、もうどこにも居ない。
この世の醜さを直視した瞳は暗く翳り、己の手で流した血を吸って心は重く沈んでしまったのだ。
けれど。
「だが、……そんなことは、させん」
ポツリと呟かれた鳳寿の言葉に、華英は目を見張り、そしてゆるりと頬を緩めた。
「この国を、俺は、一から作り直すのだ」
鳳寿の黒い瞳にはぎらつく夏の太陽のような光が宿り、生気が蘇っていた。
まるで、希望に燃えていた若き日のように。
「決めたよ、華英」
ある夜。
城下を視察に出かけ、夜遅くに執務室へ戻ってきた鳳寿は、覚悟を決めた声で言った。
「後宮は、残す。人質の住まいとしてな」
うっそりと笑った鳳寿に、華英は片眉を上げて詳しい説明を求めた。
その話題を、鳳寿はずっと避けていたはずだった。
ある程度宮廷を整え、もう目を逸らせないところまで来ていたので、近々話さなければ、と華英も思っていたのだが。
「後宮は王の『妻』を入れるところでしょう。人質とは、また物騒な。……どういう意味です?」
「有力な家の娘をまとめて入れられる、素晴らしい制度だと気づいたのだ」
素晴らしい気づきだった、と大袈裟に両腕を広げて見せる鳳寿に、華英は柳眉を顰める。
「……人質としては、弱いでしょう。どの家も、後継にもならない娘の命など、大して重いと思っていませんよ」
あっさりと問題点を指摘すれば、鳳寿も「そうだな」と同意しながら、狡猾に笑みを深めた。
「娘だけでは弱い。だから、各家の正妻も、娘の世話係の名目で人質として入れようと思う」
人妻を後宮に入れるという、鳳寿の突拍子もない思いつきに、華英はぽかんと口を開けた。
「正妻は、家と家の結びつきとして嫁いでいる女達だ。何かあれば実家が黙ってはいまい。……女達は、武力を持たず、か弱い。扱いやすい人質だしな」
ははは、とどこか自虐的に声を上げて笑いながら、鳳寿は椅子に座る。
酷く疲れた様子で深いため息をつき、鳳寿は両手で顔を覆った。
憔悴した鳳寿の様子に、小さく首を傾げながらも、そっと華英は盃を差し出す。
注がれた酒気のない水を一息に飲み干し、鳳寿は血を吐くような声で告げた。
「だが、名目は後宮だ。俺は、そこに入る女達を抱くだろう。王の後宮とは、そういう場所だからな。そして俺は、子を作らねばならない。次代を任せる、優れた子を」
それが王の務めだ、と呻く鳳寿は、愛の伴わない交合も、愛していない女に子を産ませることも、苦痛なのだろう。
根が潔癖な少年のままの、この王は。
どこか冷静に状況を俯瞰しながら、華英は言葉を発することなく静かに立っていた。
鳳寿が何を伝えたいのか、正確に理解するために。
「だから……お前だけを見ていられない俺には、もうお前を愛する資格すらないのだ」
「……っ」
何年かぶりの言葉に、華英は思わず息を飲む。
月と星だけが騒めく夜空の下で告げられて以来、一度として口にされたことのない、愛の言葉だった。
「長い間縛り付けて悪かった。もう、国はあらかた治ったのだ。お前も己の幸せを見つけるがいい。……何処へなりと行け」
言い捨てて、耐えきれないとでも言うように視線を落とす鳳寿に、華英はくしゃり、と顔を歪める。
「…………あなたは、本当に」
常に沈着冷静で容赦ない裁断を下し、鉄面皮の宰相と呼ばれる男の顔ではない。
まるで泣き出す直前の幼子のような顔で、噛み締められて赤みを増した唇は、震える笑みを形作っている。
「見栄っ張りの、大馬鹿者ですね」
鳳寿から愛されていることなんて、華英はずっと昔から知っている。
心臓が痛いほどに理解している。
命を預けあい、生死の境を駆け抜ける中で、幾度となく愛情を叩きつけられた。
言葉は宣言通りに、一度きり。
けれど、ふとした時に向けられる熱い視線で、駆けつけた男の冷え切った体温で、死を覚悟した瞬間の命を懸けた態度で。
その愛は、あからさますぎるほどに。
「なんでそんなに、天邪鬼なんですか、あなた。単純人間のくせに」
本当は、きっと。
どこにも行くなと言いたいのだろうに。
この男は、涙を堪えて華英の手を離すのだ。
自分では、華英を幸せに出来ないと。
華英の幸せだけを願って。
華英の幸せは、鳳寿の側にしかない、なんて、思いつきもしないで。
泣きそうな顔で、どこにでも行け、と残酷な命令をするのだ。
「はぁ……ほんとうに、愚かなひと」
「え?」
ぽつりと落とされた呟きが、あまりに落ち着いたものだったから、奥歯を噛み締めて俯いていた鳳寿は、訝しげに顔を上げた。
どこか諦観したような、もしくは運命を受け入れたような穏やかな目で、華英はふわりと微笑んだ。
「ねぇ、鳳寿」
ゆるりと細められた眦には扇情的な色香が匂い立ち、長い睫毛の隙間から見え隠れする潤んだ瞳に、戸惑う鳳寿の顔が映った。
まるで魅入られたかのごとく、黒眸を見つめ返す鳳寿に、華英は暗示をかけるように囁いた。
「最後の夜だと仰るのなら、最後の夜らしく」
密やかな声は、夜の空気を震わせて、鳳寿の鼓膜を細かく揺さぶる。
「せめて、この肌に触れようとは思わないのですか?」
「な、にを……そんな、不道徳な」
耳から流し込まれた甘美な誘惑が、脳を侵し切る前に、必死に拒もうとする鳳寿の潔癖な理性を嘲笑して、華英は目の前の興奮で赤らんだ頬にそっと触れた。
戦が終わってから剣を持つこともなくなり、すっかり柔らかさを取り戻した、白魚のごとき手で。
「鳳寿……相変わらず、綺麗事好きで臆病者な我が友。そして、誰よりも勇猛果敢で心正しき我が君。あなたの信念も道徳も、私にはどうでも良いのです」
鳳寿を鳳寿たらしめる、水晶のような透明さをどろりと溶かして、奥に潜む獣の欲望を呼び起こす。
「欲しいのならば、どうかその武骨な手で掴んでくださいな、っ」
呪詛に似た懇願が終わった刹那、華英は逞しい腕に捕らえられていた。
「なぜ、誘う。なぜ、堕落に手を引く。なぜ、……一度でもお前の肌に触れたら、離せなくなると分かっているのに!」
慟哭のような告白に、華英は満ち足りた笑みを浮かべて、広い背中に両腕を回した。
宥めるように背を撫でて、耳許で囁く。
「離さなくてもよろしいのですよ。ねぇ、私の鳳寿。あなたは私の王なのですから。あなたが為すことが、王道なのです」
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