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いつか幸せを抱きしめて〜運命の番に捨てられたαと運命の番を亡くしたΩ〜
新しい日常
しおりを挟む真の意味での初夜を迎えた数月後。
雅哉は、ヒートを迎えた祐正のうなじを噛んだ。
何度も優しくくちづけ、赤い吸い痕を重ねた後。
柔らかな白肌に、ぎりりと鋭い歯を喰い込ませたのだ。
「ぅ……」
小さな恍惚の呻きを漏らす祐正を背後から抱きしめながら、満たされた心地で吐息をつく。
ゆっくりと歯牙を離せば、そこには綺麗に並んだ歯形があった。
「……これで、私たちは番だよ」
跡を指先で撫でて囁けば、祐正は体を反転させて雅哉と向かい合い、腕を伸ばした。
細い腕に引き寄せられるまま、顔を近づける。
「祐正」
「雅哉さま」
熱に潤んだ目を見つめ、そっと額を合わせた。
どちらからともなくゆるりと微笑む。
「しあわせだ」
「しあわせです」
二人の唇からこぼれた言葉は、そっと綺麗に重なる。
惹かれ合うように顔を寄せれば、二つの唇は自然と一つに溶けた。
「あれ、祐正、……君、指輪はどうしたの?」
ほっそりとした薬指に嵌るプラチナの輝きに、ふと違和感を抱き、雅哉は片眉を上げた。
見慣れたものよりも、真新しい指輪は、おそらく雅哉が贈ったものだ。
東條が祐正に贈ったものではなく。
「あぁ、……付け替えました」
あっさりと言う祐正に、雅哉は眉を顰めた。
「そんな。大切にしていたものなのでは?私に気を遣っているのならば、そんな必要はないよ」
祐正がどれだけ東條の指輪を大切にしていたか知っている雅哉は、むしろ慌てた。
けれど。
「いいのです。悠一郎様がくれた思い出も、愛情も、私の中に息づいています。全て私の一部となって、消えることはありません。……だから、物に頼る必要はないと気づいたのです」
「……」
祐正の力強い言葉と澄み切った表情に、雅哉は言葉を失った。
想像よりも遥かに深い愛情に裏付けられた、自信と強さ。
それは東條が祐正を真実愛したことの証明だ。
そして、この先を生きていく番への、東條からの贈り物なのだろう。
立ち尽くす雅哉の前で、祐正は薬指のリングを右手でそっとなぞり、幸福そうに微笑む。
「今、僕はあなたの妻ですから」
春に咲き初める花のようにくすみなく笑い、祐正は恥じらってうっすらと頬を染めた。
「あなたの妻として、この指輪をしているのです。……察してくださいな、まったくもう。鈍感なんですから」
「すまない……では」
こみ上げる愛しさに、雅哉は大股で祐正へ近づき、両腕で抱き寄せた。
引き寄せる腕を拒むことなく、トン、と自ら軽やかに飛び込んできた祐正を、雅哉は力いっぱい抱き締める。
雅哉は優しく綻んだ顔で妻を見つめ、甘い声で尋ねた。
「愛しい私の奥さん、今宵はベッドに誘っても構いませんか?」
「ふふ、聞かなくてもよろしいのに。……だって」
年上の夫の可愛らしいお伺いに、祐正はふわりとはにかんで目を伏せた。
「僕たちは、愛を誓い、永遠に番った、夫婦なのですから」
結婚から数年後。
雅哉と祐正の間に娘が生まれた。
五十歳を過ぎ、雅哉の人生は再び大きく変わったのだ。
「私たちの唯華はもしかして、世界一可愛いのではないだろうか」
真剣な顔で生まれたばかりの娘を見る雅哉を、祐正はころころとおかしそうに笑った。
「何を言っているのだか……むしろ僕の旦那様は、こんなに可愛い人だったんですねぇ」
母となり、慈愛の深まった瞳を細め、祐正は幸せそうに首を傾げる。
雅哉がぐずり始めた唯華を託せば、慣れた手つきで乳を与えた。
少しだけ膨らんだ乳房の先端の蕾を小さな口に含ませ、柔らかく微笑む姿は聖母のようだ。
「……美しいな」
「え?」
「いや、まるで聖母だな、と思って」
心のまま素直な感想を吐露すれば、祐正は初々しく頬を染めて「……まったくもう」と唇を尖らせる。
(唯華を身籠ったヒートの時には、驚くほど積極的に乱れて、あんなに妖艶だったのに)
心の中で思い返しながら、目の前の祐正を見つめる。
聖母のように唯華の世話をしている顔や、まるで乙女のように恥じらう顔を脳裏に思い浮かべ、ギャップの大きさにクスリと笑む。
(本当に飽きないな)
目を細め、妻を見つめていた祐正は、そっと祐正の腕の中の娘へ視線を移した。
祐正の隣に腰掛けて、生命力に満ちた嬰児を見守る。
力強く乳を飲む様は、生まれたばかりゆえの、剥き出しの本能を感じさせる。
生きるという、それだけの目的で生きている、濁りのない、美しい存在。
「強く、たくましく、したたかに育てよ、唯華」
赤子の柔らかな栗色の髪をそっと撫でて、雅哉が祈るように呟くと、祐正は小さく吹き出した。
「ふふ、娘に願うこととしては、風変わりですね」
揶揄うような目で見てくる祐正に肩をすくめ、雅哉はにやりと笑う。
そして、愛する妻の肩を抱き寄せ、耳元で囁いた。
「大切だろう?自分で幸せを掴むためには、な」
息子のことも充分に可愛かったが、娘というのはまた別種の可愛さだ。
しみじみと思いながら、雅哉は唯華を存分に可愛がって育てた。
成長した息子たちに「経験を積め」と言って仕事を振り、その分の時間を家庭に充てることにしたのた。
「一足早く隠居ですか?」
呆れたように言いながらも、物分かりの良い息子たちは軽く肩をすくめるだけで了承してくれた。
年の離れた妹を、彼らも大層可愛がっていたので。
そして、哀れな父親にやっと訪れた穏やかな幸せを、喜ばしく思っていたので。
「唯華は本当に可愛いな」
雅哉は毎朝娘の顔を見るたびに呟いた。
その感想は、親の欲目もあったであろうが、概ね事実だった。
祐正によく似た面差しの唯華は、幼いながらも将来が危ぶまれるほどの美しさだった。
人見知りせず、誰に抱かれても嬉しそうに笑うので、皆が争って抱きたがった。
「唯華は久遠家のアイドルだな」
「むしろ傾城では?将来、この子が下手なことを願えば、きっと我が家は潰れますよ」
唯華は、警戒心が強く厭世的な久遠家のアルファ達を、ことごとく虜にした。
その愛らしさは、もしかするとオメガ性によるものだったのかもしれない。
後にそう語られるほど、唯華は久遠家の愛の中心になった。
オメガという存在へ久遠家の者たちが無意識に抱いていた、悪意や苦手意識を、いつの間にか消してしまうほどに。
そして競い合うように愛を注がれて、唯華はすくすくと成長した。
「だぁれだ」
「ん?誰だろうなぁ……あ、わかった!唯華だ!」
「せいかぁい」
突然小さな手で目隠しをされた雅哉は、小さく肩を揺らしてから愛娘の名を呼んだ。
楽しげな声を上げてはしゃぐ娘を膝に抱き上げ、何とも言えない表情で視線を彷徨わせる。
そして目があった祐正に、小さく笑われて肩を落とすのだ。
唯華は目隠しが好きだ。
たぶん、夜に雅哉が戯れに祐正に目隠しをしていたところを目撃したからだろう。
慌てて遊びのひとつだと誤魔化したのがいけなかったのか、それ以来唯華はしょっちゅう手やタオルで目隠しをしようとしてくる。
将来、唯華が雅哉の嘘に気がついた時のことが、雅哉は不安で仕方がない。
それを言うと、祐正は呆れた顔をするのだけれども。
(祐正だって、わりと乗り気なくせに……)
雅哉と祐正の間で目隠しは、気に入りの夜のシチュエーションのひとつである。
唯華に見つかってからも、お蔵入りになることはなく続いているほどに。
けれど、唯華に目隠しをされるたびに雅哉は「唯華は目隠しをして抱いた夜に授かった子なのかもしれない」という思いが去来し、妙な気分になってしまうのだ。
まぁ、もっとも、心を悩ませるのはそれくらいで。
雅哉は人生の中で一番幸せで、穏やかな日々を過ごしていたのだった。
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