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いつか幸せを抱きしめて〜運命の番に捨てられたαと運命の番を亡くしたΩ〜

初夜に零された涙

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二人の挙式は、親族だけで静かに行われた。
とも再婚であり、前の結婚のことも知られているため大々的は披露宴は避けたのだ。

神前に立つ祐正の薬指には、雅哉が贈った結婚指輪が嵌められている。
細い指を拘束する、プラチナの細いリング。
祐正の番が雅哉となったことを示す、印だ。

(指輪、か……)

己の指と祐正の指を交互に見つめ、雅哉は静かに一つの決意をした。





挙式を終え、入念な入浴を終えた祐正は、廊下でひとり深呼吸をしていた。

コン、コン、コン

今日から夫婦の寝室となる部屋の扉をそっと叩くと、中から雅哉の返答が聞こえる。
祐正はそっとドアノブに手を掛け、震える手で開く。

「祐正くん、今日はお疲れ様でしたね」

出迎えた雅哉は普段通りの顔で、緊張に体を強張らせて寝室の扉を開けた祐正を迎えた。
そして、まるでティータイムに訪れていた時のようにソファに腰掛けさせ、温かいミルクを振舞ってくれた。

「まだ眠るには早いでしょう」

優しい大人の男の顔で微笑んで、雅哉はいつも通りポツポツと会話を繋げた。
少しずつ祐正の緊張が綻んできた頃。
雅哉は、己の贈った指輪をしている祐正の手元を見て、複雑そうな表情を浮かべた。

「祐正くん。私は君を愛おしく思いますし、大切に思ってもおります」
「はい」
「だから、……君の望まないことはしたくないのです」
「……はぁ」

突然の雅哉の言葉に、祐正は首を傾げて戸惑った。
色めいた気配はなく、今後のことを話し合いましょう、と言わんばかりの様子に、困惑が隠せない。
今夜、祐正は処女を散らすのだと思って、緊張していたのだから。
しかし、次の雅哉の言葉に、息を飲んだ。

「ねぇ、祐正くん。東條様の指輪はどうしたのですか?……ずっと、していたではありませんか」
「ぁ、えっ、と……」

言葉に詰まり、祐正は手の中のマグカップに視線を落とした。

東條悠一郎に贈られた指輪を、祐正は肌身離さず嵌めていた。
雅哉と出会い、婚約し、久遠家を訪れるようになってからも。
それは、最愛の番と祐正を繋ぐ証であり、祐正の心の支えだったからだ。
父や姉には、雅哉に失礼だから早く外しなさいと言われていたが、頑として首を縦に振らなかった。
雅哉は気にした様子もなかったし、祐正の痛みを誰よりも理解しているであろう雅哉は何も言わないだろうと思っていたのだ。

だから、祐正は正直、雅哉が選んだ結婚指輪に驚きを隠せなかった。
それは、東條に祐正が贈られたものと一見して区別つかないほど、よく似た指輪だったのだ。
東條に贈られたものより新しく、傷ひとつない指輪に、祐正は唇を噛んだ。
まるで記憶を上書きしようとするような真似に、わずかな失望を感じたのだ。
けれど、これも「いつまでも囚われないで」という雅哉の思いやりなのかもしれないと、祐正は心を決め、東條の指輪を外した。
けれど。

(もしかして、逆だったのだろうか)

祐正は呆然としながら、雅哉を見上げた。
悲しげな顔で自分を見つめているのは、どこまでも優しく、人を思いやる男だ。
彼の意図を、自分は読み違えていたのかもしれない。
そう思って、祐正は声もなくうな垂れた。

「ねぇ、祐正くん。あの指輪は、君が生きていく上でのお守りなのでしょう?」

柔らかな、祐正の傷を慰撫するような声が、そっとかけられる。

「私のあげた指輪は、とよく似ている。だから、安心なさい。……どちらをしていても、分かりませんよ」

茶目っ気たっぷりに告げられた言葉に、祐正の瞳が潤んだ。

「け、れど。あなたは、指輪をしているではありませんか」

自分だけ、昔の指輪をしているわけにはいかないと訴えれば、雅哉は意外なことを言われたかのように苦笑した。

「え?あぁ、まぁ、私は以前の指輪は処分しましたし。離婚が知れ渡っていますので、再婚してまた既婚者になりましたとお知らせしないと、いろいろとうるさいので」

唇を噛んで涙を堪えている祐正に、雅哉は「歳の割にはモテるんですよ、だから虫除けです」と得意げに笑う。

「ふ、ふふふっ」

わざとらしいほど陽気な口調で、ひょうきんにウインクを決める雅哉に、祐正は泣きそうな顔で笑った。

「雅哉様は、かっこいいから、仕方ありませんね」





静かに泣く祐正を見つめながら、雅哉はなんとも言い難い心境で、ため息を押し殺した。

二年前、妻が出て行った後。
雅哉はすぐに指輪を外した。
見るだけで筆舌に尽くしがたい感情に襲われ叫びそうになるからだ。
けれど、指輪をつけていれば金属の重さに、外せば薬指の空虚さに胸をえぐられるようだった。

しかし雅哉には、指輪自体への愛着はなかった。
指輪が象徴する、かつての妻への執着と、喪失の痛みに耐えられなかっただけだ。
だから今は、新しい指輪をすることに抵抗はないし、むしろどこか落ち着きのなかった左手が安定した気すらした。

けれど祐正は、違うのだろうと思ったのだ。
祐正はずっと、東條に貰った結婚指輪を大切に大切に、付け続けていた。
何を触るにしても、指輪に傷がつかないようにと庇う仕草は健気で、見ている方が切なくなるほどだった。
これが不幸な離別と、幸福な死別の差か、と雅哉はいつも思っていたのだ。
だから。

「君の望まないことは、したくないのです」

雅哉は哀れで愛おしい、新たな番に語りかけた。

「祐正くんが少しでも幸せに暮らすために手助けをしたい。君が不幸になることはしたくない。私の君への感情は、そういうものです」

ゆっくりと席を立ち、向かい合わせの位置から、祐正の隣へ移動し、そっと肩を抱く。

「もしいつか、君に好きな相手が出来たら言ってください。私は笑って手を離してあげますから」
「えっ」

驚いたように顔を上げた祐正は、まるで十を過ぎたばかりの少年のような、いたいけな表情をしていた。
訳がわからない、と首をかしげて、悲しげな瞳で問いかける。

「雅哉様は、僕を捨てるのですか?」
「まさか。……ただ、君は若い。これから先の未来がある。だから」

雅哉は、腕の中の華奢なオメガに目を細め、静かに告げた。

「私は、君のうなじを噛みません」

ひゅっと、息を呑み、祐正が信じられないというように目を見開く。
その驚愕に苦笑を返し、雅哉は腕に少しだけ力を込め、そっと祐正を抱き寄せた。

「だから、君はいつでも自由になれる。……でも、うなじを噛ませたいと思うアルファと出会うまでは、私のそばにいて下さいね」

どこか祈るように囁いて、薄い体を抱きしめる。

「もちろん、君が望むまで、私は手を出しません。今日は寄り添って眠りましょう」

軽やかな調子で続ける雅哉の言葉に、祐正は小さく震え、そしてまた泣き出した。
安堵でも、悲しみでもなく、おそらくそれは緊張が解けたゆえのものだったのだろう。
法律上だけではなく、身体的にも雅哉と番えば、もう祐正は逃げられない。
番った雅哉から、離れることができなくなるのだ。
それはとても大きな緊張だっただろう。

そう察し、柔らかな茶髪を指で梳りながら、雅哉は安堵の吐息をついた。
嫌われなくて良かった、と、中学生のように緊張していた己を実感し、苦笑する。

雅哉はかつて、失敗した。
運命の番との出会いに有頂天になり、独占欲を暴走させて、無理やりうなじを噛んだ。
けれど、手の中に留めようとした彼は、結局迎えにきた男の手で翼を取り戻し、去っていったのだ。

なぜお前が番なのだと、いつか祐正に憎まれるくらいならば、最初から手に入れない方が良い。

諦観とも達観ともつかぬ心地で、雅哉は心の中でひとりごちた。


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