いつか幸せを抱きしめて~運命の番に捨てられたαと運命の番を亡くしたΩ~

トウ子

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いつか幸せを抱きしめて〜運命の番に捨てられたαと運命の番を亡くしたΩ〜

おもいがけない言葉

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久遠雅哉くどうまさやは、優れたアルファだ。

久遠グループの総帥だった父を突然に亡くし、三十歳前にしてグループの頂点に立った。
当然のように、若すぎる後継者への不信と不安から、雅哉の立ち位置は脆いもので、気を抜けば崩れ落ちそうだった。
しかし、一歩間違えば瓦解しかねなかった混乱の真っ只中で、雅哉は残された兄弟や信頼できる親族と手を取り合い、父親の死後の数年間を守り抜いたのだ。

土台を固めた雅哉は、少しずつ手を広げ、新しい可能性に挑み始めた。
無謀はせず、けれど停滞することもなく。
誠実な姿勢で仕事に臨み、聡明な眼差しは常にいくつも先の未来を見据える。
確実に進歩を続ける若き獅子を讃えるものは多かった。
そして雅哉は、己を慕い、もしくは信じて集った人々を、決して疎かにはしなかった。
彼らの心を掌握して、久遠グループをますます拡大させていったのだ。

今や飛ぶ鳥を落とす勢いの久遠グループで、堂々と頂点に君臨する雅哉は、四十代半ばの男盛り。
ひとたび人前に出れば熱い羨望の眼差しを集め、パーティーに出席すれば寵を得んと望む若く美しい者たちが彼を取り囲む。

久遠雅哉は、紛うことなき成功者である。
少なくとも、社会的には。




***




「おぉ、久遠様、ご無沙汰しております」

聞き慣れた声に名前を呼ばれた雅哉は、赤ワインを注がれたグラスを片手に、そつのない微笑を浮かべて振り向いた。
上機嫌でワインボトルを片手にやってくるのは、先日も取引をしたばかりの相手だった。

「これはこれは、旭様。相変わらず若々しくていらっしゃいますね」

にこにこと人好きのする笑みを浮かべている男は、国内製薬メーカーの最大手である旭グループの会長だ。

「いや、もう還暦を過ぎた老人ですよ。仕事は長女に丸投げしておりますから。現役を退いたら、一気に老け込みましたなぁ」
「ははっ、ご冗談を。ご婦人方が、旭様に熱い視線を向けていらっしゃいますよ」

呵々と大笑する旭は、鍛えられた体に一分の隙もなくスーツを着こなしている。
皺の刻まれた顔には歳を重ねた男特有の渋味があり、妙齢のご婦人達が騒めくのも納得の色気である。

「私も二十年後に旭様のように生き生きとしていたいのものです」
「おや、嬉しいことを言ってくださる」
「本音ですよ」

社交的な笑みの下で、しかし雅哉は、話好きな男に捕まってしまった、と少々うんざりとした心持ちだった。
軽妙洒脱な会話が持ち味の旭はご婦人には受けが良いが、雅哉にとっては話の長い老人でしかない。

(さて、どう話を切り上げるかな……)

そう考えていた雅哉は、全く考えもしなかった。
旭が、己の人生を大きく変える提案をしてくることを。






「時に、久遠様」

愛嬌のある笑みを湛えたまま、旭は瞳に真剣な色を浮かべる。
どこか探るような、試すような眼差しに、魑魅魍魎うごめく経済界に生きる雅哉は、僅かに警戒した。

(嫌な目だな)

雅哉が生きるのは、自分の発言が、いつ、どこで、誰に、どのように切り取られてもおかしくない世界だ。
少しでも注意を怠れば、簡単に足元を掬われる世界なのだ。

(一体なんだ……?)

唇に微笑を湛えたまま、用心深く次の言葉を待つ雅哉に、旭は予想外の質問を投げた。

「奥様と離縁なさったと噂を伺いましたが、……真実ですかな」
「っ、な」

一瞬、雅哉は珍しく言葉に詰まった。
普段であれば、そして、この話題でなければ、眉一つ動かすことなく対応出来ただろう。
けれど、無理だった。
雅哉は今、弱り、傷ついていたから。



ひと月前に、雅哉は妻と離婚した。

妻は、一目で恋に落ちた運命の番だった。
若い頃から冷静沈着と称されていた雅哉が、唯一理性を失い、打算も戦略もなく、がむしゃらに求めた相手だ。
離れていることは、生きたまま身を切り裂かれるほどに辛く、耐え難かった。
一刻も早く己の腕の中に閉じ込めたいと願い、遮二無二になって手に入れた、最愛の人だった。

愛していた。
誰よりも、何よりも。
深く、強く、激しく。

けれど、その想いは届かなかった。
妻は、雅哉を決して愛さなかった。

「……ふふ」

沈黙を誤魔化すように小さく笑う。
手元のグラスに視線を落として眼差しの暗さを隠し、雅哉はいつもと同じように運命を呪った。
運命の番と出逢わせておきながら、その愛を与えなかった意地の悪い『運命』を。

「……お耳が早いことで」

憤怒と悲嘆の入り混じる内心のどろどろとした葛藤を微塵も表に出さずに、雅哉は苦笑混じりに頷いた。

「お恥ずかしいながら、事実です」
「ほう。ちなみに、再婚などのご予定は?」
「……はははっ、再婚、ですか」

無言で動揺を押し隠して、雅哉はひょうきんに首を振り、肩を竦めてみせた。
まるで、大した話題ではないかのように。

「随分、気の早い話ですね。まだ別れたばかりで、先のことなど考えられませんよ」

随分と踏み込んだ話題だ。
この手のお家事情は、社交の場では、聞かないのが常識のはずだが。
多少不快に思いながらも、雅哉は社交的な態度を崩さずに答える。

「まぁ、子供も大きいですし、母親が必要な年齢でもありませんからね」

これ以上突っ込んでこられるのが面倒で、雅哉は遠回しに再婚の意思を否定した。
穏やかな笑みを浮かべ、心の中で呟く。

(そうだ、私には、あの子たちがいる)

愛しい子供たちの顔を思い出せば、心は少しずつ澄んでゆく。

妻は、二十年の結婚生活で、可愛い子を三人も産んでくれた。
しかも、ベータやオメガではなく、雅哉の力となるような優れたアルファを。
それだけでも、感謝しなければならないだろう。
愛していない男の子を、命がけで産んでくれたのだから。

子供たちのことを思い返しているうちに、荒みかけた気持ちが落ち着いてくる。
心の内で己を慰めながら鼓舞している雅哉を、旭は無遠慮に観察しながら言った。

「ふむ、なるほど。……では、他に娶りたいオメガがいて離縁したわけではないと」
「っ、ええ、もちろん」

お前が捨てられたのだな、と言わんばかりの質問に、冷静な雅哉も流石に気色ばんだ。

運命の番を得ておいて、他のオメガに目が向くものか。
たとえ愛されなくても、雅哉はずっと妻だけを見つめていたのだ。

「私は、それほど節操のない人間ではありませんよ」
「いや、これは失礼しました。揶揄するつもりはございませんでしたが、言葉が悪うございましたな」

冷え冷えとした口調で言い捨てた雅哉に、不興を買ったことを察した旭は慌てた。
顔の前で大袈裟に手を振って否定しながら、旭は軽く頭を下げる。

「年寄りゆえのデリカシーのなさとお許しください」
「いえ、私も大人げありませんでした」
「寛大なお心に感謝しますよ……しかし、ふむ」

少し考え込むように視線を落とし、旭は満足げに頬を緩めた。

「だが、それは……私にとっては重畳」
「え?」

ぼそりと囁かれた言葉の意味が理解できず、雅哉は首を傾げる。
旭は顔を上げると、困惑を浮かべる雅哉をまっすぐに見据えて、驚くべき提案をした。

「折り入ってお願いでございます。久遠様。
……うちの未子を、後添えに貰ってやってくれませんか?」


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