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いつか離れる日がくると知っていたのに~βに恋したΩの話~
長い長いため息ひとつ
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「貴志くん……ッ!」
眩しい光が、林の向こうから駆けてくる。
現れたのは、真っ青な顔をした両親と、厳しく唇を引き結んだ婚約者だった。
ぼんやりと顔を上げれば、俺が結婚式を挙げる予定のホテルの尖った屋根が、闇の向こうに見える。
視界を隠し、夜を彷徨って、まるで全てを捨てて逃げようとでもする振りをして。
けれど修一は、俺と逃げる気はなかったのだ。
アルファの男へ返すつもりで、修一は、ひとときの逃避行の夢を見せてくれたのだ。
走り寄ってくる男から立ち昇るフェロモンは、雨の中でも酷く芳醇に香った。
その匂いに反応して、俺の中のオメガが歓喜の声を上げる。
何も考えるな、あの男に飛びつけ、と。
「はは、は……あははははっ」
馬鹿みたいな話だ。
修一と生きたいと、修一と逃げたいと、修一と死にたいと願っていたはずなのに。
諸手を挙げて他の男の胸に飛び込もうとする浅ましいオメガの性。
これが、俺の性なのだ。
「ははははははははははっ、あっはははははははははッ」
心が死んでしまったような気分で、俺は唇を歪ませて、声を上げて笑った。
高々と、夜の雨を切り裂くほどに、悲鳴じみた甲高い声で。
「やめてくれッ」
ぬかるんだ地面に座り込む俺のすぐそばに、躊躇うことなく膝をついて男は泣きそうな顔で俺を抱き寄せた。
「こんなに、冷えて……。ねえ、貴志くん。もう、いいから」
ギリギリと奥歯を噛みしめながら、乱暴に俺を抱きしめて、婚約者の男は呻いた。
自分に言い聞かせるような声で、祈るように俺に告げた
「誰を愛していたとしてもいい。だから、……もう、全て忘れて、僕に嫁いで」
俺の喉から絞り出されたのは悲鳴でも哄笑でも罵倒でもなく、長い長いため息ひとつだけだった。
「探したのよ。あなたが変な気を起こしたのではないかと思うと、心臓が止まりそうだったわ……っ」
俺の顔を見た途端に、大きな瞳から涙を溢れさせた母は、泣きながらそう告げた。
憔悴した顔の両親は、ひどく気落ちしていた。
アルファと結ばれることが幸福の必要条件だと信じ、彼らなりに考えうる最高の幸福を俺へ準備したつもりだったのだろう。
おそらくは、所詮はベータでしかない修一に執着しすぎる俺を心配して。
物の道理が分かっていない年若い息子に、オメガとしての幸福を与えてやろうとしたのだ。
これは、親の愛だ。
分かっている。
でも、納得は出来なくて。
「心配かけて、ごめんね」
シーツの中に蹲り、顔を伏せたまま、家出を謝ることしか出来なかった。
「……ぐすっ、ううん、大丈夫よ」
「母さん、暫くは半狂乱だったけれどね。でも修一くんが、『必ず返す』と連絡をくれたから」
「…………そっか」
俺の予想した通り、両親と婚約者に連絡をしたのは、修一だった。
俺の携帯電話の履歴から彼らにメールを送り、居場所を伝えたのだ。
やはり最初から修一は、俺と逃げる気も、死ぬ気もなかったのだろう。
俯いて失恋の悲嘆に浸ろうとした俺を、父はほんの一言で、更なる絶望に落とした
「修一くん、明日日本を発つらしい」
「え?」
思いがけない言葉に、俺はパッと顔を上げて父の顔を凝視した。
詳細を尋ねなければと口を開くが、舌が震えるばかりで、言葉は出てこない。
そんな俺の様子を憐れみながら、父はそっと俺から目を逸らして続ける。
「修一くんは、ベータとは思えないほど優秀だからね。アメリカのラボに行くことになったらしい。……もう日本に戻らないつもりらしいよ」
その行動が、俺のためだということは、あまりにも明らかだった。
きっと俺の……俺から修一への未練を断ち切るため、なのだろう。
そして、俺が、幸せなオメガとして生きていく道の妨げとならないための決断なのだろう。
修一がいる限り、俺は惑い、苦悩し続けるだろうから。
「愛されているね、貴志」
「……さぁね」
父から慰めるようにかけられた言葉に、俺は投げやりに吐き捨てた。
「ふざけてるよ……俺は、一緒に連れて行って欲しかったのに」
アメリカでも、この世の果てでも、地獄でも。
どこでも良いから修一と一緒に居たかったのに。
そう言って嘆く俺に、父は愚かな子供を見るように眉根を寄せた。
「……馬鹿だな、貴志。アルファと番ったオメガが、アルファと離れて生きていける訳がない」
ため息とともに告げられるのは、アルファとオメガの大原則だ。
死んだら生きているはずがないのと同レベルの、覆るはずのない自然の摂理。
「そうよ。そんなこと、あなたもよくわかっているでしょう?だから、修一くんはあなたから離れたのよ。あなたが心置きなくアルファと結ばれることができるように」
まるで修一の心を代弁しているかのように、優しく話しかける母さんの顔には、真摯な愛情が浮かんでいる。
その顔を眺めながら、俺はぼんやりとした頭で、心の欠片をぽろりと落とした。
「そんなこと分かってるよ。でも修一は、ちっとも分かってなかったんだ。……俺は、修一と離れて、生きていたくなんかなかったのに」
眩しい光が、林の向こうから駆けてくる。
現れたのは、真っ青な顔をした両親と、厳しく唇を引き結んだ婚約者だった。
ぼんやりと顔を上げれば、俺が結婚式を挙げる予定のホテルの尖った屋根が、闇の向こうに見える。
視界を隠し、夜を彷徨って、まるで全てを捨てて逃げようとでもする振りをして。
けれど修一は、俺と逃げる気はなかったのだ。
アルファの男へ返すつもりで、修一は、ひとときの逃避行の夢を見せてくれたのだ。
走り寄ってくる男から立ち昇るフェロモンは、雨の中でも酷く芳醇に香った。
その匂いに反応して、俺の中のオメガが歓喜の声を上げる。
何も考えるな、あの男に飛びつけ、と。
「はは、は……あははははっ」
馬鹿みたいな話だ。
修一と生きたいと、修一と逃げたいと、修一と死にたいと願っていたはずなのに。
諸手を挙げて他の男の胸に飛び込もうとする浅ましいオメガの性。
これが、俺の性なのだ。
「ははははははははははっ、あっはははははははははッ」
心が死んでしまったような気分で、俺は唇を歪ませて、声を上げて笑った。
高々と、夜の雨を切り裂くほどに、悲鳴じみた甲高い声で。
「やめてくれッ」
ぬかるんだ地面に座り込む俺のすぐそばに、躊躇うことなく膝をついて男は泣きそうな顔で俺を抱き寄せた。
「こんなに、冷えて……。ねえ、貴志くん。もう、いいから」
ギリギリと奥歯を噛みしめながら、乱暴に俺を抱きしめて、婚約者の男は呻いた。
自分に言い聞かせるような声で、祈るように俺に告げた
「誰を愛していたとしてもいい。だから、……もう、全て忘れて、僕に嫁いで」
俺の喉から絞り出されたのは悲鳴でも哄笑でも罵倒でもなく、長い長いため息ひとつだけだった。
「探したのよ。あなたが変な気を起こしたのではないかと思うと、心臓が止まりそうだったわ……っ」
俺の顔を見た途端に、大きな瞳から涙を溢れさせた母は、泣きながらそう告げた。
憔悴した顔の両親は、ひどく気落ちしていた。
アルファと結ばれることが幸福の必要条件だと信じ、彼らなりに考えうる最高の幸福を俺へ準備したつもりだったのだろう。
おそらくは、所詮はベータでしかない修一に執着しすぎる俺を心配して。
物の道理が分かっていない年若い息子に、オメガとしての幸福を与えてやろうとしたのだ。
これは、親の愛だ。
分かっている。
でも、納得は出来なくて。
「心配かけて、ごめんね」
シーツの中に蹲り、顔を伏せたまま、家出を謝ることしか出来なかった。
「……ぐすっ、ううん、大丈夫よ」
「母さん、暫くは半狂乱だったけれどね。でも修一くんが、『必ず返す』と連絡をくれたから」
「…………そっか」
俺の予想した通り、両親と婚約者に連絡をしたのは、修一だった。
俺の携帯電話の履歴から彼らにメールを送り、居場所を伝えたのだ。
やはり最初から修一は、俺と逃げる気も、死ぬ気もなかったのだろう。
俯いて失恋の悲嘆に浸ろうとした俺を、父はほんの一言で、更なる絶望に落とした
「修一くん、明日日本を発つらしい」
「え?」
思いがけない言葉に、俺はパッと顔を上げて父の顔を凝視した。
詳細を尋ねなければと口を開くが、舌が震えるばかりで、言葉は出てこない。
そんな俺の様子を憐れみながら、父はそっと俺から目を逸らして続ける。
「修一くんは、ベータとは思えないほど優秀だからね。アメリカのラボに行くことになったらしい。……もう日本に戻らないつもりらしいよ」
その行動が、俺のためだということは、あまりにも明らかだった。
きっと俺の……俺から修一への未練を断ち切るため、なのだろう。
そして、俺が、幸せなオメガとして生きていく道の妨げとならないための決断なのだろう。
修一がいる限り、俺は惑い、苦悩し続けるだろうから。
「愛されているね、貴志」
「……さぁね」
父から慰めるようにかけられた言葉に、俺は投げやりに吐き捨てた。
「ふざけてるよ……俺は、一緒に連れて行って欲しかったのに」
アメリカでも、この世の果てでも、地獄でも。
どこでも良いから修一と一緒に居たかったのに。
そう言って嘆く俺に、父は愚かな子供を見るように眉根を寄せた。
「……馬鹿だな、貴志。アルファと番ったオメガが、アルファと離れて生きていける訳がない」
ため息とともに告げられるのは、アルファとオメガの大原則だ。
死んだら生きているはずがないのと同レベルの、覆るはずのない自然の摂理。
「そうよ。そんなこと、あなたもよくわかっているでしょう?だから、修一くんはあなたから離れたのよ。あなたが心置きなくアルファと結ばれることができるように」
まるで修一の心を代弁しているかのように、優しく話しかける母さんの顔には、真摯な愛情が浮かんでいる。
その顔を眺めながら、俺はぼんやりとした頭で、心の欠片をぽろりと落とした。
「そんなこと分かってるよ。でも修一は、ちっとも分かってなかったんだ。……俺は、修一と離れて、生きていたくなんかなかったのに」
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