いつか幸せを抱きしめて~運命の番に捨てられたαと運命の番を亡くしたΩ~

トウ子

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いつか離れる日がくると知っていたのに~βに恋したΩの話~

優しい誘惑と過去形の愛

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***


「貴志!?お前、なんでここに……」

気付いたら俺は、修一が一人暮らしをするマンションの前にいた。
雨の中で傘もささずに、玄関横の花壇に座り込んでいた俺を見て、修一が慌てた様子で駆けてくる。
塾講師のバイトの帰りなのだろう、沢山の教科書と参考書を抱えている。

「しゅういち……」

ぼんやりと幼馴染の顔を見上げれば、修一はポケットからハンカチを取り出して、せっせと俺の髪を拭う。

「ったく、もうすぐ結婚式なんだろ?風邪でも引いたらどうするんだよ、びしょ濡れじゃないか!」
「しゅ、いち」

すぐに水分を吸わなくなった小さな布に、修一が顔をしかめてため息をつく。

「あぁ、ダメだ。家に入れ、タオル持って来」
「おれ、うなじ、噛まれた」
「っ、な」

ポツリと落とした呟きに、修一は息を止めて、言葉を失った。
ぎこちなく俺へ視線を戻した修一は、うろうろと俺の首元に目を彷徨わせる。

「……どうしよう……俺、もう、お前に抱かれることが出来ない」

淡々と口にしたはずの言葉は、むしろ空恐ろしいほど悲愴な声音で落とされた。

「な、に言ってんだよ。アルファと結ばれたんだ。よかったじゃないか」
「……ぜんぜん、よくない」

修一は苦しげに笑い、俺を宥めるように濡れ切った頭を優しく撫でる。
言い聞かせるような、心の篭らない慰めは、俺の心を蝕んだ。

「俺は、……俺は!お前だけに抱かれたかったんだ!!」
「貴志……!?」

荒々しく立ち上がり、癇癪を起こした子供のように地団駄を踏みなから、俺は泣き喚く。
人通りのない夜に、俺の悲鳴が雨音に紛れて響いた。

「修一が好きだ!俺は、修一のことだけが好きだった!本当はアルファなんか欲しくなかった!お前とずっと一緒に居たかったんだ!でも……!」

俺の剣幕に圧倒されたように、修一が呆然と立ち竦んでいる。

「もう、むりだ……っ、俺はあのアルファとしか、番うことが出来ないんだ……!」

抱き締めてくれない腕が悲しくて、視界がみるみるうちに歪んでいった。

「こんな人生……こんな世界、もう嫌だ……ッ!」

血を吐くような絶叫に、修一が目を見開き、そして。

「じゃあ……にげる、か?」
「……え?」

優しい誘惑を、告げた。










「なにも、見るな」

修一が大学入学時に買ってもらった車の助手席に乗り、俺は修一の声に従って目を瞑る。
修一は、痙攣するほど固く瞑られた俺の瞼をそっと撫で、ハンカチで目を覆った。

「なにも、気づかなくていい」

あてどもなく進む夜の道。
どこへともなく続く夜の旅。

互いの鼓動の音だけを聞いて、俺たちは静かに呼吸していた。

何時間か車を走らせた後。
ガタガタと砂利を踏むような振動の後で、ゆっくりと停車した。
カチリ、と音がして、エンジン音も消える。
キーが抜かれたのだろう。

「着いたよ」
「……どこ?」
「夜の端っこ」

どこか笑みを孕んだ声が、ゆるりと空気を振動させて、俺の鼓膜を震わせた。
ふぅ……、と修一が深く息を吐く。

「貴志」

目一杯の愛情を込めた声が、俺の名を呼んだ。
柔らかな掌が、そっと塞がれた両目に当てられる。

「俺に……番のアルファ以外に触れられることは、気持ち悪くない?」

そっと問いかける声は気遣わしげで、心配されているのだと思うと悲しくて、ハンカチに涙が滲んだ。

なぜ愛している男に、俺はこんなことを聞かれているのだろうか。
そしてなぜ、俺は即座に頷くことが出来なかったのだろうか。

「だ、いじょうぶ、だから。触れて」
「……そ、か」

優しく、優しく頬に触れる指。
頬の丸みをなぞり、唇を辿る。
その愛情に溢れた仕草にすら、無意識に強張りそうになる体を押さえつける。

心は、修一に触れて欲しくて仕方がないのに。
体は、番以外との接触を拒もうとするのだ。

相反する二つの情動に、破り裂かれる気がした。
それは、血反吐を吐くほどの苦しみだった。

ゆっくりと熱い指が体のラインを追って、左手に辿り着く。
愛撫するように手首から掌を繰り返し撫でられて、少しずつ体の力が抜けてきた。
修一の動きに合わせて深呼吸すれば、ふっ、と吐息で笑った気配がした。
その時。

「っ、しゅういちッ」

大きなダイヤモンドのついた薬指の指輪を、修一の指がそっと掴んだ。
俺の所有権を主張する男の影に、俺はびくりと震え、かじかんだ指から金属の輪を抜き去った。

「こら、ダメだよ」

見えない視界で、がむしゃらに暴れて車の窓を開けようとする俺を、困った声が止める。

「捨てちゃ、だめ」

指輪を掴んだ右手ごと柔らかく握り込まれて、ひゅっと小さく息を呑む。
簡単に動きを封じられて、足掻く俺を優しく宥めた。

「必要なくなったら、売れば良いでしょ」

揶揄うように言い聞かされながら、愛する男の手で俺の指にそっと戻された、他の男の指輪。
固い金属の感触を左手に感じながら、俺は顔を覆って啜り泣いた。

ガチャリ
車の扉が開いた音がした。
むわっと広がる雨の匂いと、激しさを増す雨音。

「目隠し、外すね」

外から回り込み、助手席の扉を開けた修一が告げた。
コクリと頷けば、優しい手が頭の後ろの結び目を解く。
ハラリと膝に落ちたハンカチを目が追った。

「ちょっと歩こうか」

高校時代の帰り道のような気軽さで誘いかける修一にふわりと肩の力が抜ける。
うん、と口の中で呟いて、俺は車から降りた。

雨の中、車を捨てて林の中の砂利道を歩く。
あてどなく夜道を彷徨い、行き止まりの大きな木の下で俺たちは、足を止めた。

「ねぇ、キスしていい?」
「……うん。しゅういち、キスして」

どこかたどたどしい問いかけに、ぎこちなく答えて、俺は目を瞑った。
ふわり、と、唇が冷たい皮膚で覆われる。

「もう、肌を合わせることは出来ないけど」

唇だけを合わせる。
まるで幼児が母親とするような、ちゅ、ちゅ、と小鳥のように触れ合うだけの口づけ。

木々の狭間で、濡れた布越しにお互いの冷たい体温を分かち合いながら、俺たちは唇を合わせ続けた。

「貴志、愛してる」

修一の口から、混じり気のない悲しみとともに、俺への愛が紡がれる。

「本当の、本当に……誰よりも、愛していたよ」

胸を切り裂く過去形の言葉。
そっと離れていく唇を追うことも出来ず、俺はその場に頽(くずお)れる。
ぬかるむ地面を見つめながら嗚咽する俺に、修一は限りない慈しみを込めて俺の名を囁いた。

「幸せを、祈っているから」

優しすぎるほどに優しい掌が、俺の頭をそっと撫で、そして。

離れていった。

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