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闇夜に舞う者は
悪
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……その夜、僕は、夜が明けるまでずっと考え込んでいた。
ニエルをギルドに引き渡し、みんなが安心して眠りについてからも、ずっと眠れないでいた。
「…………」
(悪、か)
僕の手の中には、一振りの剣があった。聖剣だ。おさくさんがあのとき、僕にくれた聖剣。悪を斬るという、剣。
「…………悪。悪を、斬る……」
僕はそっと、その刃に指先を近づけた。……恐怖で、震えた。
それでもその恐怖になんとか打ち勝ち、刃に指を滑らせようとした瞬間、
「おい」
……その手を、アリアさんが掴んだ。
「…………アリアさん」
「何しようとしてた? この剣で、お前は……何を確かめようとしていた?」
僕は視線を下に戻した。そして、剣を強く握りしめ、小さく呟く。
「……『悪』が、なにかです」
「…………」
「ディランさんは、この剣は聖剣だって、『悪』を斬る剣だって言ってました。……でもアリアさん……『悪』って、なんですか?」
「ウタ……」
「どこからが悪で、どこまでが悪なんでしょうか? 僕らが魔物を殺すのは、『悪』でしょうか? 殺さないと生きていけないのに、殺すのは『悪』なんだって言われたら、この世の全ての人は『悪』なんでしょうか?」
「…………」
アリアさんは何も言わないまま、僕の隣に立った。ふわりと夜風がその髪を揺らす。月明かりに反射し、金色の髪がキラキラと輝いた。……僕はいつも、心のどこかで、この光を求めていた。
「でも、殺さないと生きていけないから、何でも殺して良いって訳じゃ……ないはずです。
自由に生きてもいい。だけど、他人の自由を害してはいけない。……どこからが害してるっていうんでしょうか。はっきり線引きがされていない。何もわからない……」
「……そうだな」
一言。
たった一言だけ僕にそう返したアリアさんは、そっと僕の手にある聖剣に触れる。僕がそっとその顔を見上げれば、アリアさんはフッと微笑み――
「……アリアさん!?」
その刃に、自らの手を滑らせた。その白い肌はみるみるうちに裂け、血に濡れ、赤く染まっていく。ボタボタと溢れる血液は簡単に止まりなどせず、僕は突然のことに慌てて、剣をその手から離そうとした。
……しかし出来ない。なぜか? アリアさんがその剣をしっかり握り、自分の手に押しつけているままだったからだ。
「アリアさん、なにやってるんですか!? 怪我……血が…………! か、回復魔法、回復薬、今はどっちの方が」
「ウタ……大丈夫だから、落ち着いて聞いてくれ」
血を止めどなく流しながら、少しだけ痛みに顔を歪めながら、アリアさんは優しい表情のまま、僕にそう言った。……そんなことを言われちゃ、手を止めるしかない。
「……ほら、私の手は、切れた」
アリアさんは剣を掴む手から、そっと力を抜いた。血液の流れ具合は多少穏やかになったが、斬りつけたのは手首だ。まだまだ血が流れる。
しかしそれをほとんど気にしていない様子で、アリアさんはにこりと微笑む。
「これでお前から見て……私は『悪』になったのか?」
僕は、静かに首を振る。……なるわけない。アリアさんは、僕にとって命の恩人で、今はそれ以上に……僕の『心』を、一番に救ってくれる大切な人だ。本当に大切な大切な人だ。……あの日から、守りたいと思った人だ。
「だろ? 同じだよ。
確かに、生きているすべては悪なのかもしれない。そりゃそうだ。真っ白なまま生きていけるような人、いないだろ? みんな良いところも悪いところも何かしらあって、生き物を食べないと生きていけなくて、食べずとも、生きるために殺すってことはおのずとやってしまうものなんだ」
でも、と、アリアさんは自分に回復魔法を使いながら笑う。
「お前から見て、私は悪じゃない。とすれば……悪って言うのは、もしかしたらもっと単純で、主観的なものなのかもしれないな」
「もっと単純……?」
「どこからどこまでが悪だ、ここから先は善だ。……そんなの、見方によっちゃどっちにもなり得ることだ。
魔物を殺す。これは魔物の方からしたら悪以外のなんでもないが、こっちからしたら、魔物に襲われそうになって助けてもらった。これは正義だ! ……って、なるだろ?」
確かにそうだ。……僕にとってのアリアさんが、まさにその通りの人物だった。アリアさんがキマイラを倒してくれなければ、僕は、あの場で二度目の死を迎えていたのだから。
「……ほらな? だから……私たちは、もしかしたら考えすぎなのかもしれない。もっと簡単に考えてみれば良い。それがその人にとって『悪』いことだとしたら……それを排除できたら、『良』いことなんじゃないか?」
「……そう、ですね」
「そうだ。……だから早く寝よう。明日もそんなにゆっくりはしてられない」
「はい」
「……それと、だ」
アリアさんは最後に付け足すように、小さく僕に告げた。
「お前が本当に『悪』だったとしても……私は、そう簡単に見捨ててやらないから、覚悟しておくんだぞ」
「…………」
その言葉に、どう返したら良いのか分からなくて、黙り込んだ。
ニエルをギルドに引き渡し、みんなが安心して眠りについてからも、ずっと眠れないでいた。
「…………」
(悪、か)
僕の手の中には、一振りの剣があった。聖剣だ。おさくさんがあのとき、僕にくれた聖剣。悪を斬るという、剣。
「…………悪。悪を、斬る……」
僕はそっと、その刃に指先を近づけた。……恐怖で、震えた。
それでもその恐怖になんとか打ち勝ち、刃に指を滑らせようとした瞬間、
「おい」
……その手を、アリアさんが掴んだ。
「…………アリアさん」
「何しようとしてた? この剣で、お前は……何を確かめようとしていた?」
僕は視線を下に戻した。そして、剣を強く握りしめ、小さく呟く。
「……『悪』が、なにかです」
「…………」
「ディランさんは、この剣は聖剣だって、『悪』を斬る剣だって言ってました。……でもアリアさん……『悪』って、なんですか?」
「ウタ……」
「どこからが悪で、どこまでが悪なんでしょうか? 僕らが魔物を殺すのは、『悪』でしょうか? 殺さないと生きていけないのに、殺すのは『悪』なんだって言われたら、この世の全ての人は『悪』なんでしょうか?」
「…………」
アリアさんは何も言わないまま、僕の隣に立った。ふわりと夜風がその髪を揺らす。月明かりに反射し、金色の髪がキラキラと輝いた。……僕はいつも、心のどこかで、この光を求めていた。
「でも、殺さないと生きていけないから、何でも殺して良いって訳じゃ……ないはずです。
自由に生きてもいい。だけど、他人の自由を害してはいけない。……どこからが害してるっていうんでしょうか。はっきり線引きがされていない。何もわからない……」
「……そうだな」
一言。
たった一言だけ僕にそう返したアリアさんは、そっと僕の手にある聖剣に触れる。僕がそっとその顔を見上げれば、アリアさんはフッと微笑み――
「……アリアさん!?」
その刃に、自らの手を滑らせた。その白い肌はみるみるうちに裂け、血に濡れ、赤く染まっていく。ボタボタと溢れる血液は簡単に止まりなどせず、僕は突然のことに慌てて、剣をその手から離そうとした。
……しかし出来ない。なぜか? アリアさんがその剣をしっかり握り、自分の手に押しつけているままだったからだ。
「アリアさん、なにやってるんですか!? 怪我……血が…………! か、回復魔法、回復薬、今はどっちの方が」
「ウタ……大丈夫だから、落ち着いて聞いてくれ」
血を止めどなく流しながら、少しだけ痛みに顔を歪めながら、アリアさんは優しい表情のまま、僕にそう言った。……そんなことを言われちゃ、手を止めるしかない。
「……ほら、私の手は、切れた」
アリアさんは剣を掴む手から、そっと力を抜いた。血液の流れ具合は多少穏やかになったが、斬りつけたのは手首だ。まだまだ血が流れる。
しかしそれをほとんど気にしていない様子で、アリアさんはにこりと微笑む。
「これでお前から見て……私は『悪』になったのか?」
僕は、静かに首を振る。……なるわけない。アリアさんは、僕にとって命の恩人で、今はそれ以上に……僕の『心』を、一番に救ってくれる大切な人だ。本当に大切な大切な人だ。……あの日から、守りたいと思った人だ。
「だろ? 同じだよ。
確かに、生きているすべては悪なのかもしれない。そりゃそうだ。真っ白なまま生きていけるような人、いないだろ? みんな良いところも悪いところも何かしらあって、生き物を食べないと生きていけなくて、食べずとも、生きるために殺すってことはおのずとやってしまうものなんだ」
でも、と、アリアさんは自分に回復魔法を使いながら笑う。
「お前から見て、私は悪じゃない。とすれば……悪って言うのは、もしかしたらもっと単純で、主観的なものなのかもしれないな」
「もっと単純……?」
「どこからどこまでが悪だ、ここから先は善だ。……そんなの、見方によっちゃどっちにもなり得ることだ。
魔物を殺す。これは魔物の方からしたら悪以外のなんでもないが、こっちからしたら、魔物に襲われそうになって助けてもらった。これは正義だ! ……って、なるだろ?」
確かにそうだ。……僕にとってのアリアさんが、まさにその通りの人物だった。アリアさんがキマイラを倒してくれなければ、僕は、あの場で二度目の死を迎えていたのだから。
「……ほらな? だから……私たちは、もしかしたら考えすぎなのかもしれない。もっと簡単に考えてみれば良い。それがその人にとって『悪』いことだとしたら……それを排除できたら、『良』いことなんじゃないか?」
「……そう、ですね」
「そうだ。……だから早く寝よう。明日もそんなにゆっくりはしてられない」
「はい」
「……それと、だ」
アリアさんは最後に付け足すように、小さく僕に告げた。
「お前が本当に『悪』だったとしても……私は、そう簡単に見捨ててやらないから、覚悟しておくんだぞ」
「…………」
その言葉に、どう返したら良いのか分からなくて、黙り込んだ。
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