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本編

03. 〝とけい〟と〝じかん〟

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 翌日の昼、メリュディーナは指定された時間よりも随分早くから、昨夜と同じ岩場でレイナルドを待つ羽目になった。
 それは決して「楽しみだから」なんて理由ではなく――

 昨夜、突然のプロポーズに頭が追い付かずに固まってしまっている間に、メリュディーナはレイナルドの腕の中に閉じ込められてしまった。
 我に返ったメリュディーナに「会ったばかりで奥さんだなんて無理」「離して」とじたばたともがかれて、尾びれで跳ね上げた海水をバシャバシかけられながらも、レイナルドが言ったのだ。
「それならまずは僕を知って欲しい。そのためにデートをしよう」と。
「約束してくれないと離さない」と、更に強くぎゅうっと抱き締められて、これまで男性とこんなに近づいた事のなかったメリュディーナは、いっぱいいっぱいになって悲鳴を上げた。
 そして一刻も早く解放されたくて、言ってしまったのだ。
 
「明日も会うから離して‼」と。

 すぐにレイナルドの腕からは解放されたけれど、レイナルドはメリュディーナの手首を掴んだままだった。
 約束が違うと怒ったメリュディーナに、レイナルドは「時間を決めよう」と言った。

「……じかん?」
「そう、時間。何時頃が良い? 一緒に昼でも食べようか? その後にこの街を案内するよ。と言ってもあまり見るところもないんだけどね」

 楽しそうにそんな事を言うレイナルドに、メリュディーナは慌てて「待って待って」と手を振った。

「あのね、レイナルド……じかんって、なぁに?」

 その時のレイナルドの顔は少し面白かった、とメリュディーナは思う。
 ぱかっと口を開けた様が二枚貝みたいだわ、などと思っていたら、恐る恐るといった風に「朝とか夜は分かる?」と聞かれた。

「それくらい知ってるわ。朝と昼と、夕方と夜! 夕方の空の色は綺麗で好きだから時々見に来るんだけど、どうもタイミングが合わないの」

 今日ももう夜だったわ。お月様が綺麗だから良かったけど、とメリュディーナがボヤいていると、何度か口を閉じたり開けたりしていたレイナルドが何かに気付いたように、そうか、と呟いた。

「海の中には、時計なんてないか……」
「とけい?」

 また知らない言葉だわと、メリュディーナはレイナルドを見上げる。
 その後もしばらく――今度は口を閉じたまま何かを考え込んでいたレイナルドが、自分の服のポケットから丸いものを取り出した。

「これを、濡らさずに持っている事は出来る?」

 そう言われて見せられたのは、海の底に沈んでいる船の中で見た事がある物と似ているようだった。
 丸くて不思議な模様が刻まれているそれを、メリュディーナはしげしげと見つめる。

「これ、見た事あるわ。これがその、とけい?」
「そうだよ。僕らはこの時計で時間を知るんだ」

 とけいとじかん、と呟いてレイナルドの手の中の丸い物――懐中時計を珍しそうに眺めていたメリュディーナは、ややあってレイナルドを見上げた。

「濡らさずに、ね? 出来るわ。こうやって、空気で包んでしまうの」

 メリュディーナがそう言いながら懐中時計に触れると、空気で包まれたのか懐中時計はレイナルドの手の中で僅かに浮き上がった。
 それを見てレイナルドは一つ頷く。

「じゃあ、これを貸すから。明日の昼にここで待ってる」

 レイナルドはそう言うと、メリュディーナに丁寧に時計の見方を教えた。
 そして「短い針が二回目にてっぺんに来る頃にここに来て」と言われて、メリュディーナはやっとレイナルドから解放された。

 ほっとして海に帰ろうとしたメリュディーナはこの時「〝とけい〟なんて見る習慣がないから見忘れた」とか「うっかり海の中で落としちゃった」なんて事にして、約束なんてすっぽかしてしまおうと思っていた。
 けれどレイナルドはそんなメリュディーナの考えなど分かっているかのようににこりと微笑んで言ったのだ。

「ちなみにそれ、亡くなった祖父の形見だから失くしたり壊したりしないでね」と。

 びっくりしたメリュディーナは「大事な物なら借りるなんて嫌よ」と返そうとしたけれど、レイナルドはするりと立ち上がると、それまで座っていた岩場をひょいひょいと越えて砂浜へと戻ってしまった。

「ねぇ、待ってちょうだい。私……」
「あとそれ、毎日手入れをしないと動かなくなるんだ。だから、明日忘れずに持って来て」
「う、動かなく……? それって壊れちゃうって事……?」

 青くなったメリュディーナに、レイナルドは「うん、動かなくなる」と繰り返した。
 そして「じゃあまた明日」と微笑んで、くるりと背を向けてしまったのだ。

 メリュディーナは海に帰ってから、この時すぐに人化してレイナルドを追いかけて、無理矢理にでも〝とけい〟を返してしまえば良かったのだと気付いたけれど、それはもう後の祭りだった。

 結局その場で〝とけい〟は返せなかったし、大事な物だと分かっていてわざと海の底に落としてしまうなんて事も、毎日手入れをしないと動かなくなってしまうと言われて明日持って行かないなんて事も出来るわけもなく、メリュディーナは海に帰ってから濡れないように魔法で保護した〝とけい〟とじぃっとにらめっこをした。
 そうしてしばらくの間針の進み方を観察して、約束の〝じかん〟になるまで結構あるのでは? と気付いて、モヤモヤとした気分のまま眠りについたのだ。

 けれど結局〝じかん〟が気になってあまりよく眠れなかった。
 何度も目が覚めては〝とけい〟の針の位置を確認してまだ大丈夫と目を瞑る。
 けれど今度は〝とけい〟から僅かに聞こえてくるチッチッという小さな音が気になって、何だか急かされているような気になってしまって「もー! 気になるーー!」と叫んでみたりしながら夜を明かした。

 という事を、砂浜で顔を合わせてすぐに訴えたら、レイナルドは可笑しそうに笑うばかりで、メリュディーナはそれもまた面白くなかった。

「こんな物を気にして生活しているなんて、陸の人たちはおかしいわ」

 ぷんっという音が聞こえて来そうな様子でレイナルドから顔を逸らして、尾びれでぱしゃんと水面を叩いたメリュディーナに、レイナルドは苦笑を零しながら突き返されたばかりの懐中時計を指で撫でた。

「生まれた時からあるものだし、太陽の位置で大体の時間は分かるから、ずっとにらめっこをしてるわけじゃないんだよ」
「太陽の位置?」
「太陽が昇って朝が来て、太陽が空で燦燦と輝いている間が昼。太陽が沈み始めて暗くなってくると夕方で、月が昇って夜が来る――まぁ月が昇らない日もあったりするけど」
「そ、それくらい、私だって知ってるわ。でも、海の深いところにいると太陽の光が届きにくいのよ」

 メリュディーナのその言葉に、レイナルドは驚いたような顔をした。

「光が届きにくい? じゃあ海の底は真っ暗なのかい? それとも何か別の明かりがあったりするのかな」
「明かりなんてないわ。真っ暗よ」

 さも当然という顔をしているメリュディーナに、レイナルドはますます驚く。

「じゃあ海の底では何も見えない?」
「見えるわよ。でないと泳げないじゃない」

 レイナルドは変な事を言うのね、と笑うメリュディーナを、レイナルドは不思議そうに見つめた。
 人は今晩のように月が明るい夜は良いけれど、月が隠れてしまう日は暗すぎてランプがなければ夜道など歩けない。
 人魚は真っ暗な海の中でどうして見えるのだろうと首を傾げたレイナルドに、メリュディーナもまたうーんと首を傾げた。

「目を変えている、と言えば良いかしら」
「目を、変える?」
「そうよ。海の底の目のままでは太陽は眩しすぎるもの。だから海の底にいる時と、光が届くところにいる時では変えるの」

 またまた当然と言うようにそんなことを言ったメリュディーナの言葉を何度か頭の中で繰り返してみて、けれどレイナルドは早々に理解を諦めて「そういうもの」と思うことにした。
 そしてひとまず人魚族の不思議な生態については頭から追い出して、レイナルドはメリュディーナに手を差し出す。

「じゃあ、メリュディーナ。デートを始めようか」
 
 メリュディーナは差し出された手を少しの間見つめてから、おずおずと自分の手を重ねて小さく頷いた。
 レイナルドが握った手にぐっと力を込めて引き寄せるのに合わせて、メリュディーナは空いている手を岩について身体を持ち上げる。
 海から上がったメリュディーナは岩場に腰かけると、何度か深呼吸をしてからすぅっと大きく息を吸い込んだ。

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