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参話
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✿ ✿ ✿
翌日も必ず桜姫の屋敷を訪れると息巻いていた雅時だったが、帰宅後に急に眩暈に襲われてしまった。
そのまま倒れ込んで全く起き上がる事が出来なくなった雅時に慌てた親によって、すぐに陰陽師が呼ばれた。
老齢の陰陽師は雅時を見るなり、ふむ、と目を眇める。
「桜に魅入られましたかな」
「え……」
桜、という言葉にどきりと胸を鳴らした雅時に、陰陽師はふむふむと一人何やら頷くと、最後にうぅむと眉間に皺を寄せた。
「悪い物ではありませんが、今は少々残滓が濃い。静かに養生していれば、すぐに戻るでしょう」
陰陽師はそう言って呪いを唱え始める。
そうして帰り際「決して追ってはなりませぬぞ」と言い置くと、何かあればまたお呼び下されと、人の良さそうな笑みを残して帰って行った。
陰陽師の言葉の通り数日後にはすっかりと回復した雅時は、すぐに桜姫の屋敷を訪れて、
そして呆然と佇んだ。
あの日、桜姫の屋敷を見つけたのは夜ではあったものの、満ちた月の光でとても明るかった。
だから場所を間違えているとは思い難い。
だと言うのに、あの屋敷があったはずの場所にあるのは、どうした事か朽ち果てた屋敷だった。
火事にでもやられたのだろうか。
屋敷を囲う生垣はかろうじて残っているものの、当の屋敷の屋根は落ちて、残っている建材は全て黒く焦げている。
雅時が去った後、この数日の間に火事が起こったとは思えなかった。
朽ち方が、明らかに数年は経っていると分かるものだったからだ。
きっと記憶違いをしたのだと、雅時は周辺を歩き回ってみたが、
いくら探してみてもやはりあの屋敷はどこにもなかった。
朽ちた屋敷の前に戻った雅時は近くを通りがかった人にこの屋敷は、と訊ねてみる。
と、確か十年程前に火でやられたのだという答えが返ってきた。
身寄りのない女人が少しの下働きとひっそりと暮らしていたようだが、上がった火の手は春の強風に煽られてあっという間に屋敷を飲み込んだのだと言う。
その時の事を思い出したのだろうか。ぶる、と身を震わせたその人は、この屋敷に住んでいた人は誰一人助からなかったんだよと付け足した。
後を継ぐ親戚などもいなかったのか、気分の良い物ではないがそのままになっているのだと聞かされて、雅時はかろうじてありがとうと礼を言うと、ふらりと敷地の中へと足を踏み入れた。
かつて美しかった庭も焼かれたのだろう。
すっかりと荒れ果てて、今はもう雑草が好き放題に蔓延っている。
ふと、あの日に誘われた桜があった辺りに目を向けてみた雅時は、あぁと息を落とした。
火の手はここまで来たのだろうか。
あの見事な枝も花も、見る影もなく、無残に焼けた木が一本、立っていた。
その木を見つめながら、本当にあれは夢だったのだろうかとぼんやりと考えて、
けれどすぐにそんなはずはないと頭を振る。
ぱちりとした可愛らしい瞳も、鈴の音のような愛らしい声も、少し甘めの梅花の香も、軽い身体も、柔らかな肌も、抱いた熱も、
全てはっきりと覚えている。
『今宵の事は、どうか全て夢とお思い下さい。桜と、望月が見せた夢──幻にございます』
ふいに最後に言われた言葉を思い出して、雅時はそっと桜の木に触れてみた。
「それとも本当に、全てはお前が見せた幻だったのか……?」
呟いた雅時は、ひらりと花びらが風に踊ったような気がして視線を動かして──はっと息を飲んで屋敷を振り返る。
あの日見た通りの、古いながらよく手入れのされた屋敷の中に、桜姫が立っていた。
「桜姫……!」
叫んだ雅時に向かって、桜姫はふわりと微笑んだようだった。
雅時が駆け寄ろうとしたその時、まるでその足を止めるようにざぁっと強い風が吹き抜ける。
雅時が思わず閉じてしまった目を開けた時には、
そこにはやはり朽ちた屋敷があるだけだった。
「桜姫……」
呆然と、いつの間にか頬を伝っていた涙を拭くことも出来ずに雅時はしばらく屋敷を見つめていた。
どれ程の間そうしていたのか。
はらはらと零れ続けていた涙が枯れた頃になってようやく、雅時はのろのろと踵を返した。
そうして最後にともう一度桜の木に目をやった時、根元にちらりと色が見えた気がした。
まさかなと思いながらも桜の木に寄ってみた雅時は、それを見つけてはっと息を飲む。
すっかり枯れたように見えた桜の木の根元に、花が一輪、咲いていた。
ふわりと、風にその花弁を揺らしている花に、雅時は頽れるように膝をつく。
「桜姫……」
雅時は震える指でその花をそっと撫でて──そうして今度は、声を上げて泣いた。
✿ 完 ✿
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
お読みいただきましてありがとうございました。
雅時と桜姫(本名出せませんでした( ˊᵕˋ ;))は来世で幸せになれると良いなと思います(* ˘͈ ᵕ ˘͈ )
翌日も必ず桜姫の屋敷を訪れると息巻いていた雅時だったが、帰宅後に急に眩暈に襲われてしまった。
そのまま倒れ込んで全く起き上がる事が出来なくなった雅時に慌てた親によって、すぐに陰陽師が呼ばれた。
老齢の陰陽師は雅時を見るなり、ふむ、と目を眇める。
「桜に魅入られましたかな」
「え……」
桜、という言葉にどきりと胸を鳴らした雅時に、陰陽師はふむふむと一人何やら頷くと、最後にうぅむと眉間に皺を寄せた。
「悪い物ではありませんが、今は少々残滓が濃い。静かに養生していれば、すぐに戻るでしょう」
陰陽師はそう言って呪いを唱え始める。
そうして帰り際「決して追ってはなりませぬぞ」と言い置くと、何かあればまたお呼び下されと、人の良さそうな笑みを残して帰って行った。
陰陽師の言葉の通り数日後にはすっかりと回復した雅時は、すぐに桜姫の屋敷を訪れて、
そして呆然と佇んだ。
あの日、桜姫の屋敷を見つけたのは夜ではあったものの、満ちた月の光でとても明るかった。
だから場所を間違えているとは思い難い。
だと言うのに、あの屋敷があったはずの場所にあるのは、どうした事か朽ち果てた屋敷だった。
火事にでもやられたのだろうか。
屋敷を囲う生垣はかろうじて残っているものの、当の屋敷の屋根は落ちて、残っている建材は全て黒く焦げている。
雅時が去った後、この数日の間に火事が起こったとは思えなかった。
朽ち方が、明らかに数年は経っていると分かるものだったからだ。
きっと記憶違いをしたのだと、雅時は周辺を歩き回ってみたが、
いくら探してみてもやはりあの屋敷はどこにもなかった。
朽ちた屋敷の前に戻った雅時は近くを通りがかった人にこの屋敷は、と訊ねてみる。
と、確か十年程前に火でやられたのだという答えが返ってきた。
身寄りのない女人が少しの下働きとひっそりと暮らしていたようだが、上がった火の手は春の強風に煽られてあっという間に屋敷を飲み込んだのだと言う。
その時の事を思い出したのだろうか。ぶる、と身を震わせたその人は、この屋敷に住んでいた人は誰一人助からなかったんだよと付け足した。
後を継ぐ親戚などもいなかったのか、気分の良い物ではないがそのままになっているのだと聞かされて、雅時はかろうじてありがとうと礼を言うと、ふらりと敷地の中へと足を踏み入れた。
かつて美しかった庭も焼かれたのだろう。
すっかりと荒れ果てて、今はもう雑草が好き放題に蔓延っている。
ふと、あの日に誘われた桜があった辺りに目を向けてみた雅時は、あぁと息を落とした。
火の手はここまで来たのだろうか。
あの見事な枝も花も、見る影もなく、無残に焼けた木が一本、立っていた。
その木を見つめながら、本当にあれは夢だったのだろうかとぼんやりと考えて、
けれどすぐにそんなはずはないと頭を振る。
ぱちりとした可愛らしい瞳も、鈴の音のような愛らしい声も、少し甘めの梅花の香も、軽い身体も、柔らかな肌も、抱いた熱も、
全てはっきりと覚えている。
『今宵の事は、どうか全て夢とお思い下さい。桜と、望月が見せた夢──幻にございます』
ふいに最後に言われた言葉を思い出して、雅時はそっと桜の木に触れてみた。
「それとも本当に、全てはお前が見せた幻だったのか……?」
呟いた雅時は、ひらりと花びらが風に踊ったような気がして視線を動かして──はっと息を飲んで屋敷を振り返る。
あの日見た通りの、古いながらよく手入れのされた屋敷の中に、桜姫が立っていた。
「桜姫……!」
叫んだ雅時に向かって、桜姫はふわりと微笑んだようだった。
雅時が駆け寄ろうとしたその時、まるでその足を止めるようにざぁっと強い風が吹き抜ける。
雅時が思わず閉じてしまった目を開けた時には、
そこにはやはり朽ちた屋敷があるだけだった。
「桜姫……」
呆然と、いつの間にか頬を伝っていた涙を拭くことも出来ずに雅時はしばらく屋敷を見つめていた。
どれ程の間そうしていたのか。
はらはらと零れ続けていた涙が枯れた頃になってようやく、雅時はのろのろと踵を返した。
そうして最後にともう一度桜の木に目をやった時、根元にちらりと色が見えた気がした。
まさかなと思いながらも桜の木に寄ってみた雅時は、それを見つけてはっと息を飲む。
すっかり枯れたように見えた桜の木の根元に、花が一輪、咲いていた。
ふわりと、風にその花弁を揺らしている花に、雅時は頽れるように膝をつく。
「桜姫……」
雅時は震える指でその花をそっと撫でて──そうして今度は、声を上げて泣いた。
✿ 完 ✿
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お読みいただきましてありがとうございました。
雅時と桜姫(本名出せませんでした( ˊᵕˋ ;))は来世で幸せになれると良いなと思います(* ˘͈ ᵕ ˘͈ )
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