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帰還?
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「リンちゃんお帰り~。お勉強、お疲れさま。どう、先生にエッチなことされなかった?」
「エッチなことって、先生はそんなことしませんよ。それとも私に、女の子の魅力がなかったのかな?」
「えへへっ。その調子だと大丈夫ね。ほんとにご苦労さま。こっちははやく終わったので、べつのお仕事に行ってたのよ。みてみて。リンちゃんのナイスボディーは、ほら、ご覧のとおり!」
帰ってきた病室は、一般の病棟にある部屋に代わっていた。I・C・Uから出された倫子の肉体は、人工呼吸器やコード類などもはずされ、静かに眠っていた。
「………?」
「どぉ、素敵でしょ? ごめ~ん、二十歳くらいにしちゃった!」
「なんだか、私じゃないみたい。キリコさん、ちょっと頑張りすぎじゃないですか?」
「ま、良いじゃない。いった通り、チューンナップしといてあげたんだから。約束どおりでしょ?」
「それはそうですけど………」
私ってこんなに美人だったかしら、と倫子は思った。かるくふくよかな感じだったのが、熱があって痩せたせいなのか、なにか凄絶な美しさにかわっていた。肌も陶磁器のようにツルツルだ。
「そんなことより、べつのお仕事って言ったこと。リンちゃんの叔父さまと奥さまの話。あれ、解決したわよ」
「お~、さすがに仕事がはやい。‘’天耳通‘’で僕たちの話をきいて、さっそく片づけてくれるとは!」
そばで聞いていた先生が言った。
倫子は驚いた。まさかキリコがそんな事まで知っているとは………。キリコという女性霊が、どんな稀有な才能をもった存在であるのか、倫子は前回のことでわかってはいたが、今回はあまりにも素早すぎた。凄みさえ感じる。
「倫子ちゃんが気にしてたこと、もう解決しちゃったのか。さすがキリコちゃんだね」
「先生、やめて頂戴。叔父さまの奥さまのことなら、もう機が熟してたのよ。あとは誰かが行って、二人をすくい上げるだけだったの。先約のある兼子さんには、悪いことしちゃった!」
「ありがとう………ございます。わたし、なんとお礼をいったら良いのか、分からない………!」
「いちいち感激してちゃだめよ! それより、これを見てごらんなさい」
キリコが右手をふると、目の前の空間がひらけ、モニターが現れた。
どこかのサナトリウム風の施設がうつり、屋外のベンチで叔父夫婦が休んでいるのが見えた。叔父も叔母も痩せた感じはあったが、ずいぶん健康そうに見えた。それどころか、昔よりずっと若返って見えた。
こちらで倫子たちが見ているのを感じたようで、モニター越しではあったが、二人は立ちあがって深々と礼をする。にこやかに笑っていた。
「どぉ、二人とも大丈夫でしょ? これでリンちゃんも、心置きなく頑張れるわね」
「ほんとに、なんとお礼を言ったらいいのか………」
「さ、そろそろわたし、帰ろうかな………! あとは先生にまかせて良いわよね?」
「ご苦労さんだったね、キリコちゃん。こんどの講演、代わりに務めていくよ」
「それじゃ先生、リンちゃん、それに女性陣の皆さん、ばいば~い!」
そう言うと、キリコは疾風のように消え去った。恐るべき早さだった
「本当に忙しい人! でも、こちらも、あまりゆっくりとはしていられないわ。倫子さんがあちらに戻った時、ちゃんとコンタクトが取れるか、試してみなければ!」
「千代さんの言う通りよ」
「へぇ、その通りどす」
千代も兼子もクニも、みんな賛同した。
「みんなもこう言ってる事だし、倫子ちゃん、さっそくニューボディ一にご搭乗願えますかね?」
先生はふたりの倫子を見くらべて、うながして言った。
「え~と、どうやるんだったかな? あ、そうそう、ここはこうして、そしてこうやったら………」
吸い込まれるような感覚があって、倫子は暗転の渦のなかにいた。それから何十秒たったのか、倫子は目覚めると肉体の感覚をじんわりと味わっていた。思ったより、身体は軽かった。両の手を眼の前にかざして、自分の思い通りに動くのを確かめる。
『大丈夫かい? まぁ見たところ、問題はなさそうだ!』
「先生! この世に戻れました。それに、先生たちも見えます、お声も聞こえます!」
『よし、よし。まずは重畳。これで、しっかりコンタクトが取れるのもわかった。あとはきみの現物の声だ』
「えっ、声? あっ、先生はさっきから、テレパシーで話しているのね!」
『そう言うことだ。僕はテレパシーで話している。きみも僕にならって、なるべくテレパシーで話してほしい』
テレパシーで話せと言われ、倫子ははたと気がついた。
この世の人は、先生たちがまったく見えないし、声も聞こえないのだ。倫子がそんな中、現物の声をだして語っていると、頭がおかしくなったと勘違いされるかもしれない。それを避けるため、先生はテレパシーで語れと言ったのである。
『これで……どうで……しょうか?』
『まぁ、良いだろう。慣れれば大丈夫だ。ここをしっかりやれば、そんなに変に思う人もいないだろう。あとは視線だね。見えない存在を見ているわけだから、視線が変な方向に向いてしまう。これに気をつければ、もう普通の人と変わらないと思う』
『アドバイス………ありがとうございます。なにから、何まで、お世話になりました。これで私も、いっぱしの霊能者ですね』
『これからよ! 頑張ってね、倫子さん。いろいろご苦労があるかもしれないけど、令和の女の心意気を見せてちょうだい』
と、千代さんが言った。千代さんは何かしら思うところがあるらしく、厳しい顔つきだった。
『千代さん。どうかしたんですか。そんな怖い顔して?』
『う~うん! なんでもないのよ。わたしの悪い癖。良いことも悪いことも両方見えるのに、つい悪い方を強調して見てしまうのよ』
『わたしら阿呆には、なんや分かへんけど、奥さんにしかわからん事があるんですやろな~』
『姉さんだけ、心に留め置いたら良いのよ。あとはなるように成るわ!』
『さぁ、これで僕たちは帰るが、なにか質問はないか。と言っても、倫子ちゃんが呼べば、僕たちはすぐさま現れる。いつでも、どこでも、ね!』
『はい。ありがとうございました! この御恩は、死んでも忘れません』
『倫子ちゃん。もうすぐ、きみの大切な人がくるようだ。邪魔しちゃ悪いので、僕たちはひとまずお暇するよ!』
『大切な人………? ………周くん?』
『あと二分、それじゃまた!』
『あっ!』
一陣の風のごとく、金木犀の芳りとともに、先生たちはかき消えた。
「倫ちゃん~~~! 良かった~。一時はどうなるかと思ったけど、ほんとに無事で良かった!」
「ただいま~。コ◯ナをうつしちゃいけないと思って、周くんに連絡しなかったの。ほら、連絡したら看病しにマンションまでくるの分かってたから」
「そりゃそうだ。でも、それでも連絡してほしかった。二人して病院にはいりたかった!」
「なに言ってるんだか! でも、本当に、心配かけてごめんなさい。まさかコ◯ナ感染したなんて思わなかったの」
「まぁ、良いさ。神さまには倫ちゃんを返してくれただけで、有り難しとしよう。しかし、病気してまだ三、四日しか経ってないけど、なんだか綺麗になってないかい?」
「そうぉ? わたしはまだ鏡を見てないけど、痩せたからかなぁ?」
倫子は‘’まずい‘’、と思った。あの世にいるときに、抜け殻の自分を見ているのだ。出来すぎだ、とキリコに苦情を言ったばかりだった。
「いや、ツヤツヤの肌の感じなんて、なにか変だ? それになんだか若がえった気が………」
「いいじゃない? 悪くならないんだったら。それより周くん、◯川先生に頼まれてた資料、もう届けてくれた?」
倫子はごまかした。周平はこう見えて、妙に鋭いところがある。
「え~と、編集長が急いでたので、倫ちゃんが気になってたけど、涙をのんで努めをはたしたよ」
「そう、ありがと! ◯川先生、厳しい先生だけど、まさか担当の編集者が、コ◯ナに感染したとは思わないわよね」
「うん。それも贔屓にしてた倫ちゃんだから、なおさらだ。僕が先生のところへ行ったとき、先生、妙な顔してたよ。倫子ちゃん、だ、大丈夫かい?ってね」
「そう、悪いことしちゃった。あとでお詫びしなくちゃ」
「ところで、お医者さんにコ◯ナの影響はどうかを聞いたんだけど、不思議じゃないか、まったくキレイサッパリ消えてしまったそうじゃないか」
「わたしは自分の事だから分からないけど、前よりも調子は良いくらいよ」
「ふむ、ふむ。ま、終わりよければすべて良し、と言うことで、倫ちゃんが無事で良かった。それだけが、僕のねがいだったんだ」
「それで、いつ退院できるの?」
「一日ようすを見て、明後日かな。その日は、ぼくが迎えに来る。倫ちゃんはゆっくりしてくれ」
「分かった。本でも、読もうかな?」
「ところで、もうウイルスはぜんぜん出てないから………。………良いよね?」
「んもう………バカ!」
退院の日、倫子は周平のもってきた青のワンピースを身につけて、病院の一階ロビーにいた。医者と看護師がふたり、見送りにきていた。
「尾高さん、ここへ来てまだ数日しかたってないのに、見違えるほどの回復ぶり、まったく素晴らしい。退院、おめでとう!」
「本当に命も危なかったのに、コ◯ナなんてどこ吹く風。人の生命力って凄いわ!」
「コ◯ナに感染して、わずか五日。新記録よ!」
医者も看護師たちも、みな声をそろえて言った。重症化する人は、だいたい治りが遅く、後遺症がでたり、なかには命を落とす人もいる。
「お世話になりました。わずか五日ほどでしたけど、私にとっては、いろんなことで勉強になりました」
倫子は、病室や下のロビーのたたずまいを横目でなにげなく見ながら、医者や看護師たちの称賛を聞いていた。
その眼にはべつのものが映っている。普通の人には、見えないものが。
頭から血を流す人。ベンチで、力なくうずくまる人。なかには、身体のいちぶが欠けた人もいる。
こういった人は、霊的存在なのだ。
先生が言っていた通りにしよう、と思った。集中して意識をオフにすると、それ以上なにも見えなくなった。
倫子が玄関口を出ると、周平が車でまっていた。小雨が降っている。小さな鞄を受けとって、傘を手に倫子をエスコートする。
「倫ちゃん、どうする。このままマンションに帰るかい?」
「そうね。お風呂にもはいりたいし、仕事もちょっと残ってるから、帰ろうかな?」
「良し、わかった」
五分ほどで、マンションについた。十階建ての五階部分で、周平はもう自分のアパートよりよく知っているくらいだった。
「お腹すいちゃった! コンビニで、なにか買ってくれば良かったわね。え~と、スパゲッティならあるわ。周くん、食べる?」
「なんでも良いよ。缶詰のミートソースもあるから、僕がつくろうか? 倫ちゃんは休んでいなよ!」
「ありがと。じゃ、お願いするわね!」
倫子はリビングのソファに腰かけ、テレビのリモコンをつけた。しばらくすると、ニュース番組がうつる。あと二、三年すると、新紙幣が発行される、というトピックをやっていた。二十年ぶりに違う人物に選定されるのだ。
『先生のことは昔から知ってたけど、こんなタイミングってあるのね。不思議だわ! そう言えばこの肖像画、年齢は六、七十歳くらいね。本物の先生は四十歳くらいかしら、ずいぶん若々しかったわ!』
これからは、新一万円札を見ることも多くなるだろう。そのたびに、先生に見守られている感覚は強くなる。呼べばすぐ行く、と先生は言ってくれた。でも、甘えちゃいけない。まずは自分でなんとかしなければ。と、倫子は思った。
「出来たよ~。周平特製スパゲッティだ! 誰でもつくれるんだけどね」
「ありがと! お腹すいちゃった!」
「どうぞ召し上がれ!」
「ねぇ、周くん。聞いてくれる?」
スパゲッティを頬張りながら、あまり深刻にならないように倫子は言った。
「ん? どうしたんだ?」
「わたしね、小説をかいてみようと思うんだ」
「おっ。お得意の歴史小説かい?」
「ん~ん、今回はそうじゃなくて、経済の話なの」
「へー。そりゃ君は経済学部出身だし、べつに経済本を書いておかしいことはない。おかしいことはないけど、日頃から、この道の学者先生たちは、自分の学説にこだわって喧嘩ばっかりしてるから嫌いだ、と言ってたんじゃな
かったっけ?」
「そう、そうなんだけど、コ◯ナに感染して、ちょっとだけ人生観が変わったの。生きている間に、人間、やらなければならない事があるって!」
「ふ~ん、そうか。分かった! なにがあっても、僕はきみの味方だ。たとえ敵がなん万押し寄せようとも、だ!」
「ほんとに、ありがとう! 周くん、あなたは私の守り神よ!」
「えへへっ! ところで、◯川先生に相談するつもりかい。あの先生、倫ちゃんのファンみたいだから、きっと悪いようにはしないはずだ」
「う~ん。あまり人を利用したくないんだけど、◯川先生が積極財政論者だから相談はしてみるつもり。内容はこれから考えてみる!」
これから、どんな未来が待つというのか。なぜ、日本という国は、デフレのなか三十年という時間を、無駄に過ごさなければならなかったのか。
『先生、わたしはかならずこの問題をといて見せます。いまはまだ十分には分からないけど、ぜったい諦めない。あの霊界で、みなさんの前で経験したこと。‘’宇宙即我‘’の真理を忘れはしない! 先生。いいえ、渋沢栄一先生。ありがとうございました!』
「ん、どうかしたかい? フォークをもったまま、急に黙りこむから、びっくりするじゃないか!」
「あっ、ごめんなさい。ちょっと、ぼ~っとしちゃった」
「今日は大事をとって、泊まっていこうか? 大丈夫、大丈夫。チューいがいは、なんにもしないから!」
「んもう………バカ!」
「おっ、窓の雨。やんだね。ん、虹だ、虹がでてきたぞ!」
東の空に虹がでた。大きくあざやかな、虹であった。
(終)
「エッチなことって、先生はそんなことしませんよ。それとも私に、女の子の魅力がなかったのかな?」
「えへへっ。その調子だと大丈夫ね。ほんとにご苦労さま。こっちははやく終わったので、べつのお仕事に行ってたのよ。みてみて。リンちゃんのナイスボディーは、ほら、ご覧のとおり!」
帰ってきた病室は、一般の病棟にある部屋に代わっていた。I・C・Uから出された倫子の肉体は、人工呼吸器やコード類などもはずされ、静かに眠っていた。
「………?」
「どぉ、素敵でしょ? ごめ~ん、二十歳くらいにしちゃった!」
「なんだか、私じゃないみたい。キリコさん、ちょっと頑張りすぎじゃないですか?」
「ま、良いじゃない。いった通り、チューンナップしといてあげたんだから。約束どおりでしょ?」
「それはそうですけど………」
私ってこんなに美人だったかしら、と倫子は思った。かるくふくよかな感じだったのが、熱があって痩せたせいなのか、なにか凄絶な美しさにかわっていた。肌も陶磁器のようにツルツルだ。
「そんなことより、べつのお仕事って言ったこと。リンちゃんの叔父さまと奥さまの話。あれ、解決したわよ」
「お~、さすがに仕事がはやい。‘’天耳通‘’で僕たちの話をきいて、さっそく片づけてくれるとは!」
そばで聞いていた先生が言った。
倫子は驚いた。まさかキリコがそんな事まで知っているとは………。キリコという女性霊が、どんな稀有な才能をもった存在であるのか、倫子は前回のことでわかってはいたが、今回はあまりにも素早すぎた。凄みさえ感じる。
「倫子ちゃんが気にしてたこと、もう解決しちゃったのか。さすがキリコちゃんだね」
「先生、やめて頂戴。叔父さまの奥さまのことなら、もう機が熟してたのよ。あとは誰かが行って、二人をすくい上げるだけだったの。先約のある兼子さんには、悪いことしちゃった!」
「ありがとう………ございます。わたし、なんとお礼をいったら良いのか、分からない………!」
「いちいち感激してちゃだめよ! それより、これを見てごらんなさい」
キリコが右手をふると、目の前の空間がひらけ、モニターが現れた。
どこかのサナトリウム風の施設がうつり、屋外のベンチで叔父夫婦が休んでいるのが見えた。叔父も叔母も痩せた感じはあったが、ずいぶん健康そうに見えた。それどころか、昔よりずっと若返って見えた。
こちらで倫子たちが見ているのを感じたようで、モニター越しではあったが、二人は立ちあがって深々と礼をする。にこやかに笑っていた。
「どぉ、二人とも大丈夫でしょ? これでリンちゃんも、心置きなく頑張れるわね」
「ほんとに、なんとお礼を言ったらいいのか………」
「さ、そろそろわたし、帰ろうかな………! あとは先生にまかせて良いわよね?」
「ご苦労さんだったね、キリコちゃん。こんどの講演、代わりに務めていくよ」
「それじゃ先生、リンちゃん、それに女性陣の皆さん、ばいば~い!」
そう言うと、キリコは疾風のように消え去った。恐るべき早さだった
「本当に忙しい人! でも、こちらも、あまりゆっくりとはしていられないわ。倫子さんがあちらに戻った時、ちゃんとコンタクトが取れるか、試してみなければ!」
「千代さんの言う通りよ」
「へぇ、その通りどす」
千代も兼子もクニも、みんな賛同した。
「みんなもこう言ってる事だし、倫子ちゃん、さっそくニューボディ一にご搭乗願えますかね?」
先生はふたりの倫子を見くらべて、うながして言った。
「え~と、どうやるんだったかな? あ、そうそう、ここはこうして、そしてこうやったら………」
吸い込まれるような感覚があって、倫子は暗転の渦のなかにいた。それから何十秒たったのか、倫子は目覚めると肉体の感覚をじんわりと味わっていた。思ったより、身体は軽かった。両の手を眼の前にかざして、自分の思い通りに動くのを確かめる。
『大丈夫かい? まぁ見たところ、問題はなさそうだ!』
「先生! この世に戻れました。それに、先生たちも見えます、お声も聞こえます!」
『よし、よし。まずは重畳。これで、しっかりコンタクトが取れるのもわかった。あとはきみの現物の声だ』
「えっ、声? あっ、先生はさっきから、テレパシーで話しているのね!」
『そう言うことだ。僕はテレパシーで話している。きみも僕にならって、なるべくテレパシーで話してほしい』
テレパシーで話せと言われ、倫子ははたと気がついた。
この世の人は、先生たちがまったく見えないし、声も聞こえないのだ。倫子がそんな中、現物の声をだして語っていると、頭がおかしくなったと勘違いされるかもしれない。それを避けるため、先生はテレパシーで語れと言ったのである。
『これで……どうで……しょうか?』
『まぁ、良いだろう。慣れれば大丈夫だ。ここをしっかりやれば、そんなに変に思う人もいないだろう。あとは視線だね。見えない存在を見ているわけだから、視線が変な方向に向いてしまう。これに気をつければ、もう普通の人と変わらないと思う』
『アドバイス………ありがとうございます。なにから、何まで、お世話になりました。これで私も、いっぱしの霊能者ですね』
『これからよ! 頑張ってね、倫子さん。いろいろご苦労があるかもしれないけど、令和の女の心意気を見せてちょうだい』
と、千代さんが言った。千代さんは何かしら思うところがあるらしく、厳しい顔つきだった。
『千代さん。どうかしたんですか。そんな怖い顔して?』
『う~うん! なんでもないのよ。わたしの悪い癖。良いことも悪いことも両方見えるのに、つい悪い方を強調して見てしまうのよ』
『わたしら阿呆には、なんや分かへんけど、奥さんにしかわからん事があるんですやろな~』
『姉さんだけ、心に留め置いたら良いのよ。あとはなるように成るわ!』
『さぁ、これで僕たちは帰るが、なにか質問はないか。と言っても、倫子ちゃんが呼べば、僕たちはすぐさま現れる。いつでも、どこでも、ね!』
『はい。ありがとうございました! この御恩は、死んでも忘れません』
『倫子ちゃん。もうすぐ、きみの大切な人がくるようだ。邪魔しちゃ悪いので、僕たちはひとまずお暇するよ!』
『大切な人………? ………周くん?』
『あと二分、それじゃまた!』
『あっ!』
一陣の風のごとく、金木犀の芳りとともに、先生たちはかき消えた。
「倫ちゃん~~~! 良かった~。一時はどうなるかと思ったけど、ほんとに無事で良かった!」
「ただいま~。コ◯ナをうつしちゃいけないと思って、周くんに連絡しなかったの。ほら、連絡したら看病しにマンションまでくるの分かってたから」
「そりゃそうだ。でも、それでも連絡してほしかった。二人して病院にはいりたかった!」
「なに言ってるんだか! でも、本当に、心配かけてごめんなさい。まさかコ◯ナ感染したなんて思わなかったの」
「まぁ、良いさ。神さまには倫ちゃんを返してくれただけで、有り難しとしよう。しかし、病気してまだ三、四日しか経ってないけど、なんだか綺麗になってないかい?」
「そうぉ? わたしはまだ鏡を見てないけど、痩せたからかなぁ?」
倫子は‘’まずい‘’、と思った。あの世にいるときに、抜け殻の自分を見ているのだ。出来すぎだ、とキリコに苦情を言ったばかりだった。
「いや、ツヤツヤの肌の感じなんて、なにか変だ? それになんだか若がえった気が………」
「いいじゃない? 悪くならないんだったら。それより周くん、◯川先生に頼まれてた資料、もう届けてくれた?」
倫子はごまかした。周平はこう見えて、妙に鋭いところがある。
「え~と、編集長が急いでたので、倫ちゃんが気になってたけど、涙をのんで努めをはたしたよ」
「そう、ありがと! ◯川先生、厳しい先生だけど、まさか担当の編集者が、コ◯ナに感染したとは思わないわよね」
「うん。それも贔屓にしてた倫ちゃんだから、なおさらだ。僕が先生のところへ行ったとき、先生、妙な顔してたよ。倫子ちゃん、だ、大丈夫かい?ってね」
「そう、悪いことしちゃった。あとでお詫びしなくちゃ」
「ところで、お医者さんにコ◯ナの影響はどうかを聞いたんだけど、不思議じゃないか、まったくキレイサッパリ消えてしまったそうじゃないか」
「わたしは自分の事だから分からないけど、前よりも調子は良いくらいよ」
「ふむ、ふむ。ま、終わりよければすべて良し、と言うことで、倫ちゃんが無事で良かった。それだけが、僕のねがいだったんだ」
「それで、いつ退院できるの?」
「一日ようすを見て、明後日かな。その日は、ぼくが迎えに来る。倫ちゃんはゆっくりしてくれ」
「分かった。本でも、読もうかな?」
「ところで、もうウイルスはぜんぜん出てないから………。………良いよね?」
「んもう………バカ!」
退院の日、倫子は周平のもってきた青のワンピースを身につけて、病院の一階ロビーにいた。医者と看護師がふたり、見送りにきていた。
「尾高さん、ここへ来てまだ数日しかたってないのに、見違えるほどの回復ぶり、まったく素晴らしい。退院、おめでとう!」
「本当に命も危なかったのに、コ◯ナなんてどこ吹く風。人の生命力って凄いわ!」
「コ◯ナに感染して、わずか五日。新記録よ!」
医者も看護師たちも、みな声をそろえて言った。重症化する人は、だいたい治りが遅く、後遺症がでたり、なかには命を落とす人もいる。
「お世話になりました。わずか五日ほどでしたけど、私にとっては、いろんなことで勉強になりました」
倫子は、病室や下のロビーのたたずまいを横目でなにげなく見ながら、医者や看護師たちの称賛を聞いていた。
その眼にはべつのものが映っている。普通の人には、見えないものが。
頭から血を流す人。ベンチで、力なくうずくまる人。なかには、身体のいちぶが欠けた人もいる。
こういった人は、霊的存在なのだ。
先生が言っていた通りにしよう、と思った。集中して意識をオフにすると、それ以上なにも見えなくなった。
倫子が玄関口を出ると、周平が車でまっていた。小雨が降っている。小さな鞄を受けとって、傘を手に倫子をエスコートする。
「倫ちゃん、どうする。このままマンションに帰るかい?」
「そうね。お風呂にもはいりたいし、仕事もちょっと残ってるから、帰ろうかな?」
「良し、わかった」
五分ほどで、マンションについた。十階建ての五階部分で、周平はもう自分のアパートよりよく知っているくらいだった。
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「なんでも良いよ。缶詰のミートソースもあるから、僕がつくろうか? 倫ちゃんは休んでいなよ!」
「ありがと。じゃ、お願いするわね!」
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『先生のことは昔から知ってたけど、こんなタイミングってあるのね。不思議だわ! そう言えばこの肖像画、年齢は六、七十歳くらいね。本物の先生は四十歳くらいかしら、ずいぶん若々しかったわ!』
これからは、新一万円札を見ることも多くなるだろう。そのたびに、先生に見守られている感覚は強くなる。呼べばすぐ行く、と先生は言ってくれた。でも、甘えちゃいけない。まずは自分でなんとかしなければ。と、倫子は思った。
「出来たよ~。周平特製スパゲッティだ! 誰でもつくれるんだけどね」
「ありがと! お腹すいちゃった!」
「どうぞ召し上がれ!」
「ねぇ、周くん。聞いてくれる?」
スパゲッティを頬張りながら、あまり深刻にならないように倫子は言った。
「ん? どうしたんだ?」
「わたしね、小説をかいてみようと思うんだ」
「おっ。お得意の歴史小説かい?」
「ん~ん、今回はそうじゃなくて、経済の話なの」
「へー。そりゃ君は経済学部出身だし、べつに経済本を書いておかしいことはない。おかしいことはないけど、日頃から、この道の学者先生たちは、自分の学説にこだわって喧嘩ばっかりしてるから嫌いだ、と言ってたんじゃな
かったっけ?」
「そう、そうなんだけど、コ◯ナに感染して、ちょっとだけ人生観が変わったの。生きている間に、人間、やらなければならない事があるって!」
「ふ~ん、そうか。分かった! なにがあっても、僕はきみの味方だ。たとえ敵がなん万押し寄せようとも、だ!」
「ほんとに、ありがとう! 周くん、あなたは私の守り神よ!」
「えへへっ! ところで、◯川先生に相談するつもりかい。あの先生、倫ちゃんのファンみたいだから、きっと悪いようにはしないはずだ」
「う~ん。あまり人を利用したくないんだけど、◯川先生が積極財政論者だから相談はしてみるつもり。内容はこれから考えてみる!」
これから、どんな未来が待つというのか。なぜ、日本という国は、デフレのなか三十年という時間を、無駄に過ごさなければならなかったのか。
『先生、わたしはかならずこの問題をといて見せます。いまはまだ十分には分からないけど、ぜったい諦めない。あの霊界で、みなさんの前で経験したこと。‘’宇宙即我‘’の真理を忘れはしない! 先生。いいえ、渋沢栄一先生。ありがとうございました!』
「ん、どうかしたかい? フォークをもったまま、急に黙りこむから、びっくりするじゃないか!」
「あっ、ごめんなさい。ちょっと、ぼ~っとしちゃった」
「今日は大事をとって、泊まっていこうか? 大丈夫、大丈夫。チューいがいは、なんにもしないから!」
「んもう………バカ!」
「おっ、窓の雨。やんだね。ん、虹だ、虹がでてきたぞ!」
東の空に虹がでた。大きくあざやかな、虹であった。
(終)
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