上 下
176 / 188
第四章

駆け引き

しおりを挟む



 久しぶりの一人。
 桃源郷にいる間もレスターが常に側にいたからか、妙に肌寒く感じる。自分から元の部屋に、と願ったのにも関わらず、やっぱりリヒトの部屋に…と言うのはリーンにはとても勇気のいる事だった。

(こんなに寂しがり屋だったけ?)

 そんな事を思いながらベッドに倒れ込んだリーンは枕に顔をうずめて眠ろうと目を閉じる。

 今考えれば、母が亡くなって自分が死ぬまでの数週間と初めてノーナの森に降り立った数時間、それから皆んなから逃げ出してエルフの里があるエンダに向かった数日間しか一人にはなっていなかったのだと今更ながらに気がつく。
 今だって気づいてないとでも思っているのか、部屋の外にはジャンが立っている。それは宿屋に泊まっていた時も同じだったか。
 
ーーーお前が願ったからそのようになっている

(私が願った…?)

ーーー1人になりたくないとそう言ったそうだな

(…言った覚えはないのだけれど…)

 ふと、自身の死ぬ間際の事を思い返してみる。
 
 母からの“1人でもしっかり生きなさい”と最後の言葉を貰って数日。慌ただしい葬儀が終わって、本当に1人になってしまったのだと実感した。
 何もかもを取り上げられて信じてもいない神様を恨んで、まるで枯れる事を知らないかように溢れ出してくる涙を拭く事もしなかった。
 喪が明けて出社すると同僚達が気を遣った言葉をかけてくれていたが、全く耳には入って来なかった。何もかもから逃げるように、実感してしまうのが嫌で母との思い出のある家に帰りたくなくて、以前よりも更に仕事に打ち込んで、狂っていく毎日。

「桜田さん…大丈夫ですか…?」

「大丈夫です。他に仕事はありますか?」

「…桜田さん仕事早いし、進んで仕事してくれるのは凄く助かってるんだけど、無理はしないでね?」

「今まで無理言って母の病院に行かせて貰ってましたからこれくらいは大丈夫です」

「…そう」

 そして、その日残業をして深夜に帰ってきた。
 
「今日、金曜日だったのか」

 楽しそうに肩を組んで歩いている人、仲良く手を繋いで歩いているカップル、もう一軒行くぞー!と騒いでいる大学生グループを背景のように眺めて家路に着く。
 ここまで疲れていたら、直ぐに寝れるだろうと服を脱ぎ散らかして…。

(それが最後か…)

ーーー思い出したか

(何で今まで思い出さなかったのか…)

ーーー無理矢理 記憶を押しやっていたのはお前だ

(…願っちゃダメだと…)

 願ってはいけないと思ってた。無くしたくないものほど、私の手からどんどんこぼれ落ちていったから。そうやって辛くなるからなら一層もう、誰とも関わらない方が傷付かないとそう思っていた。

ーーーお前の元いた世界に“人は1人では生けていけない”と言う言葉があるそうだな

(…)

ーーー願い通りだろ

(あれは…願ってません…少し考えてただけで…)

ーーー神にはその者が一番強く願った思いしか届かん

(一番強く願った…って…。母を失いたくない、と言うことよりも1人になりたくないという思いの方が強かった…?)

ーーー人の生き死にに神は関われんと言っただろ

 その答えに少し安心しながらも母の死と同等レベルで“1人になりたくない”と願った自分にどれだけ親不孝ものか、と落胆する。

(私の方が限界みたい…)

 リーンはゆっくりとベッドから這い出て、知ってしまった1人の寒さを埋めるために枕を抱きしめて、ドアノブに手をかける。

「…リーン様、何かございましたか?」

「…その…」

「久しぶりに宜しいですか?」

「………はい」

 頑張ってやっと絞り出したような声を聞いて、小さくクスリと笑ったジャンは嬉しそうにリーンを抱き抱える。

「リーン様の負けですね」

「…ジャンもリヒト様の仲間ですか」

「それはそうですよ。私もリーン様にずっとここにいて貰いたいですから、味方にもなります」

 何もかもリヒトの思い通りだ。
 このままリヒトの部屋に入ってしまったらもう後戻りは出来ない。

「……ジャン、お前…」

 ジャンがリヒトの部屋の扉をノックしようと拳を軽く握る。しかし、ノックする前に扉が開いて中から鬼のような形相のリヒトが現れる。

「…ごめんなさい」

「リーン様!!!ち、違うんです!!!さっき揶揄われて…」

 多分、リヒトはリーンが来るのを待っていてリーンが来たのだと嬉しそうにノックの音に反応したら、と言うオチだろうか。
 リヒトはこんな古典的な手に引っ掛かるような人じゃないと思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。
 だから、今日は何故か素直になれた。

「どうして今日はわざと私を避けたのですか?」

「…今みたいに素直な言葉が欲しかったからです」

「もうしないと言って下さったと思ってたのに嘘だったのですね」

「嘘だなんて!私は…私だって離れるのが辛いんです。ずっと一緒にいたいのです。帰って欲しくないって叫び出したくなるほどに辛い…」

「私にはやらなければならない事があります。それはもちろん、リヒト様達の幸せの為でもあります」

 そう、彼らがより良い生活を何ものにも脅かされる事なく末長く送れるように。

「…貴方がいないのに幸せになれる訳がありません」

「…」

 不意打ちを食らったリーンは返す言葉が見つからず、口を固く閉ざす。
 試されている。覚悟してここに来たのかを。

「私は貴方がお爺さんになってもこのままです」

「はい、私がヨボヨボになったらお嫌いになられますか?」

「…わ、私は貴方とは違う時間を生きているのです」

「共に歩けなくて申し訳ありません」

「……私だって辛いんです」

「私は我儘ですから、レスターとは違います。私といた事を後悔するくらい貴方を幸せにしたい」

 どうしたら良いのだろう。
 こんな告白から誰が逃げられると言うのだろうか。
 逃げられないと分かっていたから逃げてきたと言うのに。

「後悔したくないんです…分かってください!」

「逃げれないと分かっててここに来たくせにまだ抵抗されますか?」

 顔を見ていられない。
 わざとらしかったかも知れないが、顔を背けてリヒトを視界から追いやる。

「…くせにって、言葉使い悪くなってませんか?」

「手段は選んでられないと分からましたから。強引なくらいじゃなきゃ、素直になって貰えませんから」

「そんな事言われて素直になる訳が…」

「フッ…」

 リヒトは最も簡単にリーンをジャンの腕の中からリーンを奪い取ると、ジャンを足蹴にして開いたままだった扉をその背で閉める。

「リーン様が勝手にして良いと仰ったのに」

「…た、確かに言いましたが、今は関係ないです」

「いいえ。これは最後の手段でした。私が今日どれだけ我慢していたことか。我慢したご褒美にこれくらいは許して下さいね」

 答えになっていない答えをさも、答えのように呟いて、強引にリーンの額に唇を落とす。

「それはリヒト様が勝手にやっていたのでしょう!本当なら私が嘘ついたお詫びに…」

「成程、私としたことが…」

「あ、いや…その、これは言葉のアヤで…」

「嘘をついてしまい申し訳ありませんでした。では、リーン様。お詫びに何をお求めに…?」

 そんな意地悪そうな微笑みすら好きだ。
 ずっと一緒に居たい。失いたくない。大好きだ。

「まだ素直になれませんか?」

「…」

「では、こんなのはどうでしょうか?…私の事好きですか?」

「…………き」

「…リーン様?」

「…大好き!!!」

「大がついてましたか!」

 恥ずかしいだけじゃない。ドクドクと大きく脈打つ心臓が痛い。全身が熱に侵されたかのように熱くて、顔を上げられない。

「私もリーン様の事が大好きです」

「…幼女にそんな事言うなんて…」

「変態ですか?」

「…変態です」

「んー、それは困りました。どのお姿であろうとこの気持ちは変わりませんが、少しご協力頂かないと捕まってしまいますよね」

 本気のレスポンスが帰ってきてポカンと口を開ける。

「執務中、美しいお姿を眺めるのは幸せにでしたが、来た者達が仕事に集中してくれないのは困りましたし、レストランでは下品な視線が多くて色んな衝動を抑えるのに苦労しました」

「執務中は子供の姿でいます…」

「でも、手を繋いでデート出来たのはとても幸せでした」

「…その時だけ、変わりましょうか…?」

「それなら湯浴みの時ですが、アポロレイドール様かコートバルサドール様だったらお背中を流せるかと…」

「それはまだ早い…と思います…」

「そうですか、残念です」

 本当に残念そうに肩を落としたリヒトはそっと優しくベッドへリーンを下ろす。

「あ、夜はこのままで。私も男ですから」

 妖艶な微笑みを向けたリヒトにリーンは全力で頭を縦に動かした。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

暇つぶし転生~お使いしながらぶらり旅~

暇人太一
ファンタジー
 仲良し3人組の高校生とともに勇者召喚に巻き込まれた、30歳の病人。  ラノベの召喚もののテンプレのごとく、おっさんで病人はお呼びでない。  結局雑魚スキルを渡され、3人組のパシリとして扱われ、最後は儀式の生贄として3人組に殺されることに……。  そんなおっさんの前に厳ついおっさんが登場。果たして病人のおっさんはどうなる!?  この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~

宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。 転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。 良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。 例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。 けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。 同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。 彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!? ※小説家になろう様にも掲載しています。

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います

霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。 得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。 しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。 傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。 基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。 が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。

イラついた俺は強奪スキルで神からスキルを奪うことにしました。神の力で最強に・・・(旧:学園最強に・・・)

こたろう文庫
ファンタジー
カクヨムにて日間・週間共に総合ランキング1位! 死神が間違えたせいで俺は死んだらしい。俺にそう説明する神は何かと俺をイラつかせる。異世界に転生させるからスキルを選ぶように言われたので、神にイラついていた俺は1回しか使えない強奪スキルを神相手に使ってやった。 閑散とした村に子供として転生した為、強奪したスキルのチート度合いがわからず、学校に入学後も無自覚のまま周りを振り回す僕の話 2作目になります。 まだ読まれてない方はこちらもよろしくおねがいします。 「クラス転移から逃げ出したイジメられっ子、女神に頼まれ渋々異世界転移するが職業[逃亡者]が無能だと処刑される」

スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?

山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。 2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。 異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。 唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。

転生させて貰ったけど…これやりたかった事…だっけ?

N
ファンタジー
目が覚めたら…目の前には白い球が、、 生まれる世界が間違っていたって⁇ 自分が好きだった漫画の中のような世界に転生出来るって⁈ 嬉しいけど…これは一旦落ち着いてチートを勝ち取って最高に楽しい人生勝ち組にならねば!! そう意気込んで転生したものの、気がついたら……… 大切な人生の相棒との出会いや沢山の人との出会い! そして転生した本当の理由はいつ分かるのか…!! ーーーーーーーーーーーーーー ※誤字・脱字多いかもしれません💦  (教えて頂けたらめっちゃ助かります…) ※自分自身が句読点・改行多めが好きなのでそうしています、読みにくかったらすみません

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

[鑑定]スキルしかない俺を追放したのはいいが、貴様らにはもう関わるのはイヤだから、さがさないでくれ!

どら焼き
ファンタジー
ついに!第5章突入! 舐めた奴らに、真実が牙を剥く! 何も説明無く、いきなり異世界転移!らしいのだが、この王冠つけたオッサン何を言っているのだ? しかも、ステータスが文字化けしていて、スキルも「鑑定??」だけって酷くない? 訳のわからない言葉?を発声している王女?と、勇者らしい同級生達がオレを城から捨てやがったので、 なんとか、苦労して宿代とパン代を稼ぐ主人公カザト! そして…わかってくる、この異世界の異常性。 出会いを重ねて、なんとか元の世界に戻る方法を切り開いて行く物語。 主人公の直接復讐する要素は、あまりありません。 相手方の、あまりにも酷い自堕落さから出てくる、ざまぁ要素は、少しづつ出てくる予定です。 ハーレム要素は、不明とします。 復讐での強制ハーレム要素は、無しの予定です。 追記  2023/07/21 表紙絵を戦闘モードになったあるヤツの参考絵にしました。 8月近くでなにが、変形するのかわかる予定です。 2024/02/23 アルファポリスオンリーを解除しました。

処理中です...