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第二章
旅立ち
しおりを挟むこの目の前にいる男は誰だ。
正確には誰だかは知っている。1度か2度程だが会った事があった。その知っている筈の男は優男でいつもニコニコと愛想を振りまいて、邪魔をしない様に部屋の隅にいるような大人しい男だった。その容姿と似ても似つかない程に這いつくばるメルーサを見下げて、睨みつけ、怒りを露わにしている。
「いつまで地べたに這いつくばってらせて置くつもりだ。早く連れてけ。次の仕事も支えている」
男の指示に従い、武装した男達に両脇を抑えられて無理矢理に馬車に乗せられる。
何処へ逃げても追われる身の彼女には心休まる場所はない。食事も買い物もままならず、まともに寝る場所の確保も出来なかった。そんな中で見つけた憩いの場所。逃亡生活に窶れきった彼女を救ってくれた場所。そこに彼らが居る事の意味を静かに悟った。メルーサには抵抗する気力は残っていなかった。
動き出した馬車を取り囲む男たち。その様子は以前はよく見ていたものだが、やはり物々しい雰囲気で以前とは違うと思い知らされる。
何処に連れて行かれるのかはよく分かっている。分かっているのに意外にも頭は冷静に状況を理解していて、多分薄々こうなる事が分かっていた。いや、望んでいたのかもしれない。もう、ディアブロに捨てられたと知ったあの日ほどの怒りはない。
逃げられないように取り囲む男達はチラチラと様子を見ているがそんな必要はない。もう逃げる気力は残っていないのだから。
「ふふ。私にしては案外呆気ない終わり方ね。それはそれでいいかもしれないわ」
独り言が宇宙に舞う。
手にかけられた縄は痛いが心は清々しく感じる。
彼女の表情はとても穏やかだった。
メルーサが捕まったのは逃げ出してから3ヶ月も後の事だった。
「降りろ」
「まぁ。準備のいい事ね」
それからは本当に呆気ない結末を迎えた。
連れられたのは死刑台の目の前。辺りにはヤジを飛ばす国民や周囲を取り囲む騎士達、反乱を起こした貴族達。
喧騒の中、ゆっくりと死刑台に登るメルーサ。
ボロボロの端切れのような服を纏い、手入れされていた髪はボサボサで疲れ切った顔はまるで老婆のようで見る影もない。
そういう風にした。そういう風に演じた。それがお婆さんへの罪滅ぼしかのように。
メルーサが死刑台に上がると、彼女の悪事を宰相カーディナル・コンラッドが淡々と述べ国民に真実が晒された。
「貴方の主人に伝えて夢を見せてくれてありがとう、それとディアブロは諦めてない、神導を大切に。と」
そして、興奮冷めやまぬ喧騒の中で彼女の刑が執行された。
(これが報いね。最後にいい夢を見せてくれてありがとう、お婆さん)
「さて、あれはどっちの主人の事でしょうかね?」
この事件を新聞各紙がトップに書き連ねた。国民はメルーサの存在事態知らぬ者も多く、大変混乱を極めた。
更にマンチェスター伯爵が殉職したと伝えられた。経緯や内容については情報公開がかなり制限された。伯爵家は息子のセヴァンが継ぐ事でお家が存続している為、世間的には特に事が大きくなる事はなかった。
「請求はレスターにお願いします」
「…いえ、主人から相当の金額を預けられてますのでお気になさらず。まぁ、逃げられる手違いはありましたが!無事終わったので…ね?」
「はい、モナミ伯爵家の次男様。大変助かりました」
「そんな呼び方をしなくとも…いえ…では、約束通り…」
「そうですね。準備に少々お時間を貰いますがよろしいでしょうか?」
彼がキラキラ目を輝かせているのは、決して願いが叶ったからではなく、やっと面倒な仕事が片付いた、と言う安堵から来るものだろう。
そう言う態度を隠さない彼は中々の大物かも知れない。
「リーン様、次の行先を本当にこの者の言う通りにして宜しいのですか?」
「大丈夫ですよ。孰れは訪れる予定でしたから、早いか遅いかだけの違いです」
笑顔を向けるリーンに不満そうなレスター。行くなと言いたそうだが、決してレスターは止めはしないのだ。どんなに嫌であってもリーンの考えを尊重する。
「レスター。前に話した子が居るのですよ」
「…それ男じゃないですか…」
「…ん?すみません。聞き取れなかったのですが」
「…いえ、確かに必要な人材ではあります」
どうやらリーンは目的の人物がいるようで、それをとても楽しそうに話す。レスターは嫌々と言った感じだが、それでも必要だとは認めている。
ミナモ伯爵家次男。彼の誘いを受けて彼の主人とやらに会いに行くために彼の故郷、ヴェルスダルムに向かう事になったのだ。此方での手助けの報酬に強請ったのが金銭でもコネでも何でもなく、ただ来て欲しいのだと言う。
当面の予定は諸々の準備期間なので、何処に行こうと問題はない。ヴェルスダルムはとても良いところだ。広大な土地、沢山の鉱山、恵まれた気候、卓越した技術、そして何より問題がない事。これまで色々と首を突っ込んだり、巻き込まれたりと苦労したので正直言って面倒は避けてのんびり自由に過ごしたい、と言うのが心情だった。
「メルーサが最後に夢を見せてくれてありがとう、“ディアブロは諦めてない、神導を大切に”と」
ディーンは最後にリーンの耳元でコソコソとリーンに耳打ちすると瞬く間に屋敷を出て行った。
「皆んなに準備するよう、伝えてください」
「かしこまりました」
レスターは特に誰を、などと質問する事なく部屋を出る。リーンがどの程度の人間を連れて行くのかは把握できているのだ。
しかし、リーンは特に連れてく人を決めていたわけではない。レスターが連れてくべきと考えて、本人にもついて行く意思があるならそれで良いと、要は丸投げしただけだった。
「俺も準備してくるな」
「イアン、あれ食べたくないですか?」
「んー、店やってんのか?あれの処刑やってんだろ?」
「終わってますよ。最後なので、食べたいのですが」
「んじゃ、行くかー」
楽しそうに出かけて行く2人を見送ったレスターは淡々と言われた通りに仕事を進める。
それはもう淡々と、だ。
周りなど気にしない。一緒に行きたかったなど思ってない、と必死に淡々と。
当たり前にリーンがこの屋敷を離れる話は直ぐに知れ渡った。連れて行ってもらえるのだろうかとヤキモキする者達はそこでリーンやレスターからの自身の評価を知る事になると理解していた。
勿論リーンはレスターに丸投げしているので、これはレスターのみの評価なのだが、そこまでは考え及ばないだろう。
「ミモザはどうしま…」
「行きます!!!」
レスターが引くほどに被せてきたミモザに周りは拍手を送る。なんとも異様な光景だ。現在、成績発表会と化したホールの状況をリーンは知らない。
「カール、キールは…」
「「勿論!行きます!!!」」
「まぁ、そうですね」
「ではラテ…」
「行かせていただきます」
どんどん呼ばれて行く名前。続く拍手。喜ぶ者。落胆する者。心撫で下ろす者。三者三様の反応でホールはなんとも言えない雰囲気となっていた。
「シュミットはそのまま店長という事で」
「はい、リーン様から承っております。先日ソマリエ伯爵家とのご挨拶もさせて頂きました」
シュミットは置いて行くとリーンから予め聞いていた。商会は設立当初から売却するつもりだったリーンは商会を売った後も予備として商会の内情をよく知るものを繋ぎとして置いておきたかったのだ。
まだ年若い娘がいて、国を出ることは考えていなかったシュミットは好都合で元々残すつもりで店長職を与えていた。このまま仕事を続けられるのならと彼も了承し、ソマリエ伯爵と相談し、商会内の全ての勝手知ったる彼がそのまま商会の店長の職続ける事になっていた。
結局、使用人、職人、シュミット以外の商会店長達は皆、ついて行く運びとなった。
勿論彼らとの差を従業員達は分かっていただろう。故意では無いとしても事件を起こしてしまったり、地方勤務で元々余り面識も無かった者も多い。
ただ、やはりリーンに選ばれ、認められ、そばに居れるほどの喜びは他に無いとも知っている。それはお金持ちだとか美しいだとか、そんな疾しい気持ちからではなくて、純粋にこんな滅びかけた国で生きてきた彼らを救い出してくれた神そのものだったからだ。
出発までの時間は1週間でそんなに時間もないことから使用人も含めて暇を与えられた。行き先が海を越えた先にあるヴェルスダルムと言う事もあり、家族や友人などに別れの挨拶をしに行ったり、必要な物を買い出しに行ったり、観光と評して思い出の地を巡ったりと各々色んな時間を過ごした。
代わりに屋敷の業務全般を居残る従業員達が変わることとなった。勿論、リーンの周辺はレスターがやるのでそれ以外の業務のみだが。
ブロッサム商会は再開前にまずリーンから商会を引き継いだと言う宣伝をする、との事でまだ再開していない。
暇を持て余していた従業員達はリーンを見れる最後の機会だと屋敷内の業務をすんなり引き受けてくれたのだ。
更にその中から、今後も屋敷の手入れを任される者が選ばれる事となり、それはもう必死。それ以外に言葉が見つからない。
屋敷の管理を任される、と言う事は帰ってくる事がある、という事だからだ。
そんなこんなで再び慌ただしい日々をリーン達は過ごすのだった。
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