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第二章
過去
しおりを挟む何故なのだろうか。
マンチェスター伯爵に大見得切って飛び出して来たが、彼女が建てた全ての作戦が始まる前に潰されている。
20年掛けて仕込んできた物が最も簡単に消えてしまうと流石に堪えるものがある。
「まさか、これも…」
そろそろ届いても良いはずの便りが一向に届かない。今か今かと待って…とうに2刻は過ぎただろう。
「処刑は終わったのかしら?」
「はい、そのようです。ただ…」
「ただ、何なの?」
「ルルティア王女殿下はお咎めなしだったようです」
ーーードンッ!!!
あれだけ嫌われ、叩かれ続けてきたルルティアが生きている。あまりの驚きと怒りで思わず両手で机を叩き立ち上がる。
「私がどれだけあの娘を…」
ルルティアを排除する為、彼女の城の中での立場を悪くさせた。メイドや従者達がルルティアを虐めるよう噂を流して誘導し、怒り震える彼女に自身は相談に乗って味方かのように寄り添い、信用を得てから仕返しをするように誘導する。
長い月日をかけてゆっくりお互いを憎むように導いてきた。なのに…。
そして又繰り返す。
そんな状況でさえもひっくり返す事が出来るのは…何故なのだろうか、と。
「もういいわ。死病は散蒔けたのよね」
「はい。ですが、其方の方も我々が確認した3名から増えたと言う情報が入ってきておらず…詳細が分かりません」
「…人員を配置していたはず…よね?」
「ええ、信用のおける者を配置しておりました。そこから連絡がない、となると…恐らく…」
メルーサはもう一度机を両手で叩き俯く。
死病を確実に蔓延させる為に危険を犯してまで奴隷を買い、感染させて街に放った。確実に蔓延させる手段を取った筈だ。
「感染者が増えてない、って事よね」
20年。自分の全てを投げ打って尽くして来た。全ては幸せな暮らしをする為。
(私はこんな所で終わる人間じゃないのよ)
20年前。
突然目の前に現れた老人は彼女に言ったのだ。『今の生活から抜け出したくはないか?』と。
彼女は当時まだ発展途中の帝国の帝都エルムにあるスラム街に居た。父は戦争で死に、母は父を愛しすぎたあまりに父の死を受け入れられずあの後を追うように死んでいった。その光景は当時12歳だった少女には余りに滑稽に見えて、泣く事も悲しむ事もなく周りからは親の死を悲しまない非情な子だと噂された。
だからなのか、彼女に手を差し伸べてくれる人は1人も居らず寧ろお前達の方が非情だ、とどんどんと心を閉ざして行った。
今思えば、幼いながら自分を置いて死んで行った母に対しての怒りと悲しみが入り混じり感情を相殺した結果、怒る事も泣く事も出来なかったのだと理解出来た。
それからの彼女には誰も助けてくれない、1人で生きて行くんだ、という反骨精神だけがスラム街という無法地帯で12歳の少女が生きていくための糧にもなっていた。
長く辛い日々から抜け出す為、良くも分からずに老人に連れられた屋敷にはとても美しい男主人がいた。
美しい主人様は一目も彼女に視線を送る事は無かったが、彼女からすれば、地獄の日々から救い出してくれた素敵な主人様に変わらない。
それだけが20年以上彼に尽くす理由だった。
寧ろ、どうしてそこまで彼に尽くしているのかメルーサ自身も良く分からなくなる時がある。ただ、もうこれ以外の生き方を知らない彼女には抜け出すと言う選択肢は全く無かった。
時には知らない男に媚を売り、取り入る為ならば自らの身体を差し出す事も厭わず、ヤれと言われれば躊躇なく邪魔な者を排除してきた。
そんなある日、彼女に小さな転機が訪れる。
次に与えられた仕事は王妃になる事。
知り合いも味方もいない所へ飛び込む危険な仕事とはいえ、一国の王妃になり、優雅な生活を送れるのならば寧ろ役得と思えた。
そうして連れられて来たのは帝国から遠く離れたダーナロ王国だった。
齢16歳の少女に与えられた仕事としてはとても重く思えるが、彼女は寧ろ楽しんでいたように思う。
身一つで送り込まれたにも関わらず、スラム街で生きてきた経験とこの4年間の仕事を生かし自分をうまく使って情報を得た。得た情報から同情を誘って花街で知り合った男から娘の身分を貰い、その男の兄で王宮出入りしている商人にすら取り入ってすぐに王宮へ飛び込む手筈まで整えた。
兎に角、彼女の願いは少しでも長くこの夢にまで見た貴族生活を堪能すること。なのでとても厳格で優秀だった当時の国王アゼルフィートでは圧政は愚か彼女を王妃にするような馬鹿ではない事を出逢ってすぐに理解した。そして優しく優柔不断な王太子だったファルビターラに狙いを定めた。
“男”を良く知るメルーサにとって人の良い王太子ファルビターラに取り入るのはとても容易かった。
人が良いだけの王太子は優秀で美しく妻としても文句無しのマルティアに劣等感を持っていた。
何をするにも比べられ、優秀過ぎる妻に遠慮し、提案があっても一度妻に相談し、その視線を気にして、彼女の言う通りにして来た。
それが幼い頃からの習慣であった為に本人が思うよりも積もりに積もっていて、無自覚に彼自身の人格を形成していた。それは妻マルティアの存在によって作られたものとも言えるだろうが彼がその劣等感を感じている事に無自覚な為、それを苦に思う事はなく、不満を自ら表に出す事は無かった。
しかしその反面たまの機会に与えられる国外への外交はそのストレスの発散になっていたようで相当大きく羽を伸ばしていたように思える。
彼女はその隙に取り入った。
マルティアに意見を聞くファルビターラに少しずつ『あなたはどうしたいの?』、『あなたのしたいままにしたらどう?』と彼の心の不満を少しずつ増幅させていき、マルティアの前では無邪気な少女を演じた。
時は経ちメルーサ25歳の時。
メイドとしての生活もそれなりに良いものではあった。スラム育ちの彼女にとって他の貴族出身のメイド達よりも格段に優遇された上級メイドとしての立場はかなり優越なものだった。散々媚をうり、身体を売り、身を削って来た彼女からすればここは天国の様な場所だ。しかし貴族の暮らしからは程遠く、夢の貴族暮らし…王妃の座からは更に遠い。
そんな彼女の取った行動はあまりにも大胆だった。
それが国王アゼルフィートの暗殺。
それは本当に大胆な作戦だった。
上級メイドの立場から城の中は殆ど制限なく動ける。仕事は周りに振ればいい。ただ、足が付くようなやり方は好ましくない。特に感の良いマルティアに疑われる訳には行かない。なので敢えて彼女に近づき、常に一緒にいて、アリバイを作り、疑いの目を逸らして、そしてマルティアの目の前で事を起す事にした。それはとても静かにでも確実にゆっくりと始まった。
1ヶ月程前から突然の睡魔により所構わず寝入ったり、深い眠りにより丸一日目を覚さないと言う不思議な症状に王は襲われていた。体調を疑った王族周辺は宮廷医師を呼び出したが特に目立った異常もなく、疲労だろうと判断された。
勿論これは彼女の狙い通りだった。
ポーション頼りのこの国は医者は存在意義を失い、王族の為に一様置かれていた医者も他国の民間医師程の能力しか持っていなかった。
それに目をつけたメルーサの行動は大胆だった。
王自身も気怠さや睡魔以外には特に症状が無かった為、その診断に特に異論も無く納得していた。
しかし、日に日に王の様子がおかしくなった。
丸一日寝込んでいたのが2日、3日と増えていき、誰かが無理やり起こそうとすれば、いったんは目覚められるものの、再び眠りに付き起き上がる事はなかった。
起きてはいても“心ここにあらず”の状態が続き、目覚めている時間は執務に取り掛かろうと試みるものの長続きせず、ただひたすらに眠りに付き続けた。
普段の厳格で厳しい王を知っている者達はそんな王の様子に病気を疑わざるを得なかった。
王のそんな行動が更に1ヶ月程続き…ついに目覚めなくなった。眠りについて1週間程経ち、水分は湿らせた布を口に当てるだけ、食事も与える事も殆ど出来ずどんどん衰弱していった。
再び宮廷医師を呼び出したが、その医師では病名は愚か、治療という治療は行えず、不治の病だと認定された。その後、勿論この事で医師は辞職に追い込まれる事になった。
焦った王周辺は特に確認を取ることもなくたまたまメルーサの知り合いに帝国で有名な優秀な医師がおり、ツテを頼って紹介をしてもらい、ダーナロ王国へ呼び寄せる事になった。その医師は来て早々に王を見て今夜が峠だと伝えてきた。
医師が何度か気付薬を王に飲ませたが目覚める事はなくそのまま帰らぬ人となった。
勿論全てメルーサの計画だった。
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