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第一章
ヴィンセントの手引き
しおりを挟む翌朝。
スイが再び目を覚ました頃にはヴィンセントの姿は無かった。
スイは慌てて辺りを確認する。食堂や裏の勝手口、トイレ、水浴び用の井戸、廊下の隅々まで確認したがヴィンセントの姿はどこにも無かった。
「猊下!!ヴィンセント司教様が…!!」
「…入れ」
「し、失礼致します!!!」
「何事だ、騒がしい。少し落ち着いて話せ」
「…はい」
スイは大きく空気を吸い込み、ゆっくりと吐く。
(そうだ、猊下に何か使いを出されているのかも知れない…)
「ヴィンセント司教様が何処にもいらっしゃらないけのですが、なにかお申し付けなさったのですか…?」
「…何だと…」
猊下の様子がおかしい。使いに出していたわけでは無いのか…?そう自問自答しながら様子を伺う。
「ディスクラムの所へ行くぞ」
昨夜の話し合いで昼夜問わずディスクラムへの護衛を付け、外出は勿論させず、寝る時でさえも護衛を置いて決して1人にならない様にすると決まっていた。
慌てた様子のラミアンを見て、スイは段々とまずい状況なのだと理解し始める。ヴィンセントの行方に気がいってしまって、昨日までラミアンにビクビクしてた事は忘れている様だ。
「ディスクラムはいるか」
部屋の前で警護に当たっていた兵士の男にラミアンが声を掛ける。
「AよりBへ教皇猊下がお越しだ」
「…」
「おい、B!返事をしろ!!」
「…」
「おい!どうした!応答しろ!!」
「…」
様子がおかしい。何度外の兵士が呼びかけても中からの応答はない。それ以前に物音もしなければ、人の気配すら感じ取れない。重々しい雰囲気がその場の人間全員を凍らせた。
それにいち早く気付いたのはベテラン兵士であるスイで微かな空気感の変化を感じ取っていた。
「もう良い。今すぐ開けろ」
「は、はい!直ちに!!」
外の兵士の1人が上の1つ目の鍵を開ける。そして2人目の兵士が下の鍵を開ける。3人目の兵士が真ん中の鍵を開ける。
これは護衛の際によく使われる方法で、鍵はそれぞれ3人が1本づつ携帯し、一連の作業をその通りに行わなければ開かないと言う、この世界では至ってシンプルな施錠方法だ。1人でも取り逃せば鍵が開かない。全て取れても開錠順を間違えれば開かない。そして、その間に中の者が警護対象を安全に逃せばいいだけだ。
ようやっと空いた部屋に雪崩れ込むと、予想していた通り中はもぬけの殻だった。
「昨日の夜一度確認した時は何の異常もなく…それ以降物音すら聞こえておりません…私達もなにが何だか…」
朝一番からのヴィンセントの失踪に続き、ディスクラム立て続けに居なくなった。
昨夜の話し合いで昼夜問わずディスクラムへの護衛を付け、外出は勿論させず、寝る時でさえも護衛を置いて決して1人にならない様にすると決まっていて警備は万全だったのにも関わらず、枢機卿が居なくなり、更にはヴィンセントまでもが姿を消したのはここにいる全員の想定外の出来事だった。
「もう良い。一度城へ戻るぞ」
「は、はい。猊下」
イライラした様子のラミアンはぶっきら棒にそう言い、自室に向かって歩き出す。スイも自分とヴィンセントの荷物纏める為自室へ歩を進める。
枢機卿達が居なくなった時、正直教会本殿にいる下々の者達で心配する者は誰一人居なかった。何故なら皆んな枢機卿達の行いを知っているからだ。
協会内の実態を知って辞めて行った者もいるが、多くの者は自身の生活の為に残っていただけだ。それはスイも同じで現状ディスクラムが居なくなったことよりもヴィンセントが居なくなってしまった事に焦りを感じていた。
ヴィンセントは誰に対しても平等で気遣いが出来、挨拶やお礼なども上級貴族で有りながら誰にでもしてくれる。そんなヴィンセントを嫌いに思う者は1人も居なかった。
初めこそ優等生な彼を毛嫌いする者も居たが、皆彼がラミアンの側遣いとして寝ずに仕事をし、いつ倒れるのかと思う程フラフラ歩く姿を見続けると気の毒に思い次第に心変わりしていく。
皆んなに慕われているヴィンセントが居なくなったとどう知らせるか、と頭を悩ませる。
慌てていて鍵すら掛けずに部屋から飛び出していた事に気付き、不安になりながらも部屋の扉を開ける。
朝の慌てようを考慮しても乱れている自分のベッドに反して妙に綺麗に片付けられたヴィンセントの荷物に彼の性格を思い出して少し手が止まる。勿論だが、ベッドは一切手が付けられておらず綺麗だった。
一瞬目が覚めてヴィンセントと話した事を思い出し、あの後連れ去られたのかとヴィンセントの既に綺麗に纏まっている荷物を纏める。
ふと、衣服の間に布とは違う手触りを感じる。如何やら上質な羊皮紙のようだ。手に取り確認する。
スイ様
突然ヴィンセント様が居なくなり
大変ご迷惑をおかけしていると存じます
今、ビビアン様が聖王国変革の為ご尽力を
尽くされています
しかしその為にはヴィンセント様の
お力添えも必要でして 失踪 という形で
此方に来て頂きました
そこで貴方という人間を信用して
1つお願いが御座います
これからスイ様にはラミアンの側で
ヴィンセント様の代わりに側遣いとして
振る舞い 監視していて頂きたい
側遣いとしての仕事はヴィンセント様が直接
指示をして下さいます
一緒に鏡とピアスを置いて置きます
その鏡とピアスで連絡を取らせて頂けますので
肌身離さぬようお願い致します
スイは手紙と一緒にヴィンセントの荷物の下にあった鏡とピアス手に取る。元々つけていた銀のピアスを外し、胸の内ポケットにしまうと、その不思議な碧のピアスに付け替える。
これでどう連絡を取り合うのか。
そうスイが疑問に思っていると、突然、鏡に文字が浮かび上がる。
「…ヴィンセントです。スイには迷惑かけて申し訳ないと思っています…か。これは、凄いな…」
鏡に浮かび上がった文字を読む。筆跡も見覚えのある少しクセが強めの角ばった文字だ。
スイは騎士爵家に相当する家門の出身なので文字などの多少の教養を身につけているが、この世界の識字率はとても低く、この鏡が普及するのは難しいが画期的な魔道具なのは明らかだ。
(聖王国の変革が叶うならば、猊下の側で監視でも、なんでもしてやる)
そう、スイは強く意気込み、一通り荷物を纏めるとラミアンの部屋に戻る。
スイはラミアンの荷物も一緒に持ち、ラミアンに目線を向ける。苛立ちと共に不安をも感じさせる表情はスイが思い描いていた聖王国の絶対なる国王にして教皇猊下としての印象とは違い、とても弱々しい情けない普通の男に見える。
あまり物がなく、大きな鏡がある部屋に移動した2人はその後の事はディスクラムの侍従達に任せて城へ戻る。
「お待ちしておりました。教皇猊下」
戻った先で待っていたのは、ユリウス枢機卿とその部下達だ。ユリウスは金髪に翡翠眼でとても綺麗な顔立ちをしていて、背も高く、程よく鍛えられた肉体に枢機卿の地位。更には30代と若い。何も知らない歳若い女性信者達からは好意の視線をいつも集めていた。
「ユリウス枢機卿ご無事何よりです」
「それより、2人で戻ってきたって事はディスクラムも失踪しちゃったって事??」
「お前のその話し方はいつになったら治るのだ」
ユリウスの砕けた話し方にラミアンが強く返す。どんなにラミアンが凄んでもユリウスが気にする事はない。
「父さん、それは親子特権だろ?ここには俺の召使いと兵士だけじゃーん。他の人には俺だってきちんとした話し方してるよー」
「父さん、と呼ぶな。猊下と呼べといつも言っているだろう」
そう、ユリウスは教皇猊下の実子で現在は枢機卿だ。この国にも貴族制度はもちろん有り、呼び方が違うだけで、その実は同じだ。
教皇 = 皇帝、国王
枢機卿=公爵
司教 =侯爵、伯爵
司祭 =子爵、男爵
助祭 =準男爵、騎士爵
なお、準男爵、騎士爵は一代限りの爵位であり、位としては平民に等しい。
教皇猊下の息子のユリウスは教皇の息子=王子となるがラミアンは前教皇の2番目の息子で(1番目の息子はビビアンの父)教皇になる前から公爵位に当たる枢機卿を拝命されていたため、ユリウスはラミアンが教皇になると同時に枢機卿を受け継いだ。それに習い、ビビアンは教皇の親族=公爵位に当たる枢機卿に就いていたが、反旗を翻したと降格処分となった。(ビビアン支持者が多いため奪爵は出来なかった)
「まぁ、俺は無事帰ってきた事だし安心していつも通りいる方がよろしいのではないでしょうか?猊下?」
含みを持たせた言い方をするユリウスを無視する様に背を向け自室に戻る為歩き出す。
「おい、ヴィンセ…」
いつもいるはずのヴィンセントを思わず呼んでしまったラミアンは思わず足を止める。スイはそんなラミアンを見て少しの沈黙の後、気遣うように声をかける。
ヴィンセントの仕事と言えば、教皇のスケジュール管理から始まり、身の回りの世話(今日の服装から食事の内容などの細かな管理)、スケジュール予定通りの準備などは勿論、城の修繕、食材、人員の給料、信者達からの献金や国民からの税金などの収支予算管理や警備の配置や訓練の予定管理、休職者や退職者、求職者の人事管理など挙げればキリがない程の仕事をしていたのだ。ヴィンセントの代わりが務まる者が居るはずがない。ヴィンセントは教皇猊下ラミアンよりもこの城の中の事を一番よく知っていて、全てに対応していた。それだけ重要なポジションにいた。
「猊下、如何致しましょう」
「スイと言ったか。ついて来い」
「はい、畏まりました。教皇猊下」
昨日までビクビクしていたとは思えない程平然とスイは言った。ラミアンは正直言って萎縮すると思っていた。スイの表情は至って真剣だった。
ヴィンセントの失踪を知らない城の者達は2人が連れ立って歩いている異様な状況に疑問を持ち、視線を合わせる。そして、ヴィンセントがいない事にまさか彼が失踪してしまっているなどと艶も思わず、今は休めているのだろうか、と安堵するばかりだった。
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