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第一章

枢機卿の失踪

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 馬車に揺られながら、辺りを警戒して冷や汗をかき続ける男。震える体を両手で押さえて何とか自分を保とうと必死だ。
 男が震える理由はただ一つ。
 突然届いたベノボルトからの手紙だ。

 ライデンお前無事か?
 さっき部下からの報告でお前の失態を
   
 猊下が知ったそうだ
 猊下がこういう不祥事が嫌いなのは
 お前も知っているだろう?
 あの人は自分に甘く、他人に厳しい
 さて、お前さんは一体
 どんな罰が与えられるだろうな?

 水晶鏡が数枚無くなったと
 バレたのは痛いな
 それよりあの粗末な鏡はなんだ?
 もっとバレないような物に
 すれば良かったな

 初めは本物の水晶鏡を数枚売り捌いた。
 数枚くらいなら割れたと言えば事足りると浅はかな考えだった。
 しかし、数枚売り捌いたのちに自慢された貴族達から売ってくれと何度も言われるうちに偽物でもバレないのではとズルズル現状まで来てしまったのだった。
 寧ろよくバレなかったと言いたいくらいの粗末な鏡に笑えさえする。

 言い訳以外はどんなに考えても良い考えは浮かんで来ない。咄嗟に思い付いたのは教皇よりも強いベノボルトに守って貰う事だけ。それも必ず守って貰える訳ではない。
 彼が楽しい事、面白い事にしか興味を示さず、行動もしない変わり者で教皇ですら手が付けられないと言う事は枢機卿の誰もが知っていることだ。 
 とにかく、まずはベノボルトの所へ行き、そのあとの事はその時考えよう、そう決めたライデンは自ら魔法陣を羊皮紙に書き、自力で行ける最大の場所へ転移する。

「おぉ、ライデン。そろそろくる頃だと思っていた」

 初めからベノボルトの所へ行くつもりだった。
 でも、自力で行ける距離にまさか本人がいるとは思っても見なかった。ここにベノボルトがいる事に何の違和感も感じずに縋り付くライデンをみてクスリと笑う。

「ベノボルト、一生のお願いだ。猊下から俺を守ってくれ。一時の気の迷いで死にたくはない。何でもするから、俺を助けてくれ!」

「何でも?本当か?」

「あぁ、なんでもだ!!お願いだ!助けてくれ!」

「分かった。とりあえず水晶を出せ。猊下が『ポスト』したら終わりだ」

「あぁ、ありがとう!ベノボルト」

 言われるがままに水晶を渡す。
 そうしてライデンが連れてこられたのは言うまでもなく、牢屋だ。当たり前のように魔法封じの呪文が施されていて、何もできない。

「ライデン。お前は安心してそこで大人しくしていろ。魔封が施された牢だから向こうからマナ探知も不可能だ」

「あぁ、ありがとう。ほとぼりが冷めるまで暫く此処で過ごす事にする」

 ライデンは思考を停止してベノボルトの言われるがままに行動する。自分がどんな立場に置かれているか理解していないらしい。一体いつになったらほとぼりは冷めるのか、そんな事も分からないのか、と。
 この何とも言えない状況にベノボルトは笑うのを我慢しながら地下から出る。

「さて、どーやって自分の身を隠すか考えてなかったわー。どーすっかな」

 地下牢から出てきたベノボルトの直ぐ横で深いため息が聞こえる。

「そんな事だろうと思っていました。これはリーン様から預かった試作品だそうです。試作段階ではありますが、魔法を使えなくなる効果はライセン殿の折り紙付きだそうです」

「まぁた、面白いもん作ってんなぁ、あのじょうちゃんわよぉ。そりゃぁ飽きない訳だ」

「貴方と言う人はどうしてそう考えなしなのでしょうか。本当に大丈夫なのか心配になって来ました…」



ーーーーー



 叫び声や鈍い打撃音、耐えに耐え咽び泣く。そんな悲しい音だけが響く。
 朝日が登り始めて明日灯りが差し込む薄暗い部屋には小さな灯りが灯っていて、お互いの顔ははっきりと分かる。何も写さなくなった瞳はそのはっきりと分かる顔を避けるように小さな灯りだけを写している。

「何だもう終わりか。つまらぬなぁ」

 顔や手などの見えるところには特に変わりはない。乱れ血や体液で汚れた衣服は所々引き裂かれていて胸や太腿などが顕になっている。それを隠したり、拭ったりする動作も出来ないほどに弱りきったティリスにラミアンの声は届いていない。
 その反応に本当につまらないといった様子でベッドから降りたラミアンは手に持っていた棒をティリスの横に投げる。投げられた棒はベッドに跳ね返り床へ鈍い音を立てて落ちた。
 殴られようとも、蹴られようとも、何の返答もなくなったティリスをそのままに部屋を出る。

 部屋を出たラミアンが初めに向かったのは愛用の金で出来た高そうな神々しい椅子。現れたラミアンに構う事なく慌ただしく人々が走り回る。
 白一色の空間で唯一金色に輝くラミアンは苛立ちから足を揺すり、どっぷりと身を委ねている椅子の肘おきを指先でコツコツッと叩いている。
 そんな彼の様子を気にする余裕もない人々は相変わらず追われる様に忙しなく目の前を走り回る。

「おい、そこの者。おい、お前だ!」

 ひとり立ち止まった若い男は自分を指差して、自分なのか?と困惑の表情を浮かべる。

「そうだ、お前だ。この騒ぎはなんだと言うのだ。一体何があったのか簡潔に説明せよ。あやつが説明せんで飛んで行ったからわしは何も知らないのだ」

「あやつとはヴィンセント司教様のことでしょうか…?」

 恐る恐る伺いを立てる男は少し震えているようにも見える。教皇の側遣いとしていつも傍に控えているヴィンセントの姿がない。

「そうだ。今すぐ説明せよ」

「は、はい!!簡潔に…えー、えっと…」

「はよ、せい!」

「あ、あああ…あの、す、すすす枢機卿様が居なくなりましたぁぁぁぁあああぁぁぁ……」

 男の声は尻窄まりに弱々しく徐々に小さくなっていくが、最後まで言い切った言葉を最後に2人の間に沈黙が流れる。教皇ラミアンは彼が言った言葉の意味を理解するのに時間掛かっているようだ。
 恐る恐る、閉じていた目を薄っすら開けて、ラミアンに目線を合わせる。

「…枢機卿が…か?誰だ…」

「べ、ベノボルト枢機卿様とライデン枢機卿様で…す…」

「2人もか、いつだ」

「ベノボルト枢機卿様が1週間程前から…ライデン枢機卿様はその3日程前だそうです。伝令が早馬で伝えに戻ってきたのが昨日の夜のことでして…。ですので、昨夜から教会の者総出で慌ただしくしている次第です…」

「伝令からの情報は」

「お、お二人とも早朝に街を出て、此方に向かってお戻りになっていた際の事で状況はまだよく分かっていないようなのですが、…ライデン枢機卿様に仕えていた者の話によるとライデン枢機卿様が馬車に乗り込み…会議のため此方に向かっていて…休憩のために立ち寄った街の入門審査の際馬車の扉を開けると居なくなっていたそうです…」

「それは何処だ」

「ハーニアム領のベントスです…」

(ハーニアム…あそこは帝国から離れすぎている。ビビアンには無理だ。例え転移の魔法を使ったとしても、ビビアンのマナの量では何日も掛かるだろう。元々ライデンがいたローゼンブルクはもっと遠いい。ビビアンには距離を考えれば到底不可能だ。では…一体誰が…こんな事が出来る…?)

 勿論、その犯人がベノボルトだとは思いもしない。何の意味もなく(楽しい事や面白い事)何かをする男では無いと知っているからだ。

 この頃ティリスを見つけ、機嫌を良くしていたラミアンは苛立ちを隠さないでいるが、同時に2人も枢機卿が居なくなれば厄介極まりない。
 何故ならビビアンの破門議会をする予定で枢機卿達を地方から呼び寄せていたからだ。

 黙り込むラミアンに男は少しだけ様子を伺うと、では…仕事に戻ります…と小さく声を掛けて、そろりそろりとその場を後にした。
 男が居なくなったことに気に留めず、ラミアンは深く考え込む。何処の誰が、一体何のために枢機卿を拉致、誘拐を企てるのか…。枢機卿の誘拐など神への冒涜とされているのは当たり前でその罰は死に値する。
 そんな危険を犯す身の程知らずはこの世にどれくらいいるだろうか。信仰を違えても、神への冒涜はどの国でもどの宗派でも同じく罰が与えられる。

「ヴィンセントはいないのか!誰が直ぐに連れて来い!!」

 教皇猊下が声を荒げる事は今までに一度もない。格下のものと話す事、挨拶する事すら無いので声を聞く機会もなく、今の声が猊下の声だと慌ただしく走り回る配下達が認識するまで少しの時間が掛かった。

「はい!只今お連れします!!」

 居場所を知っているのか、ひとりの女性が声を上げて走り去る。その様子を見てラミアンはぐったりと背をもたげる。

(この後お楽しみがあるはずだったのだが、そうは言ってられん。枢機卿が居なくなるとは…)

 新しく気に入った女、ティリスを見つけ、ここ2週間毎日甚振り続けていて機嫌を良くしていたラミアンは舌を打つ。苛立ちを隠さないでいるが、それに気を留める程余裕のある者はおらず、舌を打つ音も雑音の中に紛れ、聞いている者は1人もいなかった。




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