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最終章
我が子
しおりを挟む『来たか』
「聖獣様…」
屋敷全体を覆う煉瓦造りの塀。正門の他に裏手側にある畑に繋がる木製の扉に手をかけると脳の奥深くに直接響くように声が聞こえてきた。
声の主は聖獣フェンリル。
相変わらずの神々しさで、薄暗い森の中だと言うのにその姿はハッキリとしている。
『此処はマナが多いようだ。とても心地よい』
「マナが、ですか」
『多分近くに鉱脈があるのだろう』
思い当たる節があったユリウスはそっと皇城の方へ視線を向ける。
「鉱脈と言うよりは魔力の塊があると言う方が正しいかと」
『ふむ…我には鉱脈に見えるが…まぁ、いい。今日はこの子の事で来た』
地面に寝そべっていた聖獣フィンがそっと尻尾を避けるとスースー、と気持ちの良い寝息を立てている朝日がフィンの真っ白な毛に埋もれながら、もたれ掛かっているのが見えた。
ふわふわの毛が朝日の寝息でゆらゆらと揺れていて、たまにくすぐったそうな素振りをみせるが、よほど気持ちがいいのか、全く起きる気配はない。
『我は我の神、古の龍イグニスに頼まれてこの子の世話をしていた。もちろん本当の家族のように思っている。傷付けることは絶対に許さん』
「それは勿論のことです」
『お前らも薄々この子の不思議さに気が付いていると思う。この子は他の世界から来た』
「本人から聞きました」
『そうか』
ユリウスは朝日から話を聞いたときに無関心の意味を本気で考えさせられた。
気にも留められない、目にも止まらない、
存在を認められない、愛されていない。
無関心の意味はたくさん思い浮かぶが、事実彼に向けられた無関心はその全てを意味していた。
『この子はこの子の世界では異端だった。故に恐れられ、忌み嫌われた。それでもこの子に誰もが惹きつけられた。容姿然り、性格然りだ。だから誰もがこの子を助けようとした。しかし、この子はそれを望まなんだ。…そしてイグニス様に選ばれた』
「古の龍は朝日に何を願ったのですか」
『この子の役目は聖剣を見つけて、持ち主を選ぶ事。聖剣はこの子に引き寄せられ、この子は聖剣と共鳴する。この子が聖剣だと言えばそれは聖剣であり、聖剣の持ち主を汝だと言えばそうなる。…ただ、本人は何も知らぬ。この子が聖剣を手に入れたのも、それを下賜したのも全てが偶然で必然だ』
朝日には役割があった。それはこの世界が形を保つために必要なことだった。形を保つことが出来た世界はその寿命を少しながら伸ばすことが出来る。世界を救うために朝日はこの世界に連れてこられた。
そして、自身も朝日と出会えたことで色んな価値観が変わり、救いがあった。だが…。
「朝日には夢があったそうです。でも、この世界に勝手に連れてこられてその夢は夢に終わった…」
『…我にはどうする事も出来ぬ。ただ、イグニス様に連れてこられなかったら、この子は死を迎えるその日まで延々と籠の中にあった。どちらが幸せか、それはこの子の決めることだ』
フィンの朝日を見つめる目が優しい。我が子を愛でるような温かい目。何が正解で何が幸せだったのかはわからないが、フィンのその目には朝日を幸せにして見せると言う絶対的な自信が満ちていた。
『イグニス様は人間の欲望と言うものを良くご存知だった。だから、いつの日かこんな日が来る事も予測されておられた。これはイグニス様からすれば必然の出来事。だが、我はこの子を守りたい。必然に争う必要がある』
「私に出来ることは…」
古の龍イグニスには人間が再び裏切ることは分かっていた。それでも人間を許したのは何だったのか。
『我にも分からぬ。イグニス様が我に望まれたのはこの世界が少しずつ枯れていくのを見守ると言うこと。我にはどうする事も出来なんだ』
「私に朝日を任せて頂けませんか」
『主は我の話しを聞いていなかったのか…?』
急に上から押し付けられ、地面に手をつく。いや、実際には押し付けられてはいない、これは聖獣フェンリルの威圧だ。
恐れが無ければ決して地面に手をつく事なんてない。だが、一瞬でも恐れれば…。
「グッ…。で、では、何故会いにこられたのでしょう…か、」
『質問を質問で返すとは、主は礼儀も知らぬか』
「それは朝日が望んだからではないでしょうか!」
『…この子はそう言う子よ。だが、だからと言ってそれを簡単に受け入れる訳が無かろう』
これは試されているのだろう。聖獣フェンリルが大嫌いな人間に大切な我が子を託すか託さないか。そのための試験だ。
それこそ何をするのが正解なのかは分からない。でも、それよりも朝日が望んだ事を望んだままにやらせてやる。それがユリウス達が決めた絶対事項だ。
「我々は朝日が望む事を望むままに何が何であろうとやらせると誓い合いました…。それはこの命が絶えようとも守ります」
『この子のは我の子だ…。我の可愛い子なのだ…。危険になど晒せる訳がないのだよ』
「御言葉ですが、この先…何処にいても危険なのは変わらないのでは?」
『…分かっておる。この件が片付かなければ、この世界には生物は一人もいなくなるだろう。そして再び土地が再生し、生命が生まれ、新たな生物がこの世界の住民になるのだ』
何が起こるのかは分からない。でも、古の龍がフィンに告げている。この世界の終わりを。
決して抗えない真実だと告げている。
でも、その抗えない真実に唯一抗えるかも知れないイレギュラーな存在がいる。
本人はそれを全く分かっていないが、この世界を終わりから救えるのは多分、この可愛い寝息を立てている少年だけ。
それぐらい朝日の存在はイレギュラーだった。
『我はこの世界が無くなろうと何だろうとどうでも良かったのだ。でも、我はこの世界で一番強い存在。故に誰よりも長く生きる。…この子達が目の前で死んでいくのを見るのは辛いのだ』
「…聖獣フェンリル、いえ、フィン様。人間はその先も罪を犯し続けるでしょう。よく深いのが人間という生き物です。そして、貴方は我々の死後もそれを見届け無ければならない。でも、全ての人間が貴方を裏切る訳ではない。貴方の息子がそうであるように、必ず貴方に認めて貰えるような者もいるのです」
朝日は聖獣フェンリルが唯一認めた人間。きっかけは古の龍イグニスに頼まれた事かもしれないが、今は息子のように思っている。
なら、きっと朝日以外にも認めることが出来る人間がいるはず。
例えば、古の龍イグニスに認められた初代皇帝アレキサンドリアのように。
『主の考えていることは手にとるように分かるな。我がこの子以外に心を許すことなどない。それはイグニス様然りだ。……何故ならこの子がこの子こそが古の龍イグニスに唯一認められた初代皇帝アレキサンドリアの生まれ変わりなのだから』
「!!」
『驚くことではなかろう。イグニス様が一度裏切られた人間をそう簡単に信じる訳がないとは思わんか?それに初代皇帝アレキサンドリアの戦い方を知っておろう』
「…いえ、それは後世に伝えられておりません」
フィンは初めて驚いたような表情を向けて愉快だと高笑いする。
『あれは見事だった。古の龍イグニスであろうと奴には敵わんよ」
「…朝日の戦いは以前見たことがあります。危なっかしく、自身を守るのがやっとに見えましたが…」
『ほう。まだ主は見ておらんようだ。この子の戦い方はそれは酷いものよ』
「酷い、ですか」
『“自動回収”生きている者は回収できない。いや、出来ないのではなく、この子が優しい故にしなかっただけ。そしてその“回収”するものは指定できるのだ。…そう、例えば心の臓とかな』
ユリウスは息を呑む。
双子からの調査結果から、半径1.5キロは全て朝日の射程圏内になる。その範囲に入った者の心の臓を自動で回収出来るとしたら…?それはもう神の御業ではないだろうか。
『心配するな。この子にそこまでの事は出来ない。出来るのはせいぜい、目視した物を瞬時に亜空間に送ることぐらいだろう』
「いえ、ゼノの話しでは既に一度やらかしているようです」
『この子は育ちのせいか、たまに善悪の付け方がおかしなときがある。故に無垢な命を見捨てる時もあるし、自身を犠牲にしても守る時もある』
フィンのお腹にもたれ掛かりスヤスヤと寝続けている朝日は、二人が小さな不安を抱えているとは知らずに気持ち良さそうに寝返りを打った。
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