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第五章
駆け引き
しおりを挟む昨夜、ユリウスは馬車を送る、と言っていたのだが、結局朝日の部屋に泊まった。
いつもセシルがしてくれるように朝日が寝るまで頭を撫でてくれたし、ぶるり、と身震いしたら肩まで布団を掛け直してくれた。
ユリウスなりの気遣いだったのだろうが、その不器用な手に朝日はほんの少し笑顔になれた。
慣れない事をしてやるくらいにユリウスも朝日の事が心配だったのだろう。
「おはよう」
「…おはよう、ユリウスさん」
「よく寝れたみたいで良かった」
「ユリウスさんは…何処で寝たの?」
朝日は空いている自身の隣りに手を置いてそこが冷めている事を確認するとユリウスにそう聞いた。
「早朝まではそこで寝ていた。騎士の朝は早い。訓練があるからな」
「そうだよね」
今までセシルとのお泊まり会ではいつも起きると隣りにセシルが居た。
だから冷めたベッドに少し寂しさを感じていたが、昨夜寝る前と違いかなり楽そうな服装になっているユリウスを見て納得した。
ユリウスとセシルでは役割が違う。
ユリウスは実働部隊として戦線に出るが、セシルは団の取りまとめや事務関係を中心的に行っている。
元々セシルは暗殺一家であるハイゼンベルク家の当主候補だったのでかなり腕も立つ。
ただ本人は暗殺者には向いていないと思っている。もっと言えば人を使う方が得意だと思っている。
家の方針で当主は積極的に仕事をすると決まっているので、家督を妹に譲り、自身はその能力を活かして団の副団長として人を顎で使い倒しているのだ。
「ユリウスさん…かっこいい…」
「…突然なんだ」
「眼鏡!初めて見た!」
「あぁ…これか」
ユリウスは掛けていた眼鏡を外しながらそういえば、と忘れていたと少し困った表情をする。
今のユリウスは風呂上がりそのままのセットのしていない銀に近い白髪に、美しい金色の瞳を映させる淵のない眼鏡。少し裸させたシャツからは鎖骨をチラリと覗かせていて、組まれた長い足元に真っ黒の細身のボトム。
そのまま外を歩けば全ての女性を虜にしてしまうのでは、と思わされるような妖艶で艶かしい色香を纏っている。
「普段はしていない。長く字を読む時だけだ」
「…うん…僕も眼鏡かけてみようかな…?」
「目が悪いのか?」
「…」
意外にもユリウスはそう言う方向には鈍感な方らしい。美とか容姿に興味が薄いので、当然女性を喜ばせるような言葉を口にした事はなく、母には幾度となく注意を受けているが、未だにユリウスはそれを理解していない。
ーーーコンコンッ
「朝日様。お支度に参りました」
「どうぞ!」
「失礼いたします」
ジョシュはユリウスが部屋にしても驚くこともなく、淡々と朝日の支度の為の準備をする。
その横で未だにユリウスを見つめている朝日の視線にユリウスも少し居づらさを覚える。
「朝日様、今日は公爵様にお会いになるとお伺いしました。ですので、今日は此方にさせて頂きます」
「…うん」
「タイは細い方が宜しいでしょうか?」
「…うん」
「朝日様、タイピンは青色で宜しいでしょうか」
「…うん」
「抱き締めても宜しいでしょうか」
「うん……え?、わぁ!」
上の空でユリウスを見ていた朝日にジョシュは抱きついて、ユリウスへの視線を切る。急な抱きつきと目の前が真っ暗になったことでびっくりした朝日はよろけてそのままジョシュの胸に収まる。
「上の空でいらっしゃいましたので」
「ごめん。ジョシュなら任せていいかと思って」
「はい、問題ありません。が、そんなにユリウス様を見ていたら穴が空きますよ」
「え!」
「冗談です」
んもー、と頬を膨らませる朝日にジョシュはクスクス、と小さく笑う。ユリウスはようやく居た堪れない視線が向けられなくなって安心する。
じゃれあう二人をよそにユリウスは手元の資料を置いて近くに置いてあった上着を羽織る。
「僕、まだボタン出来ないんだ」
「大丈夫です。ボタンもリボンも何もかも私にお任せください」
「……ジョシュが、いない時は?」
「私は常に朝日様の近くにおります。絶対に居なくなりません」
「…うん。ずっとだよ?」
「はい」
少し声が震えている。
眩しいほどの笑顔も今日はなりを顰め、眉尻を下げている。
手を伸ばして欲しい、ジョシュは常々そう思っていた。こちらから伸ばした手は拒まないのに、自分からは伸ばそうとしない。
お願いはするのに、強要はしない。
自身は危険を顧みたいのに、他人にはそれを望まない。
だから、朝日の“ずっと”と言う言葉がジョシュの中にすとん、と落ちてきた。
求めていた言葉を一番聞きたい人から聞けた。
充足感で満たされる。
「まずは朝食だ」
「うん!」
朝日の声はもう震えていない。
笑顔もいつも通り眩しいし、何よりあの大きなビー玉の目が輝いている。
ユリウスと共に食堂へ向かう朝日の後ろでジョシュは足りないものが埋まった充足感で満足気に笑っていた。
朝食後、早々に馬車に乗り込む。
ユリウスの提案でフェナルスタへの手土産という名の貢物を買うことになったからだ。
此方で買い物するのは帝国へ行く為に道具を揃えた依頼だった。そんなに前の事でもないはずなのに、街を歩くのが凄く久しく感じる。
街は相変わらずだ。
屋台の店主の溌剌とした呼び込み、行き交う人と荷物と荷馬車、そこら中で子供達が楽しそうに駆け回っていて、奥様達は立ち話に花が咲かせている。
「何を買うの?」
「フェナルスタ公は何でも持ってらっしゃるだろうな。欲しいものなど思い浮かばないほどに。だから朝日、お前が選べ」
「僕が?」
「多分、フェナルスタ公はお前が選んだものだと言えば喜ぶだろうからな」
「そうなの?」
「ゼノがそう言っていた」
「ゼノさんが?」
無茶振りといえば無茶振りなのだろうが、ゼノの言う通りだとユリウスも思っていた。
出会った経緯をゼノから聞いたが、フェナルスタ公はかなり朝日にご執心だ。
養子の申し出を断っても、食い下がって冒険者として勧誘する程に朝日を欲しがったのだ。
「一緒にハンカチも見てきて良い?」
「あぁ」
「良かった、セシルさんに借りた分をお返ししなくちゃいけないんだけど、僕…貴族様が入るようなお店は知らなくて…」
「何渡してもセシルは気にしないと思うが」
「でも、すっごく肌触りのいいハンカチだったんだ」
「まぁ、見てみろ」
「うん!」
店に着いて、店内を見渡す。どこもかしこもキラキラと輝いていて眩しい。
「エナミラン侯爵家閣下、御来店誠にありがとうございます」
「見させて貰う」
「かしこまりました」
普段なら奥の部屋で欲しい物を伝え、紅茶を一杯飲むところだが、買う物も決まっていないし、今日は朝日がいる。朝日にとっては自由に見て回る方が楽しいだろう。
「これ何?」
「カフスボタンだ。洋服の裾につける」
「これは?」
「シガーカッターだな」
ユリウスが想像していた土産とは違うが、まぁ今回は朝日が選ぶことに意味がある。
ユリウスは朝日の質問に延々と答え続ける。
そうしてやっと決まったプレゼントを包んでいる間に朝日とユリウスは屋敷へ向かう。プレゼントは後ほど屋敷に届けて貰うよう頼んだ。
屋敷はかなり静かで、セシルのところとはまた違った雰囲気だった。どちらかと言えば少数精鋭、と言うような感じ。
メイド達ひとりひとりの動きが全然違うのだ。
「お待たせ致しました」
「あぁ、私も今着いたところですよ」
割と落ち着いた印象の縦長の部屋。
一つ一つが価値のある品で、美しく纏められていて余計な物がない。
真っ白なクロスが敷かれた長い机には色取りどりの花々で飾り付けられていて少し可愛らしい。
「朝日君、こちらにどうぞ」
部屋にはフェナルスタの他にセシル、クリス、ゼノ、そしてアイルトンが既に着席して待っていた。
朝日も近くにいた使用人が椅子を引いてくれたので呼ばれたままにセシルの隣の席に着く。
チラリとゼノと目があったので声をかけたかったのだが、今はそんな雰囲気ではない。
二人が席につくと直ぐに料理が運ばれてきた。
そして、昼食会という名の駆け引きが始まったのだった。
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