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第四章
裏切りの黒
しおりを挟む窓の外は薄暗い。
沈みかけの夕日は逆光で報告書を見るシルエットでしか彼を確認出来ず、やはりその表情を見させてはくれない。
静寂の中、パラパラと紙を捲る音と報告書を読みながら机の上を指先でコツコツ、とリズミカルな音だけ聞こえてくる。
「どうも上手くいかないね」
「聖剣も今は何故か《残酷な天使》が持っているのを確認しております」
「…何故、聖剣をあのユリウスが…?」
「厄介なことになりましたね」
「彼が聖剣に選ばれたのだろうか」
「…部下に確認に行かせましたが、美しい姿そのものだったようです。その可能性は高いかと」
彼は執事の返事を聞いて報告書を握りつぶし、その怒りをどうにか抑えて冷静になろうとする。
(最近、どうも落ち着きがなくない…)
いつもはとても落ち着きのある常識人なのだが、最近は余裕がないようで、報告の時は時折こうして小さな苛立ちを見せることも増えていた。
心配されるのを何より嫌う彼に心配しているのを悟られないよう、眉間に皺を寄せて努めて深刻そうな表情を浮かべる。
「その代わりではありますが、帝国での作戦は成功しております」
「魔法石はどのくらい集まったかな?」
「例の作戦を決行することは可能でございます」
「よし。準備を進めようか」
「かしこまりました」
まだ完全には苛立ちは治ってはいないものの、その作戦を決行することさえ出来ればいい、と男はお気に入りのベロア調の椅子から立ち上がり、窓辺から外を覗く。
遠くに見えるのは煌々と光を放つ街並み。
忌々しいその全てを見下ろせるように敢えてこの山奥のひっそりとした場所に小さな屋敷を設けた。
全てを奪われたあの日を取り戻すために。
この辛く、苦しい日々を終わらせるために。
月明かりに照らされてようやくその顔が露わになる。顔の右頬は焼け爛れてそれは少し開けた胸元まで続いている。爛れとはまた別の大きな傷が残るのは右目で完全に白くなっている眼球はきっと色を写していないだろう。
その痛々しい傷を隠すこともなく堂々と見せている彼は凛々しさもあり、またなんだか美しくも見える。
「もう少しで…帝国の国土の全てがまっさらな更地と化すだろう。そう…もう少しだ…もう少しなんだ」
「これで…皆様の供養となることでしょう」
「あぁ。皆んなもきっと喜んでくれるさ」
「準備をして参ります」
窓の外を遠く眺めて小さな笑みを漏らした男はほんの少しだけ穏やかな顔をしていた。
昔の彼らしい表情を久しぶりに見れたことに安心し、執事はそれに少し肩を撫で下ろした。
「全く…ゼノには感謝しなくてはいけないね」
「…未だに我々に利用されたとは思っていないのでしょうね」
「その代わり私はこの大きな傷を…代償を貰った。最後の時まで気付かないでいて欲しいよ。未だに彼の事は好きだからね」
申し訳なさそうな声で話す二人だが、その表情には全く申し訳さなのかけらも感じられなかった。ただただ痛々しいその傷が二人にあの日の記憶を呼び覚まさせていた。
「作戦を始めるらしい」
「おー、マジか。思ったより早かったなぁ」
部屋を出てすぐに後ろを歩く男に気がついた執事は淡々と前だけを見て歩く。主人との会話とは違ってかなり崩れた言葉で話すのは相手を同格か、それ以下にしか思っていないからだろう。
「お前もそろそろバレている頃だろう。そんな余裕こいていて大丈夫なのか?」
「ん、まぁ。俺も俺なりに保険は掛けてあるからさ」
「…主人はお前の事を信用しているようだが、私はしていないぞ」
「えー?まだしてくれてなかったの?俺こんなに協力してるのにさぁ」
長い廊下をただただ歩き続ける男の後ろをダラダラと歩くのはロードアスター。
その様子を気に入らない、と言わんばかりに完全に無視して歩く。執事の態度がどうであろうとロードアスターも関係ないとその姿勢を変えることはない。
「んで、俺は次に何すればいい感じ?」
「…お前は皇帝が逃げないようにすればいい」
「え?それ俺に死ねって言ってる?」
「あぁ」
「ちょ、ちょっと!それは勘弁してよ!俺はこの先の人生を楽しむために協力してんのにさぁ。それは殺生な話しだろ?」
ロードアスターが死ぬことに関してはどうでもいいと明らかに馬鹿にするように鼻で笑う男。
だからといってロードアスターは腹を立てることも、牙を剥くこともない。飄々とした態度もそのままに寧ろ楽しそうに困ったフリをする。
「まぁいいや。何か上手いこと考えておくよ」
「失敗は許さないぞ。ただでさえお前は前に一回失敗してるんだからな」
「へいへい」
コイツ本当に貴族出身か?と疑いの目を向ける男に飄々とした笑顔を返す。
それを見た男はやはり信用ならないと、直ぐに視線を前に向けてまた、淡々と歩き出した。
「失敗って言ってもさ?あれは俺の所為なのか?」
「お前はあの場所に人を近づけないようにすることが出来たのに見逃したんだ。失敗だ」
「でもさぁ?俺がそんなことしてたらユリウスと戦うことになってたんだけど?」
「…それも含めて上手くやれ」
「へーい」
全面的にロードアスターのせいにすることは出来ない。たまたま居合わせた彼に何もかもの責任を擦りつける気もない。
ただ彼のあー言えば、こー言う、みたいなそう言う揚げ足取りのような態度がとにかく気に食わなくて、責め立てるように言っただけだった。
とにかく相性の良くない二人は同じ主人を仰いでいることだけが繋がりだった。
気のない返事をするロードアスターに少しだけ意味のない責め立てをした負い目があったのか執事は一瞥だけくれてそのまま何も言わずに廊下を歩いて行った。
「聞いてたな?」
「はい。団長」
「準備するぞー」
「はい」
暗闇からぬるり、と現れた黒ローブの彼女はロードアスターの部下サーラスだ。相変わらず姿を消すのが上手い彼女は常に自分の存在を巧みに隠し、ロードアスターの後ろに控えている。
朝日とのあの一件以来、仲違いしていたようにも見えたが、それでも彼女はなんだかんだいって彼のことを尊敬している。
例えそれが仲間を裏切る手伝いだったとしても彼。裏切ることは出来ない。
拾われた恩は返すまでは。
「団長」
「ん?」
「先程、定期連絡がありました。向こうは予想通り動いたようです」
「成功したの?」
「はい」
そう、と短く返事したロードアスターはいつもの飄々とした表情を隠し、何を考えているのか全く分からない無表情だった。
サーラスはそれを見て直ぐに気配を消して、ロードアスターから距離を取る。
震えて出してしまった身体をどうにか抑えようと腕を胸の前に抱えて強く握りしめる。
「面倒だね。そろそろいらないか」
「…」
「お願いね」
「…かしこまりました」
有無を言わせないロードアスターの圧に言葉を詰まらせながらもなんとか返事をしたサーラスは生唾を飲む。
再びダラダラと歩き出したのを確認して、ゆっくりと音を立てないように近くの窓を開けると、そこから身を乗り出して見事な身のこなしで屋上へと上がる。
「定期連絡の返事…お願いね」
「ぴゅーーーるるるる」
サーラスは前もって準備していた連絡用のスカイフォークの足に紙を括り付けて空高く飛ばし、姿が見えなくなるまで見送る。
そして小さなため息をついた。
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