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第四章
心配
しおりを挟む翌日、朝食の席はとても静かだった。
周りがざわついているから余計にこの席だけが静かなのが良くわかる。
この席に会話が一切生まれて来ないのは朝日の視線が朝、部屋を出て目を合わせた時から今までずっと変わらずにセシルに向けられているから。
「馬車が到着致しました」
そんな席に声を掛けるのは嫌だっただろうが、顔見知りになっていたウェイターは完璧な作法で淡々と告げた。
宿屋の綺麗で臭くない馬屋に用意されていた馬車は見た目はごくごく普通の木製の乗合馬車のようだった。ただ、車内は真っ白で統一されていて美しい。
朝日の視線がずっとセシルに向けられていた理由が分かったのは皇城へ向かうために馬車乗り込んだその時だった。ゆっくりとした動作で乗り込んできた朝日はいつものように綺麗な姿勢でセシルの隣へ腰掛ける。
「セシルさん。ごめんなさい」
「急にどうしたの?」
「セシルさんがそんな風になるって分かっていたら…僕、絶対に頼まなかった」
セシルは朝からいつも通りだった。
それはクリスが驚くほどに普通で、寧ろ普段朝日に向けるような優しい表情が気持ち悪く感じるほどだった。
「セシルさん、少しでも休んで?」
「朝日、君?」
「よしよし」
激しい痛みを感じる身体はセシルの腕を優しく引く朝日の非力な力にも抵抗できず、そのまま朝日の膝に頬を寄せた。
頬に感じる温かみで身体が相当冷え込んでいることに気付かされる。いつもセシルがやっているように頭を撫でる朝日が居た堪れないと悲しそうな目を向けていて、クリスに言われた言葉の意味を知る。
朝日にこんな顔をさせたくなかったから無理を押して頑張った。苦しいでいる姿、情けない姿は自分らしくないとずっと思っていた。
幼い頃に暗殺教育で痛みや苦しみ、怒りや喜びなどの感情を顔に出さないように矯正されたセシルにとって耐えることは普通だった。
だから今回も同じ。そう思っていた。
でも、朝日が悲しそうにしている。辛そうにしている。心配をかけている。そう思うと胸が苦しくなって自分も悲しくて、辛くて、心配になった。
だが、厳禁なことにそう思われていることに心がほんのりと温かくなった。
「朝日君、ミュリアルを助けるにはこれしかなかったんだ」
「分かってるよ。それでもダメなんだ。誰かを助けるために誰がを犠牲にしたり、誰かを苦しめたらダメなんだ」
誰かを助けるために、苦しむ程度で済むのなら良いのではないだろうか。寧ろそれをいつもやっているのは朝日の方ではないか。
セシルがそう思うのは当然の事だ。
「朝日君、私達の気持ち分かった?」
「…?」
「私達は朝日君がみんなの為に病に倒れた時、今の朝日君と同じ気持ちになったんだよ」
朝日は静かにこくりと頷き、セシルに自分の顔が見えないようにゆっくりと瞼を落とさせた。
じんわりと伝わってくる子供体温が心地良くて可笑しくて、セシルはふふふ、と楽しそうに笑った。セシルはそれが痛みを和らげてくれているような気がした。
同乗している二人から冷たい視線は感じるがそれがどうでもよく思えるくらいに温かかった。
「朝日、作戦は覚えてるな」
「うん」
到着したのは少し古めかしいがとても綺麗にされた屋敷で、とても大切にされている事が分かった。
「お待ちしておりました。私はグランジェイド家執事のセバスチャン・セルベルージュで御座います。どうぞこちらへ」
出迎えてくれたセバスチャンと名乗る老臣はシュッとしていて公爵家の執事ともなると見た目まで素敵なのだと朝日は彼をずっと目で追っていた。
通された部屋には既にフェナルスタが登城ようにあつらえている臙脂色の落ち着いた服に数々の称号を携えて座っていた。
「あんな馬車を送ってすまなかった。まだ勘繰られては困るからね。許して欲しい」
「フェナルスタ様、これから乗って頂く荷馬車の方が…」
「そうだったな」
公爵家ほどになればこのくらいは余裕なのか、と家格の近いユリウスへ視線が集まるが、視線に気付きながらもユリウスはそのまま何も言わなかった。
皇城へ向かうために用意されていた馬車はセバスチャンの言う通り如何にもな荷馬車。当然ながら車内も荷馬車らしく沢山の箱が載せられているが、全て空っぽだった。
馬車に同乗している行商人もフェナルスタのお抱えで、凄いのは登城を許されている本物の行商人だと言う事。
「何かソファーあるんだけど」
「商品なんじゃないかな?」
「いや、これ商品だったら箱の中身も入ってるだろ?」
「本当だ、クリスさんやっぱり天才だね!」
「だから、褒めんの辞めろ…」
相変わらず朝日との掛け合いに慣れていないクリスは御者席の後ろに置かれている二組の二人掛けソファーの一つにドカリと座る。
セシルがその正面のもう一つのソファーに座り、朝日も迷わずそれに続いた。
だが、直ぐに身体が宙に浮いて朝日の隣にはクリスがいた。目線が同じくらいなのでクリスの綺麗な緑色の瞳がお花のように見えて顔を近づける。
「近っ!」
「クリスさんの目にはお花が咲いてるよ?」
「あー、よく言われる」
「綺麗だね」
朝日を完全にホールドしているユリウスはクリスに近づく朝日の頭を強引に自身の胸元に押しつける。
「セシル、お前は寝とけ」
「枕が欲しいかな、って」
「僕、枕持ってるよ!」
そういう意味じゃなかったんだけどなぁ、と朝日がポシェットから取り出した本物の枕を受け取りながらセシルは苦笑いをした。
そうこうしているうちに始めの門に到着する。
今回は前を走っていた公爵家の家紋が入った豪華絢爛の馬車が先に門に付き、検問に止められている間に後ろの馬車を公爵家側の兵士に確認させて素通りする。
「こんな簡単に入れるものなのか?」
「普通なら無理でしょうね」
「多分だが、公爵が正装していたからだろうな」
「どうして正装だといいの?」
「公爵が正装であることで向こうは勝手に重要な何かがあるのかと勝手に想像を膨らませるだろ」
「うん」
「自分達はそんな報告を受けてないから心配になって色々と確認を取り始める。後ろの行商人はいつも通りの奴と変わらない。それなら、行商人の確認は簡単に済ませて心配事を優先したくなる。その場に偶々兵士が居合わせたら何処の誰かなんて気にせずに確認作業の代行を頼むって事だ」
やっぱりクリスさん天才!、と朝日がきゃっきゃっと嬉しそうに笑うので馬車の中はとても穏やかだった。
そして第二の関門、正門の目の前まで辿り着く。
当然二度も同じ作戦は使えない。
今度はどんな作戦で通り抜けるのか、と朝日は楽しみにしていたが、正門がゆっくりと開いて行くのが見えて馬車はそのまま正門を素通りした。
「あれ?通れちゃった」
「箱の中に入ってろ」
朝日を膝から下ろす間もなく、一番近くの大きな木箱の中に下ろされる。木箱にすっぽりと収まっている朝日をクリスがユリウスの後ろから覗き込みながら手を振る。
「俺たちはここで降りる。朝日、気をつけろよ」
「…うん。皆さんも、気をつけてね」
蓋を締められて当然中は真っ暗になる。ユリウス達が荷馬車から降りて行く音が聞こえて、馬車が微かに軋み、揺れる。朝日は途端に不安になった。
「朝日くん、こんな所にいたんだね」
「フェスタさん」
「早く出してあげてくれ」
「ありがとうございます」
肩までの高さの箱からは箱を倒す他には自力で抜け出ることは出来ない。控えていた綺麗な燕尾服の男が朝日を箱から出してくれて漸く状況を少し理解する。
「あれ?暗い?」
「ここは城内にある倉庫だ」
朝日は箱の中から救い出されたまま何故か燕尾服の男の腕の中に収まったままで、まるで頭がまだ座っていない乳幼児を抱いているかのように包み込まれていた。
その理由を知ったのはその部屋から出てからだった。
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